学位論文要旨



No 127381
著者(漢字) 板垣,暁
著者(英字)
著者(カナ) イタガキ,アキラ
標題(和) 戦後日本の対自動車産業規制政策の特徴とその意義 : 排ガス・安全規制を中心に
標題(洋)
報告番号 127381
報告番号 甲27381
学位授与日 2011.07.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第300号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 経済史専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,尚史
 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 准教授 中林,真幸
 一橋大学 教授 橘川,武郎
内容要旨 要旨を表示する

本稿の課題は、戦後日本の自動車産業を対象とした排ガス・安全等の規制政策の考察を通して、産業政策の役割やその意義、及び政府企業間関係について再考することである。 産業政策研究における重要なテーマの一つが、政府と産業・企業との関係である。特に、政府の政策が日本の産業及び企業の発展にどの程度寄与したのか、という点がこれまで数多く議論されてきた。

本稿では、主として自動車産業に対する運輸省の規制政策を考察の対象とした。規制政策を検討対象とする意義は、(1)政策の時期と対象を拡大すること、(2)政府と産業・企業との関係について新たな視座を与えること、の2点である。

まず、(1)について。多くの研究で指摘されているように、産業政策の基本的な役割として、市場の失敗の補完があげられる。もし、そうであるならば、産業政策を議論とする場合、通産省の特定の政策に限定せず、対象をより広範にして検討することが必要であろう。

特に、1960年代後半以降、通産省が保護・育成政策の手段と根拠を失う一方、環境・安全等の社会的規制政策が対産業政策の中心となったことを考えれば、同時期における政策と産業の関係を見るには、公害・安全等の社会的規制政策を検討する必要があるといえよう。

次に(2)について。社会的規制政策は企業の発展とは異なった論理で実施されるケースが多い。それゆえ、これまでの産業政策研究で指摘されてきたような、企業及びその活動・戦略を主とし、政府及びその政策を従とする関係が必ずしも当てはまるわけではない。

一方、しばしば見られるように、「規制者」(規制政策)と産業・企業の関係を対立的なものとして捉えることも適当ではない。日本の社会的規制政策はその実施の際に規制対象との交渉を十分に行い、ある程度その産業に配慮して実施されるという特徴を有していた。すなわち、日本の社会的規制政策は実現不可能な規制を実施することはなく、また政府が「環境整備者」として規制の実現可能性を高める政策を同時に実施することが常であった。また、運輸省及び環境庁などによる社会的規制政策は、長期的な観点からいえば、企業の投資方向性を転換させるものではなく、それを喚起、促進させる役割を果たした。

以上の点を踏まえ、本稿では、産業政策の役割及び政府・企業間関係に関する新たな視座を、自動車産業―特に乗用車―に対して実施された社会的規制政策の事例を検討することで、提供した。

第1章では、1960年代以降の規制政策と対比するため、1950~60年代に構想・実施された通産省の乗用車保護・育成・集約化政策の特徴を確認した。通産省の保護・育成政策は、(1)当該産業の発展とそれによる国際競争力の強化を第一の目的とする、(2)そのため、対象産業育成の意義が問われる(他省庁との政策と抵触した場合、その政策の正当性がより一層問われることとなる)、(3)当該産業がその政策を容認しない場合、その政策が実行されない、あるいは効果を発揮しないという特徴を有した。

第2章では、運輸省の規制政策の根拠となった「道路運送車両法」の成立過程を概観した。「道路運送車両法」の成立により、運輸省の環境・安全規制に法的根拠が付されるとともに、運輸省が「保安基準」項目を変更する場合に一定の手続きが必要となった。また、規制の成立過程で結ばれた運輸・通産両省の了解事項により、保安基準項目や基準値の変更に際し、運輸省と自動車メーカー及び通産省との折衝を経る仕組みが生まれた。

第3章では、1966年に運輸省によって行われた、日本初の自動車排出ガス規制である、「66年規制」の成立過程とその規制の持った意義について明らかにした。「66年規制」は、その対象が一酸化炭素に限定されるなど、過渡的な政策を有するものであった。しかし、メーカーの環境への意識を高めさせ、自動車単体の一酸化炭素の排出量を抑制させる働きをもった。また、測定方法や測定器の研究開発などを進展させ、後の規制の土台を生み出す役割も果たした。

第4章では、1969年に実施された使用過程車規制の検討を行った。同規制は、使用過程車の一酸化炭素排出量を削減させるとともに、自動車メーカー、同販売会社、同整備工場の測定器導入を促進し、これまで狭隘だった国内排ガス測定器市場を拡大させ、測定器メーカー等の投資を促進させる働きをもった。

第5章では、「76年規制」及び「78年規制」について、中央省庁の動きを中心にその形成過程を明らかにした。1970年代の規制政策、特に「日本版マスキー法」は、規制値の厳しさから、メーカーの環境関連投資をかつてないほど促進させた。

また、環境庁の規制政策の特徴を運輸省のそれと対比しながら検討した。環境庁の政策は、環境の改善を第一義とする点で、円滑な運輸を視野に入れる運輸省の規制政策とは一線を画した。その一方で、規制の着実な実現のため、メーカーの技術力に配慮するなど、共通点も見られた。

第6章では、1969年の「保安基準」の改正を検討し、規制の特徴と同規制が自動車メーカー及び部品メーカーに与えた影響について考察を行った。「69年規制」は、アメリカの安全基準と比して一段階遅れた過渡的な規制であった。しかし、規制実施以後、事故数・死傷者数がともに減少した。また、同規制は、シートベルト等の関連部品市場を拡大させることにより、既存メーカーの生産拡大と企業の新規参入を生じさせることで、企業の投資を促進させた。

第7章では、リコール制度の成立過程を中心とした、運輸省の「欠陥車問題」への対応を検討することにより、この問題が大きな社会問題となった時代的背景や、リコール制度に対する政策当局及び自動車メーカーの意見の変化、同制度成立以前の回収方法及びその問題点等を明らかにした。「欠陥車問題」に対処する形で、導入されたリコール制度は、自動車メーカーによるリコール車の回収速度を早めさせるとともに、自動車メーカー及び関連業界に、再発防止のための組織の改編を促した。一方で、同制度は、リコールの判断を基本的にメーカーに委任するなど制度としての限界も有していた。

第8章では、通産省による社会的規制政策として、ガソリンの無鉛化について検討を行った。通産省は、ガソリン中の鉛を規制するなど「規制者」としての役割を担う一方、開銀を通じた資金援助を実施したり、石油・自動車両業界に共同研究の場を提供するなど、「環境整備者」としての役割も果たした。そのような、通産省の規制政策においては、業界との連携が、運輸省・環境庁に比べ、スムーズに行われた。一方、産業の発展を第一義とする通産省の規制政策は、運輸省や環境庁のそれと比較して、メーカーへの配慮が強く表れた。そのため、ガソリンの完全無鉛化は、当初の予定より遅れて実施されることとなった。

本稿ではこれらの対自動車規制政策を個別に検討することで、自動車産業に対する産業政策の対象と時期を拡大した。これにより、これまで1950~60年代前半の通産省による産業政策を中心に考察されていた自動車産業政策史研究に、新たなケースを提供した。

また、政府の規制政策と産業・企業の関係についても新たな視座を提供した。運輸省による規制は、メーカーに環境・安全問題への対応を促すものであった一方、自動車関連業界の技術水準・研究状況、実施に際するコストなどを十分に配慮して実施された。また、環境庁及び通産省の規制も、その程度については、それぞれの立場や役割によって異なるものであったが、基本的にはメーカーの技術や生産状況への配慮が払われた。このようなメーカーへの配慮は、規制政策の成功要因の一つなった。そして、規制政策の成功が日本車の環境・安全技術向上の一要因でもあった。

また、自動車環境規制が、新市場の創出・拡大や、環境・安全問題への対応を強制することによって、日本企業の投資を促進させる働きをもった点も明らかになった。

1960~70年代の対自動車規制政策においては、政府と産業・企業がともに自身の戦略を追求した結果、社会的要請の高い環境・安全対策投資が促進された。両者は、短期的には規制の速度や水準等をめぐって意見を対立させた。しかし、長期的には社会問題の解決という同方向に向けて産業を発展させていった。日本の規制政策の特徴ともいえるこのような緊張感をはらんだ協調関係が、日本における順調な環境規制の実施と環境・安全関連投資やイノベーションの創出を生んだといえる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、自動車産業を対象とした排ガス・安全等の規制政策の事例研究を通して、戦後日本の産業政策および政府・企業間関係を再検討することを課題としている。あらかじめその構成を示すと、以下の通りである。

序 章

第1章 通産省の対乗用車産業政策

第2章 「道路運送車両法」の成立過程と日本の規制政策への影響

第3章 「66年規制」の成立とその意味

第4章 運輸省による使用過程車規制の実施と周辺産業の体制整備

第5章 1970年代の自動車環境規制

第6章 「69年保安基準」の成立とその意味

第7章 「欠陥車問題」の発生と運輸省及び自動車業界の対応

第8章 日本におけるガソリン無鉛化の経緯と通産省の役割

終 章 本稿のまとめ

まず本論文の構成に従って主要な論点とこれについての著者の貢献を明らかにし、その上で審査委員会の評価を記すこととしたい。

序章では、産業政策の現代的な意義や定義を述べた上で、産業政策史に関する先行研究を政府・企業間関係に重点をおいて検討している。著者は先行研究を、(1)政策効果強調論、(2)政策効果否定論、(3)限定的政策効果肯定論という三つのタイプに分類した上で、(3)の立場を批判的に継承しつつ、自動車産業に対する規制政策とその効果を研究することの意義を強調する。従来の自動車産業史研究は、1950年代における通産省の政策を中心に考察してきたが、本論文は、対自動車規制政策を検討対象とすることによって、時期的には1960~70年代へ、政策主体としては運輸省や環境庁へと、時期や対象を大幅に拡大した点に特徴がある。

「第1章 通産省の対乗用車産業政策」では、1950-60年代に構想・実施された通産省の乗用車保護・育成・集約化政策の特徴を確認し、運輸省ないし環境庁が主体となった1960年代以降との対比で政府の保護育成政策の特徴について議論している。通産省の保護・育成政策は、自動車産業の国際競争力強化を第一目的としていたが、もし当該産業がその政策を受け入れない場合、効果を発揮しないという特徴をもっていた。

「第2章 道路運送車両法の成立過程と日本の規制政策への影響」では運輸省の規制政策の根拠となった「道路運送車両法」の成立過程を検討し、運輸省と通産省の対立とその影響を明らかにしている。「道路運送車両法」により、運輸省の環境・安全規制に法的根拠が付されるとともに、その成立過程で結ばれた運輸・通産両省の了解事項により、保安基準項目や基準値の変更の際には、運輸省と自動車メーカー、通産省の折衝を経るという仕組みが出来上がった。

「第3章 『66年規制』の成立とその意味」では、1966年に運輸省によって行われた日本初の自動車排ガス規制である「66年規則」の成立過程と、その規制がもった意義を明らかにしている。「66年規制」はその対象が一酸化炭素に限定されるなど、過渡的な性格を有するものであったが、メーカーの環境への意識を目覚めさせ、自動車単体の一酸化炭素排出量を抑制させる役割を果たした。また測定方法や測定器の研究開発を進展させ、排ガス規制の土台をつくることになった。

「第4章 運輸省による使用過程車規制の実施と周辺産業の体制整備」は、1969年に実施された使用過程車規制を検討している。同規制は、使用過程車の一酸化炭素排出量を削減させるとともに、自動車メーカー、同販売会社、同整備工場の測定器導入を促進し、国内の排ガス測定器市場を拡大させた。その結果、測定器メーカー等の設備投資が活発化し、排ガス規制の基礎が確立することになった。

「第5章 1970年代の自動車環境規制」では、「75年規制」から「78年規制」にいたる一連の排ガス規制について、各省庁の動向を軸に、それぞれの形成過程を詳細に明らかにしている。1970年代の環境規制政策は、「日本版マスキー法」と呼ばれ、その規制値のかつてない厳しさから、自動車メーカーの環境関連投資を著しく促進した。また当該期に「規制者」として登場してくる環境庁の政策は、環境改善を第一義とする点で従来の規制政策とは一線を画していた。しかしその一方で、規制の実現可能性を担保するために、メーカーの技術力に配慮するなど、運輸省の政策との共通点も有していた。

「第6章 『69年保安基準』」の成立とその意味」では、運輸省の安全規制政策として、1969年の「道路運送車両法」保安基準の改正過程を検討した。「69年規制」は、アメリカの安全基準と比較して、一段階遅れた過渡的な規制であったが、規制実施後、事故数・死傷者数がともに減少したことからもわかるように、一定の効果があった。さらに同規制によってシートベルト等の関連部品市場が拡大し、企業の設備投資を促進することになった。

「第7章 『欠陥車問題』の発生と運輸省及び自動車業界の対応」では、リコール制度の成立過程を中心に、運輸省の「欠陥車問題」への対応を検討し、さらに同制度の自動車メーカー、石油精製企業などへの影響を明らかにしている。リコール制度の導入によって、自動車メーカーではリコール車の回収速度が速まり、再発防止のための品質保証体制が強化された。その一方で、同制度はリコールの判断を基本的にメーカーに委任するなど、制度としての限界も有していた。

「第8章 日本におけるガソリン無鉛化の経緯と通産省の役割」では、通産省による社会的規制政策として、ガソリンの無鉛化について検討している。ここでは通産省の「環境整備者」としての役割とともに、ガソリン中の鉛の含有量を規制するなど「規制者」としての側面を明らかにしている。通産省の規制政策は、業界との連携が運輸省、環境庁と比べて円滑な一方で、メーカーへの配慮が強く意識されるため、規制が遅れる傾向があった。事実、ガソリンの完全無鉛化は、当初の予定より10年以上遅れて実施されることになる。

最後に、「終章」では、以上の考察を整理した上で、対自動車規制政策を検討することの意義を再確認するという観点から、全体の総括を行った。その結果、(1)規制に注目することで自動車産業に対する産業政策の対象と時期を拡張できた、(2)日本における対自動車規制政策は、自動車メーカーや周辺産業などの規制対象者に配慮しつつ1960-70年代を通して段階的に進められた結果、環境・安全関連投資や技術革新を促進し、順調な環境規制の実施に結びついた、という二つの論点が提起された。

本論文は、従来、通産省による保護・育成政策に限定されがちであった対自動車産業政策を、運輸省や環境庁による環境・安全規制政策に注目することで相対化し、自動車産業に対する政府介入の多面的なあり方を提示した意欲的な論考である。とくに、道路運送車両法に注目することによって運輸省の自動車産業への政策的関与が「型式認証」という法的に根拠に基づいたものであったことを明確化したこと、これまで言及されることが少なかった66年規制の成立過程や、安全対策としての公的な規制(保安基準の強化や欠陥車問題の処理)を具体的な経過に即して明らかにしたことは、本論文の実証的な側面での貢献であろう。また、規制対象者への配慮にもとづく段階的な規制実施が、主目的である環境改善や安全性向上といった社会的効用の達成だけでなく、開発投資の促進や技術革新といった副次的効果をもたらし、結果的に当該産業の発展にも寄与するという事例の提示は、今後の規制政策を考える上で、重要な示唆を与えるといえよう。ただし、このような着眼点を活かしつつ、政府と産業・企業の関係を再検討し、産業発展に対する政府の役割を問い直すためには、考察を深めるべき問題も残されている。

まず、通産省を主たる担い手とする「狭義の産業政策」と、運輸省・環境庁による規制政策との関係をどのように考えるのかという問題が指摘できる。両者は政府による介入という共通項を持ちつつも、政策目的や政策手段の面では大きく異なっていた。さらに規制政策の中でも環境規制と安全規制との間には、同様の共通点と相違点がみられた。従って、今後は、政策推進の動機となった「市場の失敗」の中身を精査し、対自動車政策の全体像を再整理する必要があると言えよう。次に、実施された規制政策の効果を、どの程度の時間軸で、いかにして測ることができるのか、という問題も提起できる。それは当該政策の評価に直結する重要な課題である。実証研究の詳細さに比べて、このような論文全体の枠組みにかかわる説明に不十分さが残ったことが惜しまれる。

このような問題点があるとはいえ、本論文に示された先行研究に対する批判的な検討と、実証的な研究の卓越した成果は、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通して学界に貢献しうる能力を持っていることを明らかにしている。従って審査委員会は全員一致で、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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