学位論文要旨



No 127392
著者(漢字) 宮地,隆廣
著者(英字)
著者(カナ) ミヤチ,タカヒロ
標題(和) 先住民運動の規範と政治行動 : 構成主義アプローチによるボリビアとエクアドルの比較分析
標題(洋)
報告番号 127392
報告番号 甲27392
学位授与日 2011.07.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1092号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,秀雄
 東京大学 准教授 石橋,純
 東京大学 准教授 和田,毅
 東京大学 教授 山脇,直司
 政策研究大学院大学 教授 恒川,惠市
内容要旨 要旨を表示する

序章

ラテンアメリカの先住民は、同地域がヨーロッパ諸国の植民地であったことに由来する社会的劣位に苦しんできた。1970年代後半より各国が民政移管を実現し、政治的自由が保障されると、先住民は地位の向上を目指す運動を活発化させた。1992年には、ラテンアメリカの植民地化の契機となったクリストバル・コロンの「新大陸発見」から500周年を迎え、歴史的に差別を被ってきた先住民への社会的関心も高まった。

ラテンアメリカの先住民運動に関する研究においては、国や地域を問わず、差別に対して闘争をするという側面が強調され、運動内部の差異やその差異を生んだ原因について考察を深めることは乏しかった。本稿は、強力な先住民運動を有するボリビアとエクアドルを比較することで、先住民運動の政治行動に多様性があることを示すとともに、その多様性を説明する要因を検討する。両国には高地と低地にそれぞれ中心となる運動組織があることから、4つの運動が分析対象となる。

一般に、社会運動が民主体制下で要求を実現するにあたっては、相互に排他的ではない3つの行動の選択肢がある。第1に、抗議や陳情、交渉といった政府への要求行為がある。第2に、国政選挙に参加することがある。そして第3に、既存の国家から分離独立することや国内にパラレルな統治機構を作ることといった制度外的な権力獲得行為がある。このうち、国政選挙参加と制度外的権力獲得について、4つの運動組織がそれらの行動を取った時期には、大きな差がある。「新大陸発見」500周年に先立ち、各国社会で先住民にまつわる議論が活発になり始めた1990年を区切りに、そのタイミングを分類すると、次のようにまとめられる。

注目すべき点は、両国の先住民を取り巻く歴史的状況が政治、経済、文化、国際的側面において非常に似ていることである。なぜ、同様の環境にあって、行動のタイミングが運動毎に異なるのか。環境が同一であることを考えれば、差を説明する要因は運動の内面的にあることが予想される。本稿は各運動にとって適切とされる行動の基準を規範と称す。各運動は同一環境下で独自の解釈を行い、それを踏まえて固有の規範を発展させ、それが政治行動の方向性を決定づけたというのが、本稿の仮説である。

第1章

比較政治学において、変化する規範に着目して行動を説明するアプローチは構成主義と呼ばれる。このアプローチでは、分析対象はエージェントとして記述される。ここで言うエージェントとは、自身の行動と、自身を取り巻く環境について常に自省し、解釈を創造する人間のことを指す。こうした人間像を仮説として考えることが行動の説明において有意義であることを示すには、次のことが必要がある。第1に、説明すべき行動を明確にする。第2に、分析対象となる人物や組織の発言で、入手可能かつ信頼可能な情報源から集め、規範の形成過程を再構成する。第3に、規範の変化が実際に観察される行動の変化に対応していることを確認する。その際、対抗仮説の説明能力も同時に検討する必要がある。もし規範変化が他の要因で説明可能であるならば、規範は代理変数に過ぎない。

ラテンアメリカ先住民運動に関する先行研究の多くは、構成主義とは異なり、先住民は一定の選好に従って行動するとされ、先住民が自省を通じ規範を変化させる可能性は考慮されてこなかった。これまで提示されてきた主な仮説は次の通りであり、事例研究において、構成主義はこれらの仮説と説明能力を争うこととなる。

(1)人口規模:アイマラやケチュアといった人口規模の大きな先住民は既存の政治構造を変えるべく政権獲得を試みるが、主に低地に存在する小規模先住民は政治に関わることを避け、現状を受容する。

(2) 首都からの距離:首都の近くに居住する先住民は、首都から離れて居住する先住民に比べ、歴史的に国政に巻き込まれてきた経験を持つ。それゆえ前者は後者より政権獲得に強い関心を持ち、それを実践する。

(3) 選挙制度:両国で1994年に導入された選挙改革により、先住民の選挙参加を阻害してきた制度的制約が撤廃され、先住民の政治行動のパターンが変わった。

(4) 本質的規範:先住民は本質的に規範が一定であるから、政治行動のパターンも変わらない。その規範の中身は、民主的、非民主的、あるいは政権獲得に無関心など、論者によって異なる。

第2章

ボリビア高地運動は、首都周辺に在住し、同国人口の過半数を占める大規模な先住民によって組織された。高地運動は、1978年に始まる民主化のプロセスが始まる以前から、政権獲得の必要性を認識していた。高地先住民は、白人メスティソによる政権の独占こそ先住民の社会的従属の原因であると考えていた。この状況を打破するためには、選挙参加も制度外的行動も共に正当とされた。実際、双方の行動は1980年代より同時に実践された。

ところが、1992年にゲリラ活動とパラレルな立法府の組織が失敗に終わると、それに伴い規範変化が促された。制度外的な行動は不可能なものと見られるようになり、その結果、選挙だけが政権に至る唯一の道とされた。この規範が行動に影響を与えたことは、2000年から2005年に多発した反政府運動において確認できる。政治状況が不安定であったにもかかわらず、高地運動はそれを利用して制度外的に政権を獲得しようとすることはなかった。

第3章

ボリビア低地運動は、高地運動と同一の政治的文脈の中にありながら、1997年まで政権獲得を試みようとはしなかった。過去の政党政治において、白人とメスティソが低地先住民を党利目的で利用してきたことを重く受け止め、低地先住民は政党政治に対し強い不信感を持っていた。彼らにとって唯一正当とされる政治行動は、政党政治に巻き込まれることなく、歴代の政府と直接のコンタクトを持つことであり、陳情を通じて自らの社会経済的福祉の改善が図られた。

低地運動が政治的な意識を発展させたのは1991年以後のことである。この年、先住民組織に高地諸県の少数先住民族が参加するようになった。これに伴い、運動組織のアイデンティティは低地の地方組織から全国組織へと変化し、そのことで全国組織としてなすべき行動として選挙参加が容認された。この規範をもとに、低地先住民は1997年より国政選挙に参加をするようになった。

一方、陳情行為は引き続き低地運動の活動の柱であり続け、陳情相手である政府を否定する制度外的行為は適切なものと認識されることはなかった。1980年代には、高地運動の主導するパラレルな立法府の創設に加わる機会が存在したが、高地運動との規範の違いゆえにそれは実現しなかった。高地運動はボリビア全先住民の前衛を自認して政権獲得を試みたが、こうした態度を低地先住民は高圧的かつ過度に政治的なものと見なし、制度外行動を正当化する高地運動の規範に影響されることはなかった。

第4章

エクアドル高地先住民は、首都近辺に居住し、大規模な人口を持ちながらも、1980年代半ばまで政権獲得に関心を示さなかった。政党政治に対する不信は強く、政党と接触を持つことは運動分裂の原因となると見なされ、民政への移行期、民政移管直後ともに、政治に関わることは避けられた。低地先住民と共同で先住民全国組織を立ち上げた1986年より、全国組織として取るべき政治行動について、高地運動は検討するようになったが、脱政党政治という従来の規範の影響から、制度外的行動のみが正当とされた。この規範は1990年以後に具体化し、先住民人民議会と称するパラレルな立法府組織の創設が計画された。

その後、1992年にこの計画が頓挫したことに伴い、高地運動は規範の修正を迫られた。ここで注目すべき点は、ボリビア高地運動とは異なり、選挙参加と制度外的行動とを同時に正当化するようになったことにある。選挙参加は定期的に到来する政権獲得の機会とされる傍ら、先住民人民議会の創設は長期的に実現されるべき目標とされた。こうした規範のもと、高地運動は自前で政党を組織し、1996年より選挙に参加するようになる一方、1997年のパラレル制憲議会の結成や2000年クーデターへの参加といった制度外的行動も同時に実践した。

第5章

首都から離れて居住する人口希少の低地先住民は政権獲得に無関心であるというステレオタイプを、エクアドル低地先住民運動は打破する動きを示した。当初は、エクアドル社会に対し、低地先住民固有の生活や文化の尊重を求めることが運動の目標であった。ところが、低地帯における石油、牧畜、アフリカヤシ栽培の企業は先住民が伝統的な生活を送る共同体への侵入を繰り返し、その脅威はその民主化以後も続いた。この経験を踏まえ、彼らは選挙を、アマゾン開発を容認する政府の登場を防ぐ手段として認識するようになった。同時に、高地運動の先住民人民議会構想に対しても、それが1990年に具体化されるや、即座に受容された。

こうした政権獲得を是認する規範はいち早く実践された。国政選挙参加に否定的な高地運動を低地運動は説得し、先住民主導の政党を結成することに成功した。その一方、1993年の地方レベルでの先住民議会の創設、1997年のパラレルな制憲議会の創設、2000年のクーデター参加と、制度外的な行動も同時に行われた。

終章

第2章以後の事例研究は、構成主義の説明能力の高さを示すものである。人口規模や首都からの距離という地理的条件は、本稿の分析対象である民政移管開始時から現在に至るまで変化のない要因であり、多様な先住民の政治行動を説明するには適さない。また、選挙制度の仮説に関しても、1994年の前後において先住民運動の政治行動に決定的な変化が起きたわけではない。最後に、本質主義的規範もまた先住民運動を過度に単純化しており、行動の多様性を捉えることができない。各事例が示しているのは、先住民運動の規範はこれらの要因に決定されるものではなく、むしろそれとは独立しているということである。政治状況に対する多様な解釈のもと、各運動は固有の政治規範を発展させ、それに基づき自ら適切と考える行動を選択してきたのである。

この結論からは2つの含意を得ることができる。第1に、ラテンアメリカの先住民運動に関する先行研究は運動の性格を同質的に扱っており、多様な解釈を展開する先住民の姿を看過してきた以上、構成主義の観点から先行研究を再検討する余地は十分にある。第2の含意は、民族運動と民主主義の一般的関係についての議論にまつわるものである。本稿の結論からは、両者の関係に一定の法則を期待することはできないという示唆が得られる。民族はエージェントである以上、固定的な規範をもって行動するわけでもなければ、何らかの条件や制度によって規範の内容を枠づけることもできない。規範は政治アクター間の相互作用で形成されるものであり、民主主義を支持する規範が持続するか否かもまた、民族運動とそれを取り巻く人々との間の、コミュニケーションの積み重ね方次第である。

審査要旨 要旨を表示する

宮地隆廣氏の学位請求論文「先住民運動の規範と政治行動―構成主義アプローチによるボリビアとエクアドルの比較分析―」は、表題にあるとおり、南米ボリビアとエクアドルの高地部および低地部の先住民運動を、構成主義アプローチによって分析した、比較政治学理論にもとづいた論理性と、綿密な現地調査による実証性に富んだ、レベルの高い論文である。

本論文は、序章・本論5章及び終章によって構成されている。序章「問題設定と着眼点」においては、まずラテンアメリカ地域における先住民運動の多様性が語られたのち、その多様性を把握するために、要求、政治参加、制度外的権力獲得という3種類の政治行動に注目するという立場を打ち出している。そして、研究対象はエクアドル高地・低地、ボリビア高地・低地という2国4地域の先住民運動、そのうちでも前出4地域の地域レベルの組織、およびこれらの組織が結成する全国レベルの組織であるとする。理論的枠組みは構成主義であり、そのうちで本論文が注目するものとして、先住民運動の行動の方向性を規定する「規範」を取り上げている。

第1章「フレームワーク 実証的構成主義」では、論文の分析枠組みが検討されている。まず筆者は、対象とするボリビア・エクアドル両国の先住民運動に関する先行研究を批判的に検討し、他者との相互作用の中で変化する規範に着目する必要性を確認せんとする。すなわち、規範に着目しない先行研究は、先住民運動がみせた多様な政治行動を的確に捉えていないこと、そして規範に注目するこれまでの研究も、やはり多様な政治行動を捉えきれていないと同時に、規範が多様な政治行動を規定する重要な要因であることに関して論証を尽くしていないと述べる。そして、こうした先行研究への批判を踏まえ、構成主義の理論的前提や分析の手順を明確にする。

第2章から第5章までは、4地域に分けた事例分析が展開され、具体例に即して著者の理論的立場である構成主義の有効性が確認されている。まず、第2章「ボリビアI 高地先住民運動」では、選挙参加と制度外的権力獲得を早くから実行したことを特徴とする同地域の先住民運動は、政治権力の獲得に強い意識を持っていたが、ゲリラ活動とパラレルな統治機構の確立活動がともに失敗に終わると、選挙参加こそ先住民がとるべき行動であるという規範が確立されたとする。

第3章「ボリビアII 低地先住民運動」においては、選挙参加が遅れると同時に制度外的権力獲得行動をとることもなかったボリビア低地先住民運動は、従来から政党に不信感をもち、政府への要求運動を重視する姿勢をとってきたが、運動の規模を広げる過程で選挙参加を認め、要求活動の相手である政府を否定する制度外的権力獲得をめざすことはなかったとする。

第4章「エクアドルI 高地先住民運動」では、政党政治に対して強い不信感を持ってきたために、先住民議会と称するパラレルな議会制度の確立をめざした先住民運動が、先住民議会開催が挫折した後に選挙参加を認めるも、制度外的権力獲得活動も同時に展開されたとされている。

第5章「エクアドルII 低地先住民運動」では、選挙に早くから参加すると同時に制度外的権力獲得もめざした同地の運動は、当初政府に対する要求運動を行動の原則としていたが、地域の開発に直面して政治規範を変更し、高地先住民との連携を強めて、上記の選挙参加と制度外的権力獲得を同時にめざすことになったという評価を下している。

そして、終章「結論と含意」においては、事例分析の結果をまとめ、構成主義の説明能力が評価されている。そして最後に、ラテンアメリカ先住民運動の方向性と、民族運動と民主主義の関係についての示唆を行って論文を締めくくっている。

本論文は、ラテンアメリカの先住民運動に関する出色の研究であり。この運動について現地においてインタビューを精力的に行うと同時に、新聞などに掲載された言辞を体系的に収集している。このようなデータから抽出された言葉として語られる先住民運動の規範を、実証的・詳細に解析したことは、これまでにない学問的貢献であり、審査員全員から高い評価を受けた。この実証性と同時に、手順を尽くした理論への検討をもとにして、論文全体の論理的整合性が極めて高いと評価する審査員が多数を占めた。

しかし、この論理性に対する評価と裏腹に、方法・理論にこだわるあまり、先住民運動の実際の姿を豊かに描くことの障害になったという意見や、著者が用いる「規範」という概念より「フレーム」がよりふさわしいという意見もあり、審査員との質疑は理論・方法の部分に集中した。そしてまた、著者が収集した分厚いデータを用いてラテンアメリカ現代政治をもっと語ることができたはずなのに、論文がそちらの方向に向かなかったことを惜しむ意見も述べられた。

しかしながら、このような審査員の意見も、比較政治学の方法によるラテンアメリカ研究への大きな貢献という論文全体の価値を否定するものではない。故に、審査委員会は全員一致で、宮地隆廣氏に博士(学術)の学位を授与するにふさわしいと認定する。

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