学位論文要旨



No 127380
著者(漢字) 分部,利紘
著者(英字)
著者(カナ) ワケベ,トシヒロ
標題(和) エピソード記憶の検索過程 : 手がかりと無関連な記憶の活性化と想起
標題(洋)
報告番号 127380
報告番号 甲27380
学位授与日 2011.07.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(心理学)
学位記番号 博人社第819号
研究科 人文社会系
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高野,陽太郎
 東京大学 教授 佐藤,隆夫
 東京大学 教授 横澤,一彦
 学習院大学 教授 太田,信夫
 慶應義塾大学 教授 伊東,裕司
内容要旨 要旨を表示する

"危険な目に遭った場所には二度と近付かない"など、多かれ少なかれ生体は過去の出来事の記憶(エピソード記憶)に依拠して行動している。しかし記憶があれば必ずそれを思い出せるというわけではないため、数多くの研究で記憶が思い出される過程(検索過程)について調べられている。

現在、様々な知見から以下の検索過程が広く想定されている。まず、個々の記憶には活性値があり、この値が高い記憶ほど思い出されやすい。次に、例えば一昨日の夕食を検索する場合、一昨日・食事といった指示(手がかり)に対して意味や文脈の合致する記憶の活性値が高くなる(活性化)。意味や文脈が合致する記憶は連合記憶と呼ばれ、ここでは最近の食事や一昨日居た場所の記憶などが該当する。反対に高校時代の思い出など、意味も文脈も合致しない記憶(非連合記憶)は活性化されない。最後に、活性化された中から記憶が1つずつ思い出されていく(想起)。即ち、(1)連合記憶のみが活性化される、(2)活性化された記憶が直列的に想起されるという過程が考えられている。

活性化は記憶を検索する過程で生じるものであり、また、活性化されない記憶は想起されない。そのため連合記憶のみが活性化されるという考えは、連合記憶のみが検索の処理を受けること、ひいては、検索は手がかりとの連合にのみ基づいて行われることを意味する。したがって仮に連合記憶以外の記憶が活性化されれば、それは検索には連合以外の原理が働いていることになるため、記憶検索の根幹に関わる問題である。しかし非連合記憶は活性化されないという想定は実験的裏付けが充分ではない。そこで本研究ではエピソード記憶の検索過程を解明すべく、新たな実験手法を開発した上でこの想定を検証した。

実験1では、想起すべき記憶(ターゲット)の検索を行う検索群、簡単な暗算を行う暗算群に分かれた後、両群が非連合記憶を検索した。その結果、ターゲットを検索した後の方が非連合記憶を多く想起した(検索群の優位性)。暗算を行っても記憶は活性化されないこと、および活性値の高い記憶ほど想起されやすいことを踏まえると、これはターゲットを検索する際に非連合記憶の活性値まで高くなった(活性化された)ことを示唆する。

実験2・3では、「全ての非連合記憶が活性化されるわけではなく、ターゲットを検索する時点で活性値が高い非連合記憶のみが活性化される」という仮説を立て、検証した。記憶は学習する回数が少ないほど活性値が低くなるため、実験2では非連合記憶の学習回数を操作した。その結果、学習回数が少ない状態でターゲットを検索しても検索群の優位性は生じなかった。また、記憶は学習から時間が経つほど活性値が低くなるため、実験3では非連合記憶を学習してからターゲットを検索するまでの時間の長さを操作した。その結果、学習から時間が経過した状態でターゲットを検索しても検索群の優位性は生じなかった。これらの結果は、非連合記憶がターゲットと連合していた可能性や検索を連続して行ったことによる慣れの可能性などを否定する。同時に、ターゲットを検索する際に活性値の高い非連合記憶のみが活性化されることを意味する。

上記の実験では、実験中に覚えたターゲットを検索する際に、非連合記憶まで活性化されるか否かを検討した。このターゲットのように、形成されてから数年未満の記憶は主に海馬で表象されており、近時記憶と呼ばれる。一方、形成から数年以上が経過した記憶は側頭葉内側皮質などで表象されており、遠隔記憶と呼ばれる。実験4では、遠隔記憶を検索する際にも非連合記憶が活性化されるのかを調べた。その結果、近時記憶を検索した後ではこれまでと同様に多くの非連合記憶を想起できるようになり、検索群の優位性が生じた。しかし、遠隔記憶を検索した後では検索群の優位性は生じなかった。よって、近時記憶をターゲットとして検索する場合にのみ、活性値の高い非連合記憶が活性化されると言える。

ここで1つの問題が生じる。先行研究では、活性化された中から1つずつ記憶が想起されていくが故に、ターゲット以外の記憶(フォイル)が活性化されるとターゲットが想起されにくくなると言われている。この考えに従うと、非連合記憶まで活性化された条件では活性化されなかった条件と比較して、ターゲットの想起成績が低下したと予想される。しかしこの予想と整合する結果は得られていなかった。これは、ターゲットを検索する際に非連合記憶まで活性化されうるという上記の考察に反するため、さらなる検討が不可欠である。

そこで実験5では、ターゲットを検索する際にフォイルを強制的に活性化させる実験手法を開発し、非連合記憶の活性化がターゲットの想起を妨げるか否かを直接的に検証した。その結果、非連合記憶が活性化されたにもかかわらず、ターゲットの想起成績は低下しなかった。実験6では、非連合記憶が活性化される場合に加え、連合記憶が活性化される場合も設けて検討した。その結果、非連合記憶が活性化されてもターゲットの想起成績は低下しなかったが、連合記憶が活性化されると想起成績が低下した。即ち、一昨日の夕食を想起すべきときに昨日の夕食が活性化されるように、ターゲット以外の連合記憶が活性化された場合にのみターゲットは想起されにくくなった。この結果は、フォイルが活性化されさえすればターゲットの想起が妨げられるという従来の想定に誤りがあったことを意味する。

以上の実験結果は検索過程に枢要な影響を与える。現在のところ、(1)連合記憶のみが活性化される、(2)活性化された記憶が直列的に想起されると言われている。本研究では新たな実験手法を開発した上で、この枠組みを再検証した。その結果、近時記憶を検索する場合は活性値の高い非連合記憶まで活性化されること、および非連合記憶が活性化されてもターゲットの想起は阻害されないことが示された。これらの知見と先行研究の知見を総合すると、(1)連合記憶に加えて活性値の高い非連合記憶まで活性化される、(2)活性化された中から連合記憶が選別される、(3)選別された記憶が1つずつ想起される、という検索過程が導き出される。この枠組みは記憶検索の中心過程を明らかにするだけではなく、海馬の機能や心的外傷後ストレス障害の機序を理解する上でも有用な指針を提供する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、エピソード記憶(自分が体験した出来事に関する記憶)の想起過程について、従来の定説では説明のつかない事実が存在することを実験的に立証し、その事実を説明するための新たな理論的枠組みを提案したものであり、全4章から構成されている。

第1章では想起のための検索の過程に関する先行研究を概観し、1)検索は手がかりとの連合に基づいて行われ、手がかりと連合していない記憶(非連合記憶)は活性化されないという共通理解、および、2)その実証的裏付けの脆弱性を指摘した。更に、非連合記憶の活性化による検索過程には連合以外の原理が関与しているという仮説の検証を本論文の目的として設定した。

第2章では、想起の対象(ターゲット)を検索した後に非連合記憶を検索するという新たに考案された実験手続きにより、1)ターゲットを検索する時点で既に活性値が高い記憶は、非連合記憶であっても活性化されること、2)非連合記憶の活性化は検索すべきターゲットが近時記憶(形成から数年しか経過していない記憶)の場合に限られることを明らかにした。

第3章ではターゲットを検索する際に他の記憶(フォイル)を強制的に活性化させるという実験手続きにより、1)非連合記憶は活性化されても想起される(意識にのぼる)までには至らず、ターゲットの想起を妨害しないこと、2)連合記憶は活性化されると想起にまで至り、ターゲットの想起を妨害することを示した。

第4章では、第2章と第3章で得られた実験結果および先行研究の知見を総合し、エピソード記憶の活性化から想起に至るまでの検索過程に関して新たな理論的枠組みを提案した。

本論文で報告された実験はいずれも緻密に立案されており、エピソード記憶の検索過程に関する従来の標準理論を覆す知見をいくつも報告している。また、それらの知見と従来の知見とを統合的に説明するために、記憶の検索過程に関する新たな理論的枠組みをも提案している。その証明にはさらなる検討が必要な点もあるが、エピソード記憶の検索過程について重要な知見を提供する研究であることは疑いない。以上の点から、本審査委員会は、本論文が博士(心理学)の学位に値するとの結論に達した。

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