学位論文要旨



No 127343
著者(漢字) 李,先胤
著者(英字)
著者(カナ) イ,ソンユン
標題(和) 水の表象と暴力批判 : 安部公房における科学的認識と文学
標題(洋)
報告番号 127343
報告番号 甲27343
学位授与日 2011.05.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1073号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小森,陽一
 東京大学 教授 丹治,愛
 東京大学 准教授 田尻,芳樹
 東京大学 教授 エリス,俊子
 早稲田大学 准教授 鳥羽,耕史
内容要旨 要旨を表示する

要旨

本論文では安部公房のテクストにおける重要な鉱物的ファクターとして「水」の表象を検討する。安部公房研究においてかなりの比重が置かれてきた「砂」と同じ鉱物 /無機質でありながら 、砂漠が水の欠乏により形成されるように、砂/砂漠の対極の表象とも言える「水」の表象は、生成の契機として、また消滅と再生の契機を秘めているものとして描かれている。それは流動し形体を固定することのない砂、すなわち変形する身体にある契機を与え、転換のスイッチとして機能する。また、ノアの方舟と洪水のモチーフとして描かれている水は、個的身体における生と死だけなく、歴史の転換期における暴力の表象との関連で考えることができる。砂漠における乾燥と水の原理性を発見してしまう『砂の女』の主人公に水は、理解不可能だった世界が、新しい認識の可能性をもたらす契機となる。

安部は自分の文学を論じる際に、〈仮説の文学〉という文学的系譜に触れ、〈怪物〉としての文学の可能性を力説し、戦後日本のSF文学の黎明期にSF文学の支持を表明した。安部は、「森の怪物」とは、「不気味」でありながら「エネルギーのポテンシャル」の高い未知の、「名づけられない」ものだと言った。このような〈怪物性〉は安部のテクストのなかで大きな意味を持っている。それはトドロフが指摘した「ためらい」とも通ずる、異常から触発される意識の揺らぎである。常識や自然法則で理解不可能な事態に遭遇した主人公や読み手は、その事態を「怪奇」と認識して今まで知っていた世界の維持に努めるか、「驚異」と認識してその転覆を図るか、選択を迫られる。後者を選択した場合、既存の法則や慣習は、可変的なものとして姿を現し、「ためらい」の瞬間におけるダイナミズムが作動し始める。〈怪物性〉を構築するものは、こうした人間の理性に対する信念を覆そうとする動力であり、批判的認識の停止状態を打破し、新たな世界観を作り直す警告や喚起を促すものである。

安部は科学的なものを非合理と対置させる機械的な区分を拒み、科学の世界は異常な世界と常に繋がっていることを強調した。〈怪物性〉が与える「認識的異化」は、日常に浸透した異常を直視させる。安部は、異常を認識的に取り込むことの重要性を強調した。それはただ受け入れるのではなく、対象化して見つめることである。このように考える安部には、むしろ異常を排除し度外視することの方が、非科学的な態度なのであった。

安部の作風が存在の問題を問う初期作品から「S・カルマ氏の犯罪」にかけて劇的変化を遂げたということ、またその中でも「デンドロカカリヤ」における質的変化については多くの先行研究で指摘された。本論文では、『終りし道の導べに』まで個人の実人を静かに取り巻いていた水分が、「デンドロカカリヤ」の前年に書かれた「鴉沼」では沼に結集し男の身体を呑みこみ、一夜のうちに女の顔を変形させてしまう怪物的要素として登場していることに注目した。安部の文学テクストにおける〈怪物性〉は水の表象に克明に表れており、科学的認識に基づいた表現により構築されていると言える。

本論文では水を、そのもっとも力動的表象として描かれている洪水と方舟の表象を中心に分析した。一見、矛盾しているように見える、短編小説「洪水」のなかの液体人間たちによる騒ぎの描写も、過冷却、準安静状態のような、水の激しい構造転換の可能性に基づいている。人間をさらい、迷わせ、ときには世界を無化してしまう安部の暴力性としての水の表象は、人間の身体と深く関わっている。それは終末を呼ぶだけでなく、新しい秩序で世界を再編し創造するものでもある。

安部の文学テクストにおいて頻りに登場している水と船の表象は、実際に体制の転換期における暴力と密接な関連を持つ形で表れている。安部は、法を措定する暴力と、その前に全てを破壊する暴力を描きながら、「方舟」なるものを聖書学的次元としてではなく、現代的表象として呼び出し形象化している。現代を凝視する安部公房のまなざしは、「方舟」としての「船」と「ノア」の位置に立とうとする人物たちが、体制の転換期を乗り切っていこうとする有様と、それを取り巻く暴力の波、そして波のなかに消えゆくものたちを、拡大鏡を通してしっかりと見据えている。安部の暴力論の射程は日本の戦後だけの問題ではない。旧体制が革命や戦争で崩れ、その旧体制で非合法だったものが合法へと変わり、しかもその正当性がまだ十分に認定されていない転換的な位置において、ノアの方舟と洪水の表象が持つ歴史的・現実的重みが動き始める。

安部の文学テクストにおける水の描写は、生と死をめぐる劇的変換をもたらす契機として作用しており、水という物質は既存の価値を無化し、その過程で新しい身体を獲得した人間にのみ、生き延びる機会が与えられている。撹乱する水と、その波動を乗り切り、生き延びようとする方舟は転換期という現場で拮抗する。一見対立的に見える砂漠の問題は、水と不可分に繋がっている。

水の表象が明確に科学的表象と関係しはじめたとき、安部のテクストにおける異常なものは、ただの新奇なものではなく、論理性のなかへ包摂されるべきものとして映し出される。しかも、その異常なものを契機として、論理の方が問われることにもなるのである。そして、以上のような観点から異常なものをとらえる、安部のマクロとミクロの光学は、日本の内部とその外部世界、さらにはその境界地点における人間の姿をも照射し、その背後にある政治権力の裁きの暴力をあぶりだす。

洪水とノアの方舟の表象が回帰する『方舟さくら丸』で描かれている、住所のない灰色の空間としての「船」が、実は法と権力を創出する可能性を持つ場所でもあるということは、例外状況が規範そのものになりはじめるときに開かれる空間、すなわち21世紀的収容所的状況――弱者を、排除することにより、共同体の論理を強硬にする――が先取りされているといえよう。しかし、安部により描かれる〈怪物〉たちは、このような閉塞空間を彷徨い、消滅と再生を遂げることで時代の転換期を突破する存在である。安部が「仮説の文学」の系譜を進化させることで創出した〈怪物〉的テクストでは、生命を生み出す根源でありながら、流体力学的運動性とともに破壊力を備えたものとして、水の物質性が原理的に追究されていた。水の力動性と活発な位相転移が暴力的に機能するなかでは、歴史もまた連続的なものにはなりえず、危機や断絶や裂け目が絶えず口を開くしかない。そして、そこには破壊の後に成立する新しいノモスに戸惑い、その壁を揺さぶろうとする他者たちが、〈怪物〉的形象として常に頭を覗かせているのである。

審査要旨 要旨を表示する

李先胤氏の博士学位請求論文「水の表象と暴力批判──安部公房における科学的認識と文学──」は、これまで代表作「砂の女」を中心に、砂あるいは砂漠の表象を軸に考えられてきた安部公房の小説世界を、水の表象から全体的にとらえ直すことを試みた論文である。

李氏は、 流動し形体を固定することのない砂と水を相補的な関係性にあると捉え、具体的な表象の分析を通じて、それぞれの小説における水が、個体の生と死にかかわると同時に、歴史の転換期における暴力と深く関連していることを明らかにした。

序論で安部公房の文学活動全体を概観したうえで、本論文の第一章では、安部が自らの文学方法論を提示する際に用いた「怪物」という概念について検証が行われていく。「怪物」という概念は、ロシア・フォルマリズムやブレヒトの「異化」概念と類似しており、小説ジャンルの規範的枠組を崩し、問い直す契機として位置づけられていることがまず明らかにされている。そして「空想」だけでなく、「合理的な仮説」を内在させているサイエンス・フィクションのジャンルを、同時代の文学に対して「怪物」の役割を演じる領域として発見していく安部の主張が、同時代の歴史的状況とのかかわりで論じられている。

第二章では初期の短篇「洪水」を起点にしながら、「水中都市」、「第四間氷期」などにおいて主題化される、氾濫する水と「ノアの方舟」の表象が、戦後日本社会のGHQの統治から朝鮮戦争にいたる過程と重ねられながら分析されている。そして、『榎本武揚』、『けものたちは故郷をめざす』、『方舟さくら丸』などの小説世界にも言及しながら、洪水と方舟の表象が、近代日本におけるいくつもの旧体制の崩壊と新体制への転換の象徴になっていることが指摘されていた。

第三章では、前半でも分析の対象となった、いくつかの小説にみられる、裁きと排除の空間の特徴が、国家や主権とのかかわりで論じられている。その過程において、閉鎖されている空間がどのような力によって、その囲いを外されているかが検討され、民族や人種の問題にまで言及されていくことになる。

第四章では、安部が非現実出来事を小説で描く際に使用する、科学的な言説の特徴が分析されている。なかでも水の表象の仕方において、液化、気化、凍結と位相を異にする特徴に注目し、同時代の自然科学とのかかわりを明らかにしている。そして水の変形が人間の身体とも結びつけられ、安部における「怪物」性の全体像がとらえられていく。

李氏の論文の独自性は安部の小説における「洪水」に注目し、そこに人間世界を無化してしまう暴力性を見い出すと同時に、新しい秩序のもとに世界を再編する力が与えられていることを明らかにしたところにある。

また安部が、自然科学の理論的な認識をふまえ、流体力学的な運動性や、過冷却などの、位相を転換する性質を科学的に記述しながら、独自なサイエンス・フィクションの可能性を切り拓いていったことを明らかにしたことも重要である。

安部はサイエンス・フィクションに、「怪物」としての文学の可能性を見い出していた。科学的な認識を、文学的な水の表象の中にとりこむことによって、独自な「怪物」性の概念を安部が創り出していくことが指摘されたうえで、この「怪物」性が、それまでに自明化された認識の枠組を崩していく機能を持つことを示したことも李氏の論文のすぐれた点である。

もう一つの重要な達成点は、安部公房の複数の小説における船の表象の分析によって、社会の体制の転換期において発動される暴力に対して、人間の側がそれをどのように乗り切っていこうとするのかが明らかにされていることである。そして、聖書における「ノアの方舟」と「洪水」の意味を喚起させながらも、同時代の歴史的、現実的な状況と小説世界が結びつけられ、旧体制が戦争や革命によって崩れ、新しい体制がつくられていく際の暴力の在り方が、戦後日本の現実とのかかわりで分析されていたことである。

「ノアの箱舟」という終末論的イメージがなぜ戦後社会で顕在化したのか、あるいは「水」のイメージと女性性の関係についての分析が不十分であるという指摘も、審査の過程で提出された。

しかし、それまでの安部公房論において行われることのなかった「水」の表象分析を中心にすえ、初期から後期にいたる小説の全体に共通する特徴であることを証明し切ったことは、審査において評価された。閉塞した時代状況に対して、安部がその限界を突破しようとした、言葉による表象の可能性を示したことも評価の対象となった。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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