学位論文要旨



No 127383
著者(漢字) 内藤,まりこ
著者(英字)
著者(カナ) ナイトウ,マリコ
標題(和) 逆遠近法の比較文学 : 「中世」日本の詩的言語からみる時間と共同体
標題(洋)
報告番号 127383
報告番号 甲27383
学位授与日 2011.07.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1083号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 エリス,俊子
 東京大学 教授 林,文代
 東京大学 准教授 品田,悦一
 立正大学 教授 藤井,貞和
 大手前大学 教授 川本,皓嗣
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、日本の「中世」において創作された「和歌」と呼ばれる詩的言語が、どのような〈時間〉や〈共同体〉のありかたを紡ぎ出したのかを考察し、「中世」の時代を認識する私たちの現在にとってどのような意味をもつのかを検討した。

第1部において、日本文学史において「中世」がどのように語られてきたのかを検討した。「中世」という時代が日本文学史に用いられたのは1908年であるが、その時から現在に至るまで、「中世」の語り方は驚くほどの変化を遂げてきた。研究者たちは文学作品に対峙し、そこから「中世」の意味を引き出してきた。同じ文学作品に取り組んでいても、その語り方は一様ではなかった。本論文では、こうした語り方の差異がどのようにして生じたのかを分析した。

日本文学史の編纂が始まった1890年代、文学史の記述には、西洋の文学史が参照された。当時の西洋の文学史に描かれていたのは、古代と近世に最盛期をもち、両時代に挟まれた「中世」を「暗黒時代」とする歴史の見取り図であった。こうした西洋の文学史の見取り図に従った日本文学史記述において、「中世」は文学の頽廃の時代として描かれたのである。1890年代には、頽廃の時代という意味づけと同時に、「中世」には中国大陸の影響からの自立の時代という意味づけも与えられた。こうした背景には、国民国家形成期に編纂された日本文学史には、「日本」という国家の輪郭を描くという動機があり、そのために、西洋の国家と同様の歴史を辿ったことを示すことと同時に、中国大陸との関係を記述の中から排除していくことがめざされたのである。1910年代になると、「中世」は「暗黒時代」に代わり、国家の進歩に寄与した健全な時代として位置づけられるようになった。「中世」にそのような意味を与えることで日本文学史が描いたのは、古代から中世、近代へと進歩発展してきたという「日本」の歴史の見取り図であった。1920年代に入ると、「中世」には、古代から現代へと発展する歴史の一時代という意味だけではなく、古代からの同一性を保持する「日本」という民族国家を体現する時代という意味も与えられるようになる。第二次世界大戦中には、「中世」はさまざまな美意識を生み出した時代として語られるようになり、「日本的」なものを体現した時代と称された。戦後になると、古代から「中世」への時代の転換を、戦前から戦後への転換として読み解くことで、「中世」は「戦後」の再生を意味づける時代として語られた。それと同時に、戦中からの単一民族論を背景とし、「中世」は「日本的」なものを体現する時代としても記述された。近年は、「中世」を全体として捉える語りが後退し、「中世」を複数の視点から捉え、多様な「中世」像が提示されていることも確認した。

以上のように「中世」文学をめぐる語りを概観するとわかるのは、「中世」は現在と無関係に存在する過去として捉えられているわけではなく、現在へと接続し、現在を成り立たせている過去として捉えられているということである。研究者たちは現在がどのようにして成り立っているのかという関心と、また未来がどのようにあるべきなのかという展望を持って、「中世」という過去に向かい合ったのである。「中世」を理解することは、彼らが生きた現在を理解することに密接に結び付いていたのである。そのようにして導き出された「中世」の語りは研究者によって異なるが、どの語りにも二つの視点を見出すことができる。その二つは、まず、過去から現在までの時間の推移をどのように捉えるかという視点、次に、「日本」という国家をどのような共同体として捉えるかという視点である。

前者には、古代と近世に最盛期を迎え、中世には頽廃するという時間の視点や、古代から中世、近代へと進歩発展する時間の捉え方、さらには、時間は推移するが、古代から現代までを貫く同一性が存在するという時間の捉え方があるだろう。後者に関していえば、西洋国家と同様の国家として捉えようとする視点や、中国からの自立を描こうとする視点、さらには、美意識の確立等の特殊性を以て捉えようとする視点などがある。日本文学史記述における「中世」の描き方は、このような〈時間〉と〈共同体〉という二つの視点によって揺れ動いてきたのだと考えられる。こうした理解の下で、「中世」を発展史の一段階とする語りと「日本的」な時代とする語りとが、現在でも流通していると指摘し、本論文では、これらとは異なる「中世」の語り方が可能かどうかを検討した。その際に手掛かりとしたのが、比較文学の研究方法である。

本論文では、比較文学の研究においてこれまでに打ち出された三つの方法(「フランス派」比較文学研究・「アメリカ派」比較文学研究・「新しい比較文学」研究)を取り上げ、それらが成立した歴史的背景や目的を紹介し、それぞれの方法の特徴を示した。まず、多言語間の文学の影響を明らかにする実証研究を方法とする「フランス派」比較文学研究では、「日本」という〈共同体〉の枠組みを超えた「中世」文学の語り方が可能となると論じた。次に、「アメリカ派」比較文学研究では、直接的な影響関係がないところに共通項を見出す方法がとられるが、こうした方法を用いて文学間に共通の地平を作り、そこから「中世」という時代を捉え直すことで、発展段階史とは異なる歴史の見取り図が描かれる可能性があることを指摘した。最後に、現在行われている「新しい比較文学」研究では、非ヨーロッパ地域の文学や女性や大衆の文学等、従来は比較の対象とされてこなかった文学作品を比較の俎上へと持ち込むことで、既存の比較の枠組みの再編成が試みられていることを確認した。そこで、本論文では、従来の「中世」を発展史の一段階として捉える見方や、「日本的な」時間を体現する時代として捉える見方とは異なる見方を考えるために、古代から中世、近代へと接続することを前提とする線状的な時間を問題化し、そうした時間性を攪乱するような時間の捉え方として「逆遠近法」の方法を考えた。

第2部では、従来の「中世」を発展史の一段階とする語りと「日本的」な時代とする語りの中で、「中世」を代表する歌人とされる藤原俊成を取り上げた。俊成の歌論を分析し、俊成の歌論において、〈時間〉と〈共同体〉がどのように捉えられていたのかを考察した。俊成に「中世」の成立をみる研究では、過去の歌が「古典」として把握されたことが契機となり、「古代」という過去との断絶と継承が図られ、「中世」が新たな時代として生まれたと論じられ、こうした「中世」成立の過程は「否定的弁証法」と称された。しかし、本論文では、俊成の過去(古代)を、現在時の只中に到来し、過去から現在、未来へと発展する時間を攪乱する時間として捉えていたと論じ、弁証法的な発展史とは異なる「中世」と「古代」の関係の捉え方を考察した。

次に、俊成が歌論の批評を通じて、歌の創作の規範を創り出し、その規範を通じて〈共同体〉が形成されたことも指摘した。俊成によって作られた〈共同体〉を、美的なものや「日本的なもの」とする「中世」の語りは、そうした〈共同体〉が誰にでも開かれているわけではなかったという事実を隠蔽してしまうのである。

本論文では、従来の「中世」の語りから取りこぼされてきた「中世」における〈時間〉と〈共同体〉のありかたを探るために、源俊頼(1055-1129)を中心とする歌人たちの歌の創作を検討した。具体的には、俊頼たちが創作した「叙景歌」とよばれる和歌について、歌人の内面の表れとしてではなく、「和歌」の言語が他の表象体系と接続したことの表れとして捉えられることを論じた。さらに、前章で取り上げた藤原俊成が、和歌の正統な創作者の姿勢として「歌よみ」と称されたのに対し、俊頼が「歌つくり」と称されたことを指摘した。そうした区別が、和歌の創作を通して作り出される〈共同体〉のありかたの違いにあったと考え、俊成が古典を共有する和歌の〈共同体〉を志向したのに対し、俊頼の和歌の創作の姿勢が、和歌を異なる表象体系へと接続させ、和歌の〈共同体〉を外部へと開いていくものであったことを指摘した。

本論文では、結論として、現在も流通する「中世」を発展史観の一段階や「日本的な」ものとする語りによって、両者の語りからは捉えることのできない〈時間〉や〈共同体〉のありかたを藤原俊成の歌論から導き出せることを指摘した。同様に、「中世」の語りからは対象とされてこなかった源俊頼の歌作から、俊成とは異なる〈時間〉や〈共同体〉のありかたを見出すことができることも述べた。逆遠近法から「中世」を捉えることで、俊成や俊頼の歌の創作から導き出された〈時間〉や〈共同体〉のありかたが、現代の私たちが〈時間〉や〈共同体〉を考える上での手がかりとなることも示唆した。

審査要旨 要旨を表示する

内藤まりこ氏の博士学位請求論文「逆遠近法の比較文学-『中世』日本の詩的言語からみる時間と共同体-」は、「和歌」と呼ばれる詩的言語及びその周辺の言説、表象の分析を通して、日本の「中世」において〈時間〉や〈共同体〉がどのようにとらえられていたかを考察するものである。

第1部では、「中世」をめぐる日本文学史の記述をつぶさに調査し、1890年代から現代に至るまで、日本文学史の語りの上で「中世」がどのような位置づけを与えられていたかを明らかにしている。西洋の文学史を参照枠として「中世」を「古代」と「近世」の狭間にある「暗黒時代」とする歴史的な語りにはじまり、「中世」をめぐる記述は同時代の歴史、社会状況の中で多様な姿を見せる。近年は、「中世」を一まとまりの時代として捉える語りが後退し、「中世」を複数の権力構造の視点から捉える傾向が見られるが、一方で「中世」を「日本的」〈共同体〉の拠り所とする語りや、過去から未来へと発展する時間の一段階とする語りは依然として根強く流通している。1990年代に積極的に取り組まれたカルチュラルスタディーズや国民国家論は、「日本文学史」が「国文学」の制度の中で創り出されてきたことを明らかにしたが、その一方で、「国文学」という枠組みを取り外したところで、改めて過去の捉え方を問う研究は少ない。なかでも、現行の「中世」文学研究では、「中世」が所与の時代として扱われ、「中世」文学の内実なるものを明らかにすることが目的とされるものが多い。内藤氏は、このように「中世」を所与の時代とする捉え方では、私たちが生きる現在と「中世」とがどのように接続/断絶しているのかという問いに答えることができないとし、つづけて、「中世」の新たな語り方を模索するために、比較文学の研究方法を考察することの有効性を論じる。

従来「フランス派」「アメリカ派」と言われてきた比較文学の研究方法を紹介、検討し、それらが成立した歴史的背景を踏まえつつ、それぞれの方法を適用することで見えてくる「中世」の捉え方について考察する。内藤氏は、さらに、サイード、スピヴァク等の研究に見られる「新しい比較文学」に注目し、非ヨーロッパ圏の文学や女性の文学等、これまで比較の対象から取りこぼされることの多かった領域を積極的にとり入れた彼らの研究が、既存の比較の枠組みの再編成を促す力を持ち得ることを強調する。そして、ここで問題化される歴史的時間をめぐる考え方を援用し、日本の古代から中世、近代に至る変遷の過程を線状的な時間としてとらえる歴史観を問題化し、そうした時間性を攪乱するような時間の捉え方として「中世」を「逆遠近法」的に捉える試みを提示する。

第2部では、従来の「中世」研究において、「中世」の時代を拓いた歌人として論じられることの多い藤原俊成(1114-1204)を取り上げ、俊成の歌作や歌論において〈時間〉がどのように捉えられ、それが「和歌」の〈共同体〉の立ち上げとどのようにかかわっていたかを考察している。内藤氏は、俊成において過去とは現在時のただ中に到来するものとして把握され、それが過去から現在、未来へと発展する線状の時間を攪乱する契機をはらんでいたことを明らかにした。合わせて、俊成が歌論を通じて歌の規範を作り出し、その規範を通じて〈共同体〉が形成されていった経緯を検証し、このようにして立ち上げられた〈共同体〉が原理的に他者を排除する性格を持つものであったことを指摘する。

内藤氏は、次に、源俊頼(1055-1129)を中心とする歌人の歌の創作について考察する。俊頼たちがつくった「叙景歌」とよばれる和歌が、絵画や作庭等、他の表象体系との接続から生み出されたことを解明し、従来の「叙景歌」論にはなかった新たな視点を提示した。内藤氏は、さらに、藤原俊成が「歌よみ」と称されたのに対し、俊頼が「歌つくり」と称されたことを指摘し、このような差異化が、和歌をめぐる〈共同体〉のあり方の違いに由来していたと論じる。古典の共有を促して「歌よみ」の〈共同体〉の立ち上げを志向した俊成の歌創作の姿勢とは異なり、俊頼の創作姿勢は和歌を異なる表象体系へと接続させることで和歌の〈共同体〉を外部へと開く論理を抱えていたということができる。内藤氏は和歌の創作をめぐる〈共同体〉の複層的な構造を明らかにすることで、「中世」の和歌創作の場に働いていた社会的、芸術論的力学の一面について新たな視座を提供した。

審査委員会では、本論文の功績として、従来「日本中世文学」の枠組みの中で議論されてきた和歌文学を比較文学の研究領域に接続させたことによって、「中世」の和歌を論じる新たな思考の枠組みが提示された点が挙げられた。また、各論となる中世和歌の分析については、藤原俊成の歌論や歌作について、従来とは異なる解釈を導き出した点や、これまで日本の詩的言語の研究において光が当てられてこなかった短連歌のジャンルを考察の対象とした点や、和歌という詩的言語と、庭園、絵画等の他の表象体系との連関を明らかにした点が評価された。

地道な調査と高い理論的関心に基づく意欲的な論文であることについては全審査員の意見が一致したが、いくつかの問題点、さらなる検討を要する点についての指摘もあった。一つは論文が方法として掲げる「逆遠近法」の独自性が論じきれていない点である。個別の議論については、例えば、第1部の「中世」概念の変遷の記述において「中世和歌」に関する言説が十分に検証されていない点、「中世」を「日本的な」時代とする言説の分析で参照される議論が限定的である点、第2部においては藤原俊成の歌論の総体が議論に十全に組み込まれ ているとは言えない点等が指摘された。理論的な関心に裏付けられたスケールの大きい論文であることが評価される一方で、今後は個々の議論についてより丹念に裏付けを示し、その際に個々の文学テクストとじっくりと向き合ってそれを咀嚼することが、さらに骨太で密度の濃い研究につながっていくであろうとの助言があった。

以上の通り、改善するべき点についての指摘はあったが、自身の問題関心に誠実に向き合って独創性の高い議論の構築を試みた力作であるという点で審査員の見解が一致した。したがって、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク