学位論文要旨



No 127330
著者(漢字) 横山,由美
著者(英字)
著者(カナ) ヨコヤマ,ユミ
標題(和) 乳幼児期のダウン症候群の子どもを持つ母親の"育ての場探し"
標題(洋)
報告番号 127330
報告番号 甲27330
学位授与日 2011.04.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3764号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 准教授 上別府,圭子
 東京大学 准教授 金生,由紀子
 東京大学 准教授 山末,英典
 東京大学 講師 宮本,有紀
内容要旨 要旨を表示する

I.緒言

近年、晩婚化および晩産化の傾向がある中、母親の出産年齢の上昇に伴い、染色体異常などの先天性疾患を有した子どもの出生数が増加していくことが予測されている。さらに医療技術の進歩などにより、障害を持ちながらも子どもが在宅で生活できるようになってきた。今後、障害を持つ子どもを育てる母親の子育て支援は重要な課題になる。しかし、障害を持つ子どもの母親の子育てプロセスについて研究したものは少ない。障害と言っても、その幅は広く、それぞれに特徴が異なる。そこで、障害の中でも、親の障害の受け止めに影響を与える特徴をいくつか有し、さらに疑いの時から確定診断までの期間を有するダウン症候群に焦点を当てた。

本研究では、ダウン症候群の乳幼児を育てる母親の子育てのプロセスについて詳細に記述し、母親が障害を持つ子どもを受け止めていくプロセスと子育てのプロセスを明らかにすること、さらに、その受け止めと子育てとの関係性を明らかにすることを目的とした。

II.研究方法

1.研究デザイン

グラウンデッド・セオリー・アプローチに準じた質的記述的研究を採用した。

2.研究対象および選定方法

1)インタビュー対象者の条件と選定

対象者は、ダウン症候群の子どもを出産し、インタビュー時に子どもの年齢が8歳以下、20歳以上の母親で、精神的に安定し、子どもの身体に急変を起こす恐れがないことを条件に選定した。対象者の募集は、ダウン症候群の子どもの診療を専門的に行っているクリニックと専門クリニックではない病院の2側面から行った。選定条件に合う対象者に、ダウン症候群の子どもを診療している医師または看護師から研究の主旨および依頼書が入った封筒を手渡し、または郵送してもらい、協力意向のある対象者から研究者に封書で返信してもらった。

3.データ収集

データ収集方法は、研究者自身による半構造化インタビューとした。インタビューガイドを用い、ダウン症候群を初めて知らされた時の状況とその時に感じたり考えりしたこと、ダウン症候群の確定診断を告げられた状況とその時に感じたり考えたりしこと、退院後の生活とその中で子どもに対して抱いていた思い、子どもの療育状況、出産前に抱いていた子どもへの期待、障害を持っている人をどのように思っていたか等を尋ねた。インタビュー内容は、研究対象者の同意を得て、録音およびメモを取った。調査期間は、2005年2月~4月および2008年10月~2009年3月の2期であった。

4.倫理的配慮

本研究は、東京大学大学院医学系研究科・医学部倫理審査委員会および自治医科大学倫理審査委員会の承認を得た。研究対象者へは、倫理的配慮について説明し、書面により同意を得た。プライバシー保護のため、データの匿名化と管理に留意した。

5.分析方法

逐語録を意味の取れる切片に分け、切片ごとにプロパティとディメンションを抽出してラベル名を付けた。関連のあるラベルからカテゴリーを作成した。カテゴリー関連図を用いて、カテゴリー同士の関連を検討し、中心になるカテゴリーを決定した。中心になるカテゴリーを以下カテゴリーとし、それ以外のカテゴリーをサブカテゴリーとした。カテゴリー同士の関連を検討し、さらに中核となるカテゴリーを決定し、全体像を統合していった。以下、中核カテゴリーを【 】、カテゴリーを《 》、サブカテゴリーを〈 〉で示す。

III.結果

1.対象者の概要

研究参加依頼書は75名に配布した。15名から返答があったが、最終的な対象者は13名となった。

対象者の子どもの年齢は、10ヶ月から8歳、男児8名、第1子が6名で、第2子が7名であった。心疾患が8名、ヒルシュスプルング病が1名、疾患も処置もなかったのは2名であった。

母親がダウン症候群の疑いを知らされたのは、出生当日4名、生後1日目4名、生後5日目まで4名、生後30日目1名であった。また、確定診断の時期は、生後1ヶ月以内10名、生後1ヵ月半1名、生後3ヶ月1名、生後6ヶ月1名であった。

2. ダウン症候群の乳幼児を育てる母親の【育ての場探し】の全体構造

ダウン症候群の乳幼児を育てる母親の子育てのプロセスは、【育ての場探し】を中核カテゴリーとして、《納得のいく対応探し》と《はっきりしたことによる気持ちの切り替え》のカテゴリーで構成されていた。

〈子どもの状態の悪さやダウン症候群の可能性〉の知らせを受けた母親は、子どもの状態が悪い時には、〈子どものダウン症候群に向き合う〉よりも、〈子どもに起きている状況の分からなさ〉を解決するために《納得のいく対応探し》をしていた。子どもの状態が安定したり、子どもの状況に納得がいくと〈子どもの状態の安心〉を感じ、〈子どものダウン症候群と向き合〉っていた。しかし、子どもの状態が悪化した場合には、〈子どもの生命や障害の重篤化の不安〉を感じ、再度〈子どもに起きている状況のわからなさ〉を感じていた。

子どもの状態が悪くない場合は、すぐに〈子どものダウン症候群と向き合う〉が、ダウン症候群が何であるのかが分からないこと、将来への不安などから〈混乱と動揺〉の状態であった。

しかし、疑いの間であることや子どもがいることが大切と受け止めた母親は〈ダウン症候群を気にし〉ていなかった。母親の中で、疑いの間は〈ダウン症候群を気にしない〉とした母親は、確定診断がつくと《はっきりしたことによる気持ちの切り替え》を行い、〈ダウン症候群を覚悟〉していた。一方、子どもがいることが大切と考えて〈ダウン症候群を気にし〉ていなかった母親は、周囲から障害児と受け止められることにより、〈ダウン症候群を受けとめられない〉ように変化していた。

〈混乱と動揺〉の中で「疑い」という言葉に望みを持ち、〈ダウン症候群でない可能性を望む〉母親は、「疑い」というあいまいな状態に対して〈明確でないことによる「つらさ」〉を感じ、"疑いの期間"を非常に長くつらく感じていた。確定診断がつくと《はっきりしたことによる気持ちの切り替え》を行い、〈ダウン症候群を覚悟〉していた。

〈否定したいダウン症候群〉の母親たちは、《はっきりしたことによる気持ちの切り替え》を行い、〈ダウン症候群を覚悟〉していく母親と、確定診断がついたことにより否定できなくなり〈辛かった確定診断〉と感じ、〈ダウン症候群を受けとめられない〉母親とに分かれた。また、子育てが初めての母親や子どもの年齢が低いためできないのは当たり前と感じている母親は、〈ダウン症候群の実感の無さ〉から、〈普通と変わらない子育て〉をしていた。

一方で、〈ダウン症候群を覚悟〉した母親は、子どもに適した子育てをしたいと考えるが、ダウン症候群の子育てガイドはなく〈ダウン症候群の子育てが分からな〉く、ダウン症候群の〈育て方を探し〉、子どもの状態に合い、さらに親の気持ちに沿うような【育ての場探し】を行っていた。そして、〈育ての場の利用〉により、〈子どもの成長を感じる嬉しさ〉から、これまでの子育てを振り返り、〈普通の子育てで良いという気づき〉や〈これで良いという子育ての自信〉を持っていた。

また、〈ダウン症候群の実感の無さ〉から、〈普通と変わらない子育て〉をしていた母親の中には、子どもとのコミュニケーションの取れなさから、子どもを可愛いと思えず悩みながら子育てを行っていた母親もいた。しかし、〈成長過程で気づく遅れ〉によって、子どもの成長を伸ばすための【育ての場探し】を行い、成長した子どもとコミュニケーションが取れるようになると、子どもを可愛いと思い、〈つぶしたくない子どもの伸びる姿〉と考えていた。

〈ダウン症候群を受けとめられない〉母親は、〈普通の子どもに近づけたい〉と考え、普通の子どもに近づけるための〈育て方探し〉をし、〈育ての場を見極め〉ながら、納得がいくまで積極的に【育ての場探し】を行っていた。

IV.考察

本研究では、母親の受け止めのプロセスは、〈子どものダウン症候群と向き合う〉、〈混乱と動揺〉、〈ダウン症候群ではない可能性を望む〉、〈明確でないことによる「つらさ」〉、《はっきりしたことによる気持ちの切り替え》、〈ダウン症候群を覚悟する〉の6段階であることが明らかになった。従来のダウン症候群に焦点をあてた段階説には見られなかった〈子どものダウン症候群と向き合う〉、〈明確でないことによる「つらさ」〉、《はっきりしたことによる気持ちの切り替え》の3段階があることが明らかになった。また、これまで我が国の臨床の場で多く活用されてきたDrotar らの段階説の第2段階「否認」とは異なり、疑いであるという状況においての〈ダウン症候群ではない可能性を望〉んでいた。

また、〈子どもの状態の安心〉が持てないと、〈子どものダウン症候群と向き合〉わないことが明らかになった。ダウン症候群のことを母親に説明していても、子どもの状態が悪い時には、向き合えていないことを考慮した関わりが重要であることが分かった。

「疑いの知らせの時」と「確定診断」の間の"疑いの期間"は、障害を持たない可能性を期待しながら、子どもと接することができること、同時に障害を持つ可能性を少しずつ覚悟し始めるなど、重要な期間であることが分かった。さらに、確定診断は、受け止めの出発点ではなく、母親の受け止めの1つの転機となっていることが明らかとなった。また、説明内容は、疑いを知らせる時には、身体状態の安心を与えるために医学的な情報を伝え、確定診断の時には、療育についてなど社会・教育的な情報を中心に伝えるなど、母親の受け止めの状態に合った内容が必要であることが分かった。

ダウン症候群の乳幼児期を育てる母親にとっては、【育ての場探し】が重要な課題であった。母親の受け止めの状態によって、子どもの発達を評価する視点および【育ての場探し】の目的や育ての場への評価が異なっていることが明らかとなった。これらの点は、母親の受け止めの状態をアセスメントする指標の1つになると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、乳幼児期のダウン症候群の子どもを育てる母親が、どのようにダウン症候群を持つ子どもを受け止め、子育てをしているのかを明確にするために、グラウンデッド・セオリー・アプローチに準じた質的記述的研究を行い、下記の結果を得た。

1. ダウン症候群の乳幼児を育てる母親の子育ては、【育ての場探し】を中核カテゴリーとして、《納得のいく対応探し》と《はっきりしたことによる気持ちの切り替え》のカテゴリーで構成されていた。

2. 母親が子どもの障害を受け止めていくプロセスは、第1段階:子どものダウン症候群と向き合う、第2段階:混乱と動揺、第3段階:ダウン症候群ではない可能性を望む、第4段階:明確でないことによる「つらさ」、第5段階:はっきりしたことによる気持ちの切り替え、第6段階:ダウン症候群を覚悟する、の6段階であった。また、従来の障害受容過程における段階説には提示されていない段階(第1段階、第4段階、第5段階)があることが示された。

3.疑いを知らされてから確定診断を告げられるまでの間の"疑いの期間"にも、子どもの障害を受け止めていくプロセスが進んでいることが明らかとなり、疑いを知らせる時と確定診断を告げる時を区別する必要があることが示された。また、"疑いの期間"が、母親の子どもの障害を受け止めていくプロセスにとっては重要な期間であり、かつ支援を必要とする期間であることが示された。

4.確定診断は、母親が子どもの障害を受け止めていくプロセスの出発点ではなく、1つの転機となっていることが明らかとなった。

5.母親の子どもの障害を受け止めている状態によって、子どもの発達を評価する視点、および【育ての場探し】の目的や育ての場への評価が異なることが明らかとなった。

6.母親の子どもの発達を評価する視点、および【育ての場探し】の目的や育ての場への評価が、母親の子どもの障害を受け止めている状態をアセスメントする指標になることが示された。

以上、本論文は、質的記述的研究を用い、ダウン症候群の子どもを育てる母親の子育てのプロセスを記述することにより、母親がダウン症候群の子どもを受け止めていくプロセスと子育てのプロセスの関係性を明確化し、ダウン症候群の子どもを育てる母親に対する支援への示唆と課題を得た。本研究は、子育て全体を捉えることにより、これまで別々に捉えられてきた母親が子どもの障害を受け止めていくプロセスと子育てのプロセスの関係性を明確にした点で独創性があり、ダウン症候群の子どもを育てる母親の障害を受け止めている状態を評価する指標や具体的な支援を検討するための知見を提供できたという点で、実践的な有用性を兼ね備えており、学位の授与に値するものと考える。

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