学位論文要旨



No 127426
著者(漢字) 竹内,大吾
著者(英字)
著者(カナ) タケウチ,ダイゴ
標題(和) サル大脳側頭葉における皮質層間ネットワークの感覚および記憶情報処理における役割の解明
標題(洋) Recruitment of reciprocal interlaminar connectivity during sensory and mnemonic processing in macaque temporal cortex
報告番号 127426
報告番号 甲27426
学位授与日 2011.09.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3769号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河西,春郎
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 狩野,方伸
 東京大学 准教授 坂井,克之
 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
内容要旨 要旨を表示する

霊長類において大脳側頭葉が長期記憶(とくに陳述記憶)の貯蔵庫として機能していることは、ヒトの記憶障害患者を用いた研究及びサルを用いた破壊実験等から明らかにされてきた。下部側頭葉は、網膜における光刺激の受容に始まる視覚情報処理の最終段階として、視覚長期記憶を蓄える。実際、タングステン微小電極を用いたシングルユニット記録法により、視覚記憶課題を行っているサルの下部側頭葉から陳述記憶の内容を蓄える長期記憶ニューロン群が発見されている(Miyashita, 1988; Sakai and Miyashita, 1991; Naya et al., 2001)。しかし、これら長期記憶ニューロン群から実際にどのような神経回路メカニズムによって記憶の読み出し(想起)が行われるかは、これまで明らかにされていない。より低次の視覚情報処理を行なう神経回路メカニズムについては、主に第一次視覚野を初めとする初期感覚野における過去の研究から、視床から第一次感覚野皮質のIV層、次いでII/III層を経由してV層へ、という皮質層間におけるフィードフォワード的な情報処理が重要な役割を担っていることが明らかにされている (Toyama et al., 1981; Douglas & Martin, 2004)。私は記憶想起等の高次認知機能を担う大脳連合野においても皮質層間での情報処理が重要な役割を果たしていると考え、下記の二つの方法論を組み合わせることにより、視覚記憶の想起における側頭葉の皮質層間ネットワークの役割を明らかにすることを目指した。第一に、側頭葉皮質のどの層から神経信号を記録しているのかを同定するための生理学的マーカーとして、電流源密度解析法(current-source density analysis)を用いた。サルを用いた慢性実験では、毎回の実験において電極が実際にどの皮質層の神経活動を記録しているかを直接観察することは難しい。しかし視覚刺激後に生じる電流源密度(電流吸い込み、current sink)の反応潜時から顆粒細胞層の位置を同定できることが、主に第一次視覚野における研究から知られている(Mitzdorf, 1985)。第二に、私は皮質層間での神経活動の伝播方向を同定するために相互相関解析法(cross-correlation analysis)を用いた。ニューロン活動のペアに対して計算した相互相関関数のピークの位置から、ニューロン間の機能的結合の向きを推定できることが、過去の研究から明らかにされている(Perkel et al., 1967; Toyama et al., 1981)。

まず私は2頭のサルに対連合記憶課題を学習させた(図1A)。この課題においてサルは、ある図形ペアのうちの一方がテレビモニタに提示されたときに、対連合図形のもう片方を思い出すことが要求される。各試行において、サルがレバーを引くとある図形(手掛かり図形)が1枚だけ0.5秒間サルの前のテレビモニタに提示される(刺激提示期間)。遅延期間(2秒間)の後、2枚の図形(片方は手掛かり図形の対連合図形、他方は無関係の図形)がモニタに提示される。サルは2枚の図形のうち対連合図形を叩けば正解でジュースがもらえる。私は上記の課題を遂行中のサルの側頭葉皮質(傍嗅皮質)の全ての層から同時に神経活動を記録した。そのために私は縦列型多点電極(チャネル間距離150μmまたは100μm、チャネル数16または24)を使用した(図1B)。各チャネルから記録された局所電場電位(local field potential)から電流源密度(current source density analysis)を求め、反応潜時最小の電流吸い込み(current sink)が生じるチャネルを同定した(図1C)。この手法により、私は電極のそれぞれの記録チャネルを顆粒細胞層(granular layer、'G')、上顆粒細胞層(supra granular layer、'SG')、下顆粒細胞層(infragranular layer、'IG')に対応付けた。全実験終了後に組織学的検索を行ない、電流源密度解析による皮質層の推定精度を評価した。その結果、潜時最小の電流吸い込み位置の、組織切片上の顆粒細胞層の中央点からの変位は平均64μm (顆粒細胞層の厚さの32%)、標準偏差40μm(同20%)であった。この値は電極の最小チャネル間距離を下回り、本研究における皮質層の推定精度が十分高いものであることが確認された。

次に私は、異なる皮質層から記録したニューロン活動のペア(顆粒細胞層と上顆粒細胞層、顆粒細胞層と下顆粒細胞層、上顆粒細胞層と下顆粒細胞層、の3種類の皮質層の組み合わせ)に対して相互相関解析(cross correlation analysis)を行なった。私は視覚刺激提示期間および遅延期間に記録したスパイク発火の時系列を用いて各期間における相互相関関数(cross-correlogram)を算出し、この関数のピークの偏りを解析することで、異なる皮質層間での神経信号の流れの方向を決定した。具体的には、機能的結合の向きを定量化するために各ユニットペアの相互相関関数に対してAsymmetry Index (AI)を定義し、これらのインデックスの分布の偏りを調べた。G-SGペアでは、視覚刺激提示期間においてAIの分布はフィードフォワード方向すなわちGからSGの方向へ有意な偏りを示した(Wilcoxon signed-rank test, P<0.01, n=17)。一方遅延期間ではAIの分布に有意な偏りは認められなかった(P>0.4, n=14)。G-IGペアについてはいずれの期間においても結合の向きに有意な偏りは認められなかった。またSG-IGペアについても同様の解析を行なったところ(図2)、視覚刺激提示期間においてはAIの分布はSGからIGの方向へ有意な偏りを示した(P<0.01、n=41ペア、図2B、青)。一方、遅延期間においては、AIは視覚刺激提示期間とは逆に、IGからSGの方向への有意な偏りを示した(P<0.01、n=41ペア、図2B、赤)。以上の結果は、AIとは異なるインデックス(Center of Mass, CoM)を用いて解析した場合にも再現された(図2C)。また上記の傾向は、上記のように個々のSG-IGユニットペアに対して算出したインデックスの分布の偏りとしてだけではなく、全てのユニットペアに対する相互相関関数を加算平均して作成した相互相関関数のグランド平均のピークの偏りとしても確認することができた(図2A)。

G-SG, G-IG, SG-IGペアそれぞれについて行なった相互相関解析を総合すると、第一に、刺激提示期間には顆粒細胞層→上顆粒細胞層→下顆粒細胞層の向きに信号が伝播することが明らかになった。これは第一次視覚野において従来知られているフィードフォワード的な情報処理の流れと一致している。第二に、手掛かり刺激図形をもとにペア図形を想いだすことが要求される遅延期間においては、視覚刺激提示期間とは逆の方向、すなわち下顆粒細胞層→上顆粒細胞層へとフィードバック的な伝播を示すことが明らかになった。これは、脳が視覚情報処理や記憶想起などの目的に応じて、大脳皮質内の層間ネットワークでの信号の流れを自在に切り替える柔軟性をもつということを示している。今後大脳皮質の他の領野における他の認知情報処理においても、皮質層間での相互作用という切り口からの神経回路メカニズムの研究が進展することが期待される。

図1 対連合記憶課題と側頭葉の全皮質層からの神経活動記録。(A) 本研究において用いた対連合記憶課題における1試行の流れ。(B) マカクサル下部側頭葉からの神経活動記録。縦列型多点電極を用いて全ての皮質層から同時に神経活動を記録した。(C) 電流源密度解析による顆粒細胞層の同定及び組織学的検索による同手法の検証。*印は潜時最小の電流吸い込み(earliest current sink)を示す。横軸は手掛かり刺激提示からの経過時間(ms)。

図2 相互相関解析から決定した上顆粒細胞層(supragranular layer)と下顆粒細胞層(infragranular layer)の間の信号の伝播方向。(A) 各期間(fixation期間、手掛かり刺激提示期間、遅延期間)における全ユニットペアのcross-correlogramの平均。(B) 及び(C) 手掛かり刺激提示期間、遅延期間におけるAsymmetry Index とCenter of Mass の分布。(D)相互相関解析により同定された信号の伝播方向。'G'は顆粒細胞層、'SG'は上顆粒細胞層、'IG'は下顆粒細胞層を表す。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は大脳側頭葉の皮質層間の機能的結合が視覚及び記憶の情報処理において果たす機能を明らかにするために、対連合記憶課題遂行中のマカクサルを用いて電気生理学的手法により異なる皮質層間での神経活動の伝播方向を同定することを試みた。まず、2頭のサルに対連合記憶課題を学習させた。次いでこの課題を遂行中のサルの側頭葉皮質(傍嗅皮質)の全ての層から、縦列型多点電極を用いて同時に神経活動を記録した。各電極チャネルから記録された局所電場電位から電流源密度を求め、反応潜時最小の電流吸い込みが生じるチャネルを同定することにより皮質内の顆粒細胞層 (G) の位置を同定し、これを基準にして上顆粒細胞層 (SG)、下顆粒細胞層 (IG) の位置を決定した。次いで、相互相関解析を用いて異なる皮質層 (G, SG, IG) 間での神経信号の流れの向きを異なる課題期間ごとに推定した。具体的には、機能的結合の向きを定量化するために各ユニットペアの相互相関関数に対してAsymmetry Index (AI)を定義し、このインデックスの分布の偏りを調べた。これらの実験の結果、下記の結果を得た。

1.組織学的検索により電流源密度解析による皮質層の推定精度を評価した結果、潜時最小の電流吸い込み位置の、組織切片上の顆粒細胞層の中央点からの変位は平均64μm (顆粒細胞層の厚さの32%)、標準偏差40μm(同20%)であった。この値は電極の最小チャネル間距離を下回っており、第一次感覚野における過去の研究から確立している電流源密度解析を用いた皮質層の推定が、連合野である側頭葉皮質においても十分な精度をもって適用可能であることが示された。

2.G-SGペアでは、視覚刺激提示期間においてAIの分布はフィードフォワード方向すなわちGからSGの方向へ有意な偏りを示した。一方遅延期間ではAIの分布に有意な偏りは認められなかった。G-IGペアについてはいずれの期間においても結合の向きに有意な偏りは認められなかった。

3.SG-IGペアにおいては、視覚刺激提示期間においてはAIの分布はSGからIGの方向へ有意な偏りを示した。G-SGペアの結果と合わせ、刺激提示期間には顆粒細胞層→上顆粒細胞層→下顆粒細胞層の向きに信号が伝播することが明らかになった。これは第一次視覚野において従来知られているフィードフォワード的な情報処理の流れと一致している。

4.SG-IGペアにおいて、遅延期間での機能的結合の向きを解析したところ、AIは視覚刺激提示期間とは逆に、IGからSGの方向へと有意な偏りを生じ、フィードバック的な神経活動の伝播を示唆した。

5. IG内部における神経活動の伝播方向を解析したところ、視覚刺激提示期間には伝播方向に有意な偏りが見られなかったのに対して、遅延期間においては、IG内での信号伝播の向きに、表層側から深層側への偏りが認められた。

以上、本論文は霊長類の大脳側頭葉において、電気生理学的手法による神経活動の相互相関解析を行うことにより、視覚及び記憶の情報処理において皮質層間での神経信号の流れの向きが柔軟に切り替わることを明らかにした。本研究は霊長類の大脳連合野における長期記憶に関わる神経回路のダイナミクスの解明に向けて重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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