学位論文要旨



No 127384
著者(漢字) 石,賢敬
著者(英字)
著者(カナ) ソク,ヒョンギョン
標題(和) 本動詞から補助動詞への文法化 : 韓国語の<doeda構文>と<jida構文>を中心に
標題(洋)
報告番号 127384
報告番号 甲27384
学位授与日 2011.07.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1084号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 生越,直樹
 東京大学 教授 坂原,茂
 東京大学 准教授 福井,玲
 東京大学 教授 林,徹
 東京大学 准教授 西村,義樹
内容要旨 要旨を表示する

韓国語の形容詞「〓ppalgata 赤い」を「赤くなる」という状態変化の表現にすると、「〓ge doeda」と「〓 ajida」の二通りがある。

(1)a〓.

Namunnipi ppalgake doeeotda

木の葉が 赤く なった

木の葉が赤くなった

b〓.

Namunnipi ppalgaejyeotda

木の葉が 赤い-jida

木の葉が赤くなった

次の(2)は、形容詞の状態変化の表現として用いられた「〓ge doeda」と「〓 ajida」に先行する動詞「〓 mandeulda 作る」が先行する例である。

(2)a〓.

Gyeongjejeok munjejeomeul sogaehagi wihae beulleogeureul mandeulge doeeotda

経済的 問題点を 紹介する ために ブログを 作る-ge なった

経済的問題点を紹介するためにブログを作るようになった

b〓.

Jeonmungadeurui yeongue uihae urinarae haejeotongnoga mandeureojyeotda

専門家たちの 研究に よって 我が国に 海底通路が 作る-ajida

専門家たちの研究によって我が国に海底通路が作られた

c〓.

Keuriseumaseu teuriga jeongmal jal mandeureojyeotda

クリスマス ツリーが 本当に うまく 作る-ajida

クリスマスツリーが本当にうまく作れた

(2a)の「〓 ge doeda」は、日本語の「Vようになる」に対応し、(2b)と(2c)の「〓 ajida」は、各々「受動」と「可能」の意味を表し「V(ら)れる」に対応する。本稿は、形容詞が先行すると大まかに「なる」の意味で共通すると思われる「〓 doeda」と「〓 jida」について考察している。第2章は、<〓 doeda構文(動詞・形容詞の語幹+〓ge doeda)>について、第3章は、<〓 jida構文(動詞・形容詞の語幹+〓 ajida)>について取り上げている。また、第4章は、<〓 doeda構文>と<〓 jida構文>に関わりがあると思われる日本語の「てくる」「ていく」と、これらに対応する韓国語の「〓 a oda」「〓 a gada」について考察している。

形容詞が先行する<〓 doeda構文>は、(1a)のように自然現象としての状態変化の意味を表すだけでなく、次にあげる(3)のように何らかの理由(「火加減の調節で」、「新米に変えて」)があって起こる変化の意味をも表すとまとめている。

(3)〓.

Babi masitge doeeotda

ご飯が おいしい-ge なった

ご飯がおいしくなった/出来た

また、動詞が先行するの<〓 doeda構文>については、先行する動詞を「行為動詞」と「思考動詞・知覚動詞」にわけ、<〓 doedaなし構文>との相違点をあげる一方、<〓 doeda構文>独自の意味について述べている。

行為動詞の<〓 doeda構文>は、行為を引き起こす<外的事情>によって意図が生じ、その結果、行為が行われるという意味を表す用法とし、行為の意図の原因となる<外的事情>を、<仕方なく>、<目的>、<外的理由>の3つに分けて考察した。また、これらは、否定文のつづくことが可能で、<〓 doeda構文>を用いることで、元来行為動詞の表す行為の表現が必ずしも含意されないことがわかった。また、<あやまって>で扱った用法の(4)をあげて、意図的な[行為A]をすることで意図しなかった[変化B]が生じる表現としてまとめた。

(4)太郎〓.

Taroneun Keompyuteoreul sayonghago isseotneunde jaryoreul jiuge doeeotda

太郎は パソコンを 使って いたが 資料を 消す-ge なった

太郎はパソコンを使っていたが(あやまって)すべての資料を消した

(4)は、意図的に行われた[行為A(パソコンを使う)]が、意図していなかった[変化B(資料が消える)]を生じさせてしまう意味を表すのである。

これら行為動詞の<〓 doeda構文>に共通しているのは、意図のあり方が、典型的な行為動詞の意図とは違う点である。また、行為動詞の<〓doeda構文>のうち、<あやまって>の場合同様、否定文がつづくことかできない(行為の実現が含まれる)思考動詞および知覚動詞の<〓 doeda構文>は、「時間的経過」を表す副詞句を伴うという特徴があることがわかった。

第3章で取り上げた<〓 jida構文>は、形容詞が先行すると(1b)のように<状態変化>を表す。動詞の<〓 jida構文>については、本動詞「〓jida」が持つと思われる<自発>の意味に基づく<〓 jida構文>が、どのような意味を持つかについて見た。<〓 jida構文>がどのような意味を持つかは、元々の動詞自体の性質と関係があることが分かった。以下に、一覧として示すことでまとめとした。

(5)動詞のタイプによる<〓 jida構文>

<〓 jida構文>を用いることのできない最後の【Fタイプ】のうち、「〓 boda 見る、〓 deudda 聞く」は、<自発>の意味を表す「〓 boida 見える、〓 deullida 聞こえる)」という動詞がある。一方、「〓 moleuda 分からない」は、「~ようとする」という意図を持つ表現が不可能であり、主語にくるものによる「コントロール」のできない動詞である。ただし、「〓boajida 見る-jida」は、本来の意味である「見る」の意味ではない場合、次の(6)のように<〓 jida構文>を用いることも可能である。

(6)A: 〓.

Neo yosae seonbaerang jaju mannadeora

あなた 最近 先輩と よく 会ってるのね

あなた、最近先輩とよく会ってるのね

B: 〓.

Neomu gipge saenggak anharyeogo hanikka pyeonhage bwajine

あまり 深く 考えないようにしたら 気楽に 見る-jida

あまり深く考えないようにしたら気楽に会えるよ

第4章は、補助動詞として用いられる、日本語の「てくる」「ていく」と韓国語の「〓 a oda」「〓 a gada」を中心にして考察した。その際、両語の対照のために、吉川(1976)の分類にしたがって説明を行っている。補助動詞の意味を客観的に記述するため、本動詞「クル」「イク」(「〓 oda 来る」「〓 gada 行く」)の基本的な意味を明らかにし、「てくる」「ていく」と対応する韓国語の「〓 a oda」「〓 a gada」が空間的移動表す典型的な移動の意味から、時間的移動までその意味が広がることが分かった。

また、研究の対象としてあげた三つについて、次のようにまとめている。

第一に、「〓 a oda」にはない「てくる」の表現として「分かってきた」などの例をあげ、<心理的変化(心理的方向性)>の意味が、「てくる」には含まれるのに対して、「〓 a oda」は含まない表現であるという点に注目して考察を行った。寺村(1984)は「てくる」について、「XガVスル」という現象がひとつの幅をもったものとして、話し手への接近を表すとしている。これは話し手による積極的な行為ではないことであり、事象、事態などに注目し、話し手という場所に接近するとも考えられ、<変化の過程>をもつことと、その現象が主語たるものにおいて起こるということ、すなわち<全体的状況>として捉えるものとして扱った。

また、このような「てくる」を韓国語にするときは、<〓 doeda構文>、<〓 jida構文>が用いられることをみた。しかし、これらは起こった事態に対して、<〓 doeda構文>は何らかの原因による<変化>を表し、<〓 jida構文>は自然に起こったという意味としての<変化>を表すのである。

一方、「てくる」のように、<変化の過程>を含む意味を表すためには、日本語の「ていく」に対応する「〓 a gada」が用いられる。しかし、「〓 a gada」は、話し手から遠ざかる意味が生じるので、「てくる」の意味を充分に満たすことができない。つまり、<変化の過程>の意味を表す「てくる」を韓国語にするときは、<〓 doeda 構文>、<〓 jida構文>あるいは「〓 a gada」を用いるが、この中のどの表現にしても、「てくる」の意味を表すには足りない部分がある。

第二に、「ていく」にはない「〓 a gada」についてみた。「〓 a gada」が「完成の到達点指向の持続」をその基本的な意味とするということで、「時間的方向」もしくは「コトに対する完了」までも表すことができるのである。また、「ていく」と「〓 a gada」は、すでに生じた事態に対して、それを見つめる気持ちになるという意味をもつので、事態は話し手の意志を越えた力として捉えられる。つまり、「ていく」と「〓 a gada」を用いることで、自身の心境や感覚を表すことによって、自身の意志を越えて結果がそうなったことを表すのである。

第三に、「てくる」「ていく」(韓国語の「〓 a oda」「〓 a gada」も含めて)に、形容詞が先行する場合についてみた。日本語の場合、「~くなって、~になって」の形を用いることで「てくる」「ていく」との結びつきが可能になるのに対して、韓国語の場合は動詞と同じ形式を用いるのである。また、韓国語においては、「だんだん」のような漸次的意味を表す副詞句がなければならないという制約があることが分かった。

最後の第5章は、第2章の<〓 doeda 構文>と第3章の<〓 jida構文>における制約と意図性を(7)の表に示し、本稿のまとめとした。

(7)<〓 doeda構文>と<〓 jida構文>における制約と意図性

審査要旨 要旨を表示する

石賢敬氏の博士論文「本動詞から補助動詞への文法化 -韓国語の<doeda構文>と<jida構文>を中心に-」の審査結果について報告する。

本論文は、形容詞が先行すると<状態変化>を表し、大まかに言うと「~になる」の意味をもつとされる<doeda構文>と<jida構文>について考察し、日本語の「てくる」「ていく」と対応する韓国語の「a oda」「a gada」を分析することで、これらの構文の用法と特徴を明らかにしている。

第1章では、韓国語の「doeda(される、なる)」、「jida(なる)」の先行研究を取り上げている。韓国の国語文法において、「doeda」、「jida」を同じ枠組みに取り入れた研究があるが、その中でも、<受動>とみる分析と<受動ではない>とみる分析が対立している。この章では、それぞれの代表的な分析を検討しつつ、本論文の目的とその意義について述べている。

第2章は、次の三つの「doeda(される、なる)」の用法の中で、特に形容詞と動詞が先行する用法を<〓 doeda構文>として詳しく考察している。

1.[名詞 -i/ga + doeda (名詞-に+なる)]

2.[形容詞 -ge + doeda(イ形容詞-く+なる、ナ形容詞-に+なる)]

3.[動詞 -ge + doeda(動詞-に+なる)]

形容詞の先行する<doeda構文>の場合、自然現象のような状態変化の意味を表すだけでなく、何らかの理由があって起こる変化の意味をも表すと主張する。動詞の<doeda構文>については、先行する動詞を「行為動詞」と「思考動詞・知覚動詞」にわけ、<doedaなし構文>との相違点をあげる一方、<〓 doeda構文>独自の意味を明らかにすることを試みている。まず、行為動詞の<doeda構文>の用法を、行為を引き起こす原因となる<外的事情>の種類によって、四つの用法に分類している。<外的事情>によって行為を遂行する意図が生じ、その結果、行為が行われるという意味を表す3つの用法(<仕方なく>、<目的>、<外的理由>)には否定文が続くことが可能であることから、<doeda構文>のこれらの用法では行為動詞の表す行為の実現が必ずしも含意されないことがわかった。また、4つ目の用法(<誤って>)では、意図的に行われた[行為A]が、意図していなかった[変化B]を生じさせ、その結果[行為C]が実現されることを意味することを論じている。これら行為動詞の<〓 doeda構文>に共通しているのは、意図のあり方が、典型的な行為動詞の場合とは違う点であると言える。一方、否定文が続くことのできない思考動詞および知覚動詞の<〓 doeda構文>は、「時間的経過」を表す副詞句を伴うという特徴があると述べている。

第3章は、形容詞が先行すると<状態変化>の意味を表す<jida構文>が、動詞が先行するとどのような意味を持つかについて、本動詞「〓jida」の持つ<自発>の意味に基づいて考察している。その結果、先行する動詞のタイプ、つまり他動詞の場合は、対になる自動詞の有無、自動詞の場合は、非能格、非対格などの違いによって、<jida構文>が<受動>、<可能>、<状態変化>の意味を表すことを明らかにした。また、「boda(見る)、 deudda (聞く)、moleuda (分からない)」は、<jida構文>を用いることのできないことを指摘している。

第4章は、補助動詞として用いられ、日本語の「てくる」「ていく」と対応する韓国語の「a oda」「a gada」を、両言語の対照のために、吉川(1976)の分類にしたがって考察している。まず、補助動詞の意味を客観的に記述するため、本動詞「クル」「イク」(「oda 来る」「gada 行く」)の基本的な意味が空間的移動表す典型的な移動の意味から、時間的移動までその意味が広がることが分かった。研究の対象としてあげた三つについて、次のようにまとめている。

第一に、「てくる」には<心理的変化(心理的方向性)>の意味が含まれているのに対して、韓国語の「a oda」にはそのような意味がないという点に注目して考察を行っている。この場合の「てくる」は、寺村(1984)にしたがって、「XガVスル」という現象がひとつの幅をもったものとして、話し手に接近することを表すとしている。これは話し手による積極的な行為ではないこと、すなわち、事象、事態などに注目し、それが話し手という場所に接近することを意味するとも考えられる。このような「てくる」を韓国語にするときは、<doeda構文>、<jida構文>が用いられるが、これらの構文を用いると、起こった事態に対して、<doeda構文>は何らかの原因があっての<変化>を表すのに対して、<jida構文>は自然に起こると解釈された<変化>を表現すると論じている。したがって、韓国語の諸表現では、「てくる」の意味を充分に満たすことができないことがわかった。

第二に、「ていく」にはない「a gada」の用法も考察した。「完成の到達点指向の持続」をその基本的な意味とするということで、「時間的方向」もしくは「コトに対する完了」までも表すことができる「a gada」は、すでに生じた事態に対して、それを見つめる気持ちを意味含むので、事態を話し手の意志を越えた力によるものとして捉えているとし、「a gada」を用いることで、自身の心境や感覚を表すことによって、自身の意志を越えて結果がそうなったことを表すことができると論じている。

第三に、「てくる」「ていく」(韓国語の「a oda」「a gada」も含めて)に、形容詞が先行する場合を検討した。日本語の場合、「~くなって、~になって」の形を用いることで「てくる」「ていく」のとの結びつきが可能になるのに対して、韓国語の場合は動詞と同じ形式を用いること、また、韓国語においては、「だんだん」のような漸次的意味を表す副詞句がなければならないという制約があることが分かった。

最後の第5章では、第2章の<doeda 構文>と第3章の<jida構文>の用法における制約と意図性を取り上げて、全体の議論のまとめを行っている。

本論文は、韓国語で<状態変化>を表すとされる<doeda構文>と<jida構文>について、日本語の対応表現とも対照しつつ、両構文の特徴を明確に指摘している。特に、これまであまり詳しい分析がなされていなかった<doeda構文>を詳細に分析し、その特徴と類似する<jida構文>との違いを明確にした点は、従来の研究にはない独自の成果である。また、従来日本語「てくる」「ていく」には「a oda」「a gada」が対応するとされていたのに対し、日本語の「てくる」「ていく」に「a oda」「a gada」が対応しない場合があること、それを補う形で<doeda構文><jida構文>が使われていることを示したことも、本論文の功績と言えよう。このような点において、本論文は、韓国語学だけでなく、日本語学、言語学の分野において高く評価される論文だと考える。なお、jida構文の認定や意味の規定に不明確な点があること、個々の分析の相互関連性についての説明が不十分なこと、など今後検討すべき課題も指摘されたが、それらが本論文の価値を損ねるほどのものではないことが確認された。

したがって、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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