学位論文要旨



No 127399
著者(漢字) 甲斐,渉
著者(英字)
著者(カナ) カイ,ワタル
標題(和) トラフグ連鎖地図の作製と比較ゲノム解析
標題(洋)
報告番号 127399
報告番号 甲27399
学位授与日 2011.09.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3721号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 金子,豊二
 東京大学 教授 西田,睦
 基礎生物学研究所 准教授 成瀬,清
 東京海洋大学 准教授 坂本,崇
内容要旨 要旨を表示する

近年,ゲノム解読の進む一部の農業生物では, ゲノム情報を遺伝学的解析に活用することにより有用遺伝子座に関する情報の蓄積が急速に進み,これが品種改良の大幅な効率化に寄与すると期待されている.いくつかの養殖魚においても,有用遺伝子座の同定による新品種作出に向けて,遺伝子座の解析基盤である連鎖地図の作製が進んでいる.しかし,ほとんどの養殖魚でゲノム解読計画は進んでおらず,農業生物のようなゲノム情報に基づく遺伝学的解析はなされていない.そうした中で,トラフグはゲノム概要配列が公開された例外的な養殖対象魚であり,魚類ゲノムのモデルとして注目されてきた.しかし,連鎖地図が存在しなかったため,ゲノム配列情報を遺伝形質と結び付けることはできなかった.また,こうしたモデル生物のゲノム配列情報を種間で比較することで,ゲノムが解読されていない非モデル生物のゲノム構造を推定し,連鎖解析の効率化に結び付ける試みが穀物などでなされているが,トラフグの概要配列は断片化された状態(scaffold)でデータベースに登録されており,各scaffoldの染色体上の位置が不明であるため,ゲノム構造を比較するための研究資源とはなり得なかった.トラフグのゲノム情報を有効に活用するためには,何よりも連鎖地図の作製が重要なのである.

本研究では,まず,トラフグ養殖においてゲノム情報を活用した遺伝学的解析の基盤を得るため,連鎖地図の作製を行い,連鎖地図と概要配列を統合したゲノム地図を作製した.次に,多くの養殖魚を含む非モデル魚のゲノム構造を推定する基礎として,トラフグのゲノム地図を,他のモデル魚類のゲノム地図と比較し,硬骨魚類のゲノム構造の類似性や進化過程を明らかにした.これにより,トラフグのゲノム情報をトラフグのみならず,他の多くの養殖魚の効率的な育種へと応用していくための基盤を整備することができた.

第1章 トラフグ連鎖地図の作製

マイクロサテライト(MS)配列は,真核生物のゲノム上に広く散在しており,個体レベルでの多型性が著しく高いことから,この配列をDNAマーカーとした連鎖地図の作製が多くの生物種において行われている.しかし,ゲノム配列情報に乏しい生物種では,マーカーを作製するにあたり,MS配列を含む領域の配列を決定しなければならず,膨大な労力を必要とする.一方,ゲノム配列が公開されている生物種では,ゲノム情報を参照することで,MS座のマーカーを容易に作製することが可能である.そこで,公開されたトラフグゲノムデータベースの中からMS配列を探索し,これをDNAマーカーとしたトラフグ連鎖地図の作製を行った.その結果,200個のマーカーから構成される22個の連鎖群を得た.マーカー連鎖率は94.3%を示したことから,本地図はトラフグの全ゲノム領域をほぼ網羅するものと考えられた.各scaffold 上に存在するマーカー間の遺伝距離をもとにscaffoldを整序した結果,合計39.2 Mbの配列が連鎖地図上に位置付けられた.以上により,トラフグの遺伝形質の解析基盤,および,トラフグのゲノム構造を他のモデル魚類のゲノム構造と比較するための研究基盤を作り出すことができた.

第2章 連鎖地図を利用した硬骨魚類の比較ゲノム解析

近年,多くの生物種においてゲノム解読が進展し,各生物の染色体進化の過程が明らかになりつつある.魚類においても,2005年の時点で,ミドリフグ,メダカ,ゼブラフィッシュのゲノムを用いた比較解析がそれぞれ報告されていた.これらの解析はいずれも,脊椎動物の共通祖先ゲノム構造の推定と硬骨魚類系統における太古の染色体再編成の理解に焦点を当てていた.一方,多くの養殖魚は棘鰭上目に属し,これら各魚種の共通祖先は約2億年前に存在したと考えられている.つまり,モデル魚類のゲノム構造から非モデル魚類のゲノム構造を推定するには,硬骨魚類の染色体進化において,比較的最近に起きた事象を理解する必要がある.そこで,本章では,第1章で明らかになったトラフグ遺伝子のゲノム上の位置情報をミドリフグ,メダカ,ゼブラフィッシュのそれと比較し,染色体進化において比較的最近起きた再編成事象の理解に焦点を当てた.その結果,トラフグと各魚種間(特にミドリフグとメダカ)のシンテニーは高い保存性を示した.また,シンテニーの保存性の度合いを魚類間と哺乳類間で比較したところ,哺乳類間に比べ魚類間のシンテニーの保存性は極めて高かった.したがって,魚類と哺乳類では染色体進化のパターンが異なっており,硬骨魚類の染色体進化の過程では染色体間再編成事象が哺乳類と比べて少なかったと考えられた.

第3章 トラフグ連鎖地図の高密度化

前章での比較解析に利用した配列は公開されたトラフグ概要配列の10%程度であるため,硬骨魚類の染色体進化を正確に把握するには至っていなかった.より詳細な比較を行うには,より多くの遺伝子のゲノム上の位置を知る必要がある.2005年のトラフグ・ゲノムアセンブリの更新によりscaffold間のギャップが埋められたので,比較的少数のscaffoldを連鎖地図に位置付けることで,全ゲノム配列を染色体レベルで再構築できると考えられた.そこで,サイズの大きなscaffoldから得た多型マーカーを中心として,トラフグ連鎖地図の高密度化を行った.第1章で得た212個の多型マーカーに加え,新たに1020個のマーカーを作製し,これらのマーカー座の連鎖関係をもとに連鎖地図を作製した.その結果, 1,219個のマーカーから構成される22個の連鎖群を得た.748個のscaffoldに存在するマーカー間の遺伝距離をもとに各scaffoldを整序した結果,合計336.4 Mbの配列が連鎖地図上に位置付けられた.この内,195個のscaffoldについては連鎖群上の方向性まで明らかとなった.より多くのscaffoldの方向性を明らかにするため,330個のマーカーについて,別途に作出した解析家系を用いて連鎖解析を行った.その結果,さらに83個を加えた合計278個のscaffoldについて連鎖群上の方向性を明らかにした.すなわち,トラフグ連鎖地図と概要配列の統合により,概要配列の86%にあたる336.4 Mbの配列を連鎖群上に再構築し,この内,281.6 Mbの配列については連鎖群上の方向性まで明らかにすることができた.

第4章 硬骨魚類における染色体進化過程の推定

様々な生物種においてゲノム解読が進んだことで,ゲノム構造の比較研究により,太古の共通祖先生物のゲノム構造を推定することが可能となった.さらに近年では,多様な生物種が生まれてきた歴史を推定するため,比較的最近生じたゲノム再編成を解明しようという動きも盛んになりつつある.トラフグとミドリフグの分岐年代は約7300-9600万年前と推定されている.近似した年代に分岐した哺乳類にヒトとマウスが挙げられる(約8700万年前).そして,両種のゲノム構造の間には多くの染色体間再編成が認められている.また,無脊椎動物で同様の範囲に分岐年代を示すショウジョウバエの種間(約6300万年前)では,染色体間再編成が少なく,染色体内再編成が高い頻度で生じているという進化パターンが明らかとなっている.ここでは,トラフグとミドリフグのゲノム構造の比較を中心としながら,メダカやゼブラフィッシュのデータを加えて,魚類の染色体進化過程を詳細に解析し,そのパターンを哺乳類や無脊椎動物のパターンと比較した.まず,両フグ間のシンテニーの保存性を調べた結果,両魚種のハプロイド染色体中(トラフグ22本,ミドリフグ21本),18組の染色体が1:1関係を保持しており,ほとんどの染色体はフグ目の共通祖先から分岐して以降,染色体間再編成を受けていなかった.次に,フグのデータにメダカとゼブラフィッシュのゲノムデータを加えて解析を行ったところ,フグ・メダカの共通祖先から両フグに至る系統で起きた数少ない染色体間再編成の歴史を推定できた.さらに,両フグ間のジーンオーダーの保存性を調べた結果,ジーンオーダーは非常に良く保存されており,染色体間再編成に加え,染色体内再編成もほとんど起こっていなかった.この染色体進化のパターンは哺乳類や無脊椎動物で示されている進化のパターンとは異なっていた.最後に,両フグ間で認められた染色体間および染色体内の再編成頻度と両フグの推定分岐年代をもとにゲノム再編成速度を算出し,トラフグ・メダカ間や哺乳類間のゲノム再編成速度と比較した.この結果,両フグ間で認められる再編成速度はトラフグ・メダカ間のそれの1/2程度であった.また,両フグとほぼ同時期に分岐したとされるヒト・マウス間の再編成速度は両フグ間の再編成速度の約2倍であった.これらのことから,フグに至る硬骨魚類のゲノム再編成速度は時代を下ると共に低下傾向にあることが示唆された.

以上,トラフグ高密度連鎖地図の作製により,トラフグ養殖においてゲノム情報を活用した効率的な育種法を適用するための基盤が形成された.また,連鎖地図と概要配列を統合したことで,ゲノム配列の大部分を染色体レベルで再構築できた.このデータを用いて他のモデル魚類のゲノム構造と比較した結果,硬骨魚類のゲノム構造は哺乳類と比較して著しく保存性が高いことが示され,モデル魚類のゲノム構造から非モデル魚類のゲノム構造を精密に推定できると考えられた.今後,非モデル魚類の連鎖解析に,トラフグを含むモデル魚類のゲノム配列情報が活用されることが期待される.

審査要旨 要旨を表示する

養殖対象魚として唯一,トラフグのゲノム概要配列が公開された.このゲノム情報を有効利用して行くための高密度な連鎖地図を作製し,さらに硬骨魚類のゲノム構造の類似性や進化過程を明らかにしたのが本研究である.

トラフグは脊椎動物で最小のゲノムサイズを持つことから比較ゲノムのモデルとしてその配列が解読されたが,その配列は断片化された状態(Scaffold)でデータベースに登録されたものであった.一方,日本では重要な養殖対象魚であることから,連鎖地図を作製し,配列の整序化を行なうことで,ゲノム配列情報を遺伝形質と結び付けて行く道が開けるはずである.さらにモデル生物のゲノム情報を種間で比較することで,ゲノムが解読されていない非モデル生物のゲノム構造を推定することも可能である.本研究ではまず連鎖地図と概要配列を統合したゲノム地図の作製を行なっている.次に,トラフグのゲノム地図を,他のモデル魚類のゲノム地図と比較することにより,硬骨魚類のゲノム構造の類似性や進化過程を明らかにしている.この成果は,多くの養殖魚を含む非モデル魚のゲノム構造を推定する基礎を与えるもので,トラフグのゲノム情報をトラフグのみならず,他の多くの養殖魚の効率的な育種へと応用していくための基盤を整備することに成功している.

トラフグ連鎖地図作製については,初期段階を第1章に,さらなる高密度化について第3章に記述している.連鎖地図はゲノムデータベースの中からマイクロサテライト配列を探索し,これをDNAマーカーとすることで効率よく作製している.そして,第1段階として200個のマーカーから構成される連鎖地図を作製し,その後のトラフグ・ゲノムアセンブリが更新されたことに基づきさらなる高密度化を図っている.その結果,1,220個のマーカーから構成される22個の連鎖群を得て,749個のscaffoldを整序することができた.これにより概要配列の86%にあたる338 Mbの配列を連鎖群上に再構築し,この内,282 Mbの配列については連鎖群上の方向性まで明らかにしている.こうした研究はトラフグのゲノム配列情報を遺伝形質と結びつけるための道筋をつけるものである.

第2章では第1世代の連鎖地図に,第4章では高密度化された連鎖地図に基づいて,ゲノムが解読された他魚種との比較ゲノム解析について記されている.トラフグに続いて,ミドリフグ,メダカ,ゼブラフィッシュのゲノムが解読されていたことから,トラフグと,近縁のミドリフグのゲノム構造の比較を中心としながら,メダカやゼブラフィッシュのデータを加えて,魚類の染色体進化過程を詳細に解析している.まず,両フグ間のシンテニーの保存性を調べた結果,両魚種のハプロイド染色体中(トラフグ22本,ミドリフグ21本),18組の染色体が1:1関係を保持しており,ほとんどの染色体はフグ目の共通祖先から分岐して以降,染色体間再編成を受けていないものと推定している.次に,フグ・メダカの共通祖先から両フグに至る系統で起きた数少ない染色体間再編成の歴史を推定している.さらに,両フグ間のジーンオーダーも非常に良く保存されており,染色体内での再編成もほとんど起こっていないものと推定している.これら染色体間および染色体内の再編成頻度と両フグの推定分岐年代をもとにゲノム再編成速度を算出し,両フグ間で認められる再編成速度はトラフグ・メダカ間のそれの1/2程度であり,フグに至る硬骨魚類のゲノム再編成速度は時代を下ると共に低下傾向にあるという興味深い推察を行なっている.

以上,本研究によりトラフグ高密度連鎖地図が作製されたことにより,トラフグ養殖においてゲノム情報を活用した効率的な育種法を適用するための基盤が形成された.また,連鎖地図と概要配列を統合したことで,ゲノム配列の大部分を染色体レベルで再構築することができた.このデータを用いて他のモデル魚類のゲノム構造と比較した結果,硬骨魚類のゲノム構造は哺乳類と比較して著しく保存性が高いことを示し,非モデル魚類の連鎖解析へと応用される可能性も示している.なお,本研究により詳細なゲノム地図が完成されたことに基づき,トラフグゲノムデータベースはVer.4からVer.5へのバージョンアップも図られ,世界の研究者の利用に供されている.このように,本研究は基礎研究としても,応用研究の基盤としても極めて意義深いもので,その成果は既に国際的にも高く評価されているところである.審査における質疑応答は,専門分野に関する深い知識を持つことを示すものであり,研究成果の大要は膨大な参考データと共に原著論文としてすでに報告されていることから,審査委員一同,博士(農学)の学位を授与するに値するものと認めた.

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