学位論文要旨



No 127365
著者(漢字) 後藤,理
著者(英字)
著者(カナ) ゴトウ,オサム
標題(和) DCNエンコード技術を用いた定量的遺伝子発現分析法
標題(洋) Quantitative gene expression profiling method based on DCN encoding technology
報告番号 127365
報告番号 甲27365
学位授与日 2011.06.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1080号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 陶山,明
 東京大学 教授 太田,邦史
 東京大学 教授 佐藤,直樹
 東京大学 准教授 道上,達男
 東京大学 教授 川戸,佳
内容要旨 要旨を表示する

背景・目的

医学や生物学の研究において、遺伝子発現分析の重要性が高まっている。現在、このための分析方法として、ゲノムワイドな分析が可能なDNAマイクロアレイ法が広く使われている。DNAマイクロアレイは、スライドガラスなどの基板上に数十~数万種類の遺伝子に対するプローブがスポットされたものである。分析サンプルから抽出されたmRNAは、蛍光標識された後、DNAマイクロアレイ上でハイブリダイゼーションされる。その後、DNAマイクロアレイはスキャナでデジタル画像化され、各スポットの蛍光強度からターゲット遺伝子の発現量に応じた測定値が得られる。しかし、この測定値は、個々のターゲットのサンプル間の相対的な発現量を示しているのに過ぎず、分析プラットフォームやRNAレファレンスの種類に依存してしまう。そのため、測定値の標準化は、様々なデータを相互に比較する上で、重要な課題となっている。

この課題を解決するために、MAQCプロジェクトやERCCプロジェクトにおいて、分析工程レファレンスやユニバーサル・ハイブリダイゼーション・レファレンスの開発が行われ、データを相互に比較するための標準化方法が示された。この方法は、各ターゲットのサンプル間での相対的な発現量に着目した研究には適している。しかし、その適用は、同じ品質のユニバーサル・ハイブリダイゼーション・レファレンスやDNAマイクロアレイが使用可能な期間に限られるため、測定値の標準化問題に対する根本的な解決策にはなっていない。そのため、こうしたレファレンスには依存しない分析法、即ち、遺伝子発現の絶対量が測定できる分析方法が求められている。しかし、DNAマイクロアレイでは、絶対量の決定に必要な標準物質を調製するのが困難なため、絶対量の測定は実現していない。

遺伝子発現の絶対量が測定できる既存の方法には、定量的PCR法がある。この方法で絶対量を測定するためには、濃度既知の標準物質を用いた検量線が分析ターゲット毎に必要となる。使用する標準物質は、PCR増幅部位のDNAで、その長さは、通常、化学合成可能な範囲を超えているため、事前のPCR増幅によって調製される。さらに、高い正確度で定量するためには、サンプル毎に実験条件を細かく調節しなければならない。そのため、多数の遺伝子発現の絶対量を正確に測定するためには、数多くの実験が必要となり、長時間の分析、および、高い分析コストといった問題がある。

そこで、本研究では、cDNAのコピー数(絶対量)を測定できる定量的遺伝子発現分析法(GEP-DEAN法: Gene expression profiling by DCN-encoding-based analysis)を開発し、既存の分析法では実現することができなかった、絶対量を並列的に分析できる方法を実現することを目的とした。

結果

GEP-DEAN法はDCNエンコード技術を利用して遺伝子の発現量を測定する分析法である。分析対象をひとたびDCN (DNA-coded numbers)に変換すれば、その後は、分析対象によらず、共通の試薬・手法で分析できる。GEP-DEAN法は、4ステップ(エンコード、増幅、デコード、検出・定量)に分かれる(図1)。分析操作は、測定対象のcDNAサンプルだけでなく、遺伝子特異的な配列を含んだ濃度既知のレファレンスを並行して操作する。検出時に、これらを競合ハイブリダイゼーションさせ、サンプル/レファレンスの比の値を用いることで、反応効率のバイアスを回避する。(1)エンコードステップでは、各遺伝子の発現量(cDNA)は、5'-MTTと3'-MTTで構成されたMTT(Molecular translation table)のcDNA特異的ライゲーションによって、対応するDCNの量に変換される(図2)。DCNは、4部位(SD、D1、D2、ED)から構成される。SDとEDは全DCNに共通でDCN増幅のプライマーとして使用される。また、D1とD2は2桁のDCNの値を示すために使用される。DCNは、Tmなどの熱力学的特性が揃い、分子内二次構造形成や配列間のミスハイブリダイゼーションが少なくなるように設計されている。ライゲーションされたMTTは、さらに、共通のプライマー(CSとcED)を用いたPCRによって、特異的に増幅される。(2)増幅ステップでは、MTTのDCN部分が、全DCNに共通なプライマー(SDとcED)を利用して増幅される。(3)デコードステップでは、増幅されたDCNがD2の値でデコードされる。その際、サンプルはCy5で、レファレンスはCy3で標識される。(4)サンプル及びレファレンス由来のデコード産物は、DNAキャピラリアレイ上で競合ハイブリダイゼーションされる。検出値には、Cy5/Cy3の比の値が用いられる。

GEP-DEAN法の定量性を調べるために、まず、検出値(Cy5/Cy3)のDNA量依存性を調べた。30塩基長の合成DNA291種類を様々な濃度に混合したサンプルを分析したところ、0.1 amol ~ 100 amolの範囲においてDNA量に比例した値が得られた(図3a、b)。さらにDNA量を減らすと、DNA量に比例したCy5/Cy3値が得られなくなった(図3c、d)。この原因は、諸条件の検討の結果、エンコードステップにおける3'-MTTの非特異的持越しであることが分かった。3'-MTTの非特異的持ち越しを考慮したモデル式を測定データにフィッティングさせたところ、このモデル式の妥当性が示された (図3d)。そこで、このモデル式を用いて本手法の検出感度を調べた。バックグラウンドのノイズから3倍のCy5/Cy3 ratio値を検出限界とすると、その値は18 zmolであることが分かった。

ターゲットの絶対量は、3'-MTTの非特異的持ち越しを考慮したモデル式から決定される。モデル式のパラメータは、分析サンプルに加えられた濃度既知の合成DNA量とその検出値(Cy5/Cy3)の関係から求められる。図3で用いたデータの内、27種類を濃度既知の標準物質、残り264種類を測定サンプルとして分析法を検証したところ、高い正確度で測定できることが分かった。

次に、本手法を定量的PCR法と比較した。99塩基長の合成DNA57種類を1~100 amolの範囲で様々な濃度に混合したサンプルを用いて比較したところ、両手法とも再現性の高い結果が得られた。ところが、測定値の正確度では、GEP-DEAN法の方が正確に定量できることが分かった(図4)。また、GEP-DEAN法は、全種類のターゲットを一度の実験で測定できるのに対し、定量的PCR法は、別々の実験で測定しなければならない。したがって、GEP-DEAN法による絶対量の測定は、定量的PCR法に比べて効果的であることが示された。

さらに、実際のcDNAサンプルでも正確に定量できるかを調べた。この検証には、マウスの肝臓から調製されたcDNAサンプルを用いた。トータル RNA 2 μg相当のcDNAサンプルを用いて273種類の遺伝子について本手法の再現性を調べたところ、再現性の高い結果が得られた。この再現性は、895種類の遺伝子の分析においても同様であった。続いて、cDNAサンプルを用いた定量値の正確度を調べた。cDNAサンプルは、UV吸収測定で濃度を決定できる合成DNAとは異なり、各cDNA鎖の真の濃度は分からないので、真の値と定量値の比較によって定量の正確度を調べることはできない。そこで、cDNA定量の正確度は、cDNAサンプルの希釈系列を用いて、元の濃度のサンプルで測定した値と希釈率の関係から調べることにした。cDNAサンプルの希釈系列を定量したところ、希釈率に比例して測定値は減少した。したがって、cDNAサンプルでも正確に定量できることが分かった。

絶対量として測定されたデータは、従来のような複雑な規格化や共通のコントロールを用いることなく、直接的な比較が行えるようになる。風邪薬の成分として有名なアセトアミノフェン(APAP)で処理されたマウス肝臓で特異的に変動した遺伝子をWelchのt検定 (p-value < 0.05) で求めたところ、分析した223種類の遺伝子の内、有意に変動した遺伝子20種類が得られた。

考察

高い正確度で並列的にcDNAの絶対量を測定できるGEP-DEAN法の開発に成功した。本手法の分析感度は18 zmolで、7時間以内で分析を完了できる。また、どのようなターゲットに対しても、同じDCNおよびDNAキャピラリアレイを用いて分析できる汎用性がある。本手法で得られる測定値は絶対量であるので、DNAマイクロアレイが抱えていたデータ標準化の問題を解決することができる。また、様々な場所で得られた測定値であっても、複雑な規格化なしで、直接的に比較できるようになる。

本手法は、今後、エンコード方法を改良することによって、RNAの絶対量が測定できるようになると期待される。たとえば、RNAを鋳型としたライゲーションによるエンコード方法が確立されれば、RNAの直接定量は容易に実現できる。したがって、GEP-DEAN法はnon-coding RNAやmRNAの同時分析にも応用可能な拡張性の高い分析法と言える。

図1: GEP-DEAN法の概略

図2: Molecular translation table (MTT)

図3: 検出値(Cy5/Cy3)のDNA量依存性

図4: (a)GEP-DEAN法と(b)定量的PCR法の比較

図5: cDNAサンプル希釈系列の定量

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、新しい遺伝子発現分析法であるGEP-DEAN法とその有効性を報告した論文である。GEP-DEANはGene Expression Profiling by DCN-Encoding-based ANalysisの略である。論文全体は、Introduction、Materials and methods、Results、Discussionの4つの章、及びConclusionとAppendixから構成されている。

第1章のIntroductionでは、本論文の研究の背景と目的が述べられている。遺伝子発現分析は、生命科学、医科学において重要な分析の一つである。遺伝子の機能解析、遺伝子ネットワークの構造と機能の同定、病気の機序の解明や診断など、基礎研究から病気の診断などの応用まで、生命医科学において様々に利用されている。とくに、DNAマイクロアレイを用いた分析法は、多数の遺伝子を同時に分析できる並列性の高さと利用のし易さから、ゲノムスケールの大規模分析から候補遺伝子の詳細な分析まで、幅広い利用が行われている。現在、このマイクロアレイを用いた遺伝子発現分析で課題となっているのが、データの標準化である。これは、米国のMAQCプロジェクトにより明確に示された課題である。マイクロアレイによる分析で測定できるのは、遺伝子の発現量の相対的変動量である。したがって、共通のレファレンス、応答性が規格化されたマイクロアレイを用いた分析によりデータを標準化しないと、相互に結果を比較して解析を進めることができない。そのため、共通レファレンスとして使用するRNAサンプルを提供するためのコンソーシアムなども設立されている。しかし、長年に渡って安定に共通レファレンスRNAを供給し続けることや、すべての研究対象に対してそれらを供給することは容易ではない。また、転写産物の濃度に依存する遺伝子ネットワークの動態に関する研究や遺伝子間の発現変動量の大小関係をもとにした機能解析などは、相対的変動量しか測定できない分析ではそもそも不可能である。論文提出者は、現在のマイクロアレイによる遺伝子発現分析法が抱える深刻なデータ標準化の問題を解決することを目的として、本論文の研究を行った。

第2章のMaterials and methodsでは、GEP-DEAN法のプロトコールの詳細、及びGEP-DEAN法の有効性を調べるために行った実験で使用した試料と方法の詳細について述べられている。実験に使用した多数のDNAの配列はAppendixにまとめられている。

第3章のResultsでは、最初にGEP-DEAN法の概要について述べられている。マイクロアレイによる遺伝子発現分析法が抱えるデータ標準化の問題を解決するために、論文提出者はマイクロアレイを用いて遺伝子発現の絶対量が測定できる分析法を新たに開発した。GEP-DEAN法と名付けられたその分析法は、遺伝子発現による転写産物から逆転写によりつくられた多種類のcDNAの量をマイクロアレイにより同時に定量することができる。サンプル中のcDNAの量はまず対応するDCN(DNA-Coded Number)配列をもつDNAの量にライゲーション反応により変換(エンコード)される。その後、共通のプライマー対で、多数の遺伝子のDCN配列がまとめてPCR増幅される。デコード反応により、分別、Cy5ラベルされた後、分析対象の遺伝子群の種類に依らない共通のプローブをもつマイクロアレイにより検出・定量される。DCN配列は、正規直交配列と呼ばれる人工的な配列を連結してつくられた、一種の数字を表現する配列である。多数のDCN配列をもつDNAの混合物が共通のプライマー対で一様に増幅できることが確認されている。GEP-DEAN法では、さらに、濃度既知の合成オリゴDNAを同様にエンコード、増幅してからデコード反応により分別、Cy3ラベルした後、サンプルのデコード産物とマイクロアレイで競合ハイブリさせてCy5とCy3の蛍光強度比を測定する。その比の値からサンプルに含まれるDNAの絶対量を決定する。

論文提出者は、GEP-DEAN法でサンプルに含まれる多種類のDNAが同時に定量できることを、濃度既知の約300種類の30塩基長の合成DNAの混合物からなるサンプルの定量を行うことで確かめた。その結果、1 amol以上の量であれば、マイクロアレイのスキャナーのCy5とCy3のチャネルの感度を補正することで、Cy5/Cy3比から直接、サンプルに含まれるDNAの量が決定できることが示された。また、それより少量の場合は、濃度既知の合成DNAを内部標準としてサンプル中に加えることにより、18 zmolの感度で定量が可能であることが示された。

また、論文提出者は、極微量のDNAを定量する標準的な方法である定量的PCR(qPCR)法とGEP-DEAN法の比較を行った。合成された99塩基長のDNAを多数含むサンプルを用いた実験により、GEP-DEAN法の方がqPCRよりも定量が正確であること、GEP-DEAN法はqPCR法と違って多数のDNAを同時に定量できるので、サンプルの無駄が少なく、分析も短時間で行えることを示した。

さらに、論文提出者は、マウスの肝細胞から抽出したトータルRNAのサンプルを用いて、約900種類の遺伝子のcDNAの絶対量を100個の共通プローブをもつマイクロアレイを用いて、18 zmolの感度と7時間の分析時間で決定できることを示した。

遺伝子発現の絶対量が測定できると、共通のレファレンスRNAや応答性が規格化されたマイクロアレイを用いた分析結果でなくとも、相互に比較を行って、有意に発現量が変動した遺伝子を同定することが可能になる。論文提出者は、アミノアセトフェノン(APAP)を投与したマウスの肝細胞から抽出したトータルRNAを用いてGEP-DEAN法による遺伝子発現分析を行い、このことを示した。

第4章のDiscussionでは、第3章で示された結果の重要な点がまとめられた後、MLPA法、DASL法、PLPs法など、GEP-DEAN法と同様にライゲーション反応とPCR増幅を利用する遺伝子発現分析法との比較、遺伝子発現の絶対量が測定できるqPCR法や次世代シーケンシング法に基づくRNA-seq法との比較を行っている。その結果、数十から数百の候補遺伝子について、様々な条件での遺伝子発現を正確に分析したいという用途には、GEP-DEAN法が最も適していると結論している。

以上のように、論文提出者は、マイクロアレイを用いて遺伝子発現の絶対量が測定できる分析法を世界ではじめて開発することにより、世界中で使用されているマイクロアレイを用いた遺伝子発現分析法が抱えるデータ標準化の問題を根本的に解決することに成功した。この成果は、世界中で得られた遺伝子発現データを相互に比較して解析することを可能にするだけでなく、遺伝子間の発現変動量の比較による遺伝子機能の解析や病気の正確な診断を可能にするものである。また、絶対量の測定が可能なGEP-DEAN法は、細胞内における転写産物の濃度が直接関係してくる遺伝子ネットワークの動態など、定量性が要求される研究において、非常に有効な分析法になるといえる。

なお、本論文の研究は村上康文、陶山明との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析法の開発と有効性を確認する実験、及び考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、ゲノム科学、生物物理学の分野において博士(学術)の学位を授与できると認める。

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