学位論文要旨



No 127363
著者(漢字) 神子島,健
著者(英字)
著者(カナ) カゴシマ,タケシ
標題(和) 戦場へ征く、戦場から還る : 火野葦平、石川達三、榊山潤の小説から
標題(洋)
報告番号 127363
報告番号 甲27363
学位授与日 2011.06.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1078号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,政稔
 東京大学 教授 山本,泰
 東京大学 教授 酒井,哲哉
 東京大学 教授 小森,陽一
 千葉大学 准教授 三宅,芳夫
内容要旨 要旨を表示する

本論は日中戦争開始後、火野葦平『麦と兵隊』によってブームを迎える「戦場の小説」(戦場を描いた小説)に関する研究を出発点としている。その上で、戦場の小説、当時戦争文学と呼ばれたそのジャンルの立ち上がりに深く関わった火野葦平、石川達三、榊山潤という三名の作家の作品を対象に、そのブームが去った後、戦後初期(1948年)までの時期を考察している。戦場へ向かう兵士や、戦場から故郷へ帰る兵士が、出征・帰還(復員)が実際に行われている最中にどのように描かれたのかを論じたものである。

ただし本論は作品に描かれた兵士たちのイメージ分析が最終的な目的ではないし、作品の(純粋に)内在的な評価をする狭義の文学研究でもない。戦時中の戦争文学といえば、ブームで戦争を煽ったがゆえに戦後すぐにおいては批判の対象であった。1960年前後になると、もはや戦時中を際立たせる文学史のエピソードとなっていき、その作品に当時若くして出会ったような一部の人々以外は論じなくなっていく。しかしその作品の中には単なるプロパガンダとしては片づけられないものもあり、そして(それゆえ)当時多くの人々が戦場の小説に熱狂したという事実は、戦場の小説を真剣に考察する必要があることを意味している。近年は多少の見直しが進んできているが、本論では以下のような視角から論じていく。

検閲なども含め、雑誌や新聞などのメディアや文壇内の力学の中で、戦場や兵士を小説に描くことが当時持った意味を考察していくとともに、それを通して戦時、戦後初期の日本社会において戦争や兵士が担っていた意味を問い直す、広義の社会科学研究である。本論は十五年戦争に関する歴史学の研究蓄積と日本近代文学研究を基礎に、日本近代思想史やメディア論なども参照しつつ、当時の雑誌などの一次資料を用いて執筆した、いわば相関的あるいは多角的なアプローチを取っている。そのアプローチの特徴と関連付けて内容を紹介しよう。

第I部では本論の問題設定と、議論の前提としての方法論及び関連領域の先行研究を取り上げた。戦後の歴史学にとって十五年戦争の研究自体が大きな意味を持ってきた。その中でも旧軍隊に関する研究、例えば軍部がどのような政治過程の中で独自の政治勢力となったか、それでどう戦争を進めていったかという研究は多かった。しかしその軍隊に庶民がどう放り込まれてどのような経験をしたのかといった視点は、ここ十数年でようやく注目されるに至ったものである。

この第I部はむろん単なる最新の研究成果の紹介ではない。本論では〈戦場の「今・ここ」を相対化する〉という議論を展開している。敵を殺すことを目的として組織される軍隊、その中で任務を与えられる兵士たちの思考回路においては、戦場で人を殺すことが正当化される。そこではしばしばその目的を達する手段として、戦時国際法に違反する行動すらも正当化されがちである。しかも戦場の外部にいる人間からはこうした戦場での出来事の正当化が行われるプロセスが見え難い。

この見え難さは兵士たちの戦争体験において、彼らが故郷での生活から切り離されて軍隊に入り、更に戦場へほうり込まれるという大きな変化を被っていること、そのプロセスを無視してはその体験を理解しがたいこととつながっている。そして実のところ、兵士たちが戦場から帰り、軍隊を離れ、故郷で元の(あるいは新しい)生活に入るというもう一つの見落とされがちな変化を経た上で戦争について考え、語り、書くことが、多くの戦争の記述の前提になっていることともつながっている。単なる空間の移動ではなくこうした変化のプロセスを、筆者はタイトルにある「征く」「還る」という言葉に込めた。こうしたプロセスに注目することが、戦場の「今・ここ」を相対化するためには必要なのである。

第II部は日中戦争開始直後から立ち上がっていく戦場の小説についての研究である。戦場の小説というジャンルが立ち上がっていく様子を、当時のメディア状況と文壇の関心を中心に追っていく。80年代半ばまでの研究では、戦争文学と呼ばれたこれらの作品と同時代の他の小説とのつながりが見え難かった。近年の研究では文学史一般の中に作品を位置づけつつ、小説というメディアが担っていた役割などへの言及もなされ始めている。ただし文学史研究への特化が進んだ分、以前の研究にあった、小説を通して十五年戦争を考えるという問いが後景に退いたとも言える。

そこで本論は(1)「満州事変」ではマスメディアが大きく事変を取りあげていたが、多くの作家は戦争を描くことはしなかった(つまりなぜ日中戦争では作家も関わったのか)、(2)盧溝橋事件(1937年7月)から『麦と兵隊』(1938年7月)に至るまでの、他の作家のルポや小説に描かれた戦場や兵士と、ブームを起こした『麦と兵隊』のそれとの違いは何かを考察していく。いわば作品を取り巻く外在的要因と作品の内在的な分析の両面からこの問題を論じていることが特徴である。

第2章では、文学以外のメディアとの競合によって作家が戦争協力へと追い込まれていったことを論じつつ、同時に文壇の動向を追いながら作家たちの問題関心が、作家の個人的なことや内面から社会的なテーマへ移るという転換の中で戦争文学が立ち上がっていくプロセスを論じた。総合雑誌などの影響が論壇・文壇ともに強く、他ジャンルの書き手との競合によって、ジャーナリズムの注目するテーマ、つまり戦争を作家たちが描かざるをえぬ、あるいは進んで描くに至ったのである。

第3章では戦争文学形成のプロセスの中で重要な位置をしめる三名の作家の作品を通し、日本での生活から兵士(あるいは作家)として中国の戦地へ征くことのギャップや、戦場そのものがどう表現されているかを、当時検閲によって描けなかったものなども含めて考察した。このギャップに注目するのは、中国の戦場で日本兵として振る舞うことを無条件に受け入れた兵士像が作られれば作られるほど、作品から戦争を批判的に捉える具体的な視座が失われてしまうからである。ちなみにここでは従来ほとんど取り上げられたことのない作品、榊山潤「戦場」を扱った。日中戦争開始直後に出たため、まだそれ以前の言説との連続性が強く、主人公の「私」が兵士としての自己を、東京の失業者であったかつての自己の目線から眺めることで、戦場の「今・ここ」を相対化する、同時代的には珍しい作品となっている。

第III部は兵士が戦場から還ることを論じたが、第4章で扱った日中戦争期の帰還兵の持った意義というのは、文学研究はおろか歴史学においてもほとんど研究がない。その存在自体一般に知られていないのみならず、存在は知っている歴史研究者であっても、研究の欠落、資料の不足などでほとんど取り上げない。そのためこの章では小説の話に限らず、実証的な歴史研究の側面からも戦時中の帰還者(兵)の存在に光を当てた。

戦時体制下の銃後社会では、戦場の実情を知る帰還者とは戦意高揚にも動員しうるし戦場の現実を暴露しかねないという存在でもある。1939、40年ごろは小説にとどまらず帰還者のメディアでのプレゼンスはかなりのものだった。その一つの頂点は「兵隊作家」火野葦平の帰還であった。戦時中の帰還者に筆者が注目したのは、同時代的に帰還を描いた幾つかの小説が(実証的には仮説の域を出なくとも)資料の欠落を埋める有効な補助線となることで、彼らの存在の意味に気付いたからである。本論が単なる文学研究ではなく、戦時社会研究であるという意味はここに端的に表れているだろう。もちろん当時の小説を考えるための新たな題材も提供しており、そもそも1940年ごろ文壇においてかなり注目された存在でありながら、現在ほとんど知られていない榊山潤という作家を掘り起こしたのはその一例である。また、この時期にあっても戦場の「今・ここ」を相対化し、兵士=英雄といったイメージを崩しうる可能性を持った石川達三「感情架橋」という作品の重要性も論じた。

第5章では敗戦を経て終戦直後(1945~48年)に三名の作家が復員をどう描いたか、それは敗戦を経た価値観の転換の中でどのような意味を持ったのかを論じた。復員については軍隊経験を持つ戦後派作家も何名かが描いているが、戦時中の帰還者も描いていた三名の作家が復員をどう描いたかを考えることによってこそ、戦時と戦後における「還ること」及び兵士の意味付けの転換を具体的に問えるのである。

戦時中の帰還兵の研究欠落に比べれば、復員兵の研究はある程度存在する。だが冷戦の国内的影響が薄く、かつ最も大量の兵が復員した45~47年ごろの復員の意味はほとんど考えられていない。5章では、無謀な戦争を直接担ったとして復員者が後ろ指さされる存在だった半面で、彼らの多くが実際にはすんなりと社会へ溶け込んでいったことの意味を論じた。それは戦争責任、戦争犯罪等が十分に問われずに来た今日の状況とも関連してくる。

征く、還るというプロセスを描いた小説と、その小説の置かれた言論空間や文学史上の位置、歴史的背景などを多面的に論じることによって、狭義の歴史学からは見え難い兵士像、軍隊像を浮かび上がらせ、同時に狭義の文学研究からは見え難い戦時社会と小説の関係を明らかにする。それによって戦場へ征くこと、戦場から還ることの意味を問うことが本論の狙いである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、火野葦平、石川達三、榊山潤らの小説のなかから、いわゆる「戦争文学」と呼ばれる作品群を対象として、出征する兵士、戦場の描かれ方、戦場と銃後との関係、戦場からの帰還といった諸テーマを扱った論文である。これらの作家は本来は純文学作家として出発したものの、戦中の従軍作家活動による戦争協力という面も災いして、戦後は大衆作家として扱われ、学問的関心の対象となることが少なかった。本論文はその欠落を埋め、これらの作品群がかならずしも単純に戦争協力には止まらない複雑な諸側面をもつことを明らかにしようとした研究である。またこれらの戦争文学を社会との関連のなかに置き、文学への社会の期待や読者による受容のあり方など、幅広い視点から戦争という事象を把握しようとする試みである。

本論文は第一部「方法」、第二部「戦場へ征く」、第三部「戦場から還る」および終章から構成される。第一部では、問題と視角の設定がなされている。ここではまず、戦争における当事者が自らの「今、ここ」に縛られることによる状況把握の困難さについて論じられ、戦争文学を検討するさいの視座が据えられる。続いて、戦場および軍隊という空間の特異性、戦地と銃後の空間的隔たり、戦場から帰還した兵士の日常への再適応の困難やPTSDの問題など、先行研究も引きながら戦争一般についての予備的考察がなされている。

第二部と第三部は、火野、石川、榊山の戦争文学を読み解く本論文の本体部分をなしている。これらの作家たちは最近の研究において戦争への加担か抵抗か、という視点から捉えられ、評価もそれに応じてなされることが多いが、そのさいそれらの作家が何ゆえに侵略される側(中国など)の人々に対する罪悪感を欠如する結果になったのかが明らかにされていないと、本論文は問題提起する。それを明らかにするために、まず文学を取り巻く社会的状況が1930年代に大きく変化したことが指摘される。当時私小説の行き詰まりとともに、作家が社会的関心に開かれるべきことが説かれ、「文学の社会化」が推奨されていたことが、作家たちを戦場へと送りこむ背景としてあった。これらの作家たちは自我を欠いていたから抵抗できなかったというより、自我の社会化を積極的に求めたのである。また航空機など報道メディアの発達や、事前検閲の浸透などの環境変化により、作家はいっそう傍観者的な態度を取ることが困難になっていった経緯が示される。

火野、石川、榊山はそれぞれ異なった仕方で戦場に関わった。日本では稀有な社会小説化とされていた石川は、自ら戦地特派員を希望して中国に渡り、兵士とともに生活して、それをもとにフィクションとしての『生きてゐる兵隊』を書いた。この小説では従軍僧やインテリ兵などの個性的人物を配し、銃後とは著しく環境が異なる戦地で、これらの人々が自らの自我と戦争とのあいだにどのように折り合いを付けようとしたかが探求される。たとえば中国人女性に対する残虐行為を目にしたさいの精神の動揺、そしてそれをどのようにやりすごして罪悪感を隠蔽したかが描写されている。石川に反戦的な意図はなかったにもかかわらず、この作品は「皇軍兵士」の残虐さを描いたということで発禁となり、石川は有罪判決を受ける。

一方、火野は九州で徴集され中国にいたが、この出征中に出征前に書いた小説が芥川賞を受賞し、一躍話題の人となった。そしてその兵士としての経験をもとに『麦と兵隊』『土と兵隊』『花と兵隊』のいわゆる兵隊三部作を書いて、ベストセラー作家となった。これらの小説では、兵隊の内側からする日常が、戦地を舞台として細かく書き込まれており、行軍の苦しみ、銃弾をくぐる恐怖、中国人に対する見るに忍びない残虐行為などが描かれるが、それらは戦争を反省的に捉える方向には向かわず、本論文によれば戦場での「思考停止」へとつながっている。火野はありふれた市井の人々が戦場で鍛えられたくましい兵隊になっていくことに高い価値を見出しており、また石川の場合とは異なり、個が容易に全体性へと溶け込んでいく集団としての兵隊を受け入れているために、戦争を問題視する視点が失われたと解釈される。

いまではあまり知られていない作家である榊山は、当初は従軍経験を経ずに『戦場』という小説を書いた。この小説では当時流行したデカダンスやニヒリズムに染まった東京の大学卒者で予備役として招集された士官が主人公に設定されている。この主人公にとって生死の境に立つ戦場は生命の充実感を満たすものとして都市の頽廃からの逃避の場であり、本論文はこの小説にドイツのユンガーにも類似したモティーフを見出している。

第三部「戦場から還る」では、これまで研究されることの乏しかった戦時中での「帰還兵」の意識とふるまいとが、自らもまた帰還者であった戦争作家の作品を通して(榊山も後にビルマに徴用されている)取り上げられている。「帰還兵」は政府や軍にとって、銃後における戦意高揚のための格好の存在であったが、同時に戦争の内実を知るゆえに危険でもあった。帰還した作家たちも、戦地と銃後のギャップや自らに期待された社会的役割の不安定さに悩み、そのような帰還兵を描く小説やエッセイを発表している。たとえば帰還後の火野は、戦場にあって兵隊はその衝撃により神経に異常を来たし、「頭の調子が狂ってしまって」おり、その結果粗野で傲岸なふるまいが行なわれたことを語る。そこには火野の、兵隊として人間として立派に生きる理想との隔たりがあり、また兵隊が帰ってきて国内が活気づいてほしい、という彼の願望に反して、戦場で夢見た故郷に居場所を見つけることのできない帰還者の孤独を小説で描くことになる。榊山もまた、傷痍軍人を主人公とする小説のなかで、傷痍軍人が観念的には尊敬されつつも、仕事や結婚において差別され、農村共同体のなかで見捨てられていく現実を描いている。

作家たちは戦争に協力する態度を崩していなかったにもかかわらず、戦争の負の側面が語られざるを得なかった点を、本論文は取り上げている。石川もまた、戦争末期になると自らの筋を曲げてまで戦争や兵士を美化することに耐えがたくなり、戦争に協力するためにこそ軍隊批判や政治批判をしないわけにはいかない、という地点に達したのだとされる。

終章では、「敗戦と復員」が論じられる。ここでは作家たちは自らも復員兵を迎える側になったが、火野の『悲しき兵隊』は、敗戦後の思想の変化や軍部への反感のために、復員兵が民衆の冷たい視線にさらさせたことを悲しみ、戦後に同調して態度を変えた知識人に対して節操の欠如を問題にする。本論文はこうした作家の態度に一定の意義を見出しつつ、結局火野が、道徳の退廃を嘆くという戦時中からの社会への関わりを脱却することができず、自ら戦争に加担した責任を反省することができなかったことを問題とする。政府や軍を加害者とし人民を被害者とみなす共産主義の立場によっては見えてこないものを、石川や火野は見出していたのだが、彼らからの戦争責任の追及に応えることができなかったのである。

本論文は日本の戦争経験の再検討という意味で、最近のポストコロニアリズムに刺激された文学や文化研究の領域での諸研究と関係し、これらの成果を十分に踏まえたうえでなされているが、これらとは一線を画する独自性を有する点に、画期的な意義を見出すことができる。すなわち、大衆的に受容された戦争文学のなかに、公式的な政治的立場では読み取ることのできない微妙な矛盾や逸脱を見出し、作家と民衆意識との相互作用のなかに戦争経験の多義性を十分に明らかにした点である。

また、戦場と銃後の空間的な隔たりをとらえ、それらを媒介するメディアとの関わりで戦争文学を位置付けるという点や、さらに戦争報道のあり方やPTSDの問題にも関わるなど、現代の戦争を論じるうえでも数多くの示唆を与える研究と成り得ている点が評価される。

もっとも本論文にも欠点が見出されないわけではない。作家や作品ごとに諸主題が複雑に分岐して十分に整理されていない点があり、やや冗慢な叙述も散見される。しかしこれらの点も、叙述の進行とともに主題が明らかにされていくこの論文のスタイルにおいてはやむを得ないものがあり、論文の高い価値を損なうものとはいえない。

以上の理由から、当審査委員会は、本論文が博士(学術)の学位を受けるにふさわしいものと判断する。

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