学位論文要旨



No 127431
著者(漢字) 孫,範基
著者(英字)
著者(カナ) ソン,ボムギ
標題(和) 日本語と韓国語の音節音韻論 : 制約相互作用による直列派生モデルに基づく分析
標題(洋)
報告番号 127431
報告番号 甲27431
学位授与日 2011.09.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1098号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 田中,伸一
 東京大学 教授 生越,直樹
 東京大学 准教授 矢田部,修一
 東京大学 准教授 広瀬,友紀
 慶應義塾大学 准教授 深澤,はるか
内容要旨 要旨を表示する

本研究は, 日本語と韓国語の音節構造と関連する分節音音韻現象の諸相を調和的直列派生モデル(Harmonic Serialism, Prince and Smolensky (1993/2004: 94-95), McCarthy (2000, 2002: 159-163, 2006, 2008bc, 2009); 以下, HSと称する)の枠組みで分析し, 類型面では両言語とその諸方言の音韻的類型を明らかにすること, 理論的には現象の説明としてHSを適用しその補完を提案する, という二つの目的がある.

子音と母音は, 音節の内部および隣接する二音節の間という環境において, 通言語的にある一定の傾向が見られる. 子音は, 音節内の頭子音と末尾子音において分布制限と交替現象の対象になるのは末尾子音のみであり, 音節間の子音連鎖に起こる同化において同化されやすいのは頭子音ではなく末尾子音の方である. すなわち, 二つの音節環境において常に音韻的制限を受けるのは末尾子音の方である. 母音は, 音節間および音節内における二つの母音の連鎖は嫌われる傾向があり, 様々な修復操作によって回避される. 日本語と韓国語は, この二つの音節環境における子音・母音の音韻的傾向は類似するが, その詳細は大いに異なっている.

本研究は, 両言語の分節音音韻現象に現れる類型に対して, 個別言語に特化された制約ではなく, 言語一般に適用可能な制約と言語による制約優先順位の相違から説明する. また, 理論面においては三つのことについて論じる. 一つ目は, 不透明性の問題に対する理論の適用である. 二つ目は, 従来のHSで説明された音韻過程の見直しとその補完である. 三つ目は, HSで分析されていない音韻現象に対するHSでの新しい分析の提案である. 本研究は, 以下のように構成されている.

第1章は, 研究の目的および意義を述べ、両言語の分節音目録について記述する.

第2章は, 本研究の理論的枠組みであるHSについて概観し, その構成要素の一つである制約部に関する本論文の基本的な仮定について論じる. ここでは, 有標性制約の定義の仕方について論じ, また自立分節的な音韻表示を統合的に捉えられる忠実性制約の全体像を明らかにする.

第3章は, 音節内に現れる頭子音・末尾子音の音韻的振る舞いを取り上げ, 日本語と韓国語における末尾子音の分布および交替に見られる制限について論じる. 本研究は両言語における末尾子音について, 単なる表層の子音目録の記述ではなく, その背景で働く普遍的な制約とその優先順位を探ることによって, それらの子音が末尾子音として現れる必然性を明らかにする. さらに両言語の諸方言にはある限られた音韻環境において無標な構造および有標な構造が現れている. 日本語の鹿児島方言では, 共通語にない語末高母音削除という音韻現象によって末尾子音が生じるが, そこには調音位置の削除や有声性の中和などの弱化が起こることによって無標な構造が現れている. 韓国語では, 末尾子音には有標な調音位置や聞こえ度の低い子音が自由に現れており, 一般に末尾子音に対する制限は顕著ではないと言えるが, 子音群単純化という限られた音韻環境において, ソウル方言ではより有標な調音位置の子音を残すことが好まれ, 慶尚方言では末尾子音としてはより無標な聞こえ度の高い子音が出力形に現れることが好まれる.

日本語の鹿児島方言・諸鈍方言およびソウル方言・慶尚方言では, 上に述べた音韻環境においてそれぞれ摩擦音の口蓋化および平音の硬音化が過剰適用するという, 従来の最適性理論では説明のできない不透明性の問題が生じているが, HSでは漸進性に基づく中間段階の存在と有標性制約同士の支配関係によって説明する. 韓国語の一音節内の子音群単純化は, 音節制約の違反を解消するための子音削除であり, McCarthy (2008b)の音節境界を挟んた子音群単純化に対する「調音位置の削除 > 調音位置指定のない子音の削除」という漸進的削除が適用されない例である. 削除は,削除の引き金となる範疇的有標性制約が対立する忠実性制約を支配することによって決まるものであり, 派生の順序は専ら構造変化の引き金となる制約同士の優先順位によって決まるのである.

第4章は, 両言語の音節間における子音連鎖に対する修復としての調音位置の同化, および子音連鎖の聞こえ度の変化と関連する適格な音節接触を守るために起こる韓国語の調音様式の同化と日本語の母音挿入について論じる. この章では両言語の同化の引き金となる制約の相違と, 同化パターンの類似性について論じる. また, 韓国語の調音様式の同化と日本語の母音挿入は, 音節接触における下降パターンを守るという同一目標のための異質の音韻過程である. 韓国語の調音様式の同化は幾つかの個別変形操作から構成されているが, 本研究では音節接触の制約を細分化することによって従来論じられていない新しい派生順序が得られることを指摘する. また、本研究は,日本語の二字漢語形成において音節接触を守るために母音挿入が起こるという新しい提案をする.

第5章では, まだHSの枠組みで論じられたことのない音韻現象である母音連続の回避に対する新しい分析モデルを提示し, 経験的に日本語の東京方言・足久保奥組方言・首里方言と韓国語のソウル方言(中高年層・若年層)・江陵方言において起こる母音連続に対する修復について論じる. 本論文は, 母音連続の回避の引き金となる有標性制約としてONSETを設定し, その制約の違反を解消するために「分節音レベルの修復」が適用され, さらにその結果生じた素性レベルの有標な構造を避けるために「素性レベルの修復」が適用されるという漸進的な母音連続の回避を仮定する. その結果,「分節音レベルの修復」において諸方言に見られる多様な修復方法をより単純化し, 挿入子音の類型や母音の組み合わせによる融合母音の多様性に関しては「素性レベルの修復」からその仕組みを明らかにすることが可能になる.

最後に, 第6章は, 本論の内容をまとめながらその意義について述べる.

審査要旨 要旨を表示する

この課程博士学位請求論文の審査は,(主査)田中伸一,(副査)生越直樹,広瀬友紀,矢田部修一,深澤はるか(慶應義塾大学)の5名によって行われた.公開審査は平成23年8月1日(月)13時から,18号館コラボレーションルーム4において行なわれたが,深澤委員は欠席により,公開審査に先立ってメールにて審査結果が寄せられた.論文題目は「日本語と韓国語の音節音韻論:制約相互作用による直列派生モデルに基づく分析」である.以下,審査結果の要旨を報告する.

本論文は, 日本語と韓国語の音節構造に関連する分節音音韻現象の諸相を対象として,調和的直列派生モデル(HS)の枠組みで分析した第一線の研究である。目的は2つあり,類型面では両言語とその諸方言の音韻的類型を明らかにすることと, 理論的には現象の説明としてHSを適用しその理論内部の補完を提案することである.

子音と母音は, 音節の内部および隣接する二音節の間という環境において, 通言語的にある一定の傾向が見られる. 子音は, 音節内の頭子音と末尾子音において分布制限と交替現象の対象になるのは末尾子音のみであり, 音節間の子音連鎖に起こる同化において同化されやすいのは頭子音ではなく末尾子音の方である. すなわち, 二つの音節環境において常に音韻的制限を受けるのは末尾子音の方である. 一方,母音について, 音節間および音節内における二つの母音の連鎖は嫌われる傾向があり, 様々な修復操作によって回避される. 日本語と韓国語は, この二つの音節環境における子音・母音の音韻的傾向は類似するが, その詳細は大いに異なっている.

本研究は, 両言語の分節音音韻現象に現れる類型に対して, 個別言語に特化された制約ではなく, 言語一般に適用可能な制約と言語による制約優先順位の相違から説明している. 理論面では次の三つの論点を持つ. 第一に, 不透明性の問題に対する理論の適用である. 第二に, 従来のHSで説明された音韻過程の見直しとその補完である. 第三は, HSで分析されていない音韻現象に対するHSでの新しい分析の提案である. 本研究の構成は以下の通りである.

第1章は, 研究の目的および意義を述べ、両言語の分節音目録について記述している.

第2章は, 本研究の理論的枠組みであるHSについて概観し, その構成要素の一つである制約部に関する本論文の基本的な仮定について論じている. 特に, 有標性制約の定義の仕方について論じ, また自立分節的な音韻表示を統合的に 捉えられる忠実性制約の全体像を明らかにしている.

第3章は, 音節内に現れる頭子音・末尾子音の音韻的振る舞いを取り上げ, 日本語と韓国語における末尾子音の分布および交替に見られる制限について詳細に論じている. 本研究は両言語における末尾子音について, 単なる表層の子音目録の記述ではなく, その背景で働く普遍的な制約とその優先順位を探ることによって, それらの子音が末尾子音として現れる必然性を明らかにしている. その際,両言語の諸方言にはある限られた音韻環境において無標な構造および有標な構造が現れる点を導くことで,両言語(方言)の差異を原理的に説明している。

第4章は, 両言語の調音位置の同化が,音節間における子音連鎖に対する修復措置として生じること,および韓国語の調音様式の同化と日本語の母音挿入が子音連鎖の聞こえ度の変化と関連する適格な音節接触を守るために起こることを論じている. そして,両言語の同化の引き金となる制約の相違と, 同化パターンの類似性について明らかにしている.

第5章では, まだHSの枠組みで論じられたことのない音韻現象である母音連続の回避に対する新しい分析モデルを提示し, 経験的に日本語の東京方言・足久保奥組方言・首里方言と韓国語のソウル方言(中高年層・若年層)・江陵方言において起こる母音連続に対する修復について明らかにしている.

最後に, 第6章は, 本博士論文の内容をまとめながらその意義について述べている.

本論文の新しさ,意義については次のようにまとめられよう.まず,いくつかの方言を含めた日韓両言語の音節構造に関する類似と差異を,普遍制約の序列の観点から類型的に明らかにし,経験的な実証面で貢献したこと.次に,これらの分析を通して,直列派生モデルの補完および新しい提案をすることで,形式理論面にも貢献したこと.さらに,総合的には,音節構造分析に関して理論的にも実証的にも新たな地平を築き,未来の音韻論研究のモデルを提供したこと.以上が挙げられる.

直列派生モデルは,制約相互作用に基づく最適性理論の最先端のモデルであり,非常に難解かつ専門的で,理解するのに骨が折れるものではあるが,孫範基氏は深く広くこれを咀嚼し,現象説明にあたってこれを駆使している.全体としては,理論的かつ実証的に,包括性と厳密性とを兼ね備えた独創的研究となっていることは間違いない.

ただし,その難解さと言葉の足りなさゆえに,審査ではいくつかの問題も提示された.まず,直列派生モデルが,従来の並列式の最適性理論とどう異なるのか,あるいはそもそも規則ではなく制約を用いるとどう異なるのか,明らかにすべきとの意見が出された.また,日本語のある分析(鹿児島方言の音節構造)について,並列式でも分析できるのではないか,もし直列式でやるならどのような利点があるのか明らかにすべきとの意見も出された.さらに,韓国語のバリエーションに関して,その社会言語学的要因(個人,地域,年代など)がどのように制約序列により表現されるのか,そしてそれが歴史的要因とどう関連しているのかが明確ではないとの意見も出された.あるいは,今回の文法観は直列派生モデルに基づいていたが,そもそも人間の認知システムの中の言語を捉えるものとして,今後どのように『文法』を定義し研究してゆくべきかの意見も求められた.

しかし,総合的には,形式・内容ともに水準以上であるとの審査員全員の合意を得たので,博士(学術)の学位を授与するにふさわしいと認定する.

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