学位論文要旨



No 127331
著者(漢字) 星,純子
著者(英字)
著者(カナ) ホシ,ジュンコ
標題(和) 現代台湾コミュニティ運動の地域社会学 : 高雄県美濃鎮における社会運動、民主化、社区総体営造
標題(洋)
報告番号 127331
報告番号 甲27331
学位授与日 2011.04.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1070号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 田原,史起
 東京大学 准教授 石橋,純
 東京大学 教授 中井,和夫
 早稲田大学 教授 若林,正丈
 天理大学 准教授 松本,充豊
内容要旨 要旨を表示する

民主化、中央・地方政府の政策、社会運動はどのような相互作用を伴って形成され、また社会運動はそれがよって立つところの地域社会や地域政治にどのような位置を占めるのか。これが本論文の課題であり、社会運動、民主化、社区総体営造の3つをキーワードとして考察する。

序章では、本論文の視点を示した。まず、欧米を中心とした先進国の社会運動論にはない、途上国の社会運動論の特徴をみた。すなわち、第一に、民主化が必ずしも前提とされていないこと、第二に、地域社会において中央政府の民主化は中央政府の意図どおりに浸透せず、地域社会から民主化や地方分権化を問いなおす必要があること、第三に、途上国では先進国と異なり社会運動がアクセスできる資源が限られるため、制度内化する社会運動も「権威への挑戦」という社会運動の条件を満たしている場合があることである。次に台湾の社会運動がこれまでそれぞれ民主化、ナショナリズムおよび公共圏との関わりを中心とする研究蓄積を踏まえた上で、近年では社会運動と地域社会の関わりが注目されてきたことを述べた。しかし先行研究では、「誰が」政治に参加するのかは明らかになっても、それらの行為者が「何をめぐる政治に」参加するのかは明らかになっていなかった。そこで、本論文では3つの開発政策、すなわち社区総体営造、地域開発政策と地域社会の「環境」についての視点を提示した。

第1章では台湾社会運動史を概観した。1970年代の外交的危機にともなう蒋経国主導の「上からの」改革以後、市民社会は国民党の外、すなわち「党外」勢力として民主化運動を展開し、1979年12月10日の美麗島事件で挫折をみたが、翌1980年、党外は立法委員選挙で速やかに再出発を果たした。この時期、党外全体としては社会運動の左右大同団結を残しながら、新世代の党外は環境運動など社会運動への参与を深めていった。一方、経済成長に伴う中産階級の成長で、高学歴かつ超党派の社会運動もこの時期に出現した。1986年、党外は戒厳令をやぶって民主進歩党(以下民進党と略称)を結成した。1987年には1949年以来の長期戒厳令が解除され、多くの留保がつきながらも、社会運動は抗議レパートリー多様化やネットワーク化を進めた。対する国民党は、制度選挙での勝利を通じてたえず自分たちの正統性を確保する必要があったため、社会運動の主張を一定程度取り入れていった。また、この時期は原住民運動の漢族中心主義への挑戦や、客家運動など、国民党政権の公定中国ナショナリズムに基づいた一元主義的な国民統合政策への挑戦も行われた。1990年から1992年は国民党非主流派の揺り戻しに対し、成長を続けてきた社会運動は激しく反発して、かえって大衆の支持を集めた。1993年から1999年は、当局が社会運動への対応をマニュアル化するとともに、社会運動も制度化の道を模索した。また、地域社会においては、社区総体営造政策により、地域社会の文化や歴史を台湾的なものとして「発掘」し、政府予算で対抗言説を生産する制度化したコミュニティ運動が誕生した。美濃のダム建設反対運動とそれに続くコミュニティ運動は、この流れから発生する。

第2章では美濃鎮に目を移し、戦後台湾地域政治と地域社会の変容を追った。まず、ローカルレジームの構成要素を提示し、地域政治アクターが何をめぐる政治に参加するのかを解明する必要があることを論じた。美濃鎮のローカルレジームは戦後10年ほどのあいだに名望家から、中央政府の地域社会統制メカニズムである地方派系レジームへと変貌した。この地方派系の作る地域社会内のグレーゾーンなき日常的対抗関係は美濃住民の不満を引き起こしたが、里民大会や鎮公所など最基層の議決機関はその解決能力がなかった。葉タバコ栽培によって強化された血縁ネットワークの「団結」が地方派系に分断されたのを不満とする美濃鎮民は、農業衰退にともなう美濃鎮公所の財政逼迫や生活の危機感に駆り立てられて、血縁ネットワークを動員して鎮内から団結して中央民意代表を選出し、内向的外部資源導入レジームを作り出した。その動員は、鎮内外の美濃鎮出身者にもおよび、鎮民の「内向きの視線」を形成および強化していった。しかし、その団結は鎮内の政治対立を払拭できるものではなく、また、外部資源の導入も必ずしも鎮民の生活の質向上に貢献するものでもなかった。

第3章では、概観してきた台湾社会運動史と、地域政治や地域社会の変遷の合流としての美濃ダム建設反対運動を分析した。まず、水利法および都市計画系統の検討と、ダム建設反対運動の発生および展開を検討した。台湾では水利開発の大規模化に伴い、1963年の水利法改正で水利をめぐる政治の策定が中央政府に限定され、サブ政治の閉鎖化が進行した。その閉鎖的な都市計画系統で作られた美濃ダム建設計画に対し、協進会が主導した美濃ダム建設反対運動は、当時の台湾全土の民主化と台湾化の波に乗って台湾客家エスノナショナリズムやエコロジーの言説、および学術的言説を用いてダム建設の不要性を訴えた。ローカルな文脈に注目すると、第一に協進会の戦略は長幼の序や師弟関係などコミュニティの秩序に親和的であった。第二に「小さな機会」をめぐる争いや全国的な民主化にともなう派閥内の分裂により、1990年代の美濃のローカルレジームは流動的であった。このダム建設という単一議題を掲げた協進会は、流動化した1990年代の美濃の内向的外部資源導入レジームの中で、「内向きの視線」を動員して超党派の動員を可能にした。ここでは、協進会率いる美濃ダム建設反対運動がダム建設という中央政府が作りだした、制度政治の関与できないサブ政治に挑戦したことを示し、その運動を規定する要素として、民主化と台湾化のみならず、地域社会の「環境」、ローカルレジームの動力にも注目して、社会運動がトップダウンでおこる民主化やサブ政治だけではなく、地域社会の文脈からも説明できる。

第4章では、ダム建設反対運動のための地方文化の実体化として始まった協進会のコミュニティ運動が、社区総体営造という台湾文化実体化政策の政府助成金を得て制度内化と卓越化を遂げる過程を分析した。まず、社区総体営造以前のコミュニティ政策であり社区発展では、コミュニティの原子化に対処するため、既存統治組織の強化がトップダウン形式ではかられた。それに対し、社区総体営造は台湾文化実体化政策として始まったが、社会運動への妥協策として、また民主化推進や地方派系弱体化のために地方派系に資源を意図的に分配せず、民間団体に直接資源が投下された。その資源を得た民間団体は、協進会のように、社区大学や姉妹会などのコミュニティ団体を新たに派生させるとともに、実績を買われて助成金を受託し続ける政府助成金特有のメカニズムにより、制度内化を果たした。しかし、社区大学は運動参加者の自己変革と、コミュニティをめぐる政策制度変革のあいだで揺れた結果、自己変革に傾斜した。また姉妹会はそれが理念とするグローバル化や多文化主義が社区総体営造の基本となる台湾ナショナリズムと矛盾するものであったため、両者ともに高度な文化や学術に関する言説を用いて、常に自分達と地域政治アクターを含む地域社会とを弁別していった。

第5章では、卓越化したコミュニティ団体が再び地域政治に参入するメカニズムを検討した。まず、地域政治アクターは地方派系の個人化と瓦解を経験し、さらなるレントシーキングを模索する一方で、搾取だけでなく分配の成果を競うよう中央政府から迫られ、そのためにコミュニティ団体が蓄積してきたノウハウが必要になった。コミュニティ団体も事業の深化にともない、より深く住民の生活や現状改変に関わる必要が生じるにつれて、地域政治アクターとの接触が不可避となっていった。そこで、面子にこだわる必要のない実動部隊の若手スタッフが個人的な関係から接触を開始した。やがて実動部隊が農会理事長ら地域政治アクターの公権力を借りて、プロジェクトの実質的主導権を握り、それと引き換えにプロジェクトの成果を地域政治アクターの手柄に還元することは、コミュニティ団体が上位政府とのパイプを保ちながら地域政治に参入し、同時に上位政府への政策提言も試みる「二つの政治への挑戦」であった。しかし、それはコミュニティ団体が地域社会において農会や鎮公所と同等のアクターとして認められたということではなく、むしろコミュニティ団体が地域政治アクターの既存の地位を利用して実質的なプロジェクト実行権を握るというスタイルであった。また、コミュニティ団体の上位政府への政策提言も、上位政府がその提言を「聴きおいた」だけに終わる可能性を絶えず内包していた。社区総体営造は地域社会の中で卓越化しながら、再び地域政治に参入していくコミュニティ運動に携わる人材を作り出したが、その運動が地域政治アクターと対等に行動する正統性までは作り出さなかったといえる。

終章では本論文が持つ含意と展望を述べた。本論文は、国民党政権が民主化の文脈から、地方政府の頭越しに社会運動に直接社区総体営造資源を投下したため、地域社会のコミュニティ運動はそれを利用して「二つの政治への挑戦」という台湾独特の政治参加形態を作り出した。このような地域政治と社会運動、「環境」の関係は、地域社会学のバリエーション、すなわち社会運動と地域社会を分析する新たな視点として機能する可能性がある。このような知見は途上国の地域社会にも応用可能であり、また台湾の今後を分析するのにも有用であるといえる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、台湾南部の客家人集住地区である美濃鎮で展開した社会運動(美濃ダム建設反対運動およびそこから派生したコミュニティ運動)を、日本の地域社会学的研究の成果を参照して構築した独自の視点(コミュニティ運動の「環境」=コミュニティの伝統的秩序とローカルレジーム)によって分析し、急速な経済発展を遂げながら民主化の歴史の浅い、先進国型とも途上国型とも言い難い台湾社会運動の特質を明らかにした力作である。文献調査の他、現地における参与観察とインタビューによって得られた知見とデータが論述に生かされている。

論文は、序章と終章を含め全7章である。本論は、A4版172頁(400字詰原稿用紙換算で約495枚。脚注、付録を除く)で、注は脚注として付されている。また、本文中の関連部分には、図9点(地図、写真など)、表11点(人口統計、関連事項一覧表など)が挿入されている。巻末には、参考文献目録(全9頁)、引用インタビュー一覧(全1頁)、および詳細な関連事項年表2篇(全24頁)が付されている。

序章「本論の課題」では、先進国と開発途上国の社会運動研究についての主な理論的動向が回顧された後、台湾を先進国と途上国の中間に位置づけた上で、本論文の問題意識と研究視角が示される。これまでの台湾社会運動研究は、80年代以降に展開した農民運動、労働運動、環境保護運動、コミュニティ運動などを素材に、民主化、台湾が分裂国家の分裂体であることを反映した独特のコンテキスト(台湾ナショナリズムの成長と「台湾化」)、及び成長過程の市民社会との連関において捉えることで成果をあげ、さらに近年はこれらの運動と地域社会のコンテキストとの連関が着目されるようになっている。著者は、これらの成果を吸収し、地域社会との関わりを重視する近年の研究視点を引継ぐ。ただし、これまでの研究は、コミュニティ運動と地域との関わりの中で生じる政治に「誰」が参加するか(運動者、地方派系、中央政府、全国的運動団体、野党民進党など)、およびアクター間の相互関係は明らかにしてはいるものの、それらのアクターが「何をめぐる政治に」参加するのかの視点を欠いているとする。そこで著者は、対象とする美濃鎮のコミュニティ運動分析について、(1)全国レベルの「制度政治」(そこでは80年代後半以降、民主化が進んだ)及びその枠外で展開される「サブ政治」とコミュニティ運動との連関という視点、および(2)コミュニティ運動と相互作用する地域社会の「環境」という、二つの視点を提起する。本論文の事例の場合、(1)にいうサブ政治には、美濃ダム建設に象徴されるような大規模開発政策をめぐる政治のみならず、国民党政権の台湾化への応答という文脈から発生した「社区総体営造」政策をめぐり展開する政治が含まれる。(2)にいう「環境」とは、具体的には、美濃の客家文化を前提とする伝統的社会秩序、および国民党一党支配下で形成された、地方派系を基礎にしつつ変容するローカルレジームを指す。

第1章「台湾社会運動の概観」では、美濃コミュニティ運動が置かれた全台湾的コンテキストが検討され、台湾の社会運動が全国レベルでの制度政治の民主化という政治機会構造の変化と密接に関連して発生し、変容してきていることが確認されている。80年代前半の「権威主義体制移行前夜」にスタートした各種社会運動は、戒厳令解除による政治的自由化の進展、90年代初頭の保守派の巻き返しとその失敗、および90年代中頃からの国民党李登輝政権の社会運動アジェンダの一部取り込み(社区総体営造政策の開始など)と密接に連動しつつ、民主化運動の主要アクターである「党外」-民進党との関係の保持不保持、粗密などを調整し、全国的なネットワークの形成・強化、中央政府の政策資源の受け皿になるなどの制度内化等の諸傾向を示してきたことが示される。

第2章「美濃という『環境』--戦後台湾地域政治の磁場と地域社会--」は、美濃ダム反対運動登場の「環境」として、変容しつつなお残る美濃地域社会の伝統的社会秩序のあり方、および美濃鎮政治におけるローカルレジームの変遷を論述している。戦後の地方公職選挙制度開始直後、美濃鎮のローカルレジームは、戦前からの地域名望家が立候補して鎮長などの要職に就くという「名望家レジーム」から、地方選挙への国民党の上からのコントロールが浸透した結果としての「地方派系レジーム」へと、他の農村地域と同様の変遷をたどった。この間、日本植民地統治時期から開始された葉タバコ栽培の優位性のため、美濃では農業の衰退とその影響が他地域より遅れて現れ、ために葉タバコ生産の相互扶助に血縁ネットワークが役立てられ、伝統的社会規範は客家のエスニックな文化とともに比較的色濃く残されていたのであった。加えて、教育重視の客家文化の影響もあり、地元外で活躍する高学歴者と地元社会とが上記血縁ネットワークを介してつながりを維持し続けていた。しかし、台湾農業全体の衰退はしだいに美濃にも及び、鎮財政の逼迫や、住民の日常的営みにもグレーゾーンを残さないかのようなローカルレジームの地方派系間対立は、時に血縁ネットワークの団結にも抵触した。こうした事情から、国会の部分定期改選開始(1972年)などの政治機会構造の変化につれて、血縁ネットワークを動員して鎮民の内部団結を図り、国会に鎮の代表を出して外部資源の導入を図ろうとする「内向的外部資源導入レジーム」が創り出されることとなった(鎮民の票を集中して立法委員を一人当選させた)。しかし、これは結果として地方派系対立を払拭できるものでもなく、また導入された外部資源は必ずしも鎮民の生活向上に繋がるものでもなかった。美濃ダム建設反対運動はこのようなコンテキストで発生した。

第3章「地域社会における社会運動--サブ政治とローカルレジームのあいだ--」では、90年代の美濃で展開された美濃ダム建設反対運動という閉鎖的開発政治(「サブ政治」)への挑戦が一定の成功を収めていく過程が、前章で見た地域の「環境」との関連で検討されている。「環境」の一つとしての伝統社会秩序との関連では、地域の反対運動の中心団体となった美濃愛郷協進会(以下協進会)は、同会の会長その他の役職に地域の長老に就任してもらい、彼等をデモの先頭に立たせ、イヴェントでは最初に挨拶してもらうなど、地域に色濃く残る「長幼の序」の秩序を重んずる姿勢をとった。これは葉タバコ栽培の労働交換慣習などを通じて依然活力を持っていた血縁ネットワークの超党派の動員を可能とするものであった。また、ローカルレジームとの関係でいえば、地方派系のレジームの弱体化が始まり、「内向的外部資源導入レジーム」が形成されていたことは、上記ネットワークに繋がる外部の知的資源(地元出身学者などの支援)の獲得にも役だった。また、この開発プロジェクトが、鎮政府が立案に全く関与しないままに発表されたこともあって、地域の制度政治のアクターである地方派系政治家も、同プロジェクトを淵源とする「小さな利益」の分配システムを築くことができず、その結果、このアジェンダに関する限り地元の声に推されて反対の側に回った。かくして2000年には美濃ダム建設の暫定的中止が勝ち取られたのであった。

ダム反対運動における地域の超党派的団結の維持を眼目に、協進会はエスニックな地方文化(客家文化)を実体化していくイヴェントなどを実施し、さらには旗美社区大学や東南アジアからの婚姻移民女性を支援する南洋姉妹会などのコミュニティ運動を派生させていった。第4章「社区総体営造と社会運動--コミュニティ運動の派生と変容--」では、こうしたコミュニティ運動が、国民党李登輝政権の、ついで民進党陳水扁政権にも受け継がれた社区総体営造政策の助成金の受け皿となり、国家に対しては「制度内化」すると同時に、地域社会に対しては「卓越化」の傾向を見せたことを論じている。社区大学は、運動参加者の自己変革とコミュニティや農村をめぐる政策や制度変革の間で揺れた結果、前者に特化していく傾向を見せた。また姉妹会については、その理念とするところのグローバルな視野の下での多文化主義の傾向と、社区総体営造政策が含意する、台湾文化を体現するものとして地方文化を実体化していく傾向とは齟齬を見せていくこととなった。結果、ともに高度な文化・学術言説の援用により、地域内に向かうのではなくその外に繋がっていくネットワークなどにより、地域から卓越化していく傾向を見せたのであった。

第5章「コミュニティ運動の再帰的政治参加--郷鎮政治とサブ政治への挑戦--」では、このように国家に対しては制度内化し地域社会に対しては卓越化したコミュニティ運動団体が、再び地域政治に参入していく過程を、協進会スタッフと美濃鎮農会(日本の農協に相当、地方派系のローカルレジームの一環を為している)の若手スタッフとの交流から発した事業連携を例に検討している。こうした事例は、美濃のコミュニティ運動が、サブ政治への挑戦を経て、その段階では回避されてきた地域政治への参入を試み始めたことを示している。とはいえ、著者が追跡し得た直近の情況では、協進会は自らが立案した事業の実施に際して、コミュニティ運動団体である協進会自身の名義ではなく、農会や鎮政府などの名義を借りねばない。つまり、地域公共空間で独自に事業を展開する正統性までを勝ち得ているわけではなく、地域政治への挑戦もそのとば口に立ったばかりであることが確認されている。

終章「台湾コミュニティ運動と地域政治--台湾地域社会学の成立に向けて--」では、本論の要約の後、結論として、(1)地域社会の変容の中から、民主化・台湾化が生み出す政治機会構造の変容を契機として、大規模開発という制度政治の民主化が直ちには及ばない閉鎖的なサブ政治に挑戦する社会運動(コミュニティ運動)が生まれ得ること、そして(2)同じく民主化・台湾化のコンテキストから生まれた新たなサブ政治であるといえる社区総体営造の政策体系が、こうしたコミュニティ運動団体を受け皿としたことで、コミュニティ運動団体を郷鎮レベルの制度政治への新たな参与者に押し上げつつあること、の2点を挙げる。また、(ア)社区総体営造の資源を利用したコミュニティ運動は台湾で広く見られること、(イ)美濃のコミュニティ運動が「台湾客家のエスニシティ」を宣揚する言説によって台湾ナショナリズム(かつての国民党政権の中華一元主義的国民統合政策に対し多文化主義的国民観を主張)の波に乗り、それが台湾を代表するものへとレバレッジされた事実があるとする。これらに照らして、美濃鎮の事例は台湾に関して普遍性を有する事例であることが強調されている。さらに、サブ政治と社会運動の相互作用の視角から日本の学界において形成された地域社会学の知見を参照しつつ論述を進めてきた本論文は、その成果の含意として、日本の事例などとの比較・対照の中から「台湾独自の形をした地域社会学」の可能性が見えており、それはさらに、台湾と同様に急速な経済発展を遂げながら民主政治の歴史の浅い国家ないし地域における社会運動分析に通用する観点を築く可能性もある、と結んでいる。

以上が本論文の概要である。本論文の成果は、まず何よりも、民主化期以降台湾の代表的な社会運動の一つである美濃ダム建設反対運動と、それから派生したコミュニティ運動の発生・展開・変容を、多層的(中央レベル、県市レベル、郷鎮レベル)かつ多元的(中央政府、地方派系、コミュニティ団体およびその外部ネットワークなど)な連関の中に、明確に提示することに成功していることである。著者は、これまでの先進国や途上国の社会運動研究の蓄積から得られる視角と日本での地域開発研究から蓄積されている地域社会学の視点を統合する「環境」という分析枠組を構築し、随所に日本の事例との比較対照を行い幅広い視野を提示することで、これに成功している。この意味で、本論文は、台湾社会運動研究の日本の学界における、おそらくは初めての本格的研究成果である。同時に、すでにコミュニティ運動についても研究が進んでいる台湾の学界の動向に照らしても、その代表的事例と見なされている美濃コミュニティ運動を日本と対照する広い視野の中でこのように明確に論述したことは、台湾社会運動研究を一歩前に進める成果として評価できる。審査委員会では、社会運動と地域社会学とを統合した視角を有効に運用した本論文に対し、「新しい地域研究」の一例としての可能性を感じるとの指摘もあった。

第二に、本論文は台湾地方政治研究にも新たな知見を加えている。民主化前の国民党一党支配の台湾地方政治においては、台湾省下の県とその下の郷鎮レベルで重層しかつ連動する複数地方派系を地方公職選挙をめぐって競わせる形の地方統治(いわゆる「二重のクライアンティリズム)の構造が50年代、60年代を通じて構築されたが、70年代以降、特に80年代以降、反国民党のオポジション勢力の台頭(「党外」から民進党へ)、自由化・民主化による政治機会構造の変容、金融を中心とする経済自由化などの衝撃で、様々に変容(全国展開するもの、小規模化を余儀なくされるものなど)を迫られたのであった。このことは従来の研究でも確認されているが、著者は、従来の地方派系政治の上のレベルに前記のローカルレジームという分析レベルを設定し、中央政府と社会運動や地方政治アクターが相互作用し合う「制度政治とサブ政治」という枠組みを導入することで、コミュニティ運動団体という新たなアクターとローカルレジームアクターとの相互作用を具体的に描き出すことに成功している。

第三に、現代台湾独特のコミュニティ政策である社区総体営造の性格把握を一歩前進させたことである。政治的自由化とともに台湾の各地(多くは郷鎮レベル以下のコミュニティ)では、環境破壊反対運動などを端緒として、郷土文化の再生・保全などによるコミュニティ活性化を目指す下からの運動が盛り上がりを見せ始めた。社区総体営造政策は、これらが政権に不利な方向に誘導されないよう上から取り込んでいく政治的意図を持って李登輝政権により発動されたものであることは、既存研究ですでに指摘されているところであるが、その執行・実践の具体相は、一、二の先駆的事例研究でしか示されていなかった。著者は、美濃ダム建設反対運動から発生した美濃愛郷協進会という全台湾的に代表的なものと見なされている事例の具体相を示すことで、この台湾社会研究上、重要な意義を有する分野の厚みを増すことに貢献している。同時に、(1)社区総体営造政策の助成金を「金権腐敗」の批判のある地方派系政治の利権として費消させないことが意図されていたこと、(2)実際にも、地方派系政治の磁場に置かれ続けた郷鎮レベルの政府には政策が意図する事業の立案・執行の能力が無いという事情から、社区総体営造政策が、これらの地方政府の頭越しにコミュニティ団体に資源が投下されるところの文化・社会政策領域での、一種のサブ政治の領域に属する政策体系であったこと、(3)台湾の社区総体営造政策が、その立案と実践の過程において同じくコミュニティの活性化を謳った日本の「町づくり・村おこし」の政策・運動とその実践に倣ったものであったにもかかわらず、日本の政策の狙いが既存地方統治機構の強化にあったこととは対照的に、台湾ではサブ政治と従来型地方政治という「二つの政治への挑戦」というベクトルを有するものとなったこと、などを説得的に示している。

ただ、本論文も欠点無しとしない。審査委員会の審議においては、特殊台湾の事情に関わる用語の説明不十分や技術的なポイントの他、上記の長所故に生じたと考えられる問題点として、次の2点が指摘された。

第一に、概念・用語に関してである。著者は、上記のように社会運動論と地域社会学を統合し「環境」という枠組を設定しているが、この主たる枠組は、制度政治とサブ政治、ローカルレジームとその変容、社会運動の国家に対する制度内化と地域社会に対する卓越化という幾つかの分析枠組に支えられ、さらにこれらはそれぞれ幾つかの概念・用語に連動している。例えば、「卓越化」に関しては、さらに「実体化」、「客体化」、「差別化」、「弁別」などの用語が使われている。果敢な概念化が本論文の成果を支えているのではあるが、こうしたやや煩瑣な用語法は、よりシンプルな用語法でミクロの情況からマクロの情況を通貫する論述が可能であった場合に比して、本論文が持つ成果のインプリケーションの明確な提示を妨げている嫌いがある。

第二に、台湾地方政治の把握に関してである。上記のように、著者は、地方派系政治の上にローカルレジームという分析レベルを設定して、それが戦後当初の名望家レジーム、地方派系レジーム、そして、内向的外部資源導入レジームへと変容したとしているが、この区分法は一考を要する。前二者は、政治アクターに焦点をあてた把握であり、後者はそうでないが、この区分基準を変える必要性についての議論は不十分である。その結果、グローバル化の経済的影響と全国レベルでの制度政治の民主化で地方派系レジームが流動化して以降の美濃鎮レベルの政治に関して、コミュニティ運動団体以外の主体の立ち位置の把握が曖昧となっている。この他、上記の内向的外部資源導入レジーム出現の背景には、当時の立法院委員の選挙制度が中選挙区制であったがために、鎮内有権者のエスニックな票の集中で「美濃から一人の立法委員を」という政治動員が可能になったという政治制度上の要因も見逃せない、との指摘もなされた。

しかしながら、審査委員会は、指摘されたこれらの欠点は、本論文の成果を大きく損なうものではなく、一定の修正を経て刊行されれば、この分野の研究を大きく前進させるものであるとの認識で一致した。よって、本審査委員会は、本論文の査読および口述試験の結果により本論文提出者が博士(学術)の学位を授与されるにふさわしいものと認定する。

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