学位論文要旨



No 127360
著者(漢字) 山田,純
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,ジュン
標題(和) ヒアルロン酸架橋体を用いたパクリタキセル徐放製剤作製と、胃癌腹膜播種に対する腹腔内化学療法への応用
標題(洋)
報告番号 127360
報告番号 甲27360
学位授与日 2011.06.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3767号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀬戸,泰之
 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 准教授 清水,伸幸
 東京大学 准教授 荒川,義弘
 東京大学 講師 須並,英二
内容要旨 要旨を表示する

(はじめに)

腹膜播種を伴う進行胃癌患者に対して、これまでに腹膜全摘などの外科的治療や、全身的化学療法、(温熱療法を含む)腹腔内化学療法、放射線療法や免疫療法などが試みられてきた。しかし現時点においてもエビデンスを有するコンセンサスの得られた治療は未だ存在せず、その予後は不良である。そのため、腹膜播種を伴うスキルス胃癌患者に対する治療戦略の確立は急務である。

一般的に全身投与された薬剤は血液―腹膜関門の存在により腹腔内への移行は思わしくないこと、また播種結節内ではその組織圧により播種巣での新生血管は圧平・閉塞されていることが多いことなどにより、血流を介した薬剤のデリバリーは、腹膜播種に対する治療としては十分な効果を発揮できないと考えられている。

これに対して、抗癌剤の腹腔内への直接投与では、全身投与での問題点であった腹腔への移行の悪さという問題は一挙に解決できるが、腹膜からの速やかな吸収による薬剤の消失により十分な抗癌作用を発揮できる時間が短く、さらに急速な吸収に起因する血液中への移行による血液毒性の出現といった問題点もある。これらの事から、腹腔内化学療法に適している薬剤とは、腹腔内から吸収されにくい性質を持つものと考えられる。すなわち、滞在時間が長ければ長いほど腹膜播種に対する効果が大きく、また血中に移行した後の血液毒性の問題も緩和されることにも寄与することとなる。新規抗癌剤の一つである、タキサン系薬剤のパクリタキセルは、疎水性という性質、また分子量が大きい(M=854)ことから腹腔投与において、他の親水性の薬剤と比較して、腹腔内での滞在が比較的長いということから、腹腔内化学療法に適した薬剤と考えられている。

この性格を表すパラメータとして、血清内/腹腔内のAUC(Area Under the Curve)比が挙げられる。血清内・腹腔内AUC比を高める方法、すなわち吸収速度を緩徐にさせるという試みは以前から報告されており、微粒子活性炭にマイトマイシンCを吸着させた研究、また5-FUやゲムシタビンに4%イコデキストリン、6% Hetastarchなどの高分子物質を混じる基礎的研究が散見されるが、これまでコンセンサスを得られた治療戦略となるまでは至っていない。

今回、私は薬剤の吸収を緩徐にさせることを意図した基剤の追加として、生体内で安全であることが証明されている高分子量物質であるものを探求した結果、非動物由来で、分子同士を架橋構造によって安定化させたヒアルロン酸、Non-Animal Stabilized Hyarulonic Acid (NASHA) (Q-med社、スウェーデン)を選択し、これと抗癌剤を混合することによる抗癌作用の増強効果について検討した。

(方法および結果)

1、胃癌腹膜播種モデルに対するパクリタキセルによる腹腔内化学療法

4週令の雌のBALB/cヌードマウスに対し、当科にて作製した腹膜播種を起こしやすい胃癌細胞株であるMKN-45P細胞を腹腔投与し、1週後より週1回のペースで計3回の腹腔内化学療法を行った。最終投与より一週後に安楽死させた上で開腹し、腹膜播種結節を計測することで評価した。薬剤の投与量を1mlに統一し、NASHAは容量の5%と定め、さらにPaclitaxelの担体であるクレモフォールを対照群として加えた。

その結果、対照群に比較しパクリタキセル単独治療群でも有意な結節数の減少を認めたが、パクリタキセルに5%NASHAを混和した群では、パクリタキセル単独治療群と比較しても有意な結節数の減少が見られた。

2、腹腔投与された薬液のNASHAによる保持能の検討

(1)NASHAによる液体の保持

BALB/cマウスをI) PBS群、II) PBS+5%NASHA群の2群に分け、それぞれ5mlのPBS単独、また容量の5%のNASHAを加えた薬液5mlをそれぞれ腹腔内投与した後、90、180、360分後に安楽死の上開腹し、腹腔内に残っている液体を回収し計測することで評価を行った。その結果、180分後にはPBS単独で投与された群では、投与された液体はほとんど回収ができなくなっているのに対し、5% NASHA混和群では投与量の約半量が回収できた(P=0.005)。さらに360分後においてもまだ、腹腔内での液体貯留がみられ、有意差をもって高値であった(P=0.009)。また、5%NASHA混和群において回収された液体を遠心すると、NASHAの沈殿が見られたが、この沈殿量は180分後までほとんど変化が無かった。

(2)NASHAによる薬剤(パクリタキセル)の保持

同様にBALB/cマウスをI)パクリタキセル単独群、II) パクリタキセル+5%NASHA群の2群に分けた。それぞれ投与総量は一匹につき5ml、パクリタキセルは5mg/kgと定めた。それぞれ腹腔投与の後30,60,120分後に安楽死の上開腹し、腹腔内に残留している液体を回収した。さらに回収されたものに対し、10μlのヒアルロニダーゼを混じNASHAを溶解させた後、HPLCにてパクリタキセル濃度を測定し評価とした。その結果、回収された液体内のパクリタキセル濃度は、計測された全ての時間点において5%NASHA群で高く、120分後では有意差をもって高かった(P=0.04)。このことにより、NASHA混和によって、前述の水分の保持能のみならず、薬剤の保持能も高まることが示唆された。

(3)、腹腔内化学療法が行われた播種結節中のパクリタキセル濃度

腹膜播種巣にどれだけのパクリタキセルが作用しているかを知るために、1と同様にMKN45-Pによる胃癌腹膜播種モデルを作製。3週間経過後にマウスをI) パクリタキセル単独治療群、II) パクリタキセル+5%NASHA治療群と2群に分け、それぞれ腹腔投与を行い、投与後3, 12, 24時間後に安楽死の後開腹し、腹膜播種結節を回収した。回収された腹膜播種結節をホモジナイズしHPLCにてパクリタキセル濃度を測定し評価とした。その結果、パクリタキセル単独治療群と5%NASHA混和での回収後の腫瘍内パクリタキセル濃度は、3時間後(P=0.044)、12時間後(P=0.002)、24時間後(P=0.04)と、すべての時点において、有意に高値であった。

3、胃癌腹膜播種モデルに対するシスプラチンによる腹腔内化学療法

4週令の雌のBALB/cヌードマウスに対し、MKN-45P細胞を腹腔投与し、1週後より週一回のペースで計3回の腹腔内化学療法を行った。結果は対照群に比し、シスプラチン単独治療群で播種結節数に有意差は見られなかったが、5%NASHA混和群では対照群及びシスプラチン単独治療群と比較しても有意に播種結節数の減少が認められた(p=0.0005)。また累積生存率曲線による生存試験をも施行したが、5%NASHA混和群で生存期間の有意な延長を認めた。

(考察)

ヒアルロン酸は、我々の皮膚、関節内や眼球内、さらには腹腔内にも生理的に存在し、生体にて生合成され、体内ではおもにヒアルロニダーゼによって分解・代謝される物質である。今回使用したNASHAは非動物由来で(Non-Animal)、架橋構造により構造的に安定させた(Stabilized)、ヒアルロン酸(Hyarulonic Acid)であり、その半減期は生合成されたヒアルロン酸(約2日)と比べ飛躍的に延長(約6ヶ月以上)され、臨床応用に際しても高い安全性が報告されている。

今回我々はこのNASHAを、腹腔内化学療法に適していると考えられているパクリタキセルに混和させることによる、その抗癌作用の増強について検討したところ、パクリタキセルによる腹腔内化学療法の有効性が再現されたのみならず、NASHAの混和による明らかなパクリタキセルの抗癌作用の増強が示された。そのメカニズムとしては、NAHSAを混和することで投与された薬液の腹腔内滞在時間の延長と、さらに薬液中のパクリタキセルの長期保持が示されたことから、NASHAの液体及びパクリタキセルの保持能に起因すると考えられた。これらの作用により、最終的には腹膜播種結節内でのパクリタキセルの濃度に反映され、担癌モデルに対するNASHAによるパクリタキセルの効果増強という結果につながったと考えられた。さらには、NASHAの作用はこれまで腹腔投与には不向きとされる水溶性抗癌剤のシスプラチンを選択しても、腹腔内での薬剤保持能により抗癌効果を新たにもたらし得ることも示唆した。

このことにより、NASHAを混和することで、腹腔内化学療法に適しているとされるタキサン系薬剤であるパクリタキセルを選択しても、さらに反復投与する期間を延長することや、血流に取り込まれることによる血液毒性を回避するために投与するパクリタキセルを減量することなどが可能となり、より実利的なレジメンの再設定が可能になると考えられた。

(まとめ)

腹腔内化学療法において、血清内/腹腔内AUC比を減少させる目的でのNASHAの有用性を確認した。NASHAは生体においても安全に使用できることが既に証明されている製剤であり、抗癌剤とNASHAを混合させるだけの簡便な手法であるため、胃癌腹膜播種に対する治療の新たなアプローチへの一歩として、今後の臨床応用・実用に極めて有用な方法と考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、胃癌による腹膜播種に対する腹腔内化学療法を行う際の、使用する投与薬剤の基質の重要性に着目し、ヒアルロン酸架橋体(Non-Animal Stabilized Hyaluronic Acid; NASHA)を用いることで徐放性剤を作製し、その有用性について検討を行い、下記の結果を得ている。

1、胃癌腹膜播種モデルに対する脂溶性抗癌剤パクリタキセルによる腹腔内化学療法

MKN45P細胞株を用いたBALB/Cヌードマウスによる胃癌腹膜播種モデルに対してパクリタキセルによる腹腔内化学療法を行ったところ、対照群に比較しパクリタキセル単独治療群でも有意な結節数の減少を認めたが、パクリタキセルにNASHAを加えた群では、パクリタキセル単独治療群と比較しても有意な結節数の減少が見られた。

2、腹腔投与された薬液のNASHAによる保持能の検討

(1)BALB/Cマウスを用いた動物実験モデルで、腹腔内投与する液体(PBS)にNASHAを加えることで、腹腔内からの液体の吸収を有意に抑制した。

(2)BALB/Cマウスを用いた動物実験モデルで、NASHAを加えた群ではパクリタキセルの吸収が有意に緩徐となったことが示された。

これらの結果が、腹膜播種モデルにおいてNASHAを加えることによる腹腔内化学療法の効果増強をもたらした機序であると考えられた。

3、胃癌腹膜播種モデルに対する水溶性抗癌剤シスプラチンによる腹腔内化学療法

同様のBALB/Cヌードマウスによる胃癌腹膜播種モデルに対して、腹腔内化学療法を行ったところ、シスプラチン単独治療群では明らかな播種結節数の減少は見られなかったが、NASHAを混合することにより有意な播種結節数の減少が示された。さらに、累積生存率分析によりNASHAを加えることで有意な生存期間の延長を示した。

このことは腹腔内からの早急な吸収・消失により腹腔内化学療法には不向きとされていた水溶性抗癌剤を選択しても、NAHSAの腹腔内での薬剤保持能により、新たに抗癌効果をもたらし得ることも示唆した。

以上、本論文は腹腔内化学療法において、投与する抗癌剤の基質が重要な役割を担っていることを確認した。また、ヒアルロン酸架橋体であるNASHAを基質として使用することで、腹腔内化学療法に適していると考えられている脂溶性抗癌剤のみならず、不向きと考えられている水溶性抗癌剤でさえも、抗癌作用を高める可能性が示唆された。

本研究は、難治である胃癌による腹膜播種に対し、これまで行われてきた腹腔内化学療法の治療成績を向上させ得る新たな戦略を提唱する研究であると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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