学位論文要旨



No 127366
著者(漢字) 植松,圭吾
著者(英字)
著者(カナ) ウエマツ,ケイゴ
標題(和) 社会性昆虫ヨシノミヤアブラムシにおける利他的コロニー防衛
標題(洋) Altruistic colony defense in the social aphid Quadrartus yoshinomiyai
報告番号 127366
報告番号 甲27366
学位授与日 2011.06.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1081号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,正和
 東京大学 教授 伊藤,元己
 東京大学 准教授 吉田,丈人
 立正大学 教授 青木,重幸
 産業技術総合研究所 研究グループ長 深津,武馬
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

生物に見られる利他行動がどのようにして進化してきたかという問題は進化学における重要な課題の1つである。利他行動の進化を説明する有力な仮説としては、ハミルトンの血縁選択説が挙げられているが、その進化の駆動力としては血縁度のみが重要ではなく、生活史の進化に伴い変化する様々な生態的・生理的要因と相互に影響しあうことにより多様な社会が進化してきたと考えられている。生物社会の多様性とその進化メカニズムを明らかにする上で、実験が容易であり、多様な利他行動を持つ社会性昆虫を用いた研究は、社会性の進化理論の発展に大きく貢献してきたが、未解明の問題も多く残されている。

繁殖を完了した後も長く生存することが進化的に維持されることは、直接適応度のみを対象とした生活史進化の理論では説明できないが、繁殖終了個体が包括適応度に貢献することを考慮した理論が近年発展してきた。実際に、親が繁殖能力を失った後も長く生存し、血縁個体に対して利他行動を行うことはヒトやクジラなどの高度な知能を持った社会性哺乳類で見られる。しかし一方で、社会性昆虫では繁殖終了個体の利他行動に関して詳細な検証はされていなかった。

本論文ではイスノキにゴールを形成する社会性アブラムシであるヨシノミヤアブラムシを対象にその社会生態、特に繁殖を終了した後の利他行動について研究を行った。第2章では、本種の生活史の詳細な解析を行った。また、第3章においては、本種の無翅成虫が繁殖を終了した後も生存し、自己犠牲的な防衛を行うことでコロニー内の他個体を守ることを明らかにした。第4章では、先行研究(Uematsu et al., 2007)でその防衛行動が明らかにされている若齢幼虫と、繁殖を終えた無翅成虫の両者が行うコロニー防衛について解析を行った。第5章では、上記の結果を踏まえた上で、ヨシノミヤアブラムシの社会行動の進化過程について考察を行った。

第2章 ヨシノミヤアブラムシの生活史の解明

ヨシノミヤアブラムシは1次宿主であるイスノキに閉鎖型のゴールを形成する。これまでに、成熟ゴールにおけるコロニーの齢構成はわかっていたが、初期ゴールがどの時期に形成され、どれだけの期間を通して成長するか、詳細には知られていなかった。そこで、本章では野外観察及び野外サンプリングによりヨシノミヤアブラムシの生活史の詳細を調べた。野外観察から、ゴールは1次宿主上で越冬した創設個体が春にイスノキ上で吸汁をおこなうことにより形成され、次年度の6月まで1年以上存続することがわかった。また、ゴール内の齢構成の季節変化を調べた結果、創設個体から単為生殖により生まれた世代とその次世代の大半は無翅成虫となり、その後、秋以降に誕生した個体が翅をもった有翅成虫になることが判明した。ゴール内における生存期間を調べた結果、創設個体およびその子世代は1年近く生存していた。

第3章 繁殖終了後の無翅成虫による利他的コロニー防衛

近年の研究から、ヒトの女性に見られるような繁殖終了後の長い生存期間(post-reproductive lifespan)の進化については、血縁選択により、繁殖を終えた個体による間接適応度の増加が繁殖を続けることによる直接適応度の増加より大きくなった場合に進化することが示唆されており、理論・実証両面からその仮説を裏付ける研究がなされている。しかし、繁殖を終えた個体が間接適応度を増加させる例は、知能の高い哺乳類であるヒトやクジラ以外の社会性動物では詳細に研究されていない。社会性アブラムシの多くは、ゴール(虫こぶ)という閉鎖空間で単為生殖を行うため、コロニーメンバー間の血縁度(r)がほぼ1であることが期待され、血縁者間の遺伝的コンフリクトの影響を除外できる。そこで本章では、ヨシノミヤアブラムシにおける繁殖終了後の利他行動の可能性を検証し、その結果、本種の無翅成虫が繁殖終了後に自己犠牲的なコロニー防衛をおこなうことを明らかにした。

ヨシノミヤアブラムシの無翅成虫は物理的刺激に応じて腹部の角状管から粘着性の液体を分泌する(Uematsu et al., 2007)。無翅成虫は外敵の攻撃に対して、角状管から放出した液体で付着し、外敵の動きを阻害することが確認された。野外のゴールにおいて、無翅成虫は外敵が侵入する区域に高頻度で分布していた。また、実験室内で無翅成虫のみを取り除いたゴールに天敵を導入する実験を行ったところ、対照群と比較して外敵の侵入率が有意に高くなった。これらの結果から、無翅成虫のコロニー防衛に対する効果が裏付けられた。次に、防衛を行うゴール裂開後の無翅成虫の繁殖力を測定したところ、無翅成虫の腹部には成熟した胚が存在しなかった。また、無翅成虫を切断したゴール内で飼育したところ、裂開後のゴールにいた無翅成虫の大半は2週間以上繁殖を全く行わなかった。さらに、組織切片を作成し内部形態を調べた結果、繁殖を終了した成虫の腹部は、脂防を含む分泌液で埋め尽くされていることが判明した。以上の結果から、繁殖を終了した成虫がその後も生存し、生理的に防衛に特殊化し、自己犠牲行動により他個体を守ることでコロニー全体としての適応度の増加に貢献していると考えられる。

第4章 ヨシノミヤアブラムシのコロニーにおける空間編成と労働分業

社会性アブラムシは遺伝的に同一であるため、血縁者間のコンフリクトを考慮せずに、コロニーとしての最適戦略を取ることが予想される。先行研究(Uematsu et al., 2007)と第3章の結果から、ヨシノミヤアブラムシには若齢幼虫(主に1齢幼虫)と繁殖を終了した無翅成虫という2種類の防衛個体が存在することが明らかになった。無翅成虫と若齢幼虫はゴール裂開後に外敵の侵入に対し防衛を行う。一方で、他の齢期の個体はゴール裂開後も繁殖に専念する。本章ではコロニー内での空間編成に着目して、本種のコロニーとしての戦略を探った。具体的には、各個体がコロニー内での役割に応じた分布パターンを実現しているという仮説を立て、ゴール裂開に伴う各齢期の個体の空間編成の変化を調べることにより、その検証を行った。

野外の裂開ゴールを3つの区域に分け、齢期別の割合を調べたところ、無翅成虫および若齢幼虫は外敵の侵入口であるゴール裂開部周辺の区域に多く分布していたのに対して、他の齢期の個体のゴール裂開部における割合は他の区域と比べて低かった。さらに、実験室内においてゴールに穴を開け、内部の虫の反応を調べたところ、無翅成虫および若齢幼虫は開けた穴の方向へ移動するのに対して、防衛を行わない他の齢期の個体は、穴から遠ざかることが分かった。これらの結果は、ゴール裂開後の役割の転換に伴い各個体が分布パターンを変化させるという予測と一致する。ゴール裂開後は捕食圧が上昇し、ゴールの食料としての質も悪化することから、将来の繁殖の期待値の低い無翅成虫と若齢幼虫が協同して防衛の役割を担うことが示唆される。

第5章 総合考察

本研究では、ヨシノミヤアブラムシにおいて繁殖終了後の利他行動の存在を社会性昆虫では初めて詳細に研究した。また、第4章において、ヨシノミヤアブラムシでは、若齢幼虫および繁殖を終了した無翅成虫による利他的なコロニー防衛という社会性昆虫において新規の防衛様式が存在することが明らかになった。ヨシノミヤアブラムシでは、コロニー内において最も老齢のステージにある個体と最も若いステージにある個体を防衛に回すことにより、コロニー全体としての適応度の期待値を高めていると考えられる。このような防衛様式が進化した要因としては、ゴールの存続期間・裂開から有翅成虫が飛び立つまでの期間などの生態的要因や、加齢に伴い蓄積される防衛物質の存在などの生理的要因が考えられる。また、従来の生活史進化の理論では考慮していなかった閉鎖空間下での死のコストが、ゴール内での繁殖終了後の齢期間の進化をもたらした可能性も考えられる。今後の課題としては、若齢幼虫と繁殖終了後の無翅成虫それぞれの防衛に対する寄与の程度、また近縁種の生活史を詳細に解析し、系統関係を考慮した種間比較を行うことで繁殖後の利他行動の進化過程を解明することなどが挙げられる。

審査要旨 要旨を表示する

生物に見られる利他行動がどのようにして進化してきたかという問題は、進化学における重要な課題の1つである。利他行動の進化を説明する有力な仮説としてハミルトンの血縁選択説が挙げられ、群れの血縁度と生活史の進化に伴う様々な生態的・生理的要因の変化とが相互に影響しあうことで、多様な社会が進化してきたと考えられている。

群れ内に繁殖を完了した後も長く生存する個体が進化的に維持される現象(ヒトなど)は、繁殖力と生存率に基づく生活史進化の理論では説明できない。これについては、繁殖終了個体が包括適応度を介して群れに貢献することを考慮した理論が近年発展してきた。実際に、親が繁殖能力を失った後も長く生存し、血縁個体に対して利他行動を行うことで群れに貢献する「おばあちゃん効果」は、ヒトやクジラ類などの高度な知能を持った社会性哺乳類で見られる。しかし一方で、社会性昆虫では繁殖終了個体の利他行動に関して詳細な検証はされていなかった。本論文ではイスノキにゴール(中で虫が成長する虫こぶ)を形成する社会性アブラムシであるヨシノミヤアブラムシを対象に、その社会生態、特に繁殖を終了した後の利他行動について研究を行ったものである。

第1章は序論として研究の背景と目的を説明した上で、第2章で本種の生活史の詳細な観測結果が述べられている。本種はイスノキで越冬した創設個体が春にイスノキで吸汁することでゴールが形成され、翌年の6月までゴールは1年以上存続することがわかった。また、ゴール内の齢構成の季節変化を調べた結果、創設個体から単為生殖により生まれた世代とその次世代の大半は無翅成虫になり、その後、秋以降に誕生した個体が翌年5月頃に有翅成虫となって二次寄生植物のクヌギなどに移動することが判明した。この間、ゴール内における生存期間を調べた結果、創設個体およびその子世代は1年近く生存していることが解明された。地道な自然観測が全貌を明らかにしたことは評価される。

第3章はこの学位論文の大きな柱になる内容で、無翅成虫は繁殖を終了した後も生存し、自己犠牲的な防衛を行うことでコロニー内の他個体を守ることを明らかにしている。社会性アブラムシの多くは、ゴールという閉鎖空間で単為生殖を行うため、コロニーメンバー間の血縁関係はクローンと言ってもよいほどに極めて近い。ヨシノミヤアブラムシの無翅成虫はゴールに侵入しようとする外敵(テントウムシ幼虫)の攻撃に対して、腹部の角状管から放出した油脂成分の液体で自らが付着し、外敵の動きを阻害することが実験室で確認された。解剖し染色したところ、繁殖を終了した無翅成虫の腹部では、かつて卵巣が発達し胚を納めていた部分が油脂成分の分泌液で埋め尽くされていた。また、野外のゴールでは、無翅成虫は有翅成虫が飛び出す裂開口付近に高頻度で集まり、外敵が侵入することに備えていた。さらに、実験室内で無翅成虫のみを取り除いたゴールに天敵が導入する実験を行ったところ、対照群と比較して外敵の侵入率が有意に高くなった。これらの結果から、無翅成虫は繁殖終了後もゴールに2~3ヶ月程度留まり、有翅成虫がゴールから飛び出す時期に自己犠牲のコロニー防衛に専念することが裏づけられた。自己犠牲の「おばあちゃん効果」は昆虫では世界初の報告である。

第4章では、コロニー内での個体の空間編成と役割分担の視点から、本人の先行研究(Uematsu et al., 2007、修士論文)でその防衛行動が明らかにされている1齢幼虫と、繁殖を終えた無翅成虫の両者が、協同で行うコロニー防衛について分析している。野外の裂開ゴールを3つの区域に分け、齢期別の割合を調べたところ、無翅成虫および1齢幼虫は外敵の侵入口であるゴール裂開部周辺の区域に多く分布したのに対して、将来有翅成虫になる他の齢期の個体はゴール裂開部での存在比は他の区域と比べて有意に低かった。さらに、実験室内においてゴールに穴を開け、内部の虫の反応を調べたところ、無翅成虫および1齢幼虫は開けた穴の方向へ移動するのに対して、防衛を行わない他の齢期の個体は、穴から遠ざかることが分かった。ゴール裂開後は捕食圧が上昇し、ゴールの食料としての植物の質も悪化することから、将来の繁殖力期待値の低い1齢幼虫と繁殖終了後の無翅成虫が協同して防衛の役割を担う方が、少しでも有翅成虫を多く出すことでゴール全体からみれば適応的である。このように、2つの発育段階が協同で防衛するのは貴重な報告である。

第5章は総合考察であり、ヨシノミヤアブラムシにおける繁殖終了後の利他行動を、哺乳類や鳥類の利他行動と比較して、このような自己犠牲の防衛様式が進化した要因を考察している。本学位論文を総合的に評価すると、血縁選択説と生活史進化理論を組み合わせて、昆虫における自己犠牲的な利他行動の防衛を「おばあちゃん効果」として捉え、全体像を解明した成果は高く評価できる。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク