学位論文要旨



No 127429
著者(漢字) 永野,仁美
著者(英字)
著者(カナ) ナガノ,ヒトミ
標題(和) 障害者の雇用と所得保障 : フランス法を手がかりとした基礎的考察
標題(洋)
報告番号 127429
報告番号 甲27429
学位授与日 2011.09.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第259号
研究科 法学政治学研究科
専攻 民刑事法
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒木,尚志
 東京大学 教授 岩村,正彦
 東京大学 教授 水町,勇一郎
 東京大学 教授 飯田,敬輔
 東京大学 教授 伊藤,洋一
内容要旨 要旨を表示する

【はじめに】

日本では、2005年に成立した障害者自立支援法を契機として、障害者に対する所得保障の在り方に対する関心が、政府や関係者の間で高まることとなった。

2005年の障害者自立支援法は、障害福祉サービスの一元化や、障害福祉サービスの利用に係る手続きや基準を明確化したことでも重要であるが、とりわけ、障害福祉サービスにかかる費用を皆で負担し支え合う仕組みを強化したことで重要なものであった。特に、障害者自身がサービスを利用したときに支払わなければならない自己負担について、従来の応能負担に代えて、応益負担を導入したことには、大きな社会的関心が集まった。これにより、障害者は、サービスの利用の「量」に応じて、その利用料を支払わなければならなくなったからである。しかし、この自己負担の在り方の変更には、多くの障害当事者から批判がなされることとなった。そして、その批判の中には、障害者に対する「所得保障」も不十分な状況の中で、障害者に対し応益負担を課して良いのかというものもあった。

そこで、本論文では、障害者に対する所得保障の在り方について、障害に起因して生じる特別な費用のことも勘案しながら、比較法の観点から検討を試みることとした。

【比較対象国:フランス】

比較対象国としては、フランスを選択した。

フランスでは、2005年に大きな障害者関連諸政策の大改革がなされたところであった。同法改正がなされた背景には、2000年に出されたペリュシュ判決(医師・検査機関の誤診のために、先天性障害を持って生まれてきた子どもの医師・検査機関に対する損害賠償請求を認めたもの)の影響があった。ペリュシュ判決は、フランス社会に非常に大きな衝撃を与えたが、それと同時に、このような判決が出てこざるを得ないような障害者に対する施策の不十分性が、フランス社会全体で、認識されるようになった。こうした背景の中で実施された、2005年法改正から学ぶところは、非常に大きいと言うことができよう。

【検討範囲】

本論文では、「障害者に対する所得保障の在り方」を考察するにあたり、社会保障制度による所得保障だけでなく、広く、就労機会の付与を通じた所得保障(すなわち、就労所得保障)も、検討することとした。「障害者に対する所得保障の在り方」を考えるにあたっては、社会保障制度による所得保障(主として、年金制度)の検討だけでは不十分であり、障害者に対する雇用機会の保障を通じた就労所得保障も、重要であろうと考えたからである。

また、障害に起因して発生する特別な費用の補償方法についても、検討することとした。障害に起因する特別な費用によって、障害者の所得水準が下がることがないよう、配慮する必要があると考えたからである。また、本論文の執筆の契機は、2005年の障害者自立支援法によって、障害福祉サービスの利用にかかる費用の負担の在り方が、変更されたことにあった。障害者に対する所得保障を考察するにあたっては、障害に起因して生じる特別な費用の保障の在り方についても、検討する必要性は高いと言うことができる。

このような幅広い観点から研究を行うことで、本論文では、障害者への所得保障の在り方について、より多面的で、総体的な検討を行うことを目指すこととした。

【論文の構成】

本論文は、3つの章で構成される。まず、第1章において、日本における障害者の雇用と所得保障に関する法制度の調査・研究を行い、次いで、第2章において、フランスにおける法制度の調査・研究を行った。それぞれの章は、障害者雇用政策(第1節)、社会保障制度による所得保障(第2節)、障害に起因する特別な費用の補償(第3節)で構成されている。そして、第3章において、第1章及び第2章で確認した日仏両国の法制度について、比較・分析を行い、フランスの法制度から得られる示唆を検討した。

【日仏比較にから得た示唆】

本論文における研究によって、以下のような示唆を得ることが出来たと考えている。

(1)障害者雇用政策

まず、障害者雇用政策に関しては、(1)差別禁止原則と雇用義務とをどのように関係付けるか、(2)雇用義務(率)制度をいかに強化していくか、(3)働く障害者への就労所得保障制度をどのように整備していくか、という点に関して、重要な示唆を得ることが出来たと考えている。

フランスは、1990年以降、差別禁止原則と雇用義務制度とを両立させてきた。そして、2005年の法改正により差別禁止原則に「適切な措置(合理的配慮)」概念を導入して以降は、これまで以上に、差別禁止原則と雇用義務制度とを政策の両輪とすることで、障害者の雇用促進を図ってきた。フランスでは、両制度は、相対立するものではなく、お互いに補いあうものであると考えられている。そして、雇用義務制度によって発生する納付金が、差別禁止原則によって求められる「適切な措置」に係る費用の原資として使われるという点において、両制度は連接している。このような両制度の位置づけ、そして、連接の仕方は、今後、差別禁止原則を導入し、使用者に適切な措置(合理的配慮)を講じることを求めようとしている日本にとって、参考となるものである。

次に、雇用義務制度に関して、フランスでは、使用者に対し、強い障害者の雇用義務を課しつつ、充実した支援を行っていることが判明した。日本では、使用者の障害者雇用義務を軽減する雇用義務制度の運営が見られるが(特例子会社制度等)、障害者の雇用促進のためには、使用者に強い義務を課しつつ、充実した支援を行うことが重要であろう。実際、フランスの障害者雇用率は、とりわけ、2005年法改正の後で延びている。障害者の雇用促進という目的の達成のためには、使用者に対する義務の強化と、支援が必要であると言えよう。

最後に、障害者に対する就労所得保障の仕組みが、フランスでは、整備されていることも、参考となる。一般の労働市場で働くことのできる障害者には、最低賃金が保障されており、使用者には、障害者に最賃保障を支払うための金銭的支援がなされることとなっている。また、福祉的就労の場で働く障害者に関しては、日本では、工賃水準が非常に低く問題となっているが、フランスでは、彼らに対しても、公的な支援によって最低賃金の55~110%が保障される。賃金補填のための財源調達の問題もあるが、働く障害者の就労条件の保障・改善の観点からみて、こうしたフランスの制度は、参考になるものである。

(2)社会保障制度による所得保障

次に、社会保障制度による所得保障(=障害年金の制度)に関しては、以下のような示唆を得ることが出来た(なお、ここで得られた示唆は、社会保障制度による所得保障のみに関係する示唆ではなく、就労との関係、障害の結果生じる特別な費用の補償との関係においても、重要なものである)。

日本の障害年金の仕組みは、その支給目的が、必ずしも明らかでなく、就労との関係、及び、障害の結果生じる特別な費用の補償との関係が明確ではない状況にある。その結果、就労して十分な所得があるにも関らず、障害年金を受給出来たり、あるいは、反対に、障害ゆえに就労が出来ていないにも関らず、障害の程度が軽いという理由等で、これを受給出来ない者が存在することとなっている。また、障害の結果生じる費用については、日本では、障害者自立支援法に基づく自立支援給付によってその9割が保障され、残りの1割を障害者自身が負担しなければならない構造になっている。1割の自己負担分は、1級の障害年金に認められている25%の加算や、あるいは、特別障害者手当によって賄うことになっていると考えることも出来ようが、しかし、この加算や手当も、ニーズに応じてではなく、機能障害の程度によって支給されることとなっているため、ニーズを有する者に対して必ずしも給付がなされないという問題が存在することになっている。

これに対し、フランスの制度は、働ける者には、最低賃金保障(等)によって「就労所得保障」を行い、労働・稼得能力が減退した者には、社会保障給付(障害年金や成人障害者手当)を支給して、所得保障を行うという構造になっている。フランスでは、就労と社会保障給付との間の役割分担が、比較的明確であると言える。また、日本では、障害基礎年金は一体何を保障する給付なのかが、必ずしも明らかではないが、フランスの成人障害者手当(AAH)は、生活の基本的部分を保障するための給付としての性格付けがなされている。そして、障害の結果生じる特別な費用は、PCH(障害補償給付)によって賄うという構造が見られる。役割分担が明確な制度設計により、フランスでは、ニーズを持ちながら保障されない者の発生が、予防されることとなっている。こうした各制度の役割分担の明確化は、非常に重要であると思われる。

(3)障害の結果生じる特別な費用の補償

最後に、「障害の結果生じる特別な費用の補償」に関しては、この費用を最終的に「誰」が負担するのかという点に関して、フランス法は、非常に重要な示唆を提供している。

日本では、障害の結果生じる特別な費用は、予算不足という障害者自立支援法の制定の背景もあり、障害者自身にも負担してもらうものとなっている。しかし、フランスでは、ペリュシュ判決以降の、障害者に対する高い社会的関心の中で、障害の結果生じる特別な費用は、障害者自身が負担すべきものではなく、社会全体で負担すべきものであるという考え方が採られるようになった(国民連帯による障害補償原則)。こうした考え方は、この費用を補償する制度(=PCH)の設計にも、大きな影響を与えている。すなわち、フランスでは、一定以上の所得を持たない人は、支給上限の範囲内という限定はつくが、自己負担率0%で福祉サービスの利用ができることとなっている。また、その所得の算定において、就労所得や障害年金等は考慮されない。こうした考え方及び制度設計は、参照に値すると言うことが出来る。

【終わりに】

本論文では、障害者の雇用の問題も含めて、幅広い観点から「障害者に対する所得保障」の在り方を検討した。そして、個々の論点ごとに、また、障害者に対する所得保障の在り方を俯瞰したときに見えてくる問題について、それぞれ、示唆を得ることが出来たと考えている。そして、ここに、本論文の意義があると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、2005年に成立した障害者自立支援法を契機として、障害者に対する所得保障への関心が高まったことを背景として、これまで法学的な研究が手薄であった障害者に対する所得保障制度について、わが国の現行制度の特徴と問題点を解明し、今後の法制度設計のあり方を探ろうとするものである。この検討課題についての考察を進めるために、本論文は、社会保障制度による所得保障だけではなく、就労機会の付与を通した所得保障(障害者雇用政策による障害者雇用の促進)と障害に起因して障害者に発生する特別な費用の補償をも分析の柱として据え、障害者雇用に関して雇用義務(雇用率)制度と雇用差別禁止法制との両者を持ち、かつ近年特別な費用の補償制度の充実を図ったフランス法の精密な分析とそれに基づく日本法との比較法的考察を行っている。そして、この比較法的考察にもとづき、障害者に対する所得保障制度に関わる上記の3つの柱について、わが国の法制度の問題点と立法論を検討する際の要点を提示している。

本論文は、序章「本論文の問題関心」、第1章「日本」、第2章「フランス」、第3章「総括」からなる。

序章「本論文の問題関心」は以下のように本論文の主題を提示する。福祉サービスの受給にあたって定率負担を導入した2005年の障害者自立支援法の制定と障害者の所得保障のあり方の検討を求める2010年の閣議決定とを受けて、今後活発化すると予想される障害者の所得保障に関する議論に寄与することを目的として、比較法的な観点から障害者に対する所得保障のあり方を検討する。肉体労働から事務労働へという仕事の性質の変化や障害者の作業を容易にする技術革新によって、現代社会における就労を通した障害者の自立と稼得が重要となっている状況の下では、障害者の所得保障を社会保障制度から所得保障のみを検討するのみでは不十分であって、障害者の就労機会の保障方法、障害者への賃金保障等を含む障害者に関する雇用政策をも検討対象とする必要がある。また、障害に起因して介護費用や補装具の購入費等特別な費用のかかる障害者もおり、こうした特別な費用についても視野に入れる必要がある。そこで、(1)障害者雇用政策、(2)社会保障による所得保障、(3)障害の結果生じる特別な費用の補償という3つの柱を立てて、障害者に対する所得保障のあり方を検討するのが適切である。比較法的観点からの検討を行う対象国としては、障害者の雇用制政策として障害者雇用率制度と障害者雇用差別禁止法制とを併存させていること、公的助成で障害者に法定最低賃金を保障するとともに、福祉的就労の場で働く障害者にも保障報酬制度があること、社会保障の所得保障については、拠出性の障害年金に加えて、高い水準の非拠出性給付があること、2005年に、障害による特別の費用を補償する障害補償給付が導入されていることから、本論文での検討に最も有益であると考えられるフランスを選定する。

第1章「日本」では、序章で設定した3つの柱に沿いつつ検討を進める。第1節は障害者雇用政策を扱う。日本の障害者雇用政策は障害者雇用義務(雇用率)制度が中心であり、障害者差別撤廃条約の署名を受けての障害者雇用差別禁止原則導入に向けての検討が開始されたところである。障害者に対する賃金保障制度は、障害者の最低賃金減額特例について減額分を補填する制度の不存在、福祉的就労の場で働く障害者の工賃の低水準といった問題がある。第2節は社会保障制度による所得保障を考察する。わが国の社会保障制度による所得保障は、障害年金とそれを補う生活保護とで主として構成されている。非拠出性と拠出性の障害年金によって20才以上の障害者には所得保障がなされている一方で、補足性の原理のゆえに、就労所得を得ることができない障害者であっても生活保護を受けることができない場合がある。障害の結果生じる特別の費用の補償は第3節で検討している。わが国では障害による特別の費用は障害者自立支援法によってカバーされているが、1割の定率負担がある。ただし、過度の負担になることを防止するため所得による負担の上限が設定されている。以上の検討によれば、わが国では、3つの柱の相互関係や役割分担が不明瞭である。たとえば、障害年金は医学的な機能障害をベースとする判定基準にもとづく障害認定によって支給されるので、実際には就労できず稼働所得がない場合でも、障害の程度が軽いと認定されると、障害年金を受けることができない。こうしたことのため、所得保障や介護費用の補償のニーズを持ちながら、それが満たされない障害者が存在する。

第2章「フランス」では、第1章と同様、序章で設定した3つの柱について順次考察を行う。障害者雇用政策については(第1節)、フランスでは、1990年以降、障害者雇用義務(雇用率)制度と障害者雇用差別禁止法制とが並立している。障害者施策の大改正を行った2005年法は、この並存体制を維持しつつ、雇用差別に関する「適切な措置」概念の導入、雇用義務未達成の使用者に課す納付金額の引き上げ等雇用義務の強化、使用者による「適切な措置」を支援するための納付金を財源とする豊富な助成金事業の実施等の改革を行っている。働く障害者への就労所得保障の制度は、通常の労働市場で働く障害者への最低賃金保障、労働能力の減退した障害者のための公的助成による賃金補填制度、福祉的就労の場で働く障害者へ最低賃金の55~110%を国の助成によって確保する保障報酬制度がそれぞれ存在する。第2節は、社会保障制度による所得保障を考察する。フランスの障害者に対する主たる所得保障制度は、拠出制の障害年金と、無拠出制の成人障害者手当(AAH)とである。後者は、障害年金の受給要件を満たさない者に支給される。この2つの組み合わせにより、重度障害者(障害率80%以上の者)であって一定額未満の所得しかない者全てに公的所得保障がなされている。障害率50~80%の者も、1年以上就職できていない場合には、AAHが支給される。第3節では、2005年改正で新設された、障害の結果生じる特別な費用(介護費用、補装具等の購入費・賃借費、住宅の改装費等)をカバーする障害補償給付(PCH)を扱う。PCHは生活上の基本的困難を持つ者に支給上限額の範囲内で支給され、一定以下の収入の者には受給時の自己負担はない。収入がそれを超える時の自己負担は20%となるが、本人や配偶者の就労所得、障害年金、AAH等が収入には算入されないので、現実には多くの受給者は自己負担なしでPCHを受けている。PCHの財源は、2004年に創設された「連帯の日」(労働者が無給で勤務に就く)について使用者から徴収する拠出金である。このPCHは、障害の結果生じる特別な費用は、国民連帯によって賄われるべきであるという考え方を反映している。第4節は、以上の考察の総括を、障害者雇用政策と社会保障制度による所得保障との関係、および社会保障制度による所得保障と障害に起因する特別な費用の補償との関係という2つの視点から行う。前者に関しては、就労可能な障害者に対して、雇用政策の枠内で、就労による所得保障を行う仕組みを用意し、就労困難な障害者に対しては社会保障制度から障害年金又はAAHを支給するという機能分担がある。後者については、主としてAAHとPCHとの関係が問題となるが、AAHが、生活の基本的部分にかかる所得を保障し、PCHが、障害の結果生じる特別な費用を補償するという、非常に明確な役割分担がなされている。

第3章「総括」は、第1章および第2章での検討にもとづき、日仏の比較を行い、それから得られる日本法への示唆を述べる。フランスとの比較で見た日本法の特徴はつぎの通りである。(1)障害者雇用政策については、障害者雇用差別禁止制度の導入が検討されている段階にとどまり、雇用義務(雇用率)制度、様々な違いはあるとはいえ、フランスと比べると事業主の負担への配慮が目立つ設計である。福祉的就労の場面では日仏両国は構造的に類似するが、賃金の保障に関しては日本はフランスほど充実した仕組みとなっていない。(2)社会保障制度による所得保障については、フランスは障害年金とAAHとの組み合わせですべての障害者に所得保障が提供されているのに対して、日本は無年金障害者が生じうる仕組みである。補足性の原理にもとづく生活保護があるといっても、資産があったり、扶養できる家族のいる障害者は生活保護を全部または一部受けることができない状態になりうる。(3)障害の結果生じる特別な費用の補償に関しては、日本では障害者自立支援法によってカバーする仕組みであるものの、財源問題を背景として、給付受給時に原則として1割の自己負担がある。この点で、そうした費用を国民連帯によって賄うべきものと考えるフランスと相違がある。(4)障害者雇用政策と社会保障制度による障害者への所得保障との関係は、明快に整理されているフランスに比べると、日本は障害年金と就労との関係づけが曖昧である。(5)社会保障制度による障害者への所得保障と障害に起因する特別な費用の補償との関係についても、フランスではAAHが所得保障、PCHが特別な費用の補償と明確に整理されているのに対し、日本では、障害年金の重度加算や特別障害者手当と障害者自立支援制度の自己負担分との関係が十分に整理されておらず、不明瞭である。

こうした考察から得られる日本法についての示唆はつぎの通りである。(1)雇用差別禁止原則と雇用義務(率)制度とは両立しうる。障害者の雇用・就労を促進するためには、雇用義務未達成の事業主に対して課す納付金の引き上げや障害者雇用促進のための助成金の充実の強化、働く障害者への就労による所得の保障(具体的には最低賃金保障)をする仕組みの整備等が課題であることを指摘する。(2)社会保障制度による所得保障に関しては、障害年金(重度加算を含む)の給付目的の明確化や、障害年金の他には生活保護しかない現在の所得保障制度の在り方の再考が必要である。それを行うことによって、障害年金と非拠出性の所得保障制度との役割分担を明瞭にし、あわせて非拠出性の所得保障制度が障害者の就労インセンティブを向上させるように設計することを要する。(3)障害の結果生じる特別な費用の補償については、この特別な費用を「誰が」負担すべきかという点について、フランスの法制度を参照しつつ、議論を深めることが重要である。この議論にあたっては、財源を国民が幾ばくかの追加的負担をすることで確保する方法の可能性、障害者のニーズを適切に設定するシステムと組み合わせた支給上限設定の可能性等についても検討する必要がある。最後に「障害者への所得保障」のあり方を、障害者雇用政策、社会保障制度による所得保障、障害の結果生じる特別な費用の補償を総体的に見たときには、各制度間の関係・役割分担を明確化することが大きな課題であり、その主たる解決策は、障害年金を「労働・稼得能力の減退」あるいは「就労所得の喪失」を保障リスクとする、生活の基本的部分を保障するための給付として性格づけ、その再設計を考えることである。

以上が本論文の要旨である。

本論文の長所としては次の点が挙げられる。

まず、障害者の所得保障法制のあり方を、(1)障害者の雇用等の就労促進による賃金等の稼得による所得の保障(障害者雇用政策)、(2)社会保障の公的年金制度と非拠出性の金銭給付とによる所得保障(社会保障制度による所得保障)、(3)障害の結果発生する介護費用、補装具等の購入・貸借費用、住宅改修費用等の特別な費用の補償(障害の結果発生する特別な費用の補償)、という3つの柱を立て、それらの相互関係も含めて、フランスとわが国の法制度との比較法的研究を行ったところを挙げることができる。これまで、障害者の所得保障の法制度に関する研究は、社会保障制度による公的年金や障害者を支給対象者とする非拠出性の金銭給付を検討対象とするのが一般的であった。しかし、本論文が指摘するように、雇用その他の形態で就労する障害者が増加している現在、社会保障制度による所得保障にのみ着目するのでは、障害者の生活を支える所得を保障する法制度の全体を把握することはできない。また、障害者が生活していく上で必要な介護費用等の負担は、障害者の生計費の水準に影響を及ぼすから、やはり所得保障制度を考察するにあたっては看過できない要素である。本論文は、障害者に対する所得保障の法制度のこうした現状を適切に把握し、上記3つの柱のそれぞれについて日仏の制度を考察するとともに、その考察を基礎として(1)と(2),(2)と(3)の相互関係についても分析を行うことによって、それぞれの制度の役割分担のあり方にも踏み込んだ検討を行っている。本論文は、このように障害者雇用政策と障害に伴う特別の費用の補償をも視野に入れた幅の広い考察を行うことによって、狭義の所得保障制度にのみ着目したのでは看過されるであろう知見を新たに学界に提供したものであり、高く評価できる。

つぎに、これまで研究が手薄で、その全貌が必ずしも明確でなかったフランスの障害者の所得保障法制を、障害者のための雇用政策、社会保障制度による所得保障、障害の結果生じる特別の費用の補償の3つの側面について、資料を渉猟して、それらの展開の経緯も含めて詳細かつ体系的に考察し、その全体像の解明に成功していることを挙げることができる。フランスの社会保障法については、これまで公的医療保険法や公的年金法に関する研究は着々と蓄積されてきているが、障害者の所得保障の法制度については、断片的な研究があるのみであった。本論文は、狭い意味での所得保障(具体的には社会保障制度による所得保障)に限らず、上記のように障害者雇用政策と障害の結果生じる特別の費用の補償にまで考察範囲を広げ、障害者の所得に関わる制度を包括的に考察することにより、フランスの障害者に対する所得保障法制の研究に新しい境地を開いたと評価できる。とくにフランスは、雇用義務(雇用率)制度と障害者差別禁止法制とを両立させるという立法政策を取っている点で注目される国であり、こうした2つの制度の両立がどのようにして成立したかを明らかにした点、障害者差別禁止法制が求めている「適切な措置」の実現にあたっては、雇用割当制度の下での納付金を原資とする各種の助成措置が重要な役割を果たしていること解明した点は、つぎに述べるように、これからの日本の法政策のあり方を考える上でも、有益な研究成果である。加えて、拠出性の障害年金と非拠出性のAAHとが明確に役割分担がされていることを分析した点、障害の結果発生する特別の費用の補償の制度は、国民連帯という考え方に支えられていることを解析した点も、これまでのフランスの障害者に関する制度の研究では明らかにされてこなかったところであり、わが国のフランス社会保障法研究に裨益するところが大きい。

さらに、フランスの障害者の所得保障法制についての緻密な分析をもとに、日本の障害者雇用政策、社会保障制度による所得保障、障害の結果生じる特別な費用の補償の3つの柱のそれぞれについて、その特徴と問題点を考察し、今後の日本の障害者所得保障法制のあり方についての具体的な指摘や示唆を行っている点も本論文の意義として挙げることができる。とくに、障害者雇用政策の領域では、雇用率未達成企業の納付金の水準や助成金のあり方の再検討が求められていること、雇用や福祉的就労という形態で働く障害者の賃金保障について制度のあり方を見直す必要があること、社会保障制度による所得保障については、障害年金制度の趣旨・目的の明確化や非拠出性の所得保障がもっぱら生活保護によっていることの再検討の必要性を指摘していること、障害の結果生じる特別な費用の補償については、それを誰が負担すべきかについて検討を深める必要があること等を指摘しており、今後の障害者の所得保障法制のあり方を考える上で有益な示唆を与えていると評価できる。

もっとも本論文にもさらに改善すべきと思われる点がないではない。

まず、障害者雇用政策に関して、雇用義務(雇用率)制度と雇用差別禁止法制との関係について、両者の整合性を、たとえばもっぱら雇用差別禁止法制で対応しているアメリカ合衆国との対比を試み、それを通してフランスの制度のメリット・デメリットをより踏み込んで検討していれば、現下の立法政策の議論に一層有益な示唆を提供できたであろうという点が挙げられる。また、障害者に対する保護や給付がより高い水準であることが好ましいというスタンスを取っているとも見られるところがないでもなく、それを支える財政的基盤をどのように確立するかという点についての踏み込みが今ひとつ物足りないというところもある。

以上のように改善すべき点がないわけではないが、これらは本論文の価値を大きく損なうものではなく、むしろ本研究の今後の広がりを期待させるものといえる。以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者として高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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