学位論文要旨



No 127413
著者(漢字) 中嶋,大輔
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,ダイスケ
標題(和) 核子あたり2 GeV における6Li+12C 重イオン衝突反応を用いたハイパー核生成
標題(洋) Hypernuclear production with the heavy ion reaction of 6Li+12C at 2 A GeV
報告番号 127413
報告番号 甲27413
学位授与日 2011.09.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5718号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 下浦,享
 東京大学 教授 櫻井,博儀
 東京大学 教授 大塚,孝治
 東京大学 准教授 浜垣,秀樹
 東京大学 准教授 森松,治
内容要旨 要旨を表示する

ハイパー核の分光学的研究は、フレーバーSU(3) 対称性のもとで核子間力をバリオン間力として、より統一的に理解するために非常に重要な役割を担うものである。これまでのハイパー核分光実験は、主に高エネルギーの中間子や電子ビームを用いて、標的である安定原子核標的内の核子をハイペロンに変換する方法により行われてきており、現在までに約40 種類のハイパー核が観測されている。しかし、従来の手法では、生成可能なハイパー核は標的原子核の近傍に限られるため、陽子/中性子過剰ハイパー核などb 安定線から離れたハイパー核を生成し研究することは困難であった。

本研究では、重イオンビームと固定標的との衝突反応を用いるという新しい実験手法を用いてハイパー核の分光実験を行った。本手法の大きな特徴は、従来の実験手法とは異なり、生成可能な核種が標的原子核によらず、ビームとして用いる原子核よりも軽い様々なハイパー核の生成が可能なことである。この手法の独創的な点は、入射核のフラグメントとして生成されるハイパー核を観測することが可能な点である。入射核フラグメントとして生成されたハイパー核はビームとほぼ同じ相対論的速度を持つため、ローレンツ因子により寿命が伸びて観測される。この特徴により、ハイパー核の寿命の測定は検出器の時間分解能によらず、崩壊点を測定することで行えるため、高い精度での寿命測定が可能である。またこの特徴のため、将来的には重イオンをより高いエネルギーにまで加速して実験を行うことにより、生成されたハイパー核の磁気モーメントを直接測定することが初めて可能になると期待されている。ハイパー核の磁気モーメントは、ハイペロンの原子核内での波動関数の情報を持つため、ハイパー核物理において最も重要な物理量の一つであるが、現在までには測定されていない。現在ドイツで建設中の加速器施設FAIR では、重イオンを核子あたり20 GeV まで加速することが可能である。このエネルギーの重イオンビームを用いた場合、入射核フラグメントとして生成されるハイパー核は、そのローレンツ因子(約22.5) により約4.5 ns の寿命で観測されるため、強い磁場中を飛行するハイパー核のスピン歳差運動を観測することが可能であると考えられる。このような重要な研究テーマを拓く過程において、まず重要な点は、重イオン反応によるハイパー核の生成機構を正しく理解することである。そのため、本研究では、観測されたハイパー核の運動学領域を検査することによりこれまでに理論的に示唆されている生成過程についての妥当性を検証した。

本研究では、核子あたり2 GeV の入射エネルギーを持つ6Li ビームを用いることにより、3∧H および4∧Hの2 種類の核種の生成と同定を行った。標的を変えずに複数のハイパー核が観測されたカウンター実験は世界初であり、この観測結果は、従来の手法では困難であったb 安定線から離れたドリップライン近傍のハイパー核など、様々な陽子/中性子比を持つ核種を研究対象とできる可能性を示すものである。実験は、ドイツ国立重イオン科学研究所(GSI Helmholtzzentrum fur Schwerionenforschung GmbH) において、重イオン衝突反応を用いたハイパー核実験計画(HypHI 計画) の第一段階の実験(Phase 0) として行った。Phase0 実験の主な目的はL ハイペロン及び3LH、4LH 等の最も軽いラムダハイパー核の生成を確認することにより、実験手法を確立するとともに、重イオン反応によるハイパー核の生成過程を解明することである。それぞれのハイパー核の核種の同定は、π-中間子を伴う弱崩壊モード(∧→ p+π-、3∧H→3He +π-および4∧H→ 4He +π-の崩壊生成粒子の不変質量を再構成することにより行った。実験(Phase 0) はGSI/Cave C実験ホールにおいて、2009 年10 月に合計11 日間に渡り、核子あたり2 GeV の運動エネルギーの6Li イオンビームおよび炭素標的を用いて行った。この運動エネルギーにおいて、入射核フラグメントとして作られるハイパー核のローレンツ因子は約3 である。実験のセットアップは0.7 テスラに励磁された偏向電磁石を用いた前方磁気スペクトロメータシステムである。

観測された荷電粒子はそれぞれの運動量、飛行時間およびプラスチックシンチレータ検出器でのエネルギー損失等の情報を用いて行なった。図1 は、正電荷を持つ粒子の運動量と電荷の比(横軸) とプラスチックシンチレータで観測されたエネルギー損失量(縦軸) の相関図である。それぞれの荷電粒子(p、d、t、3He、4He、6Li) が分離して観測されていることがわかる。それぞれの粒子の電荷量は最下流のプラスチックシンチレータでのエネルギー損失量を用いて行なった。

図2 は、電荷が1 の粒子の運動量とβの相関図である。質量m を持つ粒子はその運動量(p) とβの間にβ=p/√(p2+m29 という関係がある。図中には、電荷が1 の粒子(π+、K+、p、d) について、その関数も同時に示してある。p とd については、綺麗に分離できていることがわかる。図3 には負電荷を持つ粒子の運動量(横軸) とβ(縦軸) の相関が示されている。図中の赤点線で書かれた線が、π- 中間子に対応する運動量とβとの関数であり、解析では図中の赤線で囲まれた領域をπ- として選択した。

解析では、π- およびp、3He もしくは4He が見つかったイベントに対してそれらの飛跡のバーテックスを組み、不変質量を計算した。この際に高い粒子多重度によるcombinatorial バックグラウンドの寄与を減らすために、幾何学的な解析を行った。これについては本論文中で詳しく述べられている。

図4(a1)、(b1)、(c1) にはそれぞれ、本研究で得られたp+π-、3He+π-、4He+π- の不変質量分布が示してある。図中の斜線で示されている分布はmixed event 法で解析された、予想されるバックグラウンド分布の形である。それぞれの分布には∧、3∧H、4∧H に対応するピークが観測されている。ピーク領域にはそれぞれ、403±41、178±31、66±14 個のイベント数が観測されており、統計的優位度はそれぞれ7.1、6.2、5.3σ である。上で述べたとおり、ビームや標的の種類を変えずに複数のハイパー核が観測された実験は世界初であり、この観測結果は新たな研究テーマを拓くものである。図4(a2)、(b2)、(c2) は∧、3∧H、4∧H の崩壊時間分布とその指数関数によるフィッティング結果である。崩壊時間分布からは、それぞれに対応するピークの両側の領域から予想されるバックグラウンド分布が引かれている。フィッティングの結果からそれぞれ、231+112-75 (∧)、141 +67-57(3∧H)、162+99-73(4∧H) ps の寿命が測定された。本研究で観測されたそれぞれの寿命は、その統計量のために、過去の実験で得られている寿命測定結果と比べて優位に精度が高いものではないが、過去の測定結果と同程度の誤差で、矛盾しない値が得られている。また、3∧H の寿命に関しては、∧ ハイペロンの持つ寿命よりも統計誤差以上に短いことが示された。この結果は3∧H の構造を研究する上で、非常に重要な意義を持つ観測である。

本研究で観測された∧ ハイペロン、3∧H および4∧H についての、観測量、統計的優位度、質量、質量分布のガウスフィッティングの幅、寿命は表1 にまとめられており、質量と寿命については過去の実験で得られている値と比べられている。

また、∧ ハイペロンおよび3∧H、4∧H の生成の運動学領域についても研究を行い、ハイパー核は入射核のラピディティ領域で観測されていることを明らかにした。重イオン衝突反応を用いたハイパー核分光実験という新たな実験手法を開拓する上で、その生成機構を理解することは、最も重要な要素の一つである。本研究では、ハイパー核が入射核フラグメントのラピディティー領域で、かつ前方の領域で観測されていることを実験的に明らかにした。これは、理論的に予想されていたように重イオン衝突反応により生成された∧ ハイペロンが入射核フラグメントとcoalesce することでハイパー核生成が起こるというモデルを強くサポートするものであり、そのことが実験的に解明された。

本論文中では、観測された∧ 粒子と3∧H および4∧H の観測量の比から、崩壊の分岐比や飛跡検出器の検出効率、トリガーによる効果などの幾つかの重要な要素を考慮しながら、coalescence factor の見積もりを行った。見積もられたcoalescence factor は約0.024 であり、これも通常のcoalescence model と比べて妥当であることが示された。また、3∧H と4∧H の生成比を崩壊分岐比や粒子識別効率などを考慮しながら2Hと3H の生成比と比較した。これも、2H + ∧→3∧H、3H + ∧→ 4∧H という描像の妥当性が誤差の範囲内で示された。

本研究に於いて、重イオンビームと固定標的を用いたハイパー核分光の手法を確立する事が出来、J-PARC等で計画されている別の手法での実験と相補的な研究を行う可能性だけではなく、ユニークな研究を発展させていく事を証明する事が出来た。

図1 運動量・電荷比(横軸) とプラスチックシンチレータでのエネルギー損失量(縦軸) との相関

図2 電荷が1 の粒子の運動量(横軸) とβ(縦軸) の相関

図3 電荷が-1 の粒子の運動量(横軸) とβ(縦軸) の相関

図4 p+π-(a1)、3He+π-(b1)、4He+π-(c1) の不変質量分布と∧(a2)、3∧H(b2)、4∧H(c2) に対応する崩壊時間分布

表1 ∧ 粒子、3∧H および4∧H の観測量、統計的優位度、質量、幅、寿命のまとめ。それぞれの質量と寿命については下の括弧内に過去の実験で知られている値を示してある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5 章からなり、その研究内容は、u, d クォークに加えてストレンジクォーク(s クォーク) を含む原子核{ハイパー核{を、重イオンビームと固定標的との衝突反応で生成し、質量および寿命の測定により同定したものである。

第1 章(序章) では、まず、ストレンジネスを含むハイパー粒子と核子、ハイパー粒子同士の相互作用の研究が、強い相互作用の理解にとって重要であり、ハイパー核分光はその相互作用の強さを知る有効な手段であることが述べられている。次に、これまでのハイパー核生成の手法を概観し、新たな手法として、重イオンビームと固定標的との衝突反応による、高速で飛行するハイパー核を生成することの有用性が示され、先駆的な研究に基づく実現性が論じられている。さらに、この手法によるハイパー核生成を実証、生成過程を確立することを本研究の目的と設定し、具体的な実験として6Li ビームと12C 標的の衝突による軽い∧ ハイパー核の生成とその同定手法としてπ- を伴う弱崩壊モードを利用することが示されている。研究の方向性およびその中における当該課題の明確な位置づけ、実現可能な具体的な実験計画の記述は、論文提出者の科学的視点の高さを示している。

第2 章では、具体的な実験の内容が記述されている。実験は素過程である核子{核子衝突でストレンジネスが生成可能な1.6 GeV を超える、核子あたり2 GeV の6Liビームが得られる、ドイツ重イオン研究所(GSI) で行われた。GSI のSIS-18 シンクロトロンで加速されて6Li ビームを炭素標的に照射し、反応生成物(π- および陽電荷の荷電粒子) の測定は、標的直下流の飛跡検出器、偏向電磁石ALADiN、その下流の飛跡検出器、および飛行時間測定器でなされた。最初の飛跡検出器は、シンチレーションファイバーおよび多アノード光電子増倍管を用いたもので、本研究のために論文提出者が開発、製作、性能評価したものであり、実験研究者としての実力が評価される。用いられたすべての検出器の仕様およびそれぞれに対する性能評価、およびそれらに基づくトリガー条件が示されている。膨大なバックグラウンドから反応率の小さい事象を選び出すためのさまざまな工夫もまた、論文提出者の実験能力の高さを示している。

第3 章では、測定された粒子識別および運動量ベクトルを求めるための解析手法が述べられている。個々の検出器および検出器相互の位置情報の較正がなされた後、偏向電磁石中の荷電粒子の飛跡を求め、各粒子の運動量が導出され、それらと飛行時間差、飛行時間測定器中でのエネルギー損失量を用いて粒子識別がなされた。2粒子以上が識別された事象について、飛跡の再構成により飛跡どうしの距離を求め、その距離の小さいものが崩壊事象と同定され、崩壊位置が求められている。膨大なバックグラウンドから必要な事象を選び出すため、注意深い較正と適切なアルゴリズムがとられており、データの信頼性を示すものと評価される。

第4 章では∧ および軽いハイパー核の同定がなされ、その生成過程が議論されている。π- とp, 3He, 4He との不変質量スペクトルが導出され、それぞれ、∧, 3∧H, 4∧Hと考えられるピークが観測された。これらのピークは、事象混合により評価されたバックグラウンドでは表れず、それらの比較から、このピーク統計的有意度が7.1,6.2, 5.3 と見積もられた。得られた不変質量の値は、系統誤差の範囲内で既知の質量に一致した。また、崩壊位置の分布から、それぞれの寿命が求められ、それらもまた既知の寿命と一致した。これらから、6Li+12C 衝突において、∧, 3∧H, 4∧H が生成され、同定されたと結論づけられる。観測された事象数および生成された運動学的領域の解析から、6Li の破砕片(2H, 3H) と衝突で生成された∧ 粒子が再結合するというコアレッセンス模型の予言と矛盾しないことが示された。不変質量だけでなく寿命の情報も用いた同定手法は、実験の高い信頼性を示し、また、理論模型との比較による生成過程の推察は、重イオン衝突によるハイパー核生成に関する予言性を示すものとして評価できる。

上述の内容は、第5 章にまとめられ、将来の展望が述べられている。

以上のように本研究は、重イオンと固定標的との衝突反応によりハイパー核を生成し、不変質量と寿命の測定からそれらを同定したものであり、その生成過程の考察もあわせて、この分野の今後の研究に貢献するものである。

なお、本論文は共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、博士(理学) の学位を授与できると認める。

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