学位論文要旨



No 127337
著者(漢字) 米原,和宏
著者(英字)
著者(カナ) ヨネハラ,カズヒロ
標題(和) γ-ケギン型バナジウム二置換ポリオキソタングステートを触媒とした酸化反応に関する研究
標題(洋)
報告番号 127337
報告番号 甲27337
学位授与日 2011.05.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7518号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水野,哲孝
 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 教授 堂免,一成
 東京大学 准教授 小倉,賢
 東京大学 准教授 山口,和也
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1. 緒言

炭化水素類の酸化反応は、化学工業において最も重要なプロセスの一つである。しかしながら未だに量論試剤や有機過酸化物を用いた環境負荷の大きい酸化法が多く用いられており、H2O2やO2などのクリーンな酸化剤を用いた触媒反応系が切望されている。

バナジウムペルオキソ錯体は、酸化酵素であるhaloperoxidaseの活性点として知られている。これまでにもバナジウムとH2O2から種々のバナジウムペルオキソ錯体が合成されており、なかでもバナジウム二核ペルオキソ錯体は、単核ペルオキソ錯体に比べ酸化活性に優れていることが示唆されている。しかしながら、バナジウム二核ペルオキソ錯体は溶液中で容易に分解するため、堅固な錯体の形成が必要である。一方ポリオキソメタレートは、イオン性無機金属酸化物クラスターであり、有機金属錯体や酵素にはない安定性や堅固さを有し、構成元素を変えることで反応性を制御できる。Si4+を中心元素とするポリオキソタングステート上に、バナジウム二核構造{V-(μ-OH)2-V}を構築したISiが合成されている。ISiはH2O2と{V-(μ-OOH)(μ-OH)-V}構造を有するIISi やバナジウム二核ペルオキシドと推定されている構造を有する活性種IIISiを形成し、単純アルケンのエポキシ化反応において触媒活性を示すことが報告されている。ISiの構成元素を適切な元素に変えることができれば、活性種IIIXの安定性、もしくは反応性が向上し、触媒活性のさらなる向上が見込まれる。例えばDFT計算より、ISiから活性種IIISiへの構造変化でV-V間距離の増大が示唆されている。このため、ISiの中心元素をSi4+ (イオン半径: 0.40 A)からGe4+ (イオン半径: 0.53 A)に変えることができれば、V-V間距離の伸長がみられ、活性種の安定性が向上し、触媒活性の向上が期待できる。また中心元素をSi4+からP5+へ変えることができれば、ポリオキソタングステートアニオンの酸化数が増加し活性種の親電子性が向上し、触媒活性の向上が期待できる。

本研究では、触媒活性向上を目的として、ISiの中心元素をSi4+からGe4+やP5+に置換したバナジウム二置換ポリオキソタングステートを合成し、アルケンのエポキシ化反応において中心元素の効果を検討した。さらにアルケンのエポキシ化反応において最も高活性を示した[γ-H2PV2W10O40]3-(IP)を用いて、アルカンの水酸化反応や不飽和炭化水素の酸化的臭素化反応など、種々の酸化反応の検討を行った。

2. バナジウム二置換ポリオキソタングステート触媒の合成とキャラクタリゼーション

中心元素としてGe4+やP5+に置換した [γ-H2GeV2W10O40]4-(IGe)とIPの合成に成功した。単結晶構造解析の結果、IGe、IPの構造はISiと同様にγ-Keggin型構造を保持したバナジウム二核構造を有していた (Figure 1)。特にV-V間距離はIGe (3.17 A)がISi (3.12 A)に比べ伸長した。さらに、NMRからIGeとIPは溶存状態でも構造を維持していることが明らかとなった。バナジウム架橋ヒドロキソ基に帰属される1H NMRのシグナルは、ISiとIGe、IPでそれぞれ5.06、5.02、6.94 ppmに観測された。このため、ポリオキソタングステ-トの価数の効果によって、IPは架橋ヒドロキソ基の酸性向上が示唆された。

3. バナジウム二置換ポリオキソメタレ-ト触媒を用いたアルケンのエポキシ化反応

ISi、IGe、IPのバナジウム二置換ポリオキソタングステ-トをそれぞれ触媒として1-オクテンのエポキシ化反応を行った。IGe (収率50%、反応初期速度 66 mM h-1)、IP (収率83%、反応初期速度 1449 mM h-1)ともにISi (収率44%、反応初期速度 47 mM h-1)に比べ収率・反応速度の向上がみられた。CSI-MS、1H NMR、51V NMR、速度論的検討、エポキシ化反応に対する立体特異性や位置選択性から、IGeやIPはISiと同様の反応機構でIIXや推定活性種IIIXが生成し、反応が進行していることが示唆された (Scheme 1)。速度論的検討などから反応速度定数k1-k5、平衡定数K1、K2をそれぞれ算出した (Table 1)。推定活性種IIIXの生成量はK1K2に比例し、IIIXの反応性はk5に比例する。この時、K1K2はIGeが最も大きく、k5はIPとISiでほぼ同程度の値を示した。以上から、IGeの反応速度向上は活性種IIIXの生成量増大に起因し、IPの反応速度向上は活性種IIIXの反応性向上に起因しないことが示唆された。基質過剰条件下、反応速度はk3K1に比例する。K1はIX間でほぼ変わらず、k3が反応速度に比例していることが明らかとなった。k3はIPが最も大きく、ISiとIGeでほぼ同程度の値を示した。したがって、IPの反応速度向上は活性種IIIPの生成速度増大に起因することが示唆された。

IPを用いて、種々のアルケンのエポキシ化反応を行ったところ、対応するエポキシドが高収率で得られた (Figure 2)。IPの活性種は高い立体効果を有しており、非共役ジエンのエポキシ化反応では、末端二重結合のエポキシ化反応が高選択的に進行した。またIPは電子不足アルケンのエポキシ化反応へも適応可能であり、特にビニルニトリル類のエポキシ化反応では、エポキシアミドを生成することなく、対応するエポキシニトリルの合成に成功した (eq.(1))。また、IPを触媒とした末端アルケンのエポキシ化反応では、収率80%、タ-ンオ-バ-頻度 11000 h-1を示し、これまでに報告されている触媒のタ-ンオ-バ-頻度を凌駕した。

4. IPを用いたアルカンの水酸化反応

アルカンは、安価な基質であるため、アルカンから高付加価値品のアルコ-ルを高選択的に得る反応は重要である。しかしながら、アルカンは多数の反応部位があり、さらに逐次酸化反応により多数の生成物が副生するため、選択的なアルカンの水酸化反応は非常に困難である。IPを触媒に用いてH2O2を酸化剤とした種々のアルカンの水酸化反応を行った (Figure 3)。環状アルカンの酸化反応は効率的に進行し、高いH2O2有効利用率 (≧80%)やアルコ-ル選択率 (≧98%)を示した。さらにケトン以外の逐次酸化生成物は確認されなかった。直鎖アルカンであるn-ヘキサンの水酸化反応も進行し、アルコ-ル類が高選択的 (94%)に得られた。シクロヘキサンの酸化反応においてH2O2有効利用率、タ-ンオ-バ-頻度、アルコ-ルへの選択性はそれぞれ94%、710 h-1、98%を示し、他のH2O2を酸化剤とした触媒系と比較しても高い値を示した。以上IPは種々のアルカンの水酸化反応に対しても高い触媒活性を有していることが明らかとなった。

またtrans-1,2-ジメチルシクロヘキサンやtrans-デカリンの水酸化反応は、立体特異的に反応が進行した (eq.(2))。さらに3級C-H結合よりも2級C-H結合への水酸化が優先的に進行し、trans-3,4-ジメチルシクロヘキサノ-ルやtrans-2-デカリノ-ルが高選択的 (>86%)に得られた。このように3級C-H結合存在下での2級C-H結合への高い位置選択性は、これまで報告されていない。

5. IPを用いた不飽和炭化水素の酸化的臭素化反応

臭素化物は難燃剤や医薬品、農薬等に使用される重要な物質である。これらはBr2を用いて合成されているが、Br2は毒性、腐食性が強いという問題がある。一方、酸化的臭素化反応では、Br-と酸、酸化剤を使用して合成される。しかしながらこの方法では、一般に、腐食性の鉱酸や過剰量のBr-及び酸化剤を使用するため、必ずしもクリ-ンな方法ではない。そこで、有機酸である酢酸と1当量のBr-、H2O2を用いて、IPを触媒とした酸化的臭素化反応を行った。反応は効率的に進行し、対応する臭素化物が高収率・高選択的に生成した (Figure 4)。末端アルケンの酸化的臭素化反応において、タ-ンオ-バ-頻度、タ-ンオ-バ-数はそれぞれ10800 h-1、1800を示し、これまでに報告されている触媒と比較しても最も高い値を示した。アルキンを基質とした場合、(E)-ジブロモアルケンのみが高選択的に得られた。さらに、芳香族を基質とした場合、酸化的臭素化反応よりも困難な酸化的塩素化反応も効率的に進行した。

6. まとめ

H2O2と親電子的活性種を形成するバナジウム二置換ポリオキソタングステ-トにおいて、中心元素をGe4+やP5+に変えることによって、反応性の著しい向上がみられた。さらにIPは、IGeとISiに比べ活性の著しい向上がみられ、アルカンの水酸化反応や不飽和炭化水素類の酸化的臭素化反応においても高活性を示した。

Figure 1. ORTEP view of [γ-H2PV2W10O40](3-) (IP).

Scheme 1. Proposed mechanism for the epoxidation of alkenes by IX (X = Si, Ge, P).

Figure 2. Epoxidation of alkenes by Ip.

Figure 3. Hydroxylation of alkanes by IP.

Figure 4. Oxidative bromination by Ip.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「γ-ケギン型バナジウム二置換ポリオキソタングステートを触媒とした酸化反応に関する研究」と題し、全6章で構成されている。

第1章は序論であり、酸化反応の現行プロセスとその問題について述べた後、H2O2を酸化剤とした反応系の優位性を過去の報告例と詳細に比較しながらまとめた。さらに、バナジウムとH2O2から酸化酵素の活性点として知られるバナジウムペルオキソ錯体が合成されることを述べた。種々のバナジウムペルオキソ錯体のうち、酸化活性はバナジウム二核ペルオキソ錯体が単核ペルオキソ錯体に比べて高く、酸化反応に有用であることを述べた。しかしながら、バナジウム二核ペルオキソ錯体は溶媒中で容易に分解するため、堅固な錯体が必要であることを指摘した。一方、ポリオキソメタレートは無機酸化物クラスターであり、有機金属錯体や酵素にはない安定性や堅固さを有し、構成元素を変えることで反応性を制御できることを述べた。バナジウム二核構造を構築したバナジウム二置換シリコタングステート (ISi)が合成されており、H2O2とバナジウム二核ペルオキシドと推定される構造を形成し、アルケンのエポキシ化反応に高い活性を示すことが報告されている。ISiの中心元素を適切な元素 (Ge、P)に変えた触媒の合成により、触媒活性のさらなる向上の可能性を指摘した。

第2章では、GeやPを中心元素とするバナジウム二置換ポリオキソタングステート (IGe、IP)の合成法を示した。

第3章では、中心元素の異なるバナジウム二置換ポリオキソタングステートを触媒として、H2O2を酸化剤としたアルケンのエポキシ化反応を行った。IGeとIPは共に高い活性、選択性を示すこと、またこれらの活性はISiに比べ高いことを見出した。特にIPは、IGe、ISiやこれまでに報告されている触媒と比較してもはるかに高い活性を示すことが明らかとなった。CSI-MS、1H NMR、51V NMR、速度論的検討、エポキシ化反応に対する立体特異性や位置選択性から、IGeやIPはISiと同様の反応機構で進行していることが示唆された。IGeやIPの活性向上は、速度論的検討からIGeでは活性種の生成量増大、IPでは活性種の生成速度増大によることを明らかにした。IPは、種々のアルケンのエポキシ化反応に対して高い活性、選択性を示し、対応するエポキシドが高収率で得られた。IPを用いた非共役ジエンのエポキシ化反応では、末端二重結合のエポキシ化反応が位置選択的に進行した。さらにIPは電子不足アルケンのエポキシ化反応に対しても高い活性、選択性を示し、特にビニルニトリル類のエポキシ化反応では、エポキシアミドを生成せず、対応するエポキシニトリルのみが選択的に得られることが明らかとなった。

第4章では、IPを触媒としたアルカンの水酸化反応を行った。IPは種々のアルカンの水酸化に対し、高い活性を示し対応するアルコールが高収率で得られた。IPを用いた本反応系におけるターンオーバー頻度、H2O2有効利用率、アルコールへの選択性は、これまで報告されているH2O2を用いた触媒反応系と比べてもはるかに高いことが明らかとなった。また、3級C-H結合と2級C-H結合を有するアルカンを基質とした場合、活性種の有する高い立体効果により高選択的に2級アルコールが得られることが明らかとなった。

第5章では、IPを触媒とした不飽和炭化水素類の酸化的臭素化反応を行った。IPは種々の不飽和炭化水素類の酸化的臭素化に対し、高い活性を示し高収率、高選択的に対応する臭素化物が得られた。末端アルケンの酸化的臭素化反応では、これまでに報告されている触媒と比較してもはるかに高いターンオーバー頻度、ターンオーバー数を示した。アルキンの酸化的臭素化反応では(E)-ジブロモアルケンのみが選択的に得られることが明らかとなった。芳香族では酸化的塩素化反応も進行することが明らかとなった。

第6章は全体の総括である。

以上のように、本論文は特異的な選択性を有する高活性な触媒の設計に対し、重要な知見を与えるものである。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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