学位論文要旨



No 127423
著者(漢字) 笹島,義志
著者(英字)
著者(カナ) ササジマ,ヨシユキ
標題(和) ヒトアルカリフォスファターゼに関する蛋白質工学的研究
標題(洋) Studies of Protein Engineering on Human Alkaline Phosphatase
報告番号 127423
報告番号 甲27423
学位授与日 2011.09.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7531号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 上田,宏
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 教授 菅,裕明
 東京大学 教授 鈴木,勉
内容要旨 要旨を表示する

標的結合分子,なかでも抗体を用いた免疫測定は、被検体中の微量な物質を特異的に検出することができるため、分子生物学、細胞生物学などの基礎研究から臨床診断まで非常に重要な手法である。ELISA法やウェスタンブロッティング法などの免疫測定法において、特に酵素標識抗体の性能は、測定系の精度に大きく影響を与える。これまでに様々な種類の酵素を抗体分子に標識した例が報告されているが、現在、標識酵素として主に用いられているのは、その酵素活性と安定性の高さから、ペルオキシターゼ(Peroxidase: POD EC:1.11.1.x)とアルカリフォスファターゼ(Alkaline Phosphatase: AP EC:3.1.3.1)である。このうちAPはリン酸エステルの加水分解を触媒するホスホモノエステラーゼであるが,熱やプロテアーゼに比較的強い性質を持ち、基質特異性が低いため、検出に適した多様な基質が利用でき、標識酵素やレポーター酵素として幅広く用いられている。

酵素を標識酵素としての利用する上で必要な性質としては、第一に高い触媒活性を持つことが挙げられる。一般に標識酵素が高活性であればあるほど、目的の被標識物質が低濃度であっても検出が可能になる。第二に挙げられるのが、高い安定性を持つことである。種々の酵素免疫測定では、抗体抗原反応や、B/F分離の工程で活性を維持する必要があり、試薬として長期の保存に耐えるためにも高い安定性が求められる。本研究の目的として酵素免疫測定に適した、高性能な酵素標識抗体分子を作製することを目標とした。第一章では本研究の意義を明確にするために、酵素標識抗体とアルカリフォスファターゼに関する既存の研究を中心に、研究の背景について述べた。

第二章では哺乳類細胞を用いた、抗体-ヒトアルカリファオスファターゼ融合蛋白質発現システムの構築を行った。抗体に酵素を標識する一般的な手法として化学標識法があるが、反応のために多数の煩雑な行程を伴い、またその過程で抗体の結合能や酵素活性が失われてしまうケースがしばしば見られる。他の手法として、抗体と酵素との融合タンパク質を発現させる遺伝子工学的手法があり、抗体と大腸菌APとの融合タンパクを大腸菌で発現した例がいくつか報告されている。これに対し、今回、我々は動物細胞を用いた発現系の構築を試みた。真核細胞を用いてリコンビナント抗体を発現させる場合、大腸菌などの原核細胞で発現する場合と比較して、翻訳後修飾やフォールディングを促進する機構が豊富なため、結合能を保持した抗体分子が得やすいと考えられる。また動物細胞発現に適した、大腸菌由来のAPより比活性が高いとされる哺乳類由来のアルカリフォスファターゼを用いることができる。そこで今回、私は第一に標的結合分子として抗体の抗原結合能を有する最小単位であるVH、VLドメインをペプチドリンカーでつなげたsingle chain Fv (scFv)をモデル分子としてscFv-AP融合蛋白質の発現を試みた。また第二に抗原濃度に依存したVH-VL間相互作用の変化を利用した免疫測定法Open Sandwich ELISA法(OS-ELISA)のプローブとして用いることができるVH-AP融合蛋白質の発現も併せて試みた。scFv-APには抗4-hydroxy-3-nitrophenacetyl (NP)抗体を、VH-APには抗Hen egg lysozyme 抗体(HyHEL-10)を用い、哺乳類由来APとしてヒト胎盤由来のAP遺伝子からアンカー配列を取り除いたSecreted form human PLAP (SEAP)を用いた。

アフリカミドリザルのCOS-1細胞で発現させたscFv-SEAPとVH-SEAPは,ともにAP活性ならびに所期の標的結合能を有していることが確認された。また精製後のタンパクの酵素活性評価により,これらはKmについてはともにSEAP単体とほぼ同等の値を示したが、kcatについてはVH-SEAPはほぼ同等の値、scFv-SEAPは25%程度の値を示し、scFvによるSEAP活性への立体障害が示唆された。大腸菌APは活性部位とN/C末端との距離が長いのに比べ,SEAPでは立体構造上N末端と活性部位との距離が短い。今後より立体障害を減少させるためにリンカーを設計して用いることで,より高いkcatを得られると期待できる。すなわち 今回、我々が確立した手法を応用することで、ELISA法やOS-ELISA法で用いうる様々な種類の標識抗体を迅速に生産できると期待された。

第三章では第二章で構築した発現系における酵素部位をさらに酵素免疫測定法に適した性能とするため、第二章で用いたヒトアルカリファスファターゼについて、相同酵素間の配列キメラ化により、高活性かつ熱安定性の高いAPを創出する試みを行った。ヒト由来のAPには胎盤型(PLAP), 小腸型(IAP), 生殖細胞型(GCAP), 組織非特異型(TNAP)の4つの相同酵素(アイソザイム)が存在し、それぞれ比活性と熱安定性が異なることが知られている。なかでもPLAPは最も高い熱安定性を持ち、IAPは最も高い比活性を示し,両者のアミノ酸配列の相同性は88%と高い。そこで、両者の配列情報と立体構造情報を元に配列をキメラ化することで、両者の特長を併せ持つ、高活性かつ熱安定性が高い、標識酵素に適したAPを創出できないか試みた。

具体的には分泌型PLAP(SEAP)遺伝子を立体構造上特徴のある4つの領域(残基番号1~25, 26~146, 147~304, 305~492)に分け、このうち2~4番目の領域をIAPの遺伝子に組み替え、7種類(IPP, PIP, PPI, PII, IPI, III)のキメラAP発現ベクターを構築し、COS-1 cellに導入、各キメラAPを発現し検討した。

まず各キメラAPについて56℃で15分から8時間熱処理し、その後のAP活性で耐熱性を評価したところ, IPI, IIIについては15分で非加熱のものと比較して活性が3%以下になり、PPI, PIIについては当初から有意なAP活性を示さなかったのに対し,PLAP, IPP, PIP, IIPについては8時間後も80%以上の活性を維持した。同様に各キメラAPを65~90℃で30分間熱処理し、AP活性を測定したところ,IPI, IIIについては65℃以上で比活性が1%以下になったのに対し、PLAP, PIPは75℃で20%以上、IPP, IIPについては75℃で45%以上の活性を維持していた。すなわちC末領域(305~492)がPLAP型のものが高い熱安定性を持つことがわかった。

さらにそれぞれのAP活性を評価するために、精製した各蛋白質の酵素学的速度定数を測定したところ、26~146,ならびに147~304位がIAP型の多くのキメラAPが高いkcatを示すことがわかった。

なかでも26~146位がIAP型で305~492位がPLAP型のキメラAPは熱安定性が高く、かつ比活性が高いことが示され、N末、C末領域がそれぞれ活性と熱安定性に重要な役割を果たすことが明らかとなった。これらについてその理由を考察した。また両者のキメラ化により、PLAPより高い比活性とIAPより高い熱安定性を持つ,標識酵素として適した性質を持つ変異体を複数得ることができた。

第4章では本研究全体の総括と、今後の展望について述べた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,免疫測定の標識酵素やレポーター酵素として広く用いられる哺乳類由来アルカリフォスファターゼ,なかでもヒトアルカリフォスファターゼの生命工学分野における有用性向上を目指した蛋白質工学的研究について述べたものであり,4章より構成されている。

第1章は序論であり,本研究の意義を明確にするために、酵素標識抗体とアルカリフォスファターゼ(AP)に関する既存の研究を中心に、研究の背景が述べられている。

第2章では,哺乳類細胞を用いた抗体-ヒトAP融合蛋白質発現システムの構築について述べている。抗体に酵素を標識する一般的な手法として化学標識法があるが、反応のために煩雑な行程を伴い、その過程で抗体の結合能や酵素活性が失われてしまうケースがしばしば見られる。一方で抗体と酵素との融合タンパク質を発現させる遺伝子工学的手法により、これまで抗体と大腸菌APとの融合タンパクを大腸菌で発現した例がいくつか報告されているが,抗体活性の低下,比活性の低い原核細胞由来酵素しか発現できないといった問題点があった。そこで今回、標的結合分子として抗体の抗原結合能を有する最小単位であるVH、VLドメインをペプチドリンカーでつなげたsingle chain Fv (scFv)をヒト由来分泌型APであるSEAPと融合させたscFv-SEAP融合蛋白質の酵素動物細胞を用いた発現が示されている。また抗原濃度に依存したVH - VL間相互作用の変化を利用した免疫測定法Open Sandwich ELISA法(OS-ELISA)に利用できるVH-SEAP融合蛋白質の発現も若干の分解はあるものの可能であることが示されている。それぞれの融合タンパクは,ともにAP活性ならびに所期の標的結合能を有していることが確認され,また精製後の酵素活性評価でほぼ予想された活性を保持していることが確認された。すなわち本章の手法を応用することで、ELISAやOS-ELISAで用いうる様々な種類の標識抗体を迅速に生産できることが示された。

第3章では,前章で構築した発現系における酵素部分をさらに各種産業応用に適した性能とするため、ヒトアルカリファスファターゼの2種の相同酵素間の配列キメラ化により、高活性かつ熱安定性の高いAPを創出する試みが述べられている。ヒト由来のAPには胎盤型(PLAP=SEAP), 小腸型(IAP), 生殖細胞型(GCAP), 組織非特異型(TNAP)の4つの相同酵素(アイソザイム)が存在し、それぞれ比活性と熱安定性が異なることが知られている。なかでもPLAPは最も高い熱安定性を持ち、IAPは最も高い比活性を示し,両者のアミノ酸配列の相同性は88%と高い。そこで、両者の配列情報と立体構造情報をもとに配列をキメラ化することで、両者の特長を併せ持つ、高活性かつ熱安定性が高い、標識酵素に適したAPを創出することが試みられた。この結果,N末側にIAP由来配列をもち,C末側に分泌型PLAP配列をもつ2種類のキメラ酵素がPLAPよりも高い熱安定性と、高い比活性を持つことが示された。なかでも1種類はIAPよりも高い比活性を示し,診断分野において特に有用性が高い酵素であると結論づけられた。また,熱安定性の高い変異体は二量体の界面に近い残基がPLAP由来残基であることから,二量体の安定化が酵素全体の安定化にも重要であることが示唆された。また興味深いことに,最もN末端の25残基は二量体の安定化に寄与するにも関わらず,IAP由来の配列にした方がより高い安定性を示すという知見も得られている。

第4章では研究全体の総括と,今後の展望が述べられている。

以上本論文において筆者は,代表的な哺乳類由来APであるヒトAPの抗体融合酵素としての有用性,ならびにAP自体のエンジニアリングによる天然酵素を上回る比活性と安定性を持つ酵素の取得という二つの側面で,蛋白質工学を応用した新たな有用タンパク質の創製に成功した。その成果は蛋白質工学ならびに本酵素の蛋白質科学の進展に寄与するところ大である。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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