No | 127329 | |
著者(漢字) | 磯谷,悠子 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イソガヤ,ユウコ | |
標題(和) | 他者の視線に対する知覚精度と神経症傾向に代表される性格特性との相関 | |
標題(洋) | The association between gaze detection accuracy and personality such as neuroticism. | |
報告番号 | 127329 | |
報告番号 | 甲27329 | |
学位授与日 | 2011.04.27 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(保健学) | |
学位記番号 | 博医第3763号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 健康科学・看護学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 背景 人が人らしく生きるためには,他者との社会的な共同生活を欠くことはできず,そのためには絶えず他者の心や注意の動きを察知し理解し続ける必要がある。この他者の心の動きを類推する能力に関し,Simon Baron-Cohenは,意図検出器(Intentionality Detector:ID),視線検出器(Eye-Direction Detector: EDD),注意共有の機構(Shared-Attention Mechanism: SAM),心の理論の機構(Theory-of-Mind Mechanism: ToMM)という4つの構成要素を提案している(心の理論)。この心の理論の発達は社会能力の発達に密接にかかわっており,社会性の根幹ともいえる心理状態(意図,注意,情動)の共有の前提である共同注意の発動の条件として,アイコンタクトが必須であることが指摘されている。 日常的に無意識のまま行われているノンバーバルコミュニケーションの中でも,視線は強力な社会的シグナルであり,視線の検出からそこに含まれた"情報"の解読に至るまでには脳内の数多くの領野が協働している。視線情報を処理する神経基盤として,まずは知覚情報処理基盤がある。知覚は外部の刺激に依存するボトムアップ処理を基本とし,主に感覚野(視知覚ならば後頭葉の視覚野)で処理される。感覚野に入った信号は段階を経て高次処理へと進んでいくが,視線の高次認知処理に関連する領野としては上側頭溝(STS),下外側前頭前野および前部帯状回/内側前頭前野などが挙げられている。このSTSでは,特定方向への視線に対して反応する神経細胞が見出されており,視線方向知覚への関与が示唆されている。また,"「視線の受信(視線感受)」"に関し,事象関連電位(ERP)を用いた研究では,生後4カ月頃に乳児が,母親の直視"母親が自分を見る視線"に対して特有の反応を示すことが報告されてり,視線の受信(視線感受)に関する神経基盤の存在が示唆されている。 一方,アイコンタクトが他者の情動や意図の共有にも重要なものであることから,視線情報処理においては当然情動系の関連領野も関わっていると考えられる。特に快・不快や恐怖・怒りなどの情動反応を司る扁桃体は表情認知に深く関わることが知られているがおり,視線知覚においても,特に相手の視線を真っ直ぐ受ける(直視)条件において賦活することが示唆されている。視線という社会的シグナルを感受することは,情動と認知の統合処理の一種であると考えられる。さらに,アイコンタクト時の2者の脳機能を機能的磁気共鳴画像法(fMRI)で同時計測した研究では,右の前頭葉下部,下前頭回(IFG)付近において2者の脳活動信号の相関を示したという報告もある。前頭葉皮質は情動と認知の統合処理を行っている領野であり,以上の先行研究を踏まえると,視線感受能力と前頭葉皮質の脳活動とは何らかの関連を示すと考えられる。 このように視線感受の能力は生後数カ月で獲得される能力であるが,社会生活を送る環境や文化などの外的要因,性格特性や気分などの内的要因によって変化すると考えられる。これらの要因と視線知覚精度との関連を明らかにすることは,他者の心を推し量る能力を知る上で重要な課題である。また,視線嫌悪が社会不安や抑うつと関連があることを示す研究もあり,抑うつや不安に関連する性格特性と視線感受能力との関連及びその脳内基盤について検討することは,臨床的にも意義深いことである。 よって,本研究では,視線感受能力と性格特性との関連を明らかにすることを目的に,光トポグラフィーによる脳機能計測を用い検討を行った。 方法 概要 本研究は,人の視線知覚精度と性格特性との関連を検証する実験1,性格特性における視線感受に対する脳活動差異を検証する実験2から成る。実験1は日立製作所基礎研究所(基礎研)および中央研究所(中研),実験2は基礎研の協力のもとに行われた。 なお,本研究は東京大学大学院医学系研究科倫理委員会および日立製作所中央研究所倫理委員会の承認を得ている。 対象 実験1の対象者は,基礎研・中研で働くスタッフのうち74名(男性36名女性38名)であり,視線方向判断課題を用いた視線知覚精度の計測と4種類の質問紙調査を実施した。このうち調査時点の抑うつ度が健常域(CES-D得点が16点未満)でありかつ質問紙にすべて回答した男性25名女性28名を有効回答者とした(有効回答率71.6%)。 実験2の対象者は基礎研のスタッフのうち,実験1への参加者から男女5名ずつ,視線知覚精度を用いて2群に分け(高視線知覚精度群2名,低視線知覚精度群3名),光トポグラフィー装置を用いて視線刺激に対する1-back課題時の前頭葉活動を計測した。 課題 視線方向判断課題(実験1):水平方向に視線を偏位させた人の正面顔写真刺激(正面直視および左右10段階の21種類)を作成し,パソコンモニタに刺激を提示し各刺激の視線偏位角ごとに'自分を見られているかどうか'を回答させた。 1-back判断課題(実験2):実験1で使用した視線方向判断刺激のうち,3種類(直視と左右最大逸視(±10段階目の刺激)を利用し,直視条件(直視刺激70%逸視刺激30%で構成)と逸視条件(直視30%逸視70%で構成)を設定し,それぞれ1-back課題(今提示されている人物は1つ前に提示された人物と同じか否か)を実施した(図1)。 尺度 Revised NEO Personality Inventory(NEO-PI-R):対象者の性格傾向の評価には,P.T.Costa Jrらが健康な成人の人格特性の5つの主要な次元を測るために開発したNEO-PI-Rを用いた。5次元とはNeuroticism(N)神経症傾向,Extraversion(E)外向性,Openness(O)開放性,Agreeableness(A)調和性,Conscientiousness(C)誠実性の5つであり,各次元はさらに6つの下位次元から構成されている。全240項目からなり,各項目は5段階で評価される。 State-Trait Anxiety Inventory(STAI):実験時における対象者の不安の評価には,Spielbergerによって開発されたSTAIを用いた。この尺度は不安を状態不安(State)と特性不安(Trait)の2つに分けて評価しており,それぞれ4段階で回答を求める。 また実験時における抑うつ度の評価のためにthe Center for Epidemiologic Studies Depression Scale(CES-D)およびKessler 6+(K6+)を用いた。 計測 視線知覚精度:視線知覚精度の指標として自己範囲を用いた。自己範囲とは視線方向判断課題(左右21段階)において,'自分を見られている'と回答した率を算出し,回答率ピークの左・右側にフィットする2つのガウシアン分布の半値幅の平均である。自己範囲が狭いものが視線知覚精度が高いことになる。 脳活動計測:近赤外線分光法(Near-infrared spectroscopy)を用いて脳活動の活性化に伴う局所的血流量(Hb)変化を計測する光トポグラフィー装置(日立メディコ)を用いた。本研究では実験2における1-back課題(今提示されている人物は1つ前に提示された人物と同じか否か)の遂行時において前頭葉活動を計測した(前頭部1~47チャンネル)。 分析 視線知覚精度の個人差を評価するため,性格傾向の各尺度の得点と視線知覚精度指標との相関分析を行なった。また視線方向判断課題の平均反応時間を視線条件ごとに算出し,直視条件と逸視条件に分け比較した。光トポグラフィー信号解析では,1-back課題遂行中の前半区間と後半区間に分け,オキシヘモグロビン(Oxy-Hb)信号の変化量を算出し,チャンネル毎にt-検定を用いて有意な脳活動信号が得られたかを検討した。その後,性別(男女)や視線知覚精度指標(高低)により群分けし,脳活動信号を比較した。 結果 実験1 有効回答者の男女間で年齢・視線知覚精度指標得点・反応時間に有意差は認められなかった。NEO-PI-RのN(神経症傾向),STAI(不安),K6(抑うつ度)得点において有意差が見られた。また,視線知覚精度指標と各尺度得点との相関分析を行ったところ,男性においてのみ,視線知覚精度指標とN,STAIのTrait(特性不安)得点との間に有意な負の相関が見られた(図2, 3)。女性においては本実験でとった尺度のうち,視線知覚精度指標と有意な相関を示したものはひとつもなかった。 実験2 1-back課題による活動部位は,群間によりはっきりとした差異が見られた。女性においては,視線条件別にみても視線知覚精度群別にみても課題の前後半で分けてみても,いくつかのチャンネルにおいて有意な活動は認められるものの,特異的なパターンは見られない。一方,男性では高視線知覚精度群においてのみ,有意な脳活動信号値の上昇を見られた。特に直視条件の1-back課題前半区間において強く広範にわたる脳活動が見られ,逸視条件においては前半区間に有意な活動は見られなかった。(図4 - 11) 考察 性格傾向と視線感受能力との関連について視線知覚精度指標と脳活動信号を用いて検討した。神経症傾向が強い男性は視線知覚精度が高いという特徴が示され,他者の視線が自分を向いている刺激を使った1-back課題に対し,課題開始後すぐから下前頭回付近(右半球の42ch)をピークとして強い脳活動を示した。神経症傾向が強い=視線知覚精度が高い男性は,他者の視線が自分を向いていることに敏感であり,自分に視線が向いているか否かを精密に処理していると考えられる。また,実験2の1-bcak課題は教示により視線に注意が向かないよう工夫された課題であったにも関わらず直視条件のときに特異的な活動パターンが見られたことから,この脳活動は直視刺激によって引き起こされたと考えられる。本結果は,視線感受能力には各自の性格特性である神経症傾向による個人差があり,その脳内処理には右の前頭葉下部を中心とした広範な前頭皮質領野が関与することを明らかにした。これらは視線感受と抑うつ・不安が関連する点,およびアイコンタクト時に右の下前頭回が相関を示すという点で先行研究を支持している。 結論 本研究は,性格傾向と視線知覚精度との関連を脳活動計測により検討した最初の研究である。実験1において神経症傾向の強い男性は視線知覚精度が高いことが明らかになり,次いで実験2において他者の視線が自分を向いていることに対して特異的な脳活動を示すことが明らかになった。 図1(左):実験2の1-back課題のタイムライン。 図2, 3(中央・右):視線知覚精度と神経症傾向(N)得点との相関。横軸が視線知覚精度(point; 得点が低いほど視線知覚精度が高い),縦軸がN得点。 図4, 5(上)6, 7(下):視線知覚精度が高い男性の脳活動。上段が直視,下段が逸視条件。左が課題遂行前半,右が後半。○はチャンネルとその番号を示し,赤い○のチャンネルが有意に信号値が高かったことを意味している。 図8, 9(上)10, 11(下):視線知覚精度が低い男性の脳活動。配置は図4-7に同じ。 | |
審査要旨 | 本研究は人の社会的な発達過程において重要な役割を演じていると考えられる視線知覚の精度と性格傾向およびその時の脳活動との関連を明らかにするため、まず行動実験手法により人の視線知覚精度と性格特性との関連を検証し、ついで光トポグラフィーを用いた脳活動計測により視線感受に対する脳活動差異の検証を試みたものであり、下記の結果を得ている。 1. 視線方向判断課題を用いた視線知覚精度の計測と4種類の質問紙調査を実施した。視線知覚精度指標と各尺度得点との相関分析を行ったところ、女性においては本実験でとった尺度のうち、視線知覚精度指標と有意な相関を示したものはひとつもなかったが、男性においてのみ、視線知覚精度指標と質問紙調査の神経症傾向得点および特性不安得点との間に有意な相関が見られ、視線知覚精度と性格傾向との間に関連があることが示された。 2. 光トポグラフィー装置を用いて被験者が1-back課題を遂行している時の前頭葉活動を計測した(前頭部1~47チャンネル)。課題遂行時間の前半区間と後半区間に分け、オキシヘモグロビン(Oxy-Hb)信号の変化量を算出し、チャンネル毎にt-検定を用いて有意な脳活動信号が得られたかを検討した。その後、性別や視線知覚精度により群分けし、脳活動信号を比較したところ、1-back課題による活動部位は、群間によりはっきりとした差異が見られた。女性においては、視線条件別にみても視線知覚精度群別にみても課題の前後半で分けてみても、いくつかのチャンネルにおいて有意な活動は認められるものの、特異的なパターンは見られなかった。一方、男性では高視線知覚精度群においてのみ、有意な脳活動信号値の上昇を見られた。特に直視条件の課題前半区間において強く広範にわたる脳活動が見られ、逸視条件においては前半区間に有意な活動は見られなかった。教示により視線に注意が向かないよう工夫された課題であったにも関わらず直視条件のときに特異的な活動パターンが見られたことから、この脳活動は直視刺激によって引き起こされたと考えられる。 以上、本論文は視線方向判断課題の精度と性格傾向との相関分析から、男性においては視線知覚精度には各自の性格特性である神経症傾向による個人差があること、そして光トポグラフィーを用いた脳機能計測により、その脳内処理には右の前頭葉下部を中心とした広範な前頭皮質領野が関与することを明らかにした。本研究は性格傾向と視線知覚精度との関連を脳活動計測により検討した最初の研究であり、抑うつや不安に関連する性格特性と視線感受能力との関連及びその脳内基盤の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 | |
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