学位論文要旨



No 127362
著者(漢字) 佃,陽子
著者(英字)
著者(カナ) ツクダ,ヨウコ
標題(和) アメリカ合衆国における「移民」の創造 : 現代の日本人/日系アメリカ人コミュニティを事例として
標題(洋) The Making of "Immigrants" in the United States : Case Studies in Contemporary Japanese/Japanese American Communities
報告番号 127362
報告番号 甲27362
学位授与日 2011.06.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1077号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 矢口,祐人
 駒澤大学 教授 白水,繁彦
 東京大学 教授 能登路,雅子
 東京大学 准教授 石橋,純
 東京大学 教授 SHEILA,HONES
内容要旨 要旨を表示する

本論文は現在のアメリカ合衆国(以下アメリカ)において「移民」というカテゴリーがどのようにして創造されてきたのかを、日本人および日系アメリカ人コミュニティを事例として考察したものである。「アメリカは移民によってつくられた国家である」という意識はアメリカの国家としての歴史観および文化的根幹を成している。貧困や戦禍などを逃れて、アメリカで豊かな生活を手に入れた移民たちは、自由・平等・民主主義に基づくアメリカの建国精神やアメリカ的な美徳を象徴するものとみなされてきた。

その一方で、「移民国家アメリカ」という言説は、アメリカにやってきた移民のすべてが自動的に「アメリカ人」になるという前提に基づく「移民パラダイム」を過度に強調している。比較史的アプローチをとる歴史家の中には、「移民国家アメリカ」という言説はアメリカ中心主義的であり、送出国から受入国への一方向的な移動に限定されない、多様な国際移動の形態を見過ごしているという批判がある。また、アメリカ社会において「移民国家」という言説は自然なものとして肯定的に受容されており、アメリカは経済的成功や自由な生活を目指す人々の最終目的地だと理解されがちである。そうした理解には、アメリカのグローバルな政治的、経済的影響力が移民の流入に大きく作用していることへの意識が欠如しているという批判もある。さらに、新しい理論的枠組みであるトランスナショナリズムの観点からは、移民たちの政治・経済・文化的活動は国境を越えて出身国およびホスト国家、時には移民ネットワークを通じたそれら以外の国にも影響をおよぼしているのであり、移民の活動を一つの国内的枠組みに限定してとらえるべきではないという指摘もある。また、グローバリゼーションの進展にともなって国境を越える移動はますます増大し、頻繁になり、多様化している。「移民国家」言説に対するこのような批判や柔軟な国際移動の現状は、「移民」はアメリカに永住し、やがてアメリカ人になるという直線的な語りに疑問を投げかけている。つまり、国境を越えてアメリカにやってきた人間が移動という事実によって自動的に「移民」になるのではい。むしろアメリカにおける「移民」という概念およびカテゴリーは社会的に構築されたものなのである。

本論文ではこのような先行研究やグローバルな現状を踏まえ、現代の日本人/日系アメリカ人コミュニティにおいて、「移民」という概念およびカテゴリーがどのように創造され、維持され、そして再生産されているのかを明らかにする。先行研究の多くは、「移民パラダイム」を創造・維持するのは主にアメリカ政府や主流社会であるとしている。それに対して本論文では、「移民国家アメリカ」という語りは政府や主流社会といった中央から浸透するだけではなく、アメリカ社会で「移民」あるいは外国人として周縁化されている民族的あるいは人種的マイノリティのコミュニティにおいても創造・維持・再生産されていることを指摘する。日系アメリカ人を含むマイノリティ集団がアメリカ社会における一級市民としての地位の承認を求めて、自らを「移民国家アメリカ」の物語の中に積極的に位置づけようとすることがその背景の一つに挙げられる。また、現代のグローバル世界における多様な国際移動の状況はアメリカの「移民パラダイム」が神話にすぎないということを実証しているにもかかわらず、本論文が取り上げる国際移動を経験する現代の日本人「移民」たちは「移民パラダイム」を否定するより、むしろそれを利用し、時には強化する側に立つ。「移民」という概念は、国際的な移動を経験した人々の子孫、あるいはグローバル世界の中で国際移動を経験している人々によっても再生産されており、その曖昧性や複雑性にもかかわらず国民統合のための支配的言説として作用し続けるのである。

本論文は三部で構成されており、それぞれサンフランシスコ、テキサス南東部、ロサンゼルスといった異なる日本人/日系人コミュニティの事例を取り上げている。これらのコミュニティはそれぞれ対照的な特徴をもっており、都市部・地方・郊外といった地域性、日本人/日系人人口の規模、コミュニティの新旧などの差異がある。さらに、これら三つのコミュニティの事例において、「場所」、「スケール」、「距離」といういずれも「移民」という地理学的事象に深くかかわる空間論的概念を人文地理学の理論を用いて考察している。

第一部第一章では、カリフォルニア州サンフランシスコ市における歴史的日系コミュニティであるサンフランシスコ日本町(ジャパンタウン)の保存運動に着目し、日本町という「場所」の保存を通して、「アメリカ人になるべくしてやってきた日本人移民一世」の語りが強調され、「移民パラダイム」が永続化することを論じている。日本町は19世紀末から20世紀初頭に渡米した日本人移民によって形成されたが、第二次大戦後、日系住民の郊外への流出や大規模な再開発などを経て衰退しつつあった。これを懸念した三世を中心とする日系アメリカ人コミュニティ指導者たちは、1990年代末頃から日本町の持つ歴史的・文化的価値を保存・発展させるための運動を開始した。本論文ではコミュニティ指導者たちの活動によって2006年に日本町が「特別用途区域(Special Use District)」に市から指定された経緯を取り上げ、この条例が日本町の物理的な境界線を定め、場所そのものに「日本・日系アメリカ文化」という特有の文化的アイデンティティを与えた点を指摘する。また、特別用途区域の制定は、「場所」に対する特有の概念―「場所」とは同質的で安定しており、明確な境界を持つ―に依拠することを、近年の人文地理学の空間理論を援用して論じている。

第二部では、第二章で20世紀初頭にテキサス南東部で米作を営んだ日本人実業家の一人、真弓吉雄の生涯の軌跡を追い、第三章では、その約一世紀後に起こった、テキサスの地元社会が彼を称えて命名した道、「ジャップ・ロード」をめぐる改名論争について取り上げている。裕福な家庭で育ち、大学教育を受けた真弓吉雄はいわゆるエリートであり、同時期に西海岸やハワイへ向かった出稼ぎの日本人移民とは階級の点で大きく異なっていた。真弓をはじめ数十名の日本人実業家がテキサスで米作を始めたのは、一攫千金を目指したからだけではなく、その背景には明治期の日本で急速に高まりつつあったナショナリズムがあった。真弓のテキサスでの米作は一時的な成功を収めたものの結局失敗に終わり、彼は失意のうちに帰国した。だが帰国後も真弓は南米や満州への移民を支援し、彼のネットワークは日本、アメリカ、南米、満州に渡るトランスナショナルなものであった。

テキサスの地元社会は真弓の地域経済への貢献を称えて、農場跡地の道を彼の「ニックネーム」にちなんで「ジャップ・ロード」と名づけた。しかし、1992年、日系アメリカ人組織をはじめとする人権団体が、この道の名は日系人に対する蔑称であると訴えて改名を要求し、改名に反対した地元社会と対立した。この改名論争は2003年にアメリカや日本の主要メディアを巻き込み、全米各地から集まった「ナショナル」な改名賛成派と地元住民を中心とした「ローカル」な改名反対派という二つの異なる「スケール」に基づく対立構造が現れた。本論ではこの事例から「スケール」の生成を指摘し、「ローカル」と「ナショナル」という対立軸の中で真弓のトランスナショナルな人生が周縁化されたことを指摘している。日系アメリカ人組織は真弓を戦前の移民一世の一人とみなし、この改名論争を通して彼の生涯を日系アメリカ人の歴史物語へと回収したのである。

第三部では、カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のサウスベイ地域で戦後に形成された日本人コミュニティをとりあげ、2008年に行った現地調査に基づく民族誌を方法論として、現代の日本人「移民」にとっての「移民」の意義を考察している。第四章では、サウスベイの日本人コミュニティ形成の背景と現代のトランスナショナルな空間について論じている。戦前や他のアジア系移民と比較して、戦後アメリカへの日本人「移民」は少数であるが、駐在員や留学生などの一時的な長期滞在者は多数に上る。戦後日本経済は急激に成長し、1970年代以降多くの日系企業がアメリカ市場進出のための拠点としたサウスベイにはいわゆる「企業城下町」が形成された。サウスベイの日本人コミュニティは太平洋をはさんで現在の日本社会と密接につながったトランスナショナルな空間である。第五章は「企業城下町」の構成員である日本人長期滞在者への聞き取り調査にもとづく現代日本人「移民」のライフ・ストーリーである。本論では、渡米の経緯やアメリカにおける法的ステータスから彼/彼女らを「個人移民」「企業移民」「元企業移民」「潜在移民」の四つのカテゴリーに分類し、現代の日本人「移民」の多様性とその国際移動の柔軟性を明らかにしている。第六章では、アメリカ市民権や永住権の有無にかかわらず、サウスベイの日本人長期滞在者が「移民」という自己アイデンティティを否定する語りを分析する。戦前の日本人移民のステレオタイプやサウスベイの日系ビジネスで働くメキシコ人移民との日常的な接触を通して、サウスベイの日本人長期滞在者は「移民」に対して否定的なイメージを醸成してきた。また、日本との物理的な距離の長大さにもかかわらず、サウスベイ日本人コミュニティのトランスナショナルな空間は現代日本社会との心理的な距離感を縮小させている。サウスベイの日本人長期滞在者は多様で柔軟な国際移動を経験しており、自身を移民と同一化しないにもかかわらず、「移民」に対するステレオタイプを維持し、アメリカにおける「移民パラダイム」を強化している。「移民国家アメリカ」の歴史物語から自己を遠ざける彼/彼女らもまた支配的な「移民」概念の再生産に寄与しているのだ。

以上三つの異なる日本人/日系人コミュニティの事例から、本論文は「移民国家アメリカ」の言説がアメリカのマイノリティ集団によって永続化されていることを明らかにした。本研究は歴史的資料調査や民族誌など異なる方法論を用いて、グローバル世界におけるアメリカ国家と人間の移動の関係を探究した学際的研究となっている。

審査要旨 要旨を表示する

佃陽子氏の博士論文審査は2011年6月6日、午前10時より12時まで、総合文化研究科18号館4階コラボレーションルーム2で行われた。審査委員会は総合文化研究科地域文化研究専攻能登路雅子教授、同ホーンズ・シーラ教授、同石橋純准教授、同矢口祐人准教授(主査)、駒澤大学グローバル・メディア・スタディース学部の白水繁彦教授で構成された。

本論文「The Making of "Immigrants" in the United States: Case Studies in Contemporary Japanese/Japanese American Communities (アメリカ合衆国における「移民」の創造―現代の日本人/日系アメリカ人コミュニティを事例として―)」は、現在のアメリカ合衆国(以下アメリカ)における「移民」の「創造」を、日本人および日系アメリカ人コミュニティを事例として考察したものである。本文の250ページはすべて英語で執筆されている。

審査委員会は本論文を高く評価した。

まず本論文で取り上げられる事例研究が、それぞれ極めて優れた着眼点から論じられている。第一部は、従来の研究の多くがサンフランシスコ日本町(ジャパンタウン)の保存運動を日系アメリカ人のアイデンティティ維持の有効かつ必要な手段として好意的に捉えてきたのに対し、むしろその矛盾と問題点を「移民としてのアイデンティティ形成と維持」という観点から鋭く指摘している。歴史資料を丹念に渉猟しており、完成度も高い、説得力のある論考である。第二部のジャップ・ロード論争は日本のメディアでも話題になったが、移民研究という学術的枠組みでその意義を考察したものはこれまでにない。研究者は概してこのテキサスの小村に住む保守的な白人住人の意見は聞くに値しないとみなしてきたが、筆者はテキサスを訪れ、かれらに直接インタビューし、その主張の背景を丁寧に分析している。その結果、メディア報道では見えなかった事件の多層的な側面が明らかにされている。また第三部の民族誌的研究には、従来の硬直化された移民概念を具体的に覆す極めて重要なケースが集められている。日系研究ではこれまで十分に取り上げられてこなかった人々に焦点をあて、移民研究の視座から大変示唆に富むライフヒストリーを紹介している。

このように各部が独立したユニークなテーマと事例を扱った研究となっており、今後はそれぞれが個別の研究書に発展していく可能性すらあるのではないかという指摘も出るほど、興味深い研究が並んでいる。

次に本論文は学際性に富んだ論考であり、地域文化研究専攻にふさわしい博士論文である。アメリカの移民研究、歴史学、文化人類学、さらには文化地理学の知見を援用することで、従来の移民研究にはない広がりを持つ分析が展開されている。

さらにこのような多様な事例と視点を持ちつつも、論文全体は最新の文化地理学と空間論の枠組みの中でまとめられている。「場所」「距離」「スケール」という地理学・空間論のキータームを使って各部をまとめることで、一見すると関係性が見えにくい各事例が「The Making of "Immigrants"」という全体のテーマ におさめられている。その結果、「移民」という、アメリカ研究・移民研究の基礎概念であるがゆえに、往々にして本質化され、無批判に前提化されるカテゴリーを再検討することに本論は成功している。

以上のように、本論文はアメリカにおける「移民の創造」を理論と事例の両面から鋭く分析するものであるが、むろん、いくつかの弱点と思われる個所も存在する。

まず、本論文は優れた英語で書かれているが、細かな表記に多少の誤りが散見される。とくに日本語の翻訳が必ずしも適切とは思えない部分がある。また、多様な学問的アプローチを用いているため、特定の先行研究に依拠し過ぎていたり、他の先行研究の参照が不足していたりする面があることも問題とされた。例えば第三部で用いられる「企業城下町」という概念は、複数の異なる日系企業が集中するロサンゼルス南部には適用し得ないのではないかという指摘がなされた。この第三部に関しては、フィールドワークの方法論の説明が不足しているというコメントもあった。さらに、地理学・空間論を用いた理論的アプローチは、本論に並ぶ多様な事例をまとめる極めて興味深い枠組みではあるものの、その有効性が十分に示されていないという意見が複数の審査員より出された。従来のアメリカ移民研究に新たな展開をもたらす切り口である理論ではあろうが、本論文の記述ではまだ説得力に欠けるという批判であった。

以上のような問題が指摘されたものの、これらは本論文の学術的な価値を損なうものではない。むしろアメリカの移民研究の根底にある「移民」という概念を巡る諸問題に正面から取り組んだ本論文の課題は、アメリカ移民研究そのものが抱える今後の課題を一層明らかにしたと言えよう。英文で書かれた本論文は日本のみならず世界の研究の展開にも大きく寄与する労作である。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定す。

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