学位論文要旨



No 127334
著者(漢字) 末廣,勇司
著者(英字)
著者(カナ) スエヒロ,ユウジ
標題(和) メダカの視運動反応の基盤となる機構の神経行動学的解析
標題(洋) Neuroethological analysis of the mechanisms underlying the optomotor response of medaka
報告番号 127334
報告番号 甲27334
学位授与日 2011.04.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5711号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 岡,良隆
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 准教授 真行寺,千佳子
 東京大学 准教授 近藤,真理子
内容要旨 要旨を表示する

多くの動物は動的に変化する視覚情報、例えば景色の変化や仲間の動きに対して、適応的に応答する能力をもつ。外界で動く縞模様に対して追従応答を示す視運動反応もその1つで、自然界において周囲の仲間の動きをもとに群れ行動を示したり、水流や気流に流されないよう視界の変化を打ち消すように動く応答を反映したものと考えられている。この行動は多様な動物種で観察され、特に脊椎動物では魚類を用いた研究が進んでいる。神経行動学分野において、これまで視運動反応は主に視覚や運動能力を測るアッセイ系として利用されてきた。こうした研究の結果、終脳や視蓋、中脳にある脊髄投射神経等が視運動反応に関わると予想されている。また、従来の研究は縞の速度が一定の静的な条件で魚の挙動を調べたものであった。そこで私は、動的に変化する外界の視覚情報に対する適応的応答の神経・行動学的機構を解析する目的で、視運動反応中に縞の速度を変化させ続ける条件での行動を、メダカ(Oryzias latipes) を用いて解析した。メダカは視運動反応時に高い精度で縞とほぼ同じ回転速度で泳ぐことから、視覚情報に対する適応的な応答能力が高いと考えられ、また遺伝学を併用した神経科学的な解析にも利用出来るという利点がある。

私はまず、縞の回転速度を制御できる装置と、視運動反応の動画からメダカと縞の位置・体軸方向を抽出するプログラムを作成した。これを用いて縞の回転速度を正弦様に変化させ、メダカの応答を調べた。以後、縞とメダカの回転速度を以下の4つのパラメータからなる式で表す。

回転速度= 振幅* sin(2πt / 周期+ 初期位相)+ 平均速度

これまで視運動反応中に縞の回転速度を変化させた例はない。このため、私はまず周期10 秒、振幅と回転速度が25, 135 deg/sec の速度変化を起こし、メダカが縞に追従できるかを調べた。その結果、縞の回転速度変化に応じてメダカも回転速度を正弦波様に変化させて追従した(図1)。なお近似曲線は、メダカや縞の回転速度の実測値を式(1) の形で表せるように、4 つの回転速度パラメータをフィッティングさせて得た正弦波として示している。この結果はメダカの視運動反応系が、従来のような単なる視覚能力や運動能力の確認のためのアッセイ系としてだけでなく、動的に変化する背景の動きに対する適応的な応答を調べる系としても利用できること意味する。

さらにこの応答が、高頻度で速度が変動する縞の動きに対しても見られるか調べるために、1-10 秒の様々な周期で縞の回転速度を変化させたときのメダカの回転速度を、式(1) で近似したときの振幅と平均速度について調べた。その結果、メダカはどの周期で縞の回転速度が変動しても、縞とほぼ変わらない平均速度で泳ぐことを見出した(図2b)。一方、メダカの回転速度の振幅は10 秒周期では縞とほぼ同じ値を示したのに対し、周期が短くなるにつれて有意に減少することが分かった(図2a)。フィッティングした振幅の値の減少は、メダカの回転速度が正弦波様の変動を示さなくなったことに起因すると考えられる。以上の結果は、メダカが高頻度で速度を変える縞の動きに対して、平均的には追従可能であるものの、縞と同じように速度を変動させて追うことはできなくなったことを示している。

こうした縞の速度変化の周期に応じたメダカの応答の変化について考察する上で私は、メダカの回転速度の変化が旋回と速度の調節の結果として生じることを踏まえて、10 秒周期で縞の速度が変化するときにメダカが縞の動きに対してどのようなタイミングで旋回と速度を調節していたのかを調べた。このとき、

速度or 旋回= 振幅* sin(縞の回転速度位相+ 遅延)+ 平均量

として速度や旋回を近似することで、縞の回転速度変化に対して、速度や旋回がどのくらい遅れて変化するかを求めた。まず旋回(図3a) については、縞の回転速度の変化1周期分(緑線) に対し、旋回の変化の近似曲線(赤線) は150 msec ほど遅れてることが分かった。一方、速度(図2 b) については、縞の回転速度の変化1周期分(緑線) に対し、速度は500msec ほど遅れて変化する(赤線) ことが分かった。

修士課程において私は、縞の速度がメダカの遊泳速度に比べて十分に速いとき、メダカは通常の遊泳で示す緩やかな加速に加え、急な加速をすることでパルス状の速度を示すことを見出している。そこで、縞の回転速度の振幅を60 deg/sec に設定して急加速を生じやすい条件でメダカの視運動反応を誘導し、250msec 毎にパルス状の速度が生じた回数を数えた。その結果、図2c に示しように、縞の回転速度の変化1周期分(緑線) に対し、急加速の回数(青いヒストグラム) も500msec ほど遅れて増加することが分かった。高速度カメラで撮影したメダカの動きから、1回の旋回(体軸方向の変化) や加速(尾びれの振動) にかかる時間はおよそ100 200 秒であったため、こうした速度応答では、メダカがあえて遅延を伴って鈍感に反応している可能性がある。また、高頻度で縞の速度を変化させたときの結果と合わせて、メダカはある時点での縞の動きに追いつくよりも、一定時間の縞の動きをもとに速度調節をしている可能性が考えられる。自然条件でも、水流が時間や場所により不意に変動したり、群れの仲間の一部が突発的に動くことはあるであろう。このとき、メダカは高頻度の視覚情報変化に対してあえて速度応答を抑えることで、過剰なコストをかけることなく、流れの中でロバストに定位し続けたり、仲間と協調して動くことができるのかもしれない。以上、今回の実験系を用いることで、速度の遅延時間や、メダカが縞と同様の正弦的な動きを示すことができる臨界周期を抽出出来た。これは、一定の速度で縞を回転させる視運動反応系では抽出出来なかった、動的な視覚情報変化への適応能力を調べられる表現型であると考えられる。

視運動反応から新たに抽出した速度遅延やメダカの正弦的応答の臨界周期を決める神経基盤を探索するため、これまで視運動反応に関わるとされてきた領域を含む神経系に機能障害を与えた際の視運動反応の解析を試みた。そのため脳の物理的除去などを行ったが、死亡率が高いという問題があった。そこで私は侵襲性の低い方法として、アデノウィルスベクターによる遺伝子導入系を介した神経機能修飾を試みた。ヒトアデノウィルスベクターは、これまでマウスやトリなど他の動物種で一般的に用いられているが、魚類の脳(in vivo) への応用例はない、そこでまず、アデノウィルスの感染が起こるか調べた。メダカ稚魚の中脳脳室内に、ユビキタスプロモータの下流にlacZ をもつウィルスを注入し、1週間後にX-gal 染色を行った。その結果、コントロール(溶媒注入) と比べて終脳や中脳脳室周辺、小脳前端部などでgal のシグナルが見られた(図4) ことから、ウィルスの感染と外来遺伝子の発現が確認できた。さらに、cre を発現するウィルスベクターを、loxP サイトを持つトランスジェニックメダカに注射し、リポーター遺伝子の蛍光波長によってウィルスの感染、およびcre-loxP 組み換えが起こることも同時に確認した。この手法を用いることで、今後cre を発現するウィルスと、loxP サイトの下流に神経興奮抑制性のカリウムイオンチャネルをもつトランスジェニックメダカ(作成済み) を組み合わせることで、神経系の機能修飾が可能になると期待される。

図1 正弦波様に速度が変化する視運動反応系でのメダカと縞の回転速度変化

図2 縞の回転速度周期を変化させたときの応答

図3 縞の動きに対する旋回・速度の遅延

図4 アデノウィルスの感染確認

審査要旨 要旨を表示する

動物は動的に変化する環境からの情報を適切に処理し、自らの行動を適応的に制御している。動く背景(縦縞模様など)に対して追従応答を示す視運動反応もその1つで、自然界で水流や気流に流されないよう、視界の変化を打ち消すように動く応答を反映すると考えられている。視運動反応は脊椎動物では魚類、特にメダカを用いた解析が進んでいるが、その神経機構には不明な点が多い。論文提出者はメダカの視運動反応をアルゴリスムで記載し、どの神経回路がどの情報処理に関わることで、この行動が達成されるか理解することを目指した。本研究では、動的に変化する視覚情報に対する視運動反応の機構を理解する目的で、縞の速度を連続的に変化させて視運動反応を誘導し、アルゴリズムを予想した。さらにシミュレーションを行い、観察した行動特性が一部再現されることを確認した。また、視運動反応に関わる神経回路候補の遺伝学的修飾の実験に供する目的で、メダカ脳で領域選択的に発現する神経ペプチド遺伝子を同定すると伴に、ヒトアデノウィルスベクターをメダカ脳への遺伝子導入に適用した。

本論文は3章からなっている。第1章では動的に変化する視覚情報に対する視運動反応を調べた。先ず、メダカは視運動反応中に黒縞の間の白い領域に向かって進む、あるいは黒縞を横に見ながら進む傾向を見出した。次に、縞の回転速度が長い周期(5~10秒)で正弦波様に変化する場合にはメダカは縞を正確に追従するが、短い周期(1~2秒)で変化する場合には正確には追従しないことを見出した。そこでメダカが縞の速度変化に対して、どのタイミングで運動調節するか調べたところ、縞の速度変化に対して50 msecほど遅れて旋回(体の屈曲)し、500msecほど遅れて加速・減速(尾びれを振る)することが分かった。また急加速して縞を追従するタイミングも500msecほど遅れていた。メダカが1回の旋回や加速にかかる時間は約100~200msecであるため、旋回は即時的に行うが、速度応答にはある遅れを伴うと考えられた。メダカは高頻度で生じる視覚情報変化に対して急速な速度応答を避けることで、過剰なコストを抑え、流れの中でロバストに定位したり、仲間と協調して動いている可能性が考えられる。

次にこうした行動特性を再現するためのアルゴリズムを予想した。先ずメダカの旋回や加速の制御を周期的に記述した。また、視界内の縞の位置がずれた際には高確率で旋回応答し、低確率で速度応答を行う仕組みを導入した。さらに、視界を一定に保つ状態と更新する状態の、2つの状態をとると予想した。この時、内在的な自発的運動と視野内の縞の配置のずれの程度に依存して、視野の更新または保持のいずれかを選択するようにし、「保持」では視界内の縞の位置のずれを打ち消すように動き、「更新」では周囲の視覚情報に基づいて決定した行動目標に向かって進むよう設定した。以上の構造を取り入れたシミュレーションを作成した結果、シミュレーション上の魚が示す視運動反応は、今回見出した行動特性を一部再現していた。

第2章では視運動反応に関わる候補脳領域で発現する遺伝子を検索し、そのプロモーターを神経機能修飾に利用することを考えた。候補遺伝子として他個体への追従行動に関与する神経ペプチドに注目し、メダカ脳内に存在する神経ペプチドをMALDI/TOF-MS法で同定した。同定したペプチドのうち、Substance Pについて前駆タンパク質の遺伝子発現解析を行い、終脳(魚類脳の高次中枢)や視床下部等で発現することを見出した。さらに第3章では、メダカ脳の機能修飾のため、他の脊椎動物で用いられているヒトアデノウィルスベクターによる遺伝子導入系をメダカに適応した。その結果、メダカ稚魚脳の幾つかの領域で外来遺伝子の発現が見られた。今後、この手法は神経系の機能修飾に利用可能と期待される。

動的に変化する視覚入力に対する視運動反応の行動特性を調べ、さらに、視運動反応のアルゴリズムを確立したのは本研究が初めてである。このアルゴリズムは行動選択や運動様式の決定など、神経行動学的観点から興味深い要素を含んでいる。今後、脳領野特異的に機能修飾した個体の行動表現型とシミュレーション結果を比較することで、これまで未知であった、動物の適応的行動のアルゴリズム決定の基盤となる神経機構の一端が解明されると期待される。なお、本論文は奥山輝大・今田はるか・嶋田敦子・武田洋幸・久保健雄・竹内秀明(東京大学)、木下政人(京都大学)、成瀬清(基礎生物学研究所)、倉林大輔(東京工業大学)、安田明和(産業総合研究所)との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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