学位論文要旨



No 127332
著者(漢字) 明地,洋典
著者(英字)
著者(カナ) アケチ,ヒロノリ
標題(和) 自閉症スペクトラム児の参照的語彙学習における即時マッピング : アイトラッカーによる検討
標題(洋) Fast mapping in referential word learning in children with autism spectrum disorder : An eye-tracking study.
報告番号 127332
報告番号 甲27332
学位授与日 2011.04.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1071号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長谷川,壽一
 東京大学 教授 丹野,義彦
 東京大学 教授 石垣,琢麿
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 開,一夫
内容要旨 要旨を表示する

背景・目的

自閉症は対人コミュニケーションの困難さや言語発達の遅れを主徴とする発達障害である(APA, 1994)。近年の大規模な調査から、自閉症者の約41%が語彙獲得に遅れを示し、約10%は発語がないことが報告されている(Hus et al., 2007)。そのため、適切な語彙獲得の方略を探ることは療育上きわめて重要である。ヒトの幼児は凄まじいペースで語彙を獲得していくが、語彙獲得の分野では、一度きりのラベルとモノの対呈示で語彙学習がされる「即時マッピング」と呼ばれるモノと語との素早い関連付けの過程が注目されてきた(Carey, 1987)。不一致ラベルづけ課題(Baldwin, 1991)を用いた先行研究により、自閉症児は、発話者の視線を参照しての即時マッピングに特異性を持つことが示されてきた(e.g., Baron-Cohen et al., 1997)。すなわち、この課題においては、Follow-in条件(子どもと発話者が同じ新奇物を見ているときに新奇語が発せられる)とDiscrepant条件(子どもと発話者が異なる新奇物を見ているときに新奇語が発せられる)が設けられるが、Discrepant条件において、自閉症児は定型発達児に比べ、発話者の視線の先の新奇物に新奇語をマッピングする傾向が弱いことが報告されている。しかし、その原因については十分に検討されてこなかった。そこで、本研究では、アイトラッカーを用いることで、注視パターンを厳密に記録・操作することにより、自閉症児の即時マッピングの特徴について詳細な検討を行うことを目的とした。

実験1

方法 自閉症児(ASD)17名(平均9.1歳)、言語年齢、暦年齢で統制した定型発達児(TD)17名(平均8.7歳)を対象として不一致ラベルづけ課題を行った。アイトラッカー(Tobii2150)の21インチモニター上に、アニメの発話者が現れ、口を開け閉めしながら「こんにちは。僕の名前はジローだよ」と自己紹介を行った。その後、発話者に加えて2つの新奇物が現れ、実験参加者が予め決められた一方の新奇物を300 ミリ秒見ると、発話者の視線がいずれかの新奇物へ移動し、それと同時に新奇語が発せられ、その状態が1600ミリ秒間続いた(図1)。その後、発話者の視線が正面に戻り、、発話者の視線方向が正面向きの状態が1000 ミリ秒間続いた。この試行が2回繰り返された後、最初の2つを含めた4つの新奇物が出現し、発話者が「XXXは何番かな?」と質問し、実験参加者が選択した。視線追従の指標(Frequency of Gaze Following)として、各試行において、顔を見た直後に、実験参加者が発話者の視線の先の新奇物(Target)を見た回数(c)と、もう一方の新奇物(Opposite)を見た回数(i)を算出し、Difference Scoreを算出した[d = (c - i)/(c + i)]。各新奇物への総注視時間についても同様に算出した(Gaze Duration to Object)。これらについて群(ASD/TD)を参加者間要因、条件(Follow-in/Discrepant)を参加者内要因とする2要因分散分析を行った。また、T検定により、0から有意に差があるかどうかについても検討した。

結果 行動データ(図2):Follow-in条件においては、群間差は見られなかった(p > .05)。一方、Discrepant条件においては、Targetを選んだ実験参加者の割合が、自閉症群(11/17, 64.7%)の方が定型発達群(16/17, 94.1%)よりも少なかった(p < .05)。

Frequency of Gaze Following:群間差がなかった(実験2、3も同様)。

Gaze Duration to Object(図3):条件の主効果が有意(F (1, 32) = 8.19, p = .007)であり、Follow-in条件の方が大きかった。T検定の結果、Follow-in条件では、両群とも0より有意に大きかった(p < .05)。一方、Discrepant条件では、定型発達群では0より大きかったのに対し(t = 3.11, p = .007)、自閉症群では、0と有意な差はなかった(t = .10, p = .922)。

考察 Discrepant条件において、Targetを選んだ自閉症児の割合が、定型発達児と比べて少なかった。また、定型発達児がTargetをOppositeより長く見ていたのに対し、自閉症児は両者を同じ時間見ていた。このことから、Targetに対する注視時間を上げることによって、Targetへマッピングをする傾向が増える可能性が考えられた。そこで、実験2では、Targetを左右に細かく揺らし目立ちやすくした。

実験2

方法 自閉症児18名(平均9.3歳)、言語年齢、暦年齢で統制した定型発達児18名(平均8.8歳)を対象とした。実験1と異なるのは、Targetが2500ミリ秒間左右に細かく揺れることのみであった。

結果 行動データ(図4):両条件とも、各新奇物を選んだ割合に群間差はなかった(p > .05)。

Gaze Duration to Object:条件の主効果が有意(F (1, 34) = 7.72, p = .009)であり、Follow-in条件の方がDifference Scoreが大きかった。T検定の結果、実験1とは異なり、両条件において、自閉症群も定型発達群も0より有意に大きかった(p < .05)。

結果:実験1との比較 Targetの目立ちやすさを上げることにより、自閉症児がよりTargetへマッピングをするようになったかどうかを検討するため、実験1との比較を行った。

行動データ(図5A):実験2の方が実験1よりTargetを選択する自閉症児の割合が多かった(p < .05)。

Gaze Duration to Object(図5B):実験(Exp1/Exp2)×条件(Follow-in/Discrepant)の2要因分散分析を行った。結果、Discrepant条件においてのみ、実験の単純主効果が有意であり(F (1, 66) = 18.68, p < .001)、実験2の方が実験1よりも大きかった。

考察 左右に細かく揺らすという操作により目立ちやすさを上げることで、発話者の視線の先の新奇物へ新奇語をマッピングする自閉症児の割合が上がることが示された。また、各新奇物の選択に群間差は見られなかった。これらのことは、簡単な操作で自閉症児も定型発達児と同様な即時マッピングを行うようになる可能性を示唆している。しかし、実験2の操作では、動きにより視線の参照性が上がったのか、それとも、単に動きを手がかりに選択を行っただけなのか明確ではなかった。実験3では、視線のみの呈示ではなく、指差しを加えて、参照性を上げることで、自閉症児の選択パターンと注視パターンが変化するかどうかを検討し、実験1と比較した。

実験3

方法 自閉症児18名(平均8.8歳)、言語年齢、暦年齢で統制した定型発達児18名(平均8.6歳)を対象として不一致ラベルづけ課題を行った。実験1と大きく異なるのは、発話者の視線方向の変化と同時に同じ方向を示す指差し図形(図6)が現れることのみであった。

結果 行動データ(図7):両条件とも、各新奇物を選んだ割合に群間差はなかった(p > .05)。

Gaze Duration to Object:分散分析の結果、有意な効果は見られなかった。T検定では、両条件ともに、両群において0より有意にDifference Scoreが大きかった(p < .05)。

結果:実験1との比較 行動データ(図8):実験3の方がTargetを選択する自閉症児の割合が多かった(p < .05)。

Gaze Duration to Object:Discrepant条件においてのみ、実験の単純主効果が有意であり(F (1, 66) = 6.05, p = .017)、実験3の方が実験1よりもDifference Scoreが大きかった。

考察 指差し図形を加えることで、Discrepant条件において発話者の視線の先の新奇物へマッピングする自閉症児の割合が増えることが示された。各新奇物の選択に群間差は見られなかった。これらのことは、社会的な直示的手がかりが十分にある場合、自閉症児も発話者を参照して即時マッピングを行う可能性を示唆している。

総合考察

実験1の結果から、自閉症児における発話者を参照しての即時マッピングの特異性は、発話者の視線の先のモノへの注視時間が、他のモノへの注視時間と変わらないことによる可能性が示唆された。実験2では、発話者の視線の先のモノを目立ちやすくすることで注視時間が上がり、即時マッピングが向上することを示した。実験3では、視線に加えて指差し図形を呈示することで、実験2と同様、即時マッピングが向上することを示した。以上の結果は、発話者を参照しての即時マッピングには、発話者の視線の先のモノへの注視時間が密接に関連していることを示している。また、本研究は、「モノを揺らす」、「指差し図形を加える」という簡単な操作で、自閉症児が定型発達児と同様のパフォーマンスを示す可能性を示唆し、療育上の意義も大きいと言える。今後は、実際の発話者を介した場面での検討や、幼児を対象とした初期の語彙獲得期での検証が必要である。また、即時マッピングや注視パターンが、その後の語彙能力とどのように関連するかなど、発達的変遷を含めて検討する必要もあると考えられる。

図1 実験1でのDiscrepant条件の例

図2 実験1で各新奇物を選んだ参加者の割合

図3 実験2でのGaze Duration to Object

図4 実験2で各新奇物を選んだ参加者の割合

図5 実験1、2におけるTargetを選んだ自閉症児の割合(A)とGaze Duration to Object(B)

図6 左向きの発話者と指差し図形

図7 実験3で各新奇物を選んだ参加者の割合

図8 実験1、3におけるTargetを選んだ自閉症児の割合(A)とGaze Duration to Object(B)

審査要旨 要旨を表示する

本論文のテーマは、言語発達に障害を抱える自閉症児の語彙獲得プロセスを、「即時マッピング」と呼ばれるモノと語との素早い関連付けの過程に焦点をあて、定型発達児のそれと比較しつつ、実験心理学的手法により明らかにするものである。多くの自閉症児が、言語習得に苦しむ中で、自閉症児の語彙獲得の困難さの原因の一つを明らかにしようとする本研究は、療育的な意義の大きな研究である。

定型発達児の場合、平均的には1歳児後半に初語を発し、その後、「語彙爆発」と呼ばれるような急速な語彙獲得期を迎える。2歳から6歳の間に、子ども達は1日平均で6語(多い日には10語)のスピードで、語彙を獲得していくが、その学習メカニズムに関しては、一度きりのラベルとモノの対呈示で語彙学習がされる「即時マッピング」と呼ばれる、モノと語との素早い関連付けの過程が注目されてきた。不一致ラベルづけ課題を用いた先行研究では、Follow-in 条件(子どもと発話者が同じ新奇物を見ているときに新奇語が発せられる)とDiscrepant 条件(子どもと発話者が異なる新奇物を見ているときに新奇語が発せられる)が設けられるが、Discrepant 条件において、自閉症児は定型発達児に比べ、発話者の視線の先の新奇物に新奇語をマッピングする傾向が弱いことが報告されている。しかし、その原因については十分に検討されてこなかった。そこで本論文では、就学期の自閉症児と定型発達児を対象に、アイトラッカーを用いて注視パタンを統制しながら、自閉症児の即時マッピングの特徴の分析を試みた。

実験1では、上記の先行研究を、アイトラッカーを用いて厳密に実験統制した状況で、追認することを試みた。自閉症スペクトラム障害児(ASD児)17名、言語年齢と暦年齢で統制した定型発達児17名を対象に、不一致ラベリングづけ課題を行った。アイトラッカーのモニター上にアニメの発話者が現れた後、二つの新奇物が提示され、実験参加者が予め定められた一方の新奇物を300ミリ秒見ると、発話者の視線がいずれかの新奇物の方向に移動し、同時に新奇物の名前が発話された。この試行を2回繰り返した後、最初の新奇物2つを含む4つの新奇物の中から、発話者が「XXX は何番かな?」と質問し、実験参加者が選択した(語彙学習テスト)。発話者の視線の先の新奇物をTarget、もう一つの新奇物をOppositeとし、Difference scoreと呼ぶ指標でTargetを選んだ実験参加者の割合を算出した。その結果、Follow-in 条件では、ASD児群と定型発達児群の間で差がなかったが、Discrepant 条件では、ASD児群の方が定型発達児群よりも有意に少なかった。また、各新奇物への総注視時間について算出したところ、Discrepant条件において、ASD児は、TargetとOppositeを同じ時間見ていた。また、発話者の顔への注視時間と視線追従の頻度には、両群間で有意差がなかった。実験1より、先行研究の報告を、実験参加者の視線をより正確に計測した上で追認することができた。と同時に、ASD児においてはTargetへの注意が増せば、語彙理解が高まる可能性を示せた。

そこで実験2では、実験1の条件に加えて、Targetを2500ミリ秒振動させ顕在性を高めた。実験参加者は、ASD児群、定型発達児群ともに18名で、言語年齢、暦年齢に有意差はなかった。その結果、Follow-in 条件、Discrepant条件ともに、各新奇物を選ぶ比率に差がなく、ASD児のTargetに対するマッピングが促進された。実験1との比較においても、マッピングの割合、Targetの注視時間の高まりが確認できた。左右に細かく揺らすという操作によって顕在性を上げることで、発話者の視線の先の新奇物へ新奇語をマッピングするASD児の割合が上がることが示された。各新奇物の選択に群間差がなかったことから、簡単な操作でASD児も定型発達児と同様な即時マッピングを行うようになる可能性が示唆された。しかし、実験2の操作では、動きにより視線の参照性が上がったのか、それとも、単に動きを手がかりに選択を行っただけなのかについては明確ではなかった。

次に実験3では、実験1の条件に加えて、発話者の視線方向の変化と同時に、同じ方向を示す指差し図形を提示した。実験参加者は、ASD児群、定型発達児群ともに18名で、言語年齢、暦年齢に有意差はなかった。その結果、Follow-in 条件、Discrepant条件ともに、各新奇物を選ぶ比率に差がなく、Targetそれ自体を顕在化させずとも、ASD児のTargetに対するマッピングが促進された。すなわち、指差し図形を加えることにより、Discrepant 条件においても発話者の視線の先の新奇物へマッピングするASD児の割合が増加した。社会的手がかりを明示的に示すことによって、ASD児においても、発話者を参照した即時マッピングが可能になることが示唆された。

上記の3つの実験を通じて申請者は、「ASD児は即時マッピングの際に発話者の視線を参照しない」という先行研究の知見をさらに一歩進めて、「視線を参照してマッピングしないことが何によるものなのか」と問いを立て直し、それが、顔を見ないからなのか、視線を追わないからなのか、視線の先の物体を特別視していないからなのかを、アイトラッカーを用いた計測によって丁寧に検証した。実験1では、ASD児も定型発達児も同じ程度、発話者の顔を見、視線を追っていることが示されたので、視線の先の物体を特別視していないことの重要性が浮かび上がった。そこで、実験2では、視線の先の物体を細かく揺り動かすことで顕在化させたところ、Discrepant条件でも即時マッピングが可能になった。しかし、実験2の結果からは、動きにより視線の参照性が上がったのか、単に動きを手がかりに選択を行っただけなのかが、明らかではない。実験3では、視線に加えて指差しの情報を付加することで、視線の先の物体を特別視させるような操作を行った。その結果、実験2と同様に、Discrepant条件でも即時マッピングが可能になった。これらの結果から、ASD児の即時マッピングによる語彙獲得の困難さを克服するには、視線と他の手がかり(社会的、物理的)を組み合わせて示すことが有効であることが明らかになった。この新たな知見は、療育的にも非常に重要である。

このように本研究は、ASD児研究に新たな知見を提供したのみならず、療育面での応用も期待できる意義深い研究と言える。本研究は、国際専門誌であるResearch in Autism Spectrum Disorder誌ですでに公刊されている。また、本論文の研究以外でも複数の原著論文を英文誌に発表している。論文提出者は、博士課程の3年間、毎年、国際自閉症研究学会に参加・発表し、海外の専門家との議論を積んでいる。

審査会では、博士論文の中核を構成する一連の実験研究については全員一致で高く評価され、学位論文として相応しいとの判定が下された。ただし、博士論文としての価値を一層高めるには、研究の背景の説明や研究の意義、さらに総合考察について加筆が望ましいとの意見が出され、主査の指導の下で加筆が行われた。以上の経緯をもって、本審査委員会は博士(学術)を授与するに相応しいものと認定する。

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