学位論文要旨



No 127401
著者(漢字) 河合,真之
著者(英字)
著者(カナ) カワイ,マサユキ
標題(和) 地域発展戦略としての「緩やかな産業化」の可能性 : インドネシア共和国東カリマンタン州を事例として
標題(洋)
報告番号 127401
報告番号 甲27401
学位授与日 2011.09.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3723号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,真
 東京大学 教授 佐藤,雅俊
 東京大学 教授 菅,豊
 東京大学 准教授 永田,淳嗣
 京都大学東南アジア研究所 教授 藤田,幸一
内容要旨 要旨を表示する

背景・課題・方法

インドネシアではアブラヤシ農園開発が熱帯林と生物多様性の破壊、地域住民との土地紛争など環境的社会的問題を引き起こしながら急速に拡大し、これら諸課題への解決の糸口あるいは方向性を提示することが実践的意義を持つ研究に求められている。

本研究の課題は、大規模アブラヤシ農園開発計画を受けた東カリマンタン州において、環境的社会的負荷が少なく、地域住民が自律的な発展を図れるような地域発展戦略のモデルを提示することである。用いる学問は1章がコモンズ論、2章が農園開発史、3章が農村開発金融論である。詳細は結果・考察に記載するが、その際、特に農園開発制度や金融制度の構造が導く従属(依存)と自律の違いに着目して、地域発展戦略を検討する。

フィールド調査は2004年から2010年の6年間、地域横断的・アクター横断的・階層縦断的・時差観察的に実施された。具体的には35村2都市を訪れ、地域住民、NGO、政府関係者、企業関係者といった多様なアクターに聞き取りを行った。さらに農業省、州農園局、県農園局と階層を縦断した聞き取りも実施した。

結果・考察

1章ではコモンズ論の視点から、いまだ豊富な熱帯二次林の残る東カリマンタン州マハカム川中上流域のローカル・コモンズの変容を描く。本地域では先住民のバハウ・ダヤック人が焼畑を中心に自給自足的な生活を送ってきた。一方で、彼らは早くから籐や樹脂の販売を通じて現金を獲得し、市場経済化の影響を受けてきた。彼らの慣習地は、焼畑、休閑林、果樹園といった慣習的な私有地と、村の指導層の会議で許可された場合のみ木材の利用が認められる「慣習保全林」や村人であれば木材伐採、非木材林産物の採集、狩猟などあらゆる生産活動が認められる「慣習利用林」といった共有地に分けられる。1960年代まで広大な森林と希薄な人口密度のため、これらの慣習地は「偶発的な」あるいは「副産物としての」持続的利用がなされるルースなコモンズとして存在してきた。しかし、1968年以降は国家による伐採事業権を取得した木材企業が"合法的に"これらの慣習地で伐採を行った。当時の企業は軍隊や警察に守られていたので、地域住民はそれを見過ごすしかなかった。一方、木材企業での賃労働、野菜や魚の販売を通じて地域住民は現金収入を得るようになり、本地域には貨幣経済が急速に浸透した。その後1998年にスハルト独裁体制が崩壊し、民主化と地方分権化の時代を迎えると、地域住民の権利が向上し、企業は彼らの合意なく開発を進めることができなくなった。しかし、地域住民は自らの経済的権利を主張することが多く、企業から慣習地での伐採に対する補償金を獲得するとともに、ブローカーに従って違法伐採に参加し、慣習林の「意識的な」持続的利用が芽生えることはなかった。本地域の森林は急速に劣化し、企業は伐採許可の獲得が困難になり、違法伐採は政府の強い取り締まりを受け、木材産業は衰退した。地域住民は経済的な困窮状態に置かれ、商品作物である天然ゴムや早生樹のモルッカネムを焼畑に栽培して活路を見出そうとしている。そのような中、2006年に中央政府の政策で突如出現したのが大規模アブラヤシ農園開発計画であった。地域住民は現在その受け入れか拒否かの選択を迫られている。

2章では、文献調査によるインドネシアの農園開発史の把握と農園開発が進行した地域での現地調査から、農園開発がもたらす影響を明らかにする。インドネシアでは19世紀のオランダ植民地期に「農地法」が制定され、地域住民の土地が国有地として取り込まれた。その上で企業に土地の租借権が付与され、プランテーション開発が進んだ。ジャワではサトウキビ農園開発が自給農業である水田を取り込みながら、地域住民を従属させる形で進行した。一方、外島のスマトラやカリマンタンの一部では、広大な土地と低い人口密度のために、企業の大農園に加えて、小農が商品作物(ゴム、コーヒー等)を自律的に焼畑に取り込んだ伝統的農園が登場し、農村における貨幣経済の浸透が進んだ。さらに独立後の1970年代後半には、小農の近代的農園を造成するPIR 制度とUPP 制度が登場した。前者は企業の大農園と住民の土地の収用を伴い、農家は企業に依存し、契約企業に収穫物を販売しなければならない。主にアブラヤシ農園開発に用いられた。後者は政府のプロジェクト実施組織であるUPPの側面支援を受けながら、農家が小規模分散型で高収量の近代的農園を造成する。企業を伴わないので、大規模な土地の収用とモノカルチャーを回避し、収穫物は任意の仲買人に販売でき、農家は自律的な農園経営者となる。主にゴム園開発に用いられた。家計調査の結果、UPP制度によるゴム園はPIR制度によるアブラヤシ農園と比較して、単位面積当たりの現金収入が高く、環境的社会的負荷が少なかった。しかし課題として、十分な資本を有しない小農の農園の近代化には金融制度が必須だが、UPP制度は融資の資金回収方法に問題があり、現行の政策では実施が困難となっていた。

3章では農村開発金融論の視点から、文献調査を通じて途上国とインドネシアの農村金融における議論を整理し、事例調査からマハカム川中上流域における持続可能な農村金融制度の構築の可能性を検討した。途上国の農村は、物理的アクセスの困難、法の強制執行の困難、情報の非対称性の高さ、小口取引によるコスト高など、取引費用が膨大にかかり、一般の営利金融機関に忌避される。農村金融の成功は金融機関の経営の「自立性」と対象への「到達度」から評価されるが、上記農村の特徴から、2つはトレードオフの関係にあり、その両立が課題となる。1960年代から70年代にかけて、東南アジアの農村では「緑の革命」の推進のために、農村部門へ資金が人為的・政策的に注入された。それらは食糧の増産といった政策目的に一定の効果をあげつつも、低い資金回収率、原資の外部依存性の高さ、大農や富農中心の貸出といった問題を引き起こした。このような政策介入による金融はFarm Finance(FF)と呼ばれるが、「自立性」と「到達度」の双方で問題を抱えていた。これに対して、1980年代に構造調整政策や金融自由化論と結びついて登場したアプローチがRural Finance Market (RFM)である。これはFFにみられる低金利の融資や外部資金を否定し、市場の調整力と農民の自発性・合理性を活用して、持続可能な農村金融市場の構築を目指す。その成功例がインドネシアのBRI銀行であるが、「自立性」を重視することから、農村地域における「到達度」の面で課題を抱えている。これに対して、FFにもRFMにも属さずに注目されるのは、クレジットユニオン(CU)である。CUは"自助"、"共助"、"自己管理"、"自己責任"の協同組合原則に基づき、民族、宗教、職業といったコモンボンドを基に取引費用を吸収しながら経営される。CUは民主化後のインドネシアで急拡大している。事例調査の結果、CUはRFM型のBRI 銀行が進出しておらず、FF型の協同組合が破綻をくり返すマハカム川中上流域で、地域住民のネットワークや社会意識を活用して取引費用を吸収し、全ての融資金を会員の預金で賄いながら、自律的で持続可能な農村金融として成立する可能性を示した。さらにFF型で自立性に問題を抱えるUPP制度は、CUとの協働によってその課題を克服し、地域内での自律的な農園開発制度として再活性化できる可能性が示唆された。

結論

以上から4章では、マハカム川中上流域が取り得る地域発展戦略が検討される。まず(1)PIR制度によるアブラヤシ農園開発を受け入れる「完全な産業化」が考えられる。しかしこの戦略では、参加農家の現金収入が向上するものの、企業への依存が高まり、大規模な慣習地の収用とモノカルチャー化のリスクがある。一方、現在マハカム川中上流域の住民が取り入れつつある戦略が(2)伝統的ゴム園により現金収入を獲得する「市場経済化」である。これは企業を伴わないので、大規模な土地の収用やモノカルチャーを避け、地域住民が自律的に農園を造成できる。しかし(1)と比較して農園の単位面積当たりの収量の低さが課題である。これに対して、本研究で新たに提示するのが(3)UPP制度による産業化を部分的に受け入れながら、従来の人々の生活様式と森林との共生関係を一定程度維持する「緩やかな産業化」である。これは(1)と同等かそれ以上の現金収入の獲得を可能としつつ、(2)のように土地の収用と大規模なモノカルチャーを避け自律的で社会的環境的負荷の少ない地域発展を可能とする。いずれの戦略を選択するかは地域住民の判断にかかってくるが、今後の課題はいかに残された森林に対する「コモンズの再構築」を実現するかである。

東カリマンタン州の各地は今、アブラヤシ農園開発を巡って、現世代の決定が今後数十年から数百年、あるいはそれ以上の世代の未来を決定づける決定的に重要な転機に差し掛かっている。本研究の意義は「あの時、実は別の道もあった」という事後的な回顧ではなく「今、別の道も選択できるのだ」という「緩やかな産業化」を含めて考え得る全ての選択肢を決定が下される前に事前的に提示することである。本研究がアブラヤシ農園開発の諸課題を解決に導きながら、地域住民、中央政府、地方自治体、国際機関、NGO、研究者の今後の政策決定や意思決定に役立ってくれることを願ってやまない。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、インドネシアにおいてアブラヤシ農園開発が熱帯雨林と生物多様性の破壊、地域住民との土地紛争など環境および社会的問題を引き起こしながら急速に広がっていることを背景とし、大規模アブラヤシ農園開発計画を受けた東カリマンタン州において、環境的社会的負荷が少なく、地域住民が自律的な発展を図れるような地域発展戦略のモデルを構築することを目的としたものである。

フィールド調査は2004年から2010年の6年間、地域横断的・アクター横断的・階層縦断的・時差観察的に実施された。具体的には35村2都市を訪れ、地域住民、NGO、政府関係者、企業関係者といった多様なアクターに聞き取りを行った。さらに農業省、州農園局、県農園局と階層を縦断した聞き取りも実施した。

1章ではコモンズ論の視点から、東カリマンタン州マハカム川中上流域のローカル・コモンズの変容を描いた。本地域では先住民のバハウ・ダヤック人が焼畑を中心に自給自足的な生活を送ってきた。1970年代以降は伐採事業権を得た木材企業が合法的に地域住民の慣習林で木材を伐採し、ローカル・コモンズは撹乱されたが、人々は木材産業から現金収入を得るようになり、本地域に貨幣経済が急速に浸透した。しかし、近年は森林の劣化で木材産業が衰退し、人々は経済的困窮に陥っている。そのような中でアブラヤシ農園開発計画が浮上した。

2章では、オランダ植民地期からの農園開発史を整理し、現地調査の結果からアブラヤシ農園とゴム園開発による社会経済的影響を示した。インドネシアでは19世紀の植民地期にアブラヤシやゴムといった商品作物が導入され、農園は企業プランテーションと小農が焼畑に商品作物の栽培を取り込んだ伝統的農園に二極分化した。独立後の1970年代後半には、小農の近代的農園を造成する「中核衛星農園」(以下、PIR)制度 と「プロジェクト実施組織」(以下、UPP)制度が登場した。前者は企業プランテーションと地域住民の土地の収用を伴い、農家は企業に依存する。後者は政府のプロジェクト実施組織であるUPPの支援を受けながら、農家が小規模分散型で高収量の農園を自立した農園経営者として造成する。家計調査の結果、UPP制度によるゴム園はPIR制度におけるアブラヤシ農園と比較して、単位面積当たりの現金収入が高く、環境的社会的負荷が少ないことが明らかとなった。しかしUPP制度は資金回収率の低さが課題であり、現行の「農園活性化プログラム」では実施が困難となっていた。

3章では農村開発金融論の視点から、マハカム川中上流域における持続可能な農村金融制度構築の可能性を検討した。民主化後のインドネシアではクレジットユニオン(以下、CU)が急拡大している。事例調査の結果、遠隔地で既存のマイクロファイナンスの成立が困難なマハカム川中上流域で、CUは地域住民のネットワークや社会意識を活用し、持続可能な農村金融として成立する可能性が示された。ここから、資金回収率に欠点を抱えるUPP制度はCUとの協働によって地域内での自律的な農園開発制度として再活性化できる可能性が示唆された。

以上から、4章ではマハカム川中上流域が取り得る地域発展戦略として、(1)既存のアブラヤシ農園開発を受け入れる「完全な産業化」、(2)産業化を受け入れずに伝統的ゴム園によって現金収入を獲得する「市場経済化」、(3)新たにUPP制度による産業化を部分的に受け入れながら、従来の人々の生活様式と森林との共生関係を一定程度維持する「緩やかな産業化」を提示した。今後は残された森林に対する「コモンズの再構築」をいかに実現するかが課題である。この「緩やかな産業化」は、(1)と同等かそれ以上の現金収入の獲得を可能としつつ、(2)のように土地の収用と大規模なモノカルチャーを避け自律的で社会的環境的負荷の少ない地域発展を可能とする戦略である。いずれの戦略を選択するかは地域住民の判断にかかってくるが、今後の課題はいかに残された森林に対する「コモンズの再構築」を実現するかである。

以上のように、本研究は将来を決定づける転機を迎えつつある東カリマンタンのアブラヤシ農園開発を事例としながらも、途上国が直面している環境と開発の問題に対して大きな示唆を与えてくれており、学術上および政策上の貢献が大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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