学位論文要旨



No 127364
著者(漢字) 鈴木,早苗
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,サナエ
標題(和) 緩やかな協議体における議長国制度 : ASEANの意思決定を事例として
標題(洋)
報告番号 127364
報告番号 甲27364
学位授与日 2011.06.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1079号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山影,進
 東京大学 教授 古城,佳子
 東京大学 教授 石田,淳
 東京大学 教授 田中,明彦
 東京大学 教授 遠藤,貢
内容要旨 要旨を表示する

東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国は、政治・安全保障分野において重要な合意や政策、方針(コンセンサス)を形成してきたが、コンセンサスの中身を決める上で、常に利害が一致したわけではない。ASEAN諸国は対立する利害の中で、利害の一致箇所をどのように決めているか。この問いに対し、本論文では、新しい分析枠組みを提示して、ASEANの意思決定メカニズムの解明を試みた。

上記の問いに対する既存研究は二つに分けられる。第一は、国際レジーム論(以下、レジーム論)に基づく分析である。ASEANでは、意思決定手続きなど組織の諸ルールが十分に明文化されていない。このため、ASEANを国際レジーム(以下、レジーム)としてとらえる既存研究が多い。レジーム論は、国際機構や条約のような明文化あるいは法的なルールだけでなく、暗黙裡の原理や規範、ルール、意思決定手続きを視野に入れ、包括的に国際制度を分析する枠組みを提供した。しかし、レジーム論に基づく分析は、分析対象を法的あるいは明文化されたフォーマルなルールに限定し、慣習などのインフォーマルな制度を軽視する傾向にある。この点はASEANをレジームととらえる研究にもあてはまる。インフォーマルな制度に目を向ける視点もあるが、その主張は、ASEANではインフォーマルな制度としてコンセンサス制が採用されていると指摘するにとどまり、その制度が利害調整の帰結にどう影響するかについては説明しない。第二の既存研究は、ASEANにおけるコンセンサス制の運用に関する論考で、コンセンサス制のもとでは加盟国の拒否権が重視されると主張する。しかし、この視点は、拒否権を行使しない(自制する)理由や条件を十分に説明しない。以上から、既存研究の問題点は、利害調整を分析する制度的視角を十分に提示していないところにあるといえる。

こうした問題点をふまえ、ASEANのようなレジームの特徴を利害調整の観点からとらえなおすため、本論文では「緩やかな協議体(Loose Consultative Body)」というレジーム概念を提示する。緩やかな協議体とは、「定期的に参加国が会合してレジームとしての意思決定をおこなうにもかかわらず、意思決定手続きが十分に明文化されず、協議を通じてコンセンサスを形成しているレジーム」である。このレジームは、国際連合や世界貿易機関(WTO)などの国際機構を念頭に置いたレジーム概念と以下の点で異なる。第一に、このレジームでは、全加盟国が参加する会議を定期的に開催することが利害調整の手段であり、常設機関は、設置されても意思決定に関与する権限を付与されない。また、このレジームでは、コンセンサス制が採用されているが、コンセンサス制がどのように運用されるかという利害調整手続きは明文化されていない。ASEANは、アジア太平洋経済協力(APEC)やG8サミットなどとともに、緩やかな協議体の一事例である。

緩やかな協議体における利害の一致箇所を決めるルールとして、本論文は「議長国制度(Chairship System)」という制度的分析視角を提示する。その定義は、「加盟国が一定のルールの下で議長を担当し、議事運営を担う意思決定方式に関する制度」である。この制度は以下の特徴をもつ。第一に、この制度はレジーム内の定例会議に存在する。議長国制度は、さまざまな形態のレジームの中でも、緩やかな協議体の定例会議において重要な意思決定の制度として機能する。第二に、議長は議事運営の役割を通じて、会議における利害調整の帰結に一定の影響を及ぼしうる。第三に、加盟国が議長を担当するため、議長国担当機会は加盟国にとって自国利害を利害調整の帰結に反映させる手段となりうる。第四に、議長の担当ルールがある。担当ルールは、将来の会議の議長を担う加盟国を特定する制度である。第五に、インフォーマルな制度でありうる。特に、緩やかな協議体の定例会議に存在する議長国制度は、インフォーマルな性質をもつ。

議長国制度は、議長担当ルールが決まった時点で成立する。一定の手続きに則って議長が選出されることを確認できる点で、担当ルールの確立は、議長の議事運営に関する正統性を定着させる効果をもつ。議長国制度が成立するのは、加盟国が集団的意思決定の必要性を認識するようになることが背景にある。したがって同制度のもとで加盟国は、各国に与えられた拒否権を重視することよりも、説得的材料が提示されれば拒否権を行使しない(自制する)ことが適切だとみなすようになる。つまり、議長国制度の成立にともない、利害調整における適切性の基準が変化するのである。説得的材料の提示による拒否権の不行使という基準のもとで、議長に求められる役割は、説得的材料が提示される状態、すなわち協議の場を作ることである。

加盟国が議長を担うこの制度では、議長国は自国の利害を利害調整の帰結、すなわちコンセンサスの中身に反映させようとする。ただし、議長担当国の利害がコンセンサスに反映される程度は、議長国に与えられた議事運営上の権限の強弱に依存する。議事運営の出発点は、加盟国からなされる提案にあり、提案について加盟国は協議し、その提案に合意するかを決めていく。議事運営上の権限が強い場合、議長国は提案について協議の打ち切りや継続を判断できる。その結果、議長国の不利にならない内容のコンセンサスが作られやすくなる。逆に、議事運営上、弱い権限しか与えられない場合には、議長国に不利な帰結がもたらされる可能性を排除できない。こうした議長国の権限は、議事運営に関する加盟国間の共通理解を反映したものである。共通理解の中身は、議長担当ルールの性質や加盟国数、加盟国間関係、意思決定に関する共通の価値観などによって規定される。

本論文は、緩やかな協議体のひとつであるASEANを取り上げ、ASEANの外相会議(以下、AMM)において、議長国制度が重要な意思決定の制度として機能している点を実証した。実証部分では、政治・安全保障分野において加盟国の利害が対立した四つの事例を取り上げた。1970年代は、ASEAN事務局の設置に関する諸問題、1980年代は、ベトナムのカンボジア侵攻に対するASEAN方針を策定する問題、1990年代は、ミャンマーならびにカンボジアの加盟と内政不干渉原則見直しに関する問題である。

AMMの議長国制度は、議長担当ルールが定着する1974年ごろに成立したと考えられる。本論文では、同制度の成立にともない、利害調整に関する適切性の基準が「拒否権重視」から「説得的材料の提示による拒否権の不行使」に変化するかを検証した。適切性の基準が変化する兆しは、議長国制度の成立と同時にみられたが、新しい基準が定着したとみなせるのは1980年代に入ってからである。

AMMの議長国制度は、数少ない加盟国数で運用する輪番制に特徴づけられる。この特徴から本論文は、AMMの議長国制度では、議事運営上、比較的強い権限が議長国に与えられているという仮説を提示し、AMMで作られるコンセンサスが少なくとも議長国の不利にならない内容となる点を実証することを試みた。実証方法としては、提案をめぐる議長国とそれ以外の加盟国(非議長国)の立場を三つの利害調整パターンで示し、事例との適合性を検証した。

利害調整パターンaは、議長国が提案側で、提案反対側の非議長国に説得的材料を提示して、拒否権不行使を促す。議長国は自らの提案について協議を継続させる意思があるため、議長国の提案について合意が成立しやすくなる。パターンbは、議長国が提案反対側として、提案側の非議長国から説得的材料の提示を受ける。提案に対する合意が成立するのは、非議長国による説得的材料が議長国の利害に沿っている場合である。こうした説得的材料が提示されない場合、議長国は協議を打ち切ることができる。パターンcは、議長国が提案側、提案反対側どちらでもない場合である。議長国は合意が可能だと判断した提案については、利害関係国の調整に任せるか、中立的な立場で利害調整に関与する。利害調整の帰結は、提案側あるいは提案反対側の非議長国の利害を反映する。提案について直接的利害をもたない議長国は、合意不可能な提案をあらかじめ排除できる点において会議の成功を確保できる。

実証結果から二つの主張が導き出される。第一に、議長国制度の成立にともない、利害調整において加盟国が重視する基準が、「各国の拒否権重視」から「説得的材料の提示による拒否権の不行使」に変化する。すなわち、同制度の下で、加盟国の拒否権行使自制の傾向がみられるようになるということである。ただし、議長国制度の成立と同時に、この新しい基準が定着するとはかぎらない。第二に、議長国制度を活用して決められた利害の一致箇所は、少なくとも議長国の不利にならない傾向がある。AMMの議長国は、提案に関する協議を継続するかどうかを判断できる立場にある。議長国は自国の利害に沿ってこうした強い権限を行使した。

「緩やかな協議体における議長国制度」という本論文の分析枠組みは、ASEAN研究だけでなく、レジーム論に基づく分析に重要な貢献をなしうる。緩やかな協議体というレジームの制度的特徴は、主権国家間の協力形態として最も一般的なものである。しかしレジーム論に基づく分析は、このレジームの事例を十分に扱ってこなかった。本論文は、ASEANを事例に、議長国制度が緩やかな協議体においてインフォーマルな制度として機能することを示した。同制度はコンセンサス制というフォーマルな制度の運用手続きともとらえられる。インフォーマルな制度に注目することは、フォーマルな制度の効果を分析するためにも重要である。

審査要旨 要旨を表示する

鈴木早苗から提出された学位請求論文は、「緩やかな協議体における議長国制度:ASEANの意思決定を事例として」というタイトルで、A4用紙で総ページ数190(うち本文167ページ)の分量からなり、序章(問題の所在)と終章(結論)とに挟まれた5章の全7章構成である。緩やかな協議体とは、意思決定手続きなど組織の運営ルールがコンセンサスに基づくインフォーマルな国際制度を指しており、国際制度論・国際レジーム論が、本来の分析対象範囲であるにも拘わらず、実際にはその曖昧な性質のせいで取り扱いが困難なために、きわめて不十分な扱いしかされてこなかった。本論文は、緩やかな協議体のひとつであるASEAN(東南アジア諸国連合)の事例分析を通じて、コンセンサスという意思決定の具体的あり方を議長国制度という仕組みから明らかにしたものである。国際関係では広く採用されているコンセンサスという方式によって、ASEANという組織では、利害対立のある争点のどこでコンセンサスが成立するのかという組織内政治を正面から分析した労作である。

序章では、発足から最近までの40年にわたってASEANの不文律であったコンセンサスによる意思決定というテーマをめぐって、相対的力関係を反映した合意と拒否権を前提にした合意という異なる説明がされてきたことを紹介し、ASEANのようなインフォーマルな制度における意思決定(組織内政治)についての研究が不十分であることを指摘する。その大きな理由として、国際制度論・国際レジーム論がインフォーマルな制度の研究を等閑視してきたことを挙げる。そして、インフォーマルな制度における意思決定として議長国制度が大きな役割を果たしているのではないかと問題提起する。

第1章では、インフォーマルな国際制度を研究する上での分析概念として、「緩やかな協議体」と「議長国制度」とを提示する。ここではインフォーマルな制度のうち、定例会議における協議を通じて制度運営するものを「緩やかな協議体」として切り取ってくる。そして会議運営に必要な議長をめぐって、緩やかな協議体の中で参加国の中での担当ルールと議長の役割とについて共通理解が成立し、それに則って定例会議が運営される状態を「議長国制度」と名付ける。そして緩やかな協議体の事例として、APEC(アジア太平洋経済協力会議)、主要国首脳会議を取り上げて、そこでの議長国制度を概観するとともに、対照的なEU(ヨーロッパ連合)の議長国制度と比較する。そして第2章では、ASEANの意思決定について考察がなされ、最高意志決定機関であるASEAN外相会議(AMM)における議長国制度の形成と、議長国制度が採用されたことにより、争点と議長国との利害との関連から、コンセンサスがどのように、そしてどこで成立するのかについての仮説が提示される。すなわち、拒否権行使を自制する傾向、議長国によるコンセンサスの内容を自国が不利にならないように導く傾向が議長国制度の効果である。そしてASEAN40年の歴史の中で、深刻な組織内対立が生じた重要な争点がAMMの共同声明(コンセンサスの表明)から抽出され、詳細な事例分析の対象に指定される。

第3章から第5章までは、第2章に提示された仮説検証のために、そこで指定された事例の詳細な分析に充てられる。第3章は、1976年に最終合意されるASEAN事務局設置問題を取り上げる。ここでは、設置すること自体、事務局の所在地、事務局の権限をめぐる対立と合意形成が分析される。第4章は、1970年末から90年代初めにかけてのベトナム軍のカンボジア侵攻に始まるカンボジア内戦をめぐるASEANのポジションについての内部対立が、約10年間に浮上したさまざまな案件(たとえばベトナムに対する非難や政策、反ベトナム政権の樹立やそれへの支援など)について時系列的に分析される。第5章は、1990年代半ばに内部対立が激化した、軍事独裁で国際社会の批判を浴びてきたミャンマーのASEAN加盟問題とそれに密接に関連する内政不干渉原則をめぐる問題を分析する。

終章では、実証分析により明らかにされたASEANの意思決定事例全17件について議長国制度に関する仮説に妥当するかどうかテストし、2件が不適合、3件が不明確、残りの12件が適合的という総合評価を下す。また、本論文の限界として、議長国制度が仮説で示されたように確立し、それが維持される因果論的説明が十分でないことが指摘され、今後の課題が示される。

以上のような内容の本論文は、緩やかな協議体というあいまいな制度についての国際制度論・国際レジーム論からの本格的研究として理論面からも実証面からも高く評価できる。理論面では、緩やかな協議体において議長がコンセンサス形成に重要な役割を果たしうるという一般的な特徴だけでなく、利害対立のスペクトルのどこでコンセンサスができるのかという組織内部の政治力学について正面から取り組んだ労作である。具体的な議長国制度の形成により、議長国がコンセンサスの一致箇所を決める上での影響力を持つこと、コンセンサスを妨害する拒否権行使を自制するようになることを仮説としてまとめた点は今後の国際制度論・国際レジーム論における研究方向としてきわめて重要である。実証面からは、ASEANがコンセンサスを形成するにいたる組織内部の政治力学を明らかにしたことが高く評価できる。実証分析は、議長国制度が形成される1970年代半ばから20世紀末までの期間の重要な利害対立をほぼ網羅的に取り上げており、ASEANの政治協力をめぐる域内関係についてのオリジナルな成果になっている。

以上のように、学界に貢献する高い水準の論文であるが、問題点がないわけではない。議長国制度の理論化と仮説設定をめぐって、ASEANの事例には則しているものの一般化が容易なところまで抽象化がなされていない点(とくに制度化と権限の具体的内容についての共通理解の形成)、仮説の適合いかんを判断する基準がかならずしも明確ではない点(とくに不同意への合意と合意形成失敗の違い)などが指摘できる。また、実証面では、ASEAN諸国の関係者(とくに外務大臣たち)が議長国の役割についてどのような自己イメージを持っていたのかが明らかにされていない点などが指摘できる。しかし、このような問題点は、一部は執筆者も自覚しているところであり、議長国制度をめぐる理論がさらに発展していく方向を示しているとも言え、本論文の学界への貢献を損なうものではない。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと全員一致で認定する。

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