学位論文要旨



No 127402
著者(漢字) 目黒,紀夫
著者(英字)
著者(カナ) メグロ,トシオ
標題(和) 「コミュニティ主体の保全」を通じた地元住民と野生動物の共存可能性 : ケニア南部アンボセリ生態系に暮らすマサイの事例から
標題(洋)
報告番号 127402
報告番号 甲27402
学位授与日 2011.09.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3724号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,真
 東京大学 教授 遠藤,秀紀
 東京大学 教授 鬼頭,秀一
 京都大学 教授 太田,至
 国立民族学博物館 教授 池谷,和信
内容要旨 要旨を表示する

【背景・課題・方法】

序章では、野生動物保全の領域では1990年代に「要塞型保全」からCBCへのパラダイム転換が起きたとされるが、新パラダイムには人間と自然の共存を目指すCBC以外に「生命中心的」な保全と「人間中心的」な保全の両方を含み得る幅広い枠組みとしてのCCや、南部アフリカの経験に基づく新自由主義的なCBNRM、多様な利害関係者の包摂とそれらの間における熟議を重視するアプローチが議論されてきていることを確認した。そうした野生動物保全の新パラダイムの議論が「外部者と地元住民のかかわり」の側面を重点的に議論する一方で、「地元住民と野生動物のかかわり」に関しては論議が手薄であることを踏まえ、CBCを通じて地元住民と野生動物の共存が進展・実現しているのかどうかを2つの「かかわりの変化」に基づき検討することを本研究の課題に設定した。新パラダイムのレビューから抽出された便益・権利・対話を「外部者と地元住民のかかわりの変化」の、また、人類学や野生動物管理学から導出された狩猟と被害を「地元住民と野生動物のかかわりの変化」の分析視点とすることとした。現地調査は2005年8月より2011年3月にかけて断続的に行いケニアへの滞在期間は合計499日である。調査助手を用いた半構造インタビューや無作為抽出世帯を対象とする質問票調査、地元集会への参与観察などを行った。

【調査地・事例】

第1章では、前半で調査対象民族であるマサイの社会構造と生業の概要を説明した。一般にウシ牧畜民と見做されるマサイの社会は年齢階梯制度に基づき組織されており、地域集団ごとにテリトリーは管理されてきた。ケニアでは1960年代に集団ランチ制度が導入され、地域集団を細分化する形で共的な土地所有権が付与されたが、70年代以降には集団ランチの私的分割が各地で実施され土地の私有化が進行してきた。章の後半では調査対象国であるケニアの野生動物保全の歴史の概略を説明した。ケニアのマサイランドでは19世紀末の植民地化直後から野生動物保全が展開されており、20世紀半ばには国立公園が複数設立された。63年の独立後もケニアの保全政策は地元住民の意見や権利を無視して中央集権的に決定・遂行されてきたが、90年代に入りCBCが政策の柱に据えられてからは、地元コミュニティへの便益還元やその土地における観光開発・保護区設置が進められてきた。

本研究の対象地は20世紀前半から東アフリカを代表する観光地であると同時にCBCも含めた各時代の保全政策が展開されてきたケニア南部のアンボセリ生態系である。第2章では、4つの事例に即してアンボセリにおける野生動物保全の展開を説明した。第1の事例である「アンボセリ開発計画」は、政府や国際援助機関が進めようとしていたアンボセリ国立公園の建設に対抗する意図から、白人研究者が地元住民を始めとする多様な利害関係者との対話を通じて作成したものである。1990年代に概念化されるCBCの東アフリカにおける嚆矢として、その後の野生動物保全に重大な影響を与えた事例である。第2の事例は、ケニアCBCの先駆的事例として国際的な支援・注目を受けて96年にオープンしたキマナ・サンクチュアリである。開業から数年で経営権が集団ランチから民間企業へリースされたが、この結果として集団ランチが受け取る金銭収入は飛躍的に増加し、地元住民が望む地域発展が実現した。3番目の事例は、共有地上に建設されたサンクチュアリとは異なり、複数の私有地を集めて設立されたコンサーバンシーである。オスプコ・コンサーバンシーの設立に向けて地元住民と国際NGOは1年以上にわたって話し合いを続けたが、2008年の契約の際に地元住民はその内容を完全に理解しておらず、契約後にそれに違反する地元住民が現れ問題となった。第4の事例は、サンクチュアリの新たな管理・経営主体の選択である。09年以降にサンクチュアリを管理することを望む3つの観光会社が集団ランチに応募してくると、支持する観光会社をめぐって「オフィシャル」が2つに割れたことで集団ランチ内に混乱が生じた。最終的に集団ランチ内に禍根が残らないよう観光会社の選択が行われた結果、最も良い条件を提示していた観光会社とは契約が交わされなかった。

【分析・考察】

第3章では、複数のCBCの取り組みを通じた「外部者と地元住民のかかわりの変化」として、便益・権利・対話が先行研究で想定されるような形で地元住民と野生動物の共存に寄与し得るかどうかを検討した。これらの要素は確かに地域発展の面で肯定的な結果をもたらしていたが、新パラダイムにおいて想定されるような保全を促進させる効果は見られず、むしろ、保全に関して否定的な作用を及ぼしていた。キマナ集団ランチにおいては、サンクチュアリからの経済的便益の提供によって共有地分割を通じた私的土地所有権の獲得が実現し、この結果として、地元住民は個人の権利意識を強く持つようになり対話空間においても積極的に権利要求を行うようになった。このようにキマナでは便益―権利―対話という連鎖が生じていたことになるが、この連鎖は当初にCBCを主導した外部者の意図によらない地元住民自身による選択の結果であった。新パラダイムの先行研究は便益や権利、対話の効果を別個に議論することに留まりがちであったが、それらの複合性・連続性を視野に入れることの必要性がこの結果から示唆される。また、先行研究で重視される複数の要素が実現されたにもかかわらず、キマナにおいてCBCが具体的に進展したとはいい難い理由としては、地元住民と外部者の間に見られる野生動物保全をめぐる理解のズレがあった。地元住民の選択が外部者の意図する保全に逆行したのは地元住民が外部者の意図を否定しようとしたからではなく、あくまで、彼ら彼女らの考える保全と外部者の考える保全との間に齟齬があったが故の結果であった。

第4章では、「地元住民と野生動物のかかわりの変化」を明らかにすることを通じて、地元住民と外部者の抱く保全観を再検討することを試みた。牧畜が主たる生業であった頃であれば、地元住民と野生動物は互いに攻撃し合い、回避し合いながら距離と緊張感を伴う共存関係を維持してきた。そこにおいて狩猟は回避と並んで共存関係を維持する上で重要な生活実践であったが、戦士によって担われる狩猟には生活基盤を破壊する害獣を駆除するという労働としての側面に加えて、マサイ社会の守護者としての義務的側面とそれに成功することで男らしさを示し人びとの称賛を得たいという遊びの意味合いも含まれていたと考えられる。しかし、定住農耕が牧畜と並ぶ生業として採用されるようになった結果、地元住民は害獣を回避することで被害を避ける戦略を採れなくなっただけでなく、ライオン以上に大型であり危険度も高いゾウが農地に侵入しないよう直接に追い払わなければならなくなった。キマナでは農地が住居から離れている世帯も珍しくなく、そうした状況で害獣に対処しようとすれば費用もかかる。加えて、政府の取締りによって狩猟を行えなくなったことで野生動物は人間を恐れなくなり以前よりも積極的に農地を襲うようになった。これらの結果として、今日におけるローカルな人間―野生動物関係は、野生動物が地元住民を一方的に襲う関係へと変質した。

このように地元住民と野生動物の関係性が変化してきたことを踏まえて、今日、アンボセリで活動する外部者が進めようとしている野生動物保全の在り様を再検討すると、そこでは、地元住民が慣習的に行ってきた狩猟に野生動物との共存を実現するための管理行為としての機能があった点が考慮されていないだけでなく、今日では保全の最重要ターゲットとなっているゾウがアンボセリ(国立公園)に住み着いたのは過去数10年の出来事であることや、野生動物と共存することが望まれている地元住民の生業が既に変化していることが無視されていることが分かった。地元住民が外部者の求める野生動物保全に賛同しない根本的な理由としては、それが在来の「地元住民と野生動物のかかわり」とその「かかわりの変化」を踏まえずに一方的に考えられたものだからではないかと考えられる。

【結論】

終章では、前章までの議論を整理した上で、CBCが人間と野生動物の分断ではなく共存を目指す時に、諸個人の活動とそれがもたらす環境面での帰結とに応じて社会的に活動主体に与えられる賞罰のフィードバック、即ち「自然なつながり(natural connections)」の存在を重要視していた点を確認した。かつての距離と緊張感を伴う野生動物との共存を実現する上では狩猟が重要な役割を占めていたが、戦士が狩猟を積極的に実践する上では「自然なつながり」を通じて得られる社会的な名声や称賛が決定的な役割を果たしていた。それに対して、農耕化が進んだ今日のキマナにおいて農作物被害をもたらす害獣は出会いそれ自体が望まれない対象であり、地元住民が野生動物の存在を許容し共存を認めるために必要な「自然なつながり」がいかにして構築され得るかは定かではない。本研究は既存の新パラダイムの枠組みが今日の野生動物保全の現場を理解するには不充分であることを明らかにしたが、今後の課題はそれに代わる研究アプローチを検討することである。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、「コミュニティ主体の保全(community-based conservation, 以下、CBC)」がその当初の目的である地元住民と野生動物の共存関係の構築に寄与し得るのかどうかを、東アフリカを代表する観光地としてCBCの先駆けとなる活動が取り組まれたケニア共和国南部のアンボセリ生態系を事例として検討したものである。

まず序章では、野生動物保全をめぐり1990年代にCBCが提起された背景を整理した。そして、上記の課題に対するアプローチとして、CBCを通じた2つのかかわりの変化と分析視角を提示した。つまり、「外部者と地元住民のかかわりの変化」に関しては「便益」・「権利」・「対話」という3つの視角、「地元住民と野生動物のかかわりの変化」に関しては「狩猟」・「被害」という2つの視角である。

第1章では、アンボセリ生態系に暮らすウシ牧畜民マサイの社会と、ケニアの野生動物保全の歴史的展開について整理し、(1) 調査対象地においては20世紀を通じて農耕が拡大してきたこと、(2) 2000年代には共有地の分割・農地の私的分配が実施されたこと、(3) そして今日では、定住農耕と半遊動的な牧畜を複合させる世帯が一般的である点を示した。第2章では、アンボセリ生態系における野生動物保全の展開として4つの事例を取り上げた。すなわち、(1) 1974年の国立公園建設の前後に作成・実行された「アンボセリ開発計画」、(2) 野生動物公社(KWS)などからの援助を受けてキマナ集団ランチに1996年にオープンした野生動物サンクチュアリ、(3) 共有地分割後の2000年代に国際NGOの主導で建設されたコンサーバンシー、(4) そして野生動物サンクチュアリの管理・経営を担う観光会社の選択をめぐって2000年代後半にキマナ集団ランチ内で生じた一連の出来事である。

第3章では、「外部者と地元住民のかかわりの変化」について分析した。その結果、CBCを通じて集団ランチに経済的便益が還元されたことを起点に地元住民は共有地分割によって私的土地所有権を獲得するとともに、外部者との間で対話の機会を持ち、従来以上に自らの意見を主張できるようになった点が明らかにされた。また、先行研究では共存関係の構築には「便益」・「権利」・「対話」が重要であると指摘されてきたが、これらは確かに地域開発面で地元住民にとって肯定的な作用をもたらす一方で、野生動物保全の面では外部者が意図する共存関係の構築に否定的な作用を及ぼしていた。なぜなら、地元住民は野生動物との「共存」ではなく「分断」を求めていたからである。その理由は、地元住民と外部者との間に存在する保全観の齟齬にあることが示唆された。第4章では「地元住民と野生動物のかかわりの変化」について分析した。もともと複合的な意味・機能を持つ狩猟活動と遊動を通して危害を加える恐れのある害獣を回避することで、地元住民と野生動物は適度な距離を維持し緊張感を伴う共存関係を結んでいた。しかし、農耕化・定住化および狩猟の停止によって野生動物が一方的に地元住民を襲う関係へと変化してきた。このような関係性の変化のなかで、外部者は地元住民に野生動物との共存を求め、地元住民はそれを拒否してきた。この齟齬は、外部者が地元住民の重視する生業が牧畜から農耕へと変化している点を理解していないだけでなく、過去に存在・実現していなかった「ゼロ距離での共存」を地元住民に要求したためであるという解釈が示された。終章では、個人が野生動物に対して取りうる行為、野生動物が人間に示す反応、個人の働きかけを加減する共同体的な制度といったいずれもが大きく変化してきており、CBCが求める「自然なつながり」の再構築は困難であると結論づけられた。そして、今後の検討課題として、一定の分断ないし距離を伴うような「共存」の具体的な姿を考えるとともに、それに向けたCBCのあり方の検討が提示された。

以上のように、本研究は複雑な側面を抱えるコミュニティ主体の保全について理論と現実の往復から評価・検討し、将来の政策に示唆的な結論を得ることに成功しており、学術上および政策上の貢献が大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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