学位論文要旨



No 127391
著者(漢字) 南,映子
著者(英字)
著者(カナ) ミナミ,エイコ
標題(和) ハビエル・ビジャウルティア(1903-1950)におけるシュルレアリスムおよびバロック詩への《響き合い》と《響きの一致》
標題(洋) Resonancias y consonancias del surrealismo y de la poesia barroca en Xavier Villaurrutia (1903-1950)
報告番号 127391
報告番号 甲27391
学位授与日 2011.07.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1091号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 斎藤,文子
 慶應義塾大学 准教授 石井,康史
 明治大学 教授 旦,敬介
 東京大学 准教授 竹村,文彦
 東京大学 准教授 箭内,匡
内容要旨 要旨を表示する

ハビエル・ビジャウルティア(1903-1950)はメキシコでのシュルレアリスム受容に深く関わった詩人であり、シュルレアリスムの他に彼の詩作に強い影響を与えたのがスペイン語のバロック詩である。

本論文は二つの軸を持つ。一つは、ビジャウルティアの詩を、それが書かれた、あるいは刊行された時点のコンテクストに戻し、彼が当時参照したと思われるテクストと関連づけて読み直すことである。もう一つは、彼が詩作活動を本格化させる1920年代にシュルレアリスムがおこり、またスペイン語バロック詩を再評価する動きが盛んになったことに注目しながら、彼の詩人としての歩みを五つの時期に分け、各時点で彼がシュルレアリスムとバロック詩のモデルにどのように反応し、それが彼の詩にどのような《響き合い》を起こしたのか、その変遷を辿ることである。

ビジャウルティアは、自分に影響を与えるモデルを進んで探した。ある書き手が他の書き手から影響を受けるのは、もともと両者の志向や特性に類似性があるからこそ起こる作用であり、影響を受けることは自らが潜在的にもつ特性を顕在化させ個性をより明確により豊かにすることだと捉えたためである。批評家としても活躍した彼は、異なる時代や地域の書き手たちの文章や考えの間に類似性や一致を見出し、さらにそれを自身に照らし合わせてみるという経験を繰り返した。本論文で用いる《響き合い》(resonancia)とは、潜在的な類似性に基づいて影響を受けるという作用やその結果を指し、《響きの一致》(consonancia)とは、複数の異なる書き手の文章や考えの間に何らかの類似性が認められる状態を指す。

第一章では、第一詩集『反射像』(1926)から、詩集を特徴づける鏡のモチーフを含む(1)「反射像」、(2)「村」、(3)「無色」、(4)「街路」を取り上げた。この詩集には、シュルレアリスム、バロック詩いずれへの《響き合い》も起きていないが、ビジャウルティアが近代詩人としての方針を模索した痕跡が認められる。(1)はクロード・モネの、視覚が捉える印象に忠実に描く絵画を想起させると同時に、視覚的なリアリズムを超えることが近代の芸術家にとって第一の課題であるという認識を示唆する。ディエゴ・リベラに捧げられた(2)は、この画家が《科学的キュビスム》の、対象の幾何学的形象を抽出して描く理知的かつ革新的な手法を取り入れたという側面を際立たせる。(3)はポール・セザンヌの、色彩を通じて風景の生を表そうとした絵に《響き合い》を示す一方で、19世紀の詩にしばしば用いられた色彩や風景の象徴的な使用を拒み、そのため魂をどのように描けばよいかわからず苦悩する詩人の姿を連想させる。(4)は、都市の喧騒や革命の熱狂とは距離を置き、感情の投影や心情の吐露としての詩とも決別し、その先の地点をめざす詩人の姿を想起させる。

ビジャウルティアが詩のモデルを絵画に求めた点、現実の模倣としての芸術を越える方法を模索した点は同時期のブルトンと類似するが、後者が自動記述を提唱し人間の無意識の探求や精神の革命への志向を表したのに対し、前者はフアン=ラモン・ヒメネスの《純粋詩》をモデルとし知性の力によって詩のことばを簡潔にすることをめざし、ホセ・オルテガ=イ=ガセットの新しい芸術に関する論考に一致する形で作品から人間的な要素を取り除く《非人間化》を一時は取り入れ、また芸術に政治・社会的な意味を与えることを拒んだという違いがある。

第二章では、(1)「詩(ポエシーア)」(1927)と(2)「彫像の夜想詩」(1928)を扱った。(1)は夢想状態で生まれることばを書きとり詩と対話する詩人の姿を描き、そうした書記が洒落や語呂合わせを生みやすく、また潜在意識に隠された欲望を暴く手がかりとなることを示唆する。この詩には『西洋評論』誌上で紹介されたシュルレアリスムの自動記述とジークムント・フロイトの理論への《響き合い》が聞きとめられる。ビジャウルティアはこれを書いた頃、無作為の書記も詩の《純粋性》を達成する方法だという捉え方を知り、《意識の流れ》の手法に関心を持ち、詩や散文、戯曲におけることば遊びやフロイト理論の応用に着目していた。夢が潜在意識にある欲望を明るみに出すというフロイトの考えは、現実の模倣を越え、かつ人間の生の問題に取り組むにはどうすればよいかという難題に答えることを可能にした。

(2)は詩人が夢の神秘的な力によって詩に生命を取り戻す場面を描く。この詩に《響き合い》を起こしたジュール・シュペルヴィエルの詩、ジョルジオ・デ・キリコの絵、ジャン・コクトーの戯曲というモデルの顔ぶれは、夢を主題にするが詩作の過程では意識的な構成を行うというビジャウルティアの選択を反映している。この頃彼はシュルレアリスム絵画に関心を持つが、それはこのグループの提案がフランスにおいて、知性偏重に陥ったキュビスムに代わる新たなモデルとして評価され始めたことを受けている。

第三章では(1)「何も聞こえない夜想詩」(1929)、(2)「愛の夜想詩」(1930)、(3)「バラの夜想詩」(1937)を扱った。これらの詩にはシュルレアリスムとバロック詩への《響き合い》が重なり合っている。(1)は、眠りに落ちた《わたし》の意識が身体を離れ、夢と死の隣接する深淵へ降りたのちに再び身体へ戻る過程を描く。これはソル・フアナの「第一の夢」を同時代風に変奏し、フロイトの夢理論を踏まえ、自ら実験をした自動記述の文章との類似を思わせる不揃いな形で書かれた詩であり、このような融合の背景には、シュルレアリスムの評価とバロック詩の再評価がほぼ同時代に起こったこと、フロイトが古今の詩人たちを夢に関する研究の先駆者とみなしたことがある。

(2)は、傍らに眠る恋人にその夢の中で不義をはたらかれ愛と嫉妬の葛藤のなかで不眠に苛まれる《わたし》の姿を通じて、生の原動力たる愛の欲望が破壊的な死の欲動に転じる様を描く。(1)に比べて形式的に整えられたこの詩はフランシスコ・デ・ケベードのエロティックな夢をモチーフにしたソネットの変奏として読むことができ、このソネットに、夢は願望充足である、愛にはエロスとタナトスの相反する力が共存するというフロイトの考えとの《響きの一致》があることに気づかせる。

(3)にはビジャウルティアの詩作に関する考えが集約されている。前半では詩の主題に関する境界画定が行われ、詩の後半は1929年以降に彼が書いた詩の主題とその言語的特徴の変遷に対応しているとともに、詩作上の重大な指針の発見につながったホセ・ゴロスティサの手紙の《響き合い》が聞きとめられる。最後の詩節は、美しい花が枯れて灰になり無に帰すというイメージを含む、ルイス・デ・ゴンゴラとソル・フアナのソネットをふまえているが、燃えて黒ダイヤとなり闇に穴を穿つバラのイメージは、夢や狂気の領域を探索するシュルレアリスムの態度との《響きの一致》を示してもいる。

第四章では「Amor condusse noi ad una morte」(1939、1941)を扱った。ダンテの『神曲』地獄篇第五歌の一詩句を題として持つこの詩は、表面上は愛をキリスト教の七つの大罪と関連付けながら、実はキリスト教的な罪の意識に対する愛の勝利を仄めかし、ブルトンの『狂気の愛』に収められた「星形の城」(1936)との《響きの一致》を示す。さらにこれは、ブルトンの精神への《響き合い》を表した詩である。ビジャウルティアはこの頃ブルトンの先駆者としてのジェラール・ド・ネルヴァルの《発見》を通じてシュルレアリスムの理解を深めていた。『神曲』はネルヴァルの『オーレリア』のモデルの一つであり、ここにダンテとブルトンを結ぶ接点がある。また1939年スペインからメキシコに亡命した共和国派の知識人たちや翌年チリ総領事としてメキシコに赴任するパブロ・ネルーダが反ファシズムの闘いのための創作活動を推奨しシュルレアリスムの終焉を断じたのに対し、セサル・モロやアグスティン・ラソらとの親交を通じてブルトンの考えをより深く知ったビジャウルティアはその擁護にまわった。ブルトンはナチス支配下の言論統制を受けて亡命を余儀なくされるが、芸術のプロパガンダ的な利用に反対し詩による精神の反逆を志向し続けた。

第五章では「春への賛歌」(1948)を扱った。世界を死から再生へと導く春の力、人間に希望を回復させることばの力を主題とするこの詩は、第二次世界大戦の末期から戦後にかけての文学、特に詩をめぐる状況を背景に書かれ、詩の再生への願いと詩の力に対する信念を表明している。この詩には、雑誌『放蕩息子』の、ナチス占領下のフランスでの言論統制や解放後の文学の展望を論じた論説欄(1945)、そしてブルトンの『秘法十七』(1945、1948)、ネルヴァルの『オーレリア』と『火の娘たち』、ソル・フアナの『第一の夢』と『寓意的ネプトゥーノ』に共有されるエジプトの女神イシスに関する秘教的な興味との《響き合い》が聞きとめられる。大戦中、異端審問とホロコーストを重ね合わせる言説があらわれたが、「春への賛歌」から復元し得る《響き合い》の重なりのうちには、異端審問の恐怖に屈せず自らの知的好奇心に忠実であったソル・フアナ、ナチス占領下の言論統制にさまざまな手段で抵抗したフランスの作家や詩人たち、そして戦後のアンガージュマン文学の流行に異を唱え、詩を擁護したブルトンの姿が重なる。

これらの検討を通じて、ビジャウルティアのシュルレアリスムおよびバロック詩との関わりが従来考えられてきたよりも複雑で豊かなものであること、彼が生涯を通じて「詩には何ができるのか」と問い続けたことが明らかになった。その問いに対する各時点での答えは、それぞれの詩に示されている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、20世紀前半メキシコにおけるシュルレアリスムの受容に深く関わった詩人ハビエル・ビジャウルティア(1903-1950)の創作の軌跡を明らかにするものである。生涯に発表した5つの詩集からそれぞれいくつかの詩を選び、背景となる文化的・社会的コンテクストを参照しながら、着想の源を先行テクストのなかから探り当て、それらがどのように作品のなかで結実していったかを検討し、個々の作品の新たな読解を提示すると同時に、詩人としての全体像を描きだした論文である。

ビジャウルティアは、創作において影響を受けることを怖れない詩人であった。ある書き手がほかの書き手から影響を受けるのは、両者の間にもとから何らかの類似性が存在するからで、影響を受けることによってむしろ自らの潜在的特性を顕在させることができると考え、詩作の着想の源となるモデルを進んで探した。異なる時代や地域の作品や考えのあいだに類似性や一致を見出し(これを本論文では《響きの一致》と呼ぶ)、自らに照らし合わせるというプロセスを繰り返すことによって、作品を作り上げたのである。本論文ではこの創作態度に着目し、このメキシコ詩人が入手しえた可能性のある詩、絵画、戯曲、批評文、あるいは友人たちと交わした手紙を綿密に検討し、詩人とその着想源との《響き合い》の軌跡を描いた、野心的な論文である。

《響き合い》を起こしたモデルのなかで、とくに重要となるのが、ヨーロッパからもたらされたシュルレアリスム、フロイト理論、スペインバロック詩である。ビジャウルティアにおけるこれらの影響に言及した研究は多数あるが、詩中のモチーフやイメージ、言語的特徴について、影響があるとたんに指摘するにとどまり、その発見を各詩の理解を深めることにつなげたものはほとんどない。またアンドレ・ブルトンと同時代に生きたこの詩人が、長い活動時期をもつブルトンの運動をそれぞれの時点でどのように受け止めたかを探る研究も従来なされていなかった。先行研究におけるこのような問題点を踏まえた上で、ビジャウルティアの創作活動を5つの時期にわけ、各時期においてシュルレアリスム、スペインバロック詩が詩人の作品に起こした《響き合い》を詳しく検証している。

本論文はスペイン語で書かれている。序論、結論および5章から構成され、本文、図版、参考文献表、略語表を含め、344頁となる。

第一章では、第一詩集『反射像』(1926)から、この詩集を特徴づける鏡のモチーフを含む四篇「反射像」、「村」、「無色」、「街路」を取り上げた。それぞれ、クロード・モネの印象派絵画、ピカソのキュビズム絵画およびディエゴ・リベラの壁画、セザンヌの絵画、同時代メキシコで革命芸術を標榜していたエストリデンテスモの詩との《響き合い》がどのように起こっているかを検討した。この詩集にはまだシュルレアリスム、バロック詩いずれの影響も見られないが、近代詩人としてのあり方を模索した痕跡を読み取ることができる。言葉をそぎ落とす《純粋詩》、オルテガ=イ=ガセットのいう《非人間化》した芸術、その中で生の痕跡をどう救い出すか、芸術家の政治活動への関与、といった問題に直面し苦悩する詩人の姿をあぶり出した。

第二章では、「詩〔Poesia〕」(1927)と「彫像の夜想詩」(1928)の2つの詩を扱った。最初の詩は、夢想状態で生まれる言葉を書き取り、詩と対話する詩人について描いているものだが、この詩においてシュルレアリスムの自動記述とフロイトの理論が初めてはっきりした形で見られるようになる。ミメーシスではない手法で人間の《生》の問題に取り組むにはどうすればよいか、という点にビジャウルティアがひとつの解決を見いだしたことを明らかにした。また2つめの詩では、ジュール・シュペルヴィエルの詩、デ・キリコの絵画、ジャン・コクトーの戯曲が響き合っていることを検証した。

第三章では、「何も聞こえない夜想詩」(1929)、「愛の夜想詩」(1930)、「バラの夜想詩」(1937)のを分析した。この時期、スペインにおいてバロック詩再評価の大きな動きがあり、それに呼応するものとして、これら3つの詩では、シュルレアリスムのほかにスペインバロック詩からの影響が指摘された。一つ目の詩はソル・フアナの『第一の夢』、二つ目はフランシスコ・デ・ケベードのソネット、三つ目はルイス・デ・ゴンゴラとソル・フアナの詩を発想源としていることを明らかにした。

第四章では、「Amor condusse noi ad una morte」(1939、1941)を論じた。ダンテの『神曲』地獄篇のエピソード、ジェラール・ド・ネルヴァル、そしてブルトンとの響き合いがあることを検証し、またスペイン共和国派の亡命知識人たちやパブロ・ネルーダのプロパガンダ的な芸術への反発をこの詩の中に読み取った。

第五章では、「春への賛歌」(1948)を扱った。この詩は第二次世界大戦末期から戦後にかけての文学をめぐる状況を踏まえて書かれ、詩の再生への願いと詩の力に対する信念を表明していることを指摘した。異端審問に屈することなく自らの知的好奇心に忠実であったソル・フアナ、ナチス占領下の言論統制にさまざまな手段で抵抗したフランスの文学者たち、そして戦後のアンガージュマン文学の流行に異を唱え、詩を擁護したブルトンへの響き合いを指摘した。

これらの検討を通じて、ビジャウルティアのシュルレアリスムおよびバロック詩との関わりが従来考えられてきたよりも複雑で豊かなものであること、また彼が生涯を通じて「詩には何ができるのか」と問い続けたことを明らかにした。

以上が本論文の概要である。本論文の主たる功績は以下の点にまとめられる。

特筆すべきことは、決して読みやすいものとはいえないこのメキシコ詩人の詩の一字一句にこだわった、繊細で豊かな作品分析が行われていることである。先行テクストが織りなす網の目の中にビジャウルティアのテクストを置いて読み直す、という方針から、詩人に影響を与えたであろうメキシコとヨーロッパの古今の文学作品や絵画を幅広く探り、手紙や当時の雑誌なども丹念に読み込み、先行研究では気づかれなかったテクスト同士の結びつきを発見し、それぞれの詩において、従来の解釈の変更に迫る新たな読みを提示した。また先行テクストとの響き合いを明らかにすることで、取り上げた個々の詩がより深く、より豊かに読めることを示し、詩を読む喜びを論文を通して伝えることに成功している。この論文が明晰な見事なスペイン語で書かれていることは強調しておかなければならない。

20世紀前半のひとりのメキシコ詩人の作品を扱いながら、メキシコ国内での政治と芸術をめぐる論争、ヨーロッパの文芸思潮、とくにシュルレアリスム、フロイト理論、バロック詩の再評価の動きがメキシコに導入され、同化されていくプロセスを当時の雑誌などを使って丹念に分析紹介しているため、詩人を取り巻くメキシコの文学状況が鮮やかに示され、視野の広がりのある論文となっていることも、審査員全員から高く評価された。

他方、審査では次のような問題点が指摘された。本論文の研究方法という点からみると、先行テクスト研究に位置づけることができるが、先行テクストから受けた影響やインスピレーションというのではなく、《響き合い(resonancia)》、《響きの一致(consonancia)》という独自の分析概念を使ったところは斬新であると評価できる。これによって、着想源としての先行テクストとの関係をより立体的に示し、詩の制作過程により踏みこんだ解釈を提示し得た。これは方法論としては面白いが、一方で、リスクの多いやり方でもある。先行テクストと響き合う詩作プロセスを、さまざまな証拠を挙げて推測する論述が、いつもうまくいっているというわけではなく、説得力の欠ける論証となっているところが何カ所かあった。とはいえ、説得力をもたせようと、証拠の数を増やし、論理性を追求すると、詩作という行為がもつ危うさが見えなくなってしまいかねず、本論文の方法論は斬新ではあるものの、諸刃の剣だという指摘もされた。また最後の五章の女神イシスについての議論はもう少し踏みこんだ分析が必要であるという意見があった。用語の点では、《響きの一致》という概念を表すのに、ファイナル・コロキアムで提出された論文で使われていたsintoniaという言葉の方が、本論文で使われているconsonanciaよりも適切であるという指摘がなされた。

しかしこれらはいずれも、本論文の全体としての質の高さを本質的に損なうものではない。スペイン語で書かれた本論文が、この領域の研究において大いなる貢献を果たしたことは間違いない。以上から、本審査委員会は、全員一致で、本論文が博士(学術)を授与するにふさわしいものと認定した。

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