学位論文要旨



No 127353
著者(漢字) 田中,陽輔
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヨウスケ
標題(和) 隠れマルコフモデルを用いた土地利用推定に関する研究
標題(洋)
報告番号 127353
報告番号 甲27353
学位授与日 2011.06.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7521号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 太田,浩史
 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 教授 西出,和彦
 東京大学 教授 加藤,道夫
 東京大学 教授 浅見,泰司
内容要旨 要旨を表示する

都市の成長・発展・変化に対応した建築や地域計画の策定を行うことは、今日、サスティナビリティの観点から重要性を増している。その際に、都市の状態を決定する因果構造や変動パターンを明らかにし、過去や現行の状態から将来や未知の地域の形態を推定することは、その地域特性分析や、計画策定の基本指針の評価、過去の計画評価への貢献が期待されている。特に、現実の都市の土地利用は比較的にみて民間主導の上で市場原理によって成立することが多く、その挙動は不確実性が高い。我が国の政策において土地利用を全体的に制御する規制として代表的なものに「用途地域制」が挙げられるが、現代都市においてそのようなマクロな制御が空間構造に与えている影響は微弱である。むしろ、土地利用はその主体 -事業所や住宅、商店、工場など-のミクロな意思決定の集積により構成されており、その決定原理は主体の種別によって異なっている。このような点が現実の都市の土地利用分布を複雑にしており、その空間構造を適正にモデル化することは、重要な課題として学際的に取り組まれている。

都市空間構造のモデルは、「記述モデル」「予測モデル」「最適化モデル」に大別できるが、本研究はそのうち、土地利用パターンの予測モデルとして簡便かつロバストな手法を提案する。土地利用パターンの予測モデルとは、現在や過去の土地利用パターンの分析を通して将来の状態を予測するもので、各地区間の空間的相互作用や要素間の因果構造の相互関連から変化構造を導き出す因果構造型アプローチ、土地利用主体の選択原理に確率的変動を与える効用理論型アプローチ、複数時点の集計された土地利用分布データの時系列分析からその地域特有の変動則を導き出すトレンド型アプローチが提案されている。本研究で提案する手法は、そのうちトレンド型アプローチに関するものである。トレンド型アプローチは過去のデータの統計的処理に立脚するために急激な変動を予測するには適さないが、比較的簡便な計算から多様な予測や推定を導き出すことができることが利点である。

本研究の特色は、トレンド型アプローチとして「隠れマルコフモデル(HMM)」を土地利用推定に応用した点にある。

従来の同アプローチとしては、「マルコフモデル」を応用したものが数多く提案されてきた。これは、ある2時点の集計された土地利用メッシュデータから転換構造を抽出し、ある土地利用形態から別の土地利用形態への推移確率を求めることにより将来予測を行う手法であり、大局的な土地利用変動の傾向をとらえるには信頼に足りることが報告されている。しかしながら、「マルコフモデル」は、(1)集計された対象地域がすべて同一の推移確率行列に従い変動する点, (2)その推移確率が時間的に定常である点(斉時性)、(3) ある地点の土地利用形態は直前の土地利用形態のみから推論される点(一次マルコフ性)を仮定としているため,転換構造の空間的偏差を扱うことに難点があった。したがって、従来の手法では局所的変化を内包した「土地利用パターン」としての変動を推定することができなかった。

以上の問題を鑑み、本研究では隠れマルコフモデル(HMM)を応用することで、その変化法則に空間的偏差を内包する土地利用変動をモデル化し、土地利用変動をパターンとして予測・推定する手法に関して提案する。

本論は、序章と終章・付録を除き、基礎理論篇、応用理論篇、実証研究篇の3編5章で構成される。基礎理論篇は第1・2章からなる。1章では既往研究における土地利用モデル論と本研究の手法を体系的に整理する。2章では本論で用いる数理的概念の整理を行う。応用理論篇は第3・4章で構成され、HMMを情報源の観点から土地利用モデルに応用する際の妥当性とその適用条件の検証を行い、人工的なデータに関して数値実験から従来手法に対する有効性を議論する。実証研究篇は第5章からなり、首都圏数値細密情報データを対象に本研究の手法を適用すし,実証的にモデルの有効性を考察するとともに,本手法の汎化を目的とし、標本窓を用いたクロスバリデーションの検証を行う。終章では本論全体の成果を要約するとともに、今後の残された研究課題や発展的可能性について述べている。付録では、実証研究篇で行った東京都区部の土地利用推定実験の結果データをまとめている。

以下に各章の概要を示す。

第1章では、土地利用モデルの体系化と本論文で扱う問題点の位置づけを行っている。はじめに、都市計画学、地理学、経済学において歴史的に取り組まれてきた立地モデルや土地利用モデルを概観している。次いで、集計データを基にした土地利用推定に関する既往研究に絞り、それらを時間・空間の拘束条件の違いから整理する。

第2章では、本研究で用いるHMMを中心に、統計データから推定モデルを学習するための理論を数理的に整理する。時系列データを扱う場合、各時点をそれぞれ独立として扱うモデル(同分布系列モデル)、一時点前の状態に従属するモデル(マルコフモデル)と、拘束条件により整理ができる。本論で用いるHMMは、マルコフモデルに加えて潜在状態を導入し、モデルの自由度を高める点に特徴がある。潜在状態が時系列方向に従属性を持つかわりに、各時点において潜在状態から確率的に変数のとる値が決定される。従って、マルコフモデルに比べてHMMはノイズを許容するモデルとなっている。そのかわり、観測不能な潜在状態の存在を仮定するために、モデルのパラメータを最尤法により求めることができず、近似解法に頼らざるを得ない。この点に関し、本章では各時点のとり得る組み合わせを格子図としてグラフ表示し、動的計画法によって求める数理アルゴリズムによる近似解法とその問題点について整理する。さらに、その近似解法が持つ局所解問題への回避方法として、焼き鈍し法を応用することを提案する。最後に、人工的な数値データを基に数値実験を行い、パラメータの厳密解と近似解の推定精度に関して検証する。

第3章では,HMMを土地利用推定に応用するにあたり,従来手法であるマルコフモデルを土地利用変動パターンを生成する情報源としての妥当性の評価を行っている.本研究のHMMによる土地利用推定は,実際の複数時点の土地利用変動データの統計的変動を集計して,それをもとに土地利用変動パターンを生成する有限オートマトンを作成することによって推定を行うものである.従来研究においては,そのマルコフ連鎖型のオートマトンが出力する記号列(これが土地利用の時系列的変動パターンに相当する)の頻度分布がいかなる確率分布を示すか,そしてそれが現実の土地利用変動パターンの頻度分布と適合するかが検証されていない.そこで同章では,HMMを含めたマルコフ連鎖型のオートマトン(情報源)が生成する系列パターンの頻度分布を数学的に導出および数値実験的に検証した.そして,東京の現実の土地利用変動の確率分布と比較することにより,HMMが土地利用推定のためのモデルとして適切であるかを検証した.それによれば,マルコフ連鎖型情報源は,定常状態を持つ場合には中心極限定理が成立し,頻度パターン分布は正規分布に収束する.一方で定常状態を持たない場合,中心極限定理は成立しないため,コンピュタシミュレーション実験によりパターンの生成を行い,頻度分布を数値実験的に求めた.これによりマルコフモデルが正規分布や多項分布の変動パターンを再現することを前提としていることを明らかにした.

第4章では仮に地域差を人工的なデータで表現されうると仮定し,それぞれの場合において従来手法(マルコフモデル)と本研究手法(HMM)による土地利用の分布パターンの予測精度の比較を行う.実際の土地利用変動パターンは単一の確率分布に従うとは限らない.従って,同章ではその地域差を次の2点とその複合形の条件で再現することによって,人工的に地域差を内包した土地利用データを作成した.

(1) 地域差が正規分布に従う全体の変動パターン分布に対するノイズの発生度合の違いから派生するという条件.(ノイズ付き正規分布に従う地域に対する推定問題)

(2) 地域差が正規分布の形態の違いから派生し,地域全体はその正規分布の重ね合わせから派生するという条件.(混合正規分布に従う地域に対する推定問題)

(2)'地域差が土地利用推移確率と初期条件の違いの組み合わせから派生するという条件.(多数の遷移則を内包する地域に対する推定問題)

各条件について,2値からなる土地利用形態を仮定し,人工的なデータを10時点生成させた.そのデータの6時点を使用し,HMMにより変化構造を学習する.次いで残りの4時点をモデルから推定し,正解値と推定値を適合確率と相互情報量により比較し,パターンとしての再現性を評価した.。

第5章では,首都圏の細密数値情報(10mメッシュ土地利用)を対象にHMMによる土地利用推定の実証研究を行った.細密数値情報は国土地理院が宅地動向調査をもとに,1974・79・84・89・94年の5時点について作成した土地利用分布のメッシュデータである.同章では1974-89の4時点を用いてモデル学習を行い,そのモデルをもとに同地点の1994年における土地利用形態の推定を行った.

第一に,全数調査法(対象とするエリアの全てのメッシュデータを用いた学習実験)を行った.一度にモデル化する範囲は計算量の観点から5km四方とし,東京都区部のほぼ全域(81エリア)を網羅して,

(1) 各地域の特性とモデルの相性

(2) 現実の土地利用推定に適切な潜在状態数

(3) 土地利用種目とモデルによる推定精度の相性

の3点を検討した.

第二に,標本窓を用いたブートストラップ法を用いたサンプリング推定法を提案した.25万メッシュから一万メッシュをサンプリングする方法として,サンプリング窓の大きさを10m四方,50m四方,100m四方, 500m四方, 1000m四方の5つの場合に推定結果に差が発生するかを検証し,計算量の効率化を図った.

終章では、各章における成果の整理、および本論の結論を述べる。また、本研究で残された課題と発展的な展望について論ずる。また、付録では、マルコフ連鎖の基本的な性質の整理,第3章の予備実験結果,第5章の実証実験全結果ならびに参考文献を掲載する。

審査要旨 要旨を表示する

大都市およびその近郊における土地利用は急激に変化している。とりわけ、高度成長期からバブル期にかけての変化が著しい。農地であったものが、宅地や商業地、あるいは業務地や公園へとその姿を変えている。小規模な画地が統合されて再開発されることもあるし、逆に大規模な跡地が複合施設や集合住宅に変化することもある。こうした土地利用の変遷は、ミクロには経済的な効率性に基づく市場原理や個別の事情が複雑に絡み合って生じたもので、その将来像を一般的に予測することは困難であるが、マクロには政策的な誘導や社会的な要請に応えたものになっていて、ある種の規則性のもとにパターン化されている。

本論文は、こうした大都市における土地利用の形態的な変遷過程を、隠れマルコフ過程(HMM)を用いてモデル化し、将来予測に役立つツールにする試みである。

論文は、第0~6章で構成されていて、最後に関連資料がAppendixとして付加してある。

第0章は序論で、本論文の目的と背景について述べ、「予測モデル」で「トレンド型アプローチ」の都市モデルを確率過程を用いて確立するとしている。

第1章と第2章は基礎理論編で、第1章では、先ず、都市空間に対する解説があり、これまでの土地利用モデルの系譜をまとめている。第2章では、研究手法であるHMMの基本的な性質を確率論を用いて説明し、どのような流れで理論的な解析がなされるかを示している。

第3章と第4章は応用理論編で、第3章では、土地利用の変遷をどのようにHMMの情報源にするかについて解説があり、次いで、生成される系列パターンの頻度分布について、中心極限定理が成立する場合としない場合に分けて考察し、成立する場合は正規分布になり、成立しない場合でも2項分布で近似できることを確かめている。第4章では、HMMを用いた土地利用推定の流れを示し、次いで、それが可能かどうかを人工的に作成したデータを用いて実験している。その際に評価尺度として適合度と相互情報量を用いているが、結論として、土地利用分布に偏りがある場合は推定が困難であるが、そうでない場合は可能で、HMMが通常のマルコフモデルよりも良好な結果になることを示している。

第5章は実証研究編で、国土地理院が作成している首都圏細密情報データ(10mグリッド)を用いて、実際に土地利用推計がどの程度可能かを調べている。首都圏に5km四方の区画を設定し、それを2.5kmずつ移動させながら内部の土地利用の変化を予測している。具体的には、1974年から94年にかけて5年間隔で作成された5時点のデータに対して、先行する4時点のデータからモデル学習を行い、HMMのパラメータを推定し、最終年度の土地利用を予測している。この操作を、HMMの潜在状態数を4、8、12、16と変えながら行なっているが、良好な結果が得られたのは、潜在状態数が12と16の場合で、これらについては、適合度分布と相互情報量分布について詳細な検討を行っている。その結果として、小規模で多変動な土地利用形態に対しては良好な結果が得られるが、大規模な土地に対しては推定が困難であるとしている。また、HMMのパラメータの吸収性が結果に影響しているとしている。

これまでの実験は設定した区画内の全数を用いて推定していたが、計算の負荷を軽減するために、さまざまな大きさの標本窓を適用して無作為に抽出する方法について検討している。この場合、全体的にノイズが混じった結果になり、標本窓の大きさと推定結果に強い相関は見られない。次に、標本窓を用いないで無作為抽出を行っているが、この場合は、相互情報量の変化は小さいが、適合率の著しい低下が生じることがわかり、大局的な予測は可能なことが明らかになっている。

第6章は結論と今後の展望で、各章で明らかになったことのまとめを行ない、結論として、土地利用の変化の推定にHMMを用いることが妥当であることを実証できたとしている。また、将来的な研究課題として、HMMのパラメータの確率過程的、線形代数的な体系化が必要なこと、標本抽出方法の改善が必要なことを指摘している。

以上要するに、本論文は、大都市の土地利用の変遷という、因果関係が必ずしも明白でない事象に対して、HMMという確率過程を導入することにより、そのトレンドを外挿する手法を提案したもので、基礎理論編と応用理論編でその前提となる数学的な裏付けを行ない、実証研究編では電算機を用いたシミュレーションを行なって、論としての正当性を一連の操作として示している。土地利用の将来予測は、単に政策的な課題であるのみならず、都市の発展や衰退を予測する上でも重要で、マクロな見地から、国土や地域の将来計画を策定する上でも有用な手法である。本研究により、HMMを活用した手法が有効であることが明らかになったが、今後は、より、広範でかつ多様な状況に適応できるものに改善することが望まれる。この手法は土地利用のみならず、時空間的に変化を続けるさまざまな事象に適用可能で、その応用範囲は非常に広い。これは都市・建築の計画学の分野に新たな方法論を導入するものとして、その意義は極めて大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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