学位論文要旨



No 127395
著者(漢字) 河野,祐介
著者(英字)
著者(カナ) カワノ,ユウスケ
標題(和) 好熱性シアノバクテリアにおけるセルロース生合成の実証とセルロース大量生産系構築への試み
標題(洋)
報告番号 127395
報告番号 甲27395
学位授与日 2011.07.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1095号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 池内,昌彦
 東京大学 教授 佐藤,直樹
 東京大学 教授 和田,元
 東京大学 准教授 箸本,春樹
 東京大学 准教授 増田,建
内容要旨 要旨を表示する

緒言

好熱性シアノバクテリアThermosynechococcus vulcanus strain RKNは低温光条件(31°C)で細胞凝集を生じる(Hirano et al. 1997)。凝集体では表面細胞のみが光を受け、細胞全体が感知する光量が減少する。そのため、細胞凝集は低温での光阻害を回避する応答と考えられている。また、この細胞凝集はセルラーゼ処理により解消されることが分かっている(Saotome 2005)。実際に、T. vulcanusには、セルロース合成酵素遺伝子の候補が3つ存在する(Tvtll0007、Tvtlr1795、Tvtlr1930-33)。Tvtlr1795やTvtlr1930-33を破壊しても低温光条件での細胞凝集への影響はなかったが、Tvtll0007を破壊するとこの表現型が消失した。ゆえに、低温光条件で誘導される細胞凝集は、セルロースの蓄積により生じることが示唆されている。一般的に考えても、バクテリアの細胞凝集には、セルロースをはじめとする細胞外マトリックス構造体が細胞間ネットワークを形成している例は多い。本研究では、低温光凝集、セルロース蓄積、セルロース合成酵素遺伝子の関係を明らかにする目的で、T. vulcanusにおけるセルロースの定量法を確立し、各セルロース合成酵素様遺伝子の破壊株における蓄積量の定量を試みた。

さらに、私は本研究の過程で、T. vulcanusが低温光条件でグリコーゲンを大量に蓄積することも発見した。そこで私は、このグリコーゲン蓄積を遺伝子工学的にセルロース蓄積に転化させ、セルロースの大量生産系を構築することを本研究の応用面の目的とした。この系は、バイオマスエタノールの原料である植物体セルロースの代替を目指している。今回、グリコーゲン合成系遺伝子の破壊によりセルロースの蓄積が増加するかを検証した。また、さらなる遺伝子工学デザインのために、この株の炭素プールの変動、細胞状態の変化についても検討した。

結果・考察

好熱性シアノバクテリアにおけるセルロース生合成の実証

最初に、T. vulcanusにおけるセルロース定量法の検討を行った。セルロース定量は、セルラーゼ処理により遊離するグルコース当量として測定した。このグルコース定量の特異性は、類似の糖(ガラクトース、マルトース、セロビオース)がほとんど検出されないことで確認された。T. vulcanusのセルロース蓄積は極微量であったため、共存する他の多糖類などによる定量への影響が生じる可能性があった。したがって、細胞から粗精製したセルロース画分をセルロース検出に供した。粗精製は、細胞破砕、界面活性剤に可溶な物質の除去、タンパク質の除去、グリコーゲンの除去の順ですすめ、残った不溶物を遠心回収して行った。この方法で、低温光凝集した細胞をセルラーゼ処理すると遊離グルコースが検出された。この反応は96時間で完了を確認したので、これを定量法の処理時間とした。なお、一般にセルロース粗精製で利用される酢酸硝酸処理(結晶性セルロース以外のほとんどの多糖類を除去する一方で非結晶性セルロースも同時に除去してしまう)を今回の手順に導入すると、セルロース定量値は約70%も減少した。これは、シアノバクテリアの合成するセルロースが非結晶もしくは低結晶性であることを示唆しているが、未検証である。今回は、非結晶性セルロースを含めた総量を測定する目的で、酢酸硝酸処理は採用しなかった。

T. vulcanusのセルロース蓄積量は、通常条件(45°C、光)では5 μg cells -1 (4 x 10 9)で細胞乾重量の約0.01%であった。一方、低温光条件では8時間で既にセルロース蓄積が誘導され、24時間で2倍に達し、以降はそのレベルを保った。この誘導は細胞凝集の誘導より先行していた。近縁種T. elongatusの場合、通常条件ではT. vulcanusと同等の蓄積であったが、低温光条件での誘導がみられなかった。これは、T. elongatusがこの条件で細胞凝集を生じない表現型と一致している。すなわち、低温光条件でのセルロース蓄積の誘導が、T. vulcanusの細胞凝集の要因であることが強く示唆された。セルロース合成酵素様遺伝子破壊株では、Tvtll0007破壊株もしくはセルロース合成酵素様遺伝子の三重破壊株は低温光条件でのセルロースの蓄積誘導が消失した(図1)。逆に、Tvtlr1795やTvtlr1930-33破壊株での蓄積誘導は野生株とほぼ同様のままであった。結論として、Tvtll0007がセルロース合成酵素遺伝子であること、そのセルロース合成が低温光条件での細胞凝集の主要な要因であることが示された。なお、プロテオバクテリア以外のバクテリアでのセルロース合成酵素遺伝子の実験的な同定は、本研究が初めての報告である。

好熱性シアノバクテリアにおけるセルロース大量生産系構築への試み

低温光条件のT. vulcanusでは上記セルロース生合成の活性化に加え、このセルロースの1000倍以上に達するグリコーゲン蓄積の誘導も生じていた。この誘導は、低温光条件下で生育が制限された結果として、過剰になった光合成産物の貯蔵機能であると考えられている。私は、このグリコーゲン蓄積をセルロース蓄積へと転化する目的で、グリコーゲン合成系遺伝子glgC(グルコース1-リン酸からADPグルコースを生成、図2)の破壊株を作製した。glgC破壊株では、野生株が低温光条件で生じるグリコーゲン蓄積が消失していた。すなわち、グリコーゲンへの大量の炭素フローを遮断することができた。

しかし、glgC破壊株では、低温光条件での生育が著しく阻害されてしまう問題が生じた。この株は、この条件で細胞凝集は生じていたが、野生株で生じる細胞の黄化(ブリーチング)がほとんど生じなかった。ブリーチングは、一般的に環境中の栄養(例えば窒素源)の制限時に起こる現象である。その意義は、細胞内に大量に存在する集光性色素タンパク質であるフィコビリソームを分解し、得られるアミノ酸を生育へ転用することであると考えられている。glgC破壊株では、この窒素制限条件下でも同様に生育阻害が起こったため、フィコビリソームの分解あるいはその後の窒素代謝の欠陥が示唆される。そこで、培養窒素源を硝酸化合物からアンモニウム塩にすると、glgC破壊株の低温光条件での生育はやや回復した。

この条件でのglgC破壊株のセルロース蓄積は野生株と比較して増加していた。これは、glgC破壊によりグルコース1-リン酸からUDPグルコースを経由したセルロース合成経路の代謝フローが増加したことを示唆する。ただし、このセルロース増加量は野生株で蓄積するグリコーゲン量を基準とすると少量であった。すなわち、グリコーゲン合成の遮断による潜在的な代謝フローが十分にセルロースまで達しなかったことを意味する。UDPグルコース経由で蓄積がありそうなスクロースは、glgC破壊株でも大量には蓄積していなかった。よって、この潜在的な代謝フローは未知の経路へと流れてしまった可能性がある(図2の?)。セルロースのさらなる増産には、この未知の代謝フローの探索・遮断と同時に、UDPグルコースピロホスホリラーゼ(Ugp)やセルロース合成酵素の強制発現や活性化も検討する必要がある。

Hirano, A., Kunito, S., Inoue, Y. and Ikeuchi, M. (1997) Light and low temperature induced cell flocculation of thermophilic cyanobacterium Synechococcus vulcanus. Plant Cell Physiol 38: s37.Saotome, T. (2005) シアノバクテリアThermosynechococcus vulcanus RKNにおけるセルロース合成酵素様遺伝子の解析. Master thesis

図1 T. vulcanus の各セルロース合成酵素遺伝子破壊株のセルロース蓄積

45 °C もしくは31 °C で72 時間培養時の平均値(n > 4)誤差は標準誤差

*; WT, 31 °C と有意差あり ND; 未測定

図2 セルロースとグリコーゲンの生合成代謝経路

審査要旨 要旨を表示する

光合成のバイオマス生産の改良は、エネルギー問題、食糧問題やグローバルウォーミングなどの環境問題などを根本的に解決するための重要な課題であり、昨今、様々なアプローチで研究されている。本研究では、シアノバクテリアにおいて初めてセルロース合成酵素の同定に成功し、これを利用してセルロース生産に向けた試みを行った。セルロースは植物の細胞壁成分として、地球上でもっとも多く存在する有機物であるが、多くの細菌や一部の動物(ホヤなど)にも分布しており、バイオフィルムや細胞骨格などとして多様な役割を果たしている。セルロースには、結晶性があり、親水性と疎水性を合わせもち、紙や布などの素材として幅広く利用されている。本研究では、好熱性シアノバクテリアThermosynechococcus vulcanus strain RKNが低温・光条件で細胞凝集すること、この凝集体がセルラーゼで解消されること、セルロース合成酵素様遺伝子Tvtll0007の破壊株では凝集体を形成できないことなど、所属研究室の先行研究に基づいて、セルロース合成の実証と増産の研究を行った。論文の第1章では、全体の背景を概説し、第2章ではセルロース生合成の実証を行い、第3章ではセルロースの増産を試行し、第4章で全体のまとめと展望について述べている。研究の詳細は以下の通りである。

第2章「好熱性シアノバクテリアにおけるセルロース生合成の実証」について。微量セルロースの定量法を、粗精製法とセルラーゼ処理、酵素的グルコース定量法を組み合わせて、確立した。この方法によって、凝集細胞と非凝集細胞には、それぞれ約10 ?g/4×109 cellsと5 ?g/4×109 cellsのセルロースが蓄積していることを示した。また、凝集のタイムコースを調べ、処理開始8時間で蓄積の増加が認められ、約24時間で完了すること、つまり、凝集のタイムコースにやや先行することを示した。3種のセルロース合成酵素様遺伝子の破壊株の細胞を31?C光72時間処理後に分析し、凝集能を失ったTvtll0007破壊株ではセルロース蓄積は完全に抑えられたが、Tvtlr1795破壊株やTvtlr1930-33破壊株ではセルロース蓄積は野生株と同様に進行した。また、これらの3重破壊株でもセルロース蓄積はTvtll0007破壊株と同様であった。この結果から、Tvtll0007はセルロース合成酵素をコードする遺伝子であると結論した。一方、他の2種はこれと相同性は高いが、その機能はまだ不明である。TvTll0007タンパク質は、酢酸菌のセルロース合成酵素に保存されたモチーフや酵素活性を活性化するPilZドメインをもつが、従来知られているグループとは異なるグループに属する初めてのものであり、シアノバクテリアや藻類において初めて同定されたものである。また、蓄積したセルロースをcalcofluor染色や走査型電子顕微鏡観察によって確認した。これらに結果から、TvTll0007が低温・光条件で合成するセルロースが細胞凝集を引き起こしていることが明らかになった。

第3章「好熱性シアノバクテリアにおけるセルロース大量生産系構築の試み」について。セルロース定量と平行して、簡便なグリコーゲン定量法を確立し、セルロースが蓄積する条件で、大量にグリコーゲンも蓄積していることを見出した。その量は約35 mg/4×109 cellsであった。このグリコーゲン蓄積をセルロース蓄積に転用することを目指して、グリコーゲン合成の基質ADP-グルコースを合成する酵素GlgCの遺伝子を破壊した。この破壊株は全くグリコーゲンを蓄積せず、代わりにセルロース蓄積が約2倍に増加した。また、有力な有機炭素であるスクロースは破壊株では全く検出されなかった。このことは、細胞内の炭素フローのごく一部をセルロース蓄積に転用できたが、大半は回収できていないことを示す。また、glgC破壊株31?Cでの増殖が非常に遅かった。窒素源となる硝酸イオンの取り込みが悪いためといわれているため、尿素やアンモニアを供給して、増殖がわずかに回復することを確かめた。また、45?Cであっても、窒素分の供給を止めると、glgC破壊株の増殖が停止すること、細胞のクロロフィルやフィコビリン色素含量が低下しなかったことが示された。これは、glgC破壊株の代謝調節に異常が出ていることを示している。

なお、第1章の約半分は、早乙女敏行、落合有里子、片山光徳、成川礼、池内昌彦との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究の立案、遂行を行っており、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上の結果は、シアノバクテリアにおいて初めてセルロース合成酵素の同定に成功し、これを利用してセルロース生産に向けた試みを行った点で、光合成の基礎研究と応用研究の両面で大きな貢献をするものと認められる。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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