学位論文要旨



No 127336
著者(漢字) 安田,浩朗
著者(英字)
著者(カナ) ヤスダ,ヒロアキ
標題(和) 非平衡グリーン関数法を用いたテラヘルツ帯量子カスケードレーザの伝導ダイナミクスの解析と高温動作に向けた設計
標題(洋)
報告番号 127336
報告番号 甲27336
学位授与日 2011.05.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7517号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平川,一彦
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 教授 中野,義昭
 東京大学 准教授 高橋,琢二
 東京大学 准教授 岩本,敏
内容要旨 要旨を表示する

テラヘルツ帯量子カスケードレーザは2002年のレーザ発振の報告以来テラヘルツ帯の小型・高出力の半導体光源として注目を集め、低発振周波数化、高出力化など急速に性能が向上している。しかし、最大動作温度はプランク定数×周波数/ボルツマン定数で求められる値を超えられず、室温動作はほど遠い。現在、テラヘルツ帯量子カスケードレーザの動作温度の向上が重要な課題となっており、この問題を新規の量子カスケードレーザ構造の採用により解決することが求められている。

本研究で第一原理計算手法である非平衡グリーン関数法を用いて各種のテラヘルツ帯量子カスケードレーザの輸送特性やレーザ利得を計算し、高温動作阻害機構を明らかにし、高温動作に向けた方策を検討した。さらに高温動作・高出力動作に向けた新規量子カスケードレーザ構造を提案した。

本論文は、6つの章から構成される。第1章は、序論であり、本研究の背景と目的について述べた。第6章では、本論文の結論を述べた。以下、論文の主要部分である第2章から第5章までの要旨を記す。

第2章では、まず非平衡グリーン関数法の概要を説明した。量子カスケードレーザの動作解析では、縦光学フォノン散乱をはじめとする各種の散乱機構が大きな役割を果たしていることから、これらの影響をより正確に取り込む必要があるところ、第一原理計算手法であり散乱機構を自己エネルギーとして取り込むことができる非平衡グリーン関数法の利用が適切であることを示した。さらに本研究で用いた非平衡グリーン関数法プログラムの概要を述べ、ダイソン方程式とポアソン方程式を自己無撞着に計算する手順を説明した。また本非平衡グリーン関数法プログラムにより計算された値が実験値とほぼ同じであり、基底関数に自由度の高い位置関数を用いることでサブバンドにおける電子の位置分布やエネルギー分布が詳細に得ることができ、実験では見えない物理現象の理解に有用であることを述べた。

第3章では、第2章で説明した非平衡グリーン関数法プログラムを用いて現在最も用いられる共鳴フォノン型テラヘルツ帯量子カスケードレーザの解析を行う。さらに近年提案された縦光学フォノン散乱により上準位への電子注入を行う散乱注入型テラヘルツ帯量子カスケードレーザの解析を行い、共鳴トンネリングにより電子を注入する従来の量子カスケードレーザよりも大きな利得が得られることを示した。この原因は、散乱注入型では共鳴フォノン型と異なりほとんどすべての電子がレーザ上準位に集まるためであることを明らかにした。続いてこの2種類の量子カスケードレーザの高温での特性を計算した。温度が上昇すると共鳴フォノン型量子カスケードレーザでは熱的バックフィリングと熱励起フォノン散乱により反転分布が減少することが明らかになった。熱的バックフィリングとは、レーザ下準位よりも低い準位にある電子が熱によりレーザ下準位に励起される現象をいう。熱励起フォノン散乱とは、レーザ上準位にある電子が熱により面内の運動エネルギーを得て、レーザ下準位とのエネルギー差が縦光学フォノンエネルギー以上になると縦光学フォノンにより散乱されて非輻射的にレーザ下準位に緩和する現象をいう。一方、散乱注入型量子カスケードレーザでは温度が上昇すると共鳴フォノン型に対する優位が失われた。今回計算した散乱注入型構造では熱励起フォノン散乱のため反転分布が減少することが明らかになった。高温動作を実現するには熱励起フォノン散乱の抑制が必要であることが明確になった。

第4章では、第3章で高温動作の阻害要因とされた熱励起フォノン散乱を抑制する方策を検討した。まず対角遷移型量子カスケードレーザ構造の特性を非平衡グリーン関数法を用いて計算し、高温で従来の垂直遷移型よりも大きな利得を得ることができ、高温動作に向けて有望な構造であることを示した。レーザ上順位の波動関数とレーザ下準位の波動関数の重なり合いを調整することで熱励起フォノン散乱を抑制し、レーザ利得を向上させることができることを示した。続いて縦光学フォノンエネルギーが大きい窒化物半導体材料の使用を非平衡グリーン関数法による計算を用いた検討した。窒化物系共鳴フォノン型量子カスケードレーザでは、縦光学フォノンエネルギーが大きくフレーリッヒ相互作用が非常に大きい。そのためレーザ準位の幅が大きく広がりかつ利得が小さくなり、テラヘルツ帯量子カスケードレーザとしての良好な特性が得られないことを明らかにした。

第5章では量子カスケードレーザがドープされた多重量子井戸構造であることから負性微分抵抗が生じ、レーザ発振領域で高電界ドメインが形成される可能性があることを示した。一般に用いられる共鳴フォノン型量子カスケードレーザでは非平衡グリーン関数法による計算から利得が生じる電界と負性微分抵抗が現れる電界が重なることがわかった。実際にユニット数が少なく面積が小さい試料を作製し、電気伝導測定により高電界ドメインの発生を確かめた。ドメイン発生を回避する手法としてドーピング濃度の増加と新規構造を提案し、同様の電気伝導測定によりそれらの有用性を確かめた。この新規量子カスケードレーザ構造には、第3章及び第4章で述べた成果を反映させ、散乱注入型かつ対角遷移型の2ウェル構造であり、高温動作・高出力動作が期待される。さらに各種の構造パラメータ特にバリアのアルミニウムの比率を最適化することで高温でも良好な特性を持つことを数値計算により示した。最後に実際に新規2ウェル量子カスケードレーザを試作し、レーザ発振電界での微弱な発光を確かめた。今後、提案した2ウェル量子カスケードレーザの特に導波路構造を改良することにより高温・高出力のレーザ発振が実現されることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

テラヘルツ帯量子カスケードレーザは、2002年のレーザ発振の報告以来、テラヘルツ帯の小型・高出力の半導体光源として注目を集め、低発振周波数化、高出力化など急速に性能が向上している。しかし、現状では最大動作温度は、おおよそプランク定数×周波数/ボルツマン定数で求められる値に制限されており、テラヘルツ帯量子カスケードレーザの動作温度の向上に適した新規量子井戸構造の検討が大きな課題となっている。本論文は、「非平衡グリーン関数法を用いたテラヘルツ帯量子カスケードレーザの伝導ダイナミクスの解析と高温動作に向けた設計」と題し、第一原理計算手法である非平衡グリーン関数法を用いてテラヘルツ帯量子カスケードレーザの高温動作を制限する機構を明らかにするとともに、高温動作に適した素子構造を論じたものである。論文は6章より構成されており、和文で記されている。

第1章は、序論であり、テラヘルツ帯量子カスケードレーザについて、その動作原理を説明し、これまでの研究の達成点を紹介している。さらに、現在の最大の課題がテラヘルツ帯量子カスケードレーザの動作温度の向上にあることを述べ、そのために検討すべき事項を指摘し、本研究の目的について述べている。また最後に本論文の構成を示して、各章の概略を説明している。

第2章では、まず非平衡グリーン関数法の概要を説明している。量子カスケードレーザの動作解析では、縦光学フォノン散乱をはじめとする各種の散乱機構が大きな役割を果たしていることから、これらの影響をより精密に考慮する必要がある。その目的のためには、第一原理計算手法であり散乱機構を自己エネルギーとして取り込むことができる非平衡グリーン関数法の利用が適切であることを示している。さらに本研究で用いた非平衡グリーン関数法プログラムの概要を述べ、ダイソン方程式とポアソン方程式を自己無撞着に計算する手順を説明している。また本非平衡グリーン関数法プログラムにより計算された値が実験とよい一致を示し、信頼性の高い理論計算であることを示すとともに、基底関数に自由度の高い位置関数を用いることでサブバンドにおける電子の位置分布やエネルギー分布が詳細に得ることができ、実験では見えない物理現象の理解に有用であることを述べている。

第3章では、第2章で説明した非平衡グリーン関数法プログラムを用いて、現在最も用いられている共鳴フォノン型テラヘルツ帯量子カスケードレーザの解析を行っている。さらに近年提案された縦光学フォノン散乱により上準位への電子注入を行う散乱注入型テラヘルツ帯量子カスケードレーザの解析を行い、共鳴トンネル効果により電子を注入する従来の量子カスケードレーザよりも大きな利得が得られることを示した。この原因は、散乱注入型では共鳴フォノン型と異なりほとんどすべての電子がレーザ上準位に集まるためであることを明らかにしている。続いて、この2種類の量子カスケードレーザの高温での特性を計算している。温度が上昇すると、共鳴フォノン型量子カスケードレーザでは、コレクタ準位にある電子が熱によりレーザ下準位に励起される効果(熱的バックフィリング)と、レーザ上準位にある電子が熱により面内の運動エネルギーを得てレーザ下準位に縦光学フォノン放出により非輻射的に緩和する現象(熱励起フォノン散乱)の2つの効果により反転分布が減少することを示している。一方、散乱注入型量子カスケードレーザでは、熱励起フォノン散乱のため反転分布が急激に減少するため、高温動作を実現するには熱励起フォノン散乱の抑制が不可欠であることを明らかにしている。

第4章では、第3章で高温動作の阻害要因である熱励起フォノン散乱を抑制する方策を、層構造の最適化と半導体材料の2つの側面から検討している。まず対角遷移型量子カスケードレーザ構造の特性を計算し、高温で従来の垂直遷移型よりも大きな利得を得ることができ、高温動作に向けて有望な構造であることを示した。レーザ上準位の波動関数とレーザ下準位の波動関数の重なり合いを調整することで熱励起フォノン散乱を抑制し、レーザ利得を向上させることができるためである。一方、縦光学フォノンエネルギーが大きい窒化物半導体材料について検討を行い、窒化物系共鳴フォノン型量子カスケードレーザでは、縦光学フォノンエネルギーが大きくフレーリッヒ相互作用が非常に大きいため、レーザ準位の幅がブロードになり、かつ利得が小さくなり、テラヘルツ帯量子カスケードレーザとしての良好な特性が得られないことを明らかにしている。

第5章では量子カスケードレーザがドープされた多重量子井戸構造であることから負性微分抵抗が生じ、レーザ発振領域で高電界ドメインが形成される可能性があることを理論計算と精密な伝導測定により議論している。高電界ドメインの発生を回避し、かつ高温動作を目指して、第3章及び第4章で得た成果に基づき、散乱注入型かつ対角遷移型の2ウェル構造を持つ新規量子カスケードレーザ構造を提案している。特に障壁層のアルミニウムの比率を最適化することで高温でも良好な特性を持つことを数値計算により示している。さらに実際に新規2ウェル量子カスケードレーザを試作し、レーザ発振電界での微弱な発光を観測している。

第6章は結論であり、本研究で得られた主要な成果をまとめている。

以上のように本論文は、非平衡グリーン関数法を用いて、テラヘルツ帯量子カスケードレーザ構造中の非平衡な電子分布や伝導状態を精密に解析することにより、量子カスケードレーザの高温動作を制限する機構を明らかにするとともに、光学フォノンを用いたレーザ上準位への電子注入がレーザの利得や動作温度の向上に有効であることを示しており、電子工学に貢献するところが少なくない。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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