学位論文要旨



No 127432
著者(漢字) 山上,揚平
著者(英字)
著者(カナ) ヤマカミ,ヨウヘイ
標題(和) "Musicologie"の誕生 : フランスにおける音楽認識の近代化
標題(洋)
報告番号 127432
報告番号 甲27432
学位授与日 2011.09.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1099号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長木,誠司
 東京大学 教授 松浦,寿輝
 東京大学 准教授 Hermann,Gottschewski
 東京大学 教授 渡辺,裕
 東京大学 名誉教授 杉橋,陽一
内容要旨 要旨を表示する

本論は、19世紀終わりから20世紀初頭にかけてのフランス音楽文化の近代化に関して、特に音楽学の誕生という現象に着目することを通して、音楽観あるいは音楽認識の次元での変容に光を当てようというものである。この試みはまた逆に、フランス音楽思想史及び文化史研究の観点からフランス近代音楽学の誕生という出来事の意義を再考するものであるとも言える。従って本論はこの事象を、西洋諸国が近代化の流れの中で等しく行ってきたアカデミック・ディシプリンのささやかな改編として一般化するのでは無く、まさに「フランスの」固有の知的文化現象として捉えることを目指す。制度化された一ディシプリンとしての「音楽学」の歴史研究ではなく、そのように固定化される以前の様々な発展可能性を秘めていた知的状況、未だ音楽学ならざる"musicologie"を描きだすことこそが本論の主眼である。

第一章「musicologieの歴史的及び概念的考察」では本論が議論の対象とするmusicologieなるものの定義づけと、その一般的な特色を論じる。1870年代からその定義が曖昧なままに使われ始めたmusicologieの語は、その不確かな内実とは裏腹に、共通したある特定の態度と結びついていた。それは、引用の寄せ集めと主観的な意見からなるそれまでの音楽著述に対し、自らを信憑性ある資料に基づいた客観的な言説であると差別化する姿勢である。つまりmusicologieとは、それ自体が既存の「音楽の語り方」への批判運動であったのである。またこの運動の推進者たちにとって、音楽の新しい学問を興そうという願いは、音楽が実証的学問の対象としての価値を有することをフランス社会に認めさせること、いわば、音楽芸術の社会的地位の向上というより大きな問題と結びついていた。以上のような問題意識のもと音楽の学問を実践していた、あるいはそれ自体を論じていた言説活動を「音楽学的」言説と定義し、以降の議論の直接の対象に定める。

1917年3月17日、musicologieの運動の象徴的成果の一つであるフランス音楽学会(Societe francaise de musicologie)が誕生する。それまで専ら既存の様々な学術領域の集合体として描かれてきた「音楽の学問」だが、学会創設の声明文では、新しい学問"Musicologie"の目的は「音楽と音楽家の歴史、音楽美学と音楽理論の研究である」と定義されていた。本論はこの定義をmusicologieの概念形成における重要なメルクマーレと捉えると共に、この「歴史」、「美学」、「理論」の分類に則って、それぞれの領域と関連すると思われる「音楽学的」言説を章毎に分析していく。それらが従来の「音楽著述 musicographie」とどのように異なる新しい音楽観、あるいは音楽認識の形を提示し、また逆にどのような側面を引き継いだのかが、第二章から第四章の争点となる。

第二章「音楽と歴史記述」では、まず「音楽の歴史」自体に関する認識の変化を検討するに当たり、音楽史とは一体「誰が」「何のため」に学び、探求するものだったのかという問題を取り上げる。フランス社会における音楽史研究・教育を強く訴えていたmusicologieの歴史家(J. コンバリゥ、P. オブリ、R. ロランら)の言説を、彼らが科学以前として糾弾した19世紀中葉までのフランス音楽史研究家(F-J. フェティス、F. ダンジュー、J. ドルティーグら)の言説や、あるいはMusikwissenschaftの言説と比較することで、その特色を浮かび上がらせる。特に本章では、音楽史が音楽家以外にとっても価値を有するというmusicologieの主張の根底に、19世紀フランス歴史学の影響を大きく受けた「一般史」の概念が重要な役割を果たしていたことが明らかにされるだろう。

続いて本章の後半ではmusicologieの歴史記述自体の特色が論じられる。musicologie以前と以後とを分かつのは方法的には実証的文献学の手法であり、理念的には「一般史」の概念であったが、ここでは特に後者の影響が、作品や作曲家そのもの以上に、それらの間にある通時的及び共時的関係性に焦点をおいた、文化史的、社会学的著述を生み出すことになった点に着目する。

第三章「近代的心理学の誕生と音楽美学」では、美学的な問題を扱った音楽著述が、同時代の「新しい心理学」の誕生から如何に大きな影響を受けていたかに注目する。観念論美学やロマン主義美学が「形而上的なもの」として退けられる実証的気風の中、同等の問題を普遍的、実証的に扱える手法としてフランスで期待されていたのは「心理学」であった。

まず本章では「新しい心理学」の父Th. リボや、彼の『哲学評論』の寄稿者であり、新しい「音楽の学問」として「音楽心理学」を試みた哲学教授Ch. レヴェック、L. ドリアックらの音楽論を取り上げる。彼らは必ずしも常に唯物論的な心理学者ではなかったが、音楽の語り方の刷新の為に最新の科学的成果を積極的に音楽著述へと導入し、従来の心理学的音楽美学とそれらの融合を図っていた。

続いて本章では、厳密な科学としての「新しい心理学」のイメージを築いていた実験心理学あるいは生理学的心理学における実験的音楽研究を取り上げ、そこでの音楽認識の特色を検討する。呼吸器、循環器など様々な系を測定対象とした心理学者(A. ビネ、Ch. フェレら)の実験は、「音楽を聴く心理的プロセスに伴う身体の変化を詳細に観察する事によって、音楽的感情反応に固有の性質を明らかにすること」という目的を達することは出来なかったが、音楽の身体への「直接的な」生理作用を実証的に裏付けただけでなく、その種の作用の問題と「音楽的感情」などの美学的な問題との線引きを明確にする事によって、その後の音楽心理学の方向性に影響を与えることになったと考えられる。

更に本章は「新しい心理学」のもう一つの側面である病理心理学と音楽との関わりにも着目する。19世紀の失語症研究の影響を受けた「失音楽症」の研究(J.-M. シャルコー、J. アンジェニエーロら)は、「音楽言語」を巡る議論に新しい刺激を与え、伝統的な話し言葉モデルに基づく表現伝達のツールとしての音楽言語論(J.-J. ルソー、H. スペンサーら)から「内的言語」モデルに基づく思考のツールとしての音楽言語論(J. コンバリゥ、G. ブルレら)への橋渡しとなったと考えられる。

第四章「演奏と解釈の「実証的」理論」では、音楽の実践と直接関わる最も特殊音楽的であると見なされるこれらの領域においても、musicologieの思潮が ――つまり実証科学の発展の影響の下になされた、学問的に音楽を扱わなくてはならないという態度変更が―― 新しい音楽の捉え方を生み出しつつあったことを明らかにする。まず章の前半では音楽演奏や楽譜校訂に際し実証的指針を与えることを期待されたリズム理論(M. リュシィ、R. ヴェストファールら)を取り上げ、これらが自然科学をモデルとした学問モデルの影響と共に、実証的文献学の最新の成果と関係を持っていたことを指摘する。後半では生理学的心理学の知見を活用したピアノの習得を巡るユニークなアプローチ(ビネ、M.ジャエル)を取り上げ、そのアプローチの背後にある新しい音楽観を論じる。

最後に結論部では、これまで論じてきた事例に基づき、フランス近代音楽学を生み出す直接の原動力となったmusicologiqueな言説活動が、まさに当時のフランスの音楽文化や社会状況の産物であったことを確認する。更にはそれらが現代のフランス音楽学及び音楽文化の中にもその影響を留めていることが示唆されるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

山上揚平氏の学位請求論文『Musicologieの誕生――フランスにおける音楽認識の近代化』は、musicologieという学問の成立というできごとを手がかりにして、19世紀末から20世紀初頭にかけてのフランス音楽文化の近代化を捉えなおそうという意欲的な試みである。これまで、音楽学という学問の成立に関しては、ドイツ語圏におけるMusikwissenschaftのそれに関して多く議論がなされてきたが、それとはまったく異なった成立の仕方をしたフランスの音楽学を対象とすることによって、19世紀から20世紀にかけてのこの国の音楽文化全般にわたる地勢図を描き直そうというのが本論文の主旨である。1917年のフランス音楽学会創設の際の声明文で用いられた大文字始まりの"Musicologie"という術語の定義と、それを準備した言説を丹念かつ緻密に読み解き、その歴史的過程をひもといていくという手法によって、本論文は展開されていく。

全体は4つの章と結論から構成されている。まず第1章「musicologieの歴史的及び概念的考察」では、19世紀末にmusicologieの語が生まれてきた背景が明らかにされ、この語が当初持っていた特殊な含蓄が論じられる。musicologieなる術語は、それ以前に一般的であった主観的な「音楽著述」との差別化の途上で「学問的」な語りの方法として登場し、「音楽を語ること」自体への批判という意義を持っていた。音楽史研究家のP. オブリなどによる専門性の高い言説への要求などが分析対象として考察されているが、そもそもこうした要求の背後には、フランス社会に音楽芸術を真面目な学問の対象として考える習慣がなく、音楽が諸芸術のなかでも社会から軽視されていたという事情があったという。音楽の新しい学問や教育の必要性を説いたこの時代の論者たちの動向は、音楽の地位向上や音楽に関する認識の刷新という要求と結びついたものであった。彼らの言説こそが直接的に「音楽学的」な言説と結びついていく。

こうした「音楽の新しい学問」たるmusicologieの形は、意識的に独立した学問体系を構築しようとしたドイツ語圏における同時代の体系的音楽学とは異なり、フランス独自の文脈の上に成り立っていた。その文脈とは18世紀啓蒙主義以来根強く残っていた「百科全書としての科学」という学問モデルであり、それがサン=シモン主義やエゾテリスムを通してmusicologie成立以前の音楽著述に影響を与えていた。そして新たなmusicologieも、そのモデルの影響を受けざるを得なかった。そのことはフランス音楽学会創設に先立って進められていた『音楽の百科全書と音楽学校事典』の性格にも読み取れ、そこに顕著な18世紀百科全書派の名残が指摘される。1870年代前半に初めて出現したmusicologieなる語であるが、1917年のフランス音楽学会創設時には、その三本柱として「音楽と音楽家の歴史」、「音楽の理論」、「音楽の美学」が目標とされており、約半世紀間にその内容に変化が生じていることが分かる。高等教育機関での教育としての普及や学術的音楽誌の増加などとともに生じたこうした変化こそ、次の第2章「音楽と歴史記述」以降の最大のテーマであり、まさにこの「発展」がどのようなものであったのかということが、さまざまな資料の渉猟を伴って詳細に論じられていく。

第2章では「音楽と音楽家の歴史」を巡る言説が対象とされる。musicologieの誕生によって変化したのは、まずもって「音楽の歴史」自体に対する認識であったと考えられる。いったい音楽史とは「誰が」「何のため」に学ぶもの、あるいは探求するものであったのかという視点を中心に、音楽と音楽についての知識の関係が19世紀後半までの音楽文化全体のなかで考察される。音楽家、特に作曲家にとって音楽語法の歴史が有用であるという考えは、早くから一般的であり、そのためパリ音楽院においては19世紀前半から音楽史講座の開設が議論されてきた。musicologie推進者らが科学以前として糾弾していた音楽史研究者フェティスたちの世代によってもおこなわれていたこうした主張と、musicologieの提唱者たちのそれは一見似ているが大きな違いが認められる。19世紀中葉までの音楽史の必要性の訴えが、一方でサン=シモン主義やその影響を受けた社会主義的思潮の上で行われ、また他方では聖歌復興と教会音楽の普及を願うカトリック宗教音楽関係者の論理のなかで展開されていたこと、それを本論文はフェティス、J. ドルティーグ、F. ダンジューという論者たちの記述から明らかにしており、同時にそれが同時代音楽への失望、さらには近代的な市場に取り込まれつつある都市音楽への反発として生じたことを指摘する。彼らは同時代の音楽が失った「何か」を民謡などの「過去」に求め、それらの研究を通して現状改革を求めており、それはしばしば社会全体の改良とも繋がっていた。

これに対してmusicologieの世代は――1917年の声明文にも明記されているように――音楽史が「一般史」に重要な貢献をなしうるという命題を拠り所にして、まったく異なった学問をはじめようとした。一般史に貢献するということは、「自律した音楽芸術のための自律した歴史」というドイツ語圏の音楽学における歴史の発想とはまったく異なっている。このような、フランス独自の音楽史認識を準備することになったmusicologieの議論として、ソルボンヌ大学、コレージュ・ド・フランス、パリ・カトリック学院の3つの高等教育機関でそれぞれ最初の音楽史講座を担当したR.ロラン、J.コンバリゥ、P.オブリの三者の言説が採り上げられる。

第3章「近代的心理学の誕生と音楽美学」は、いわば本論文の中心をなしている部分であり、音楽学が実証主義的な学問として構築されるために、同時代の「新しい心理学」の誕生から受けていた影響に焦点が当てられる。記述的/実験的心理学両面の音楽学への寄与を総合的に論じた本章の意義は大きい。「新しい心理学」の立役者Th.リボと、彼の創刊した『哲学評論』の寄稿者で、「音楽の心理学」を新しい音楽の学問として試みていた哲学教授たちの音楽論が詳細に検討され、ことにリボの『哲学評論』が音楽学的著述の発表の場として如何に重要な役割を果たしていたのかが指摘されて、その再評価が行われる。またコレージュ・ド・フランスのCh. レヴェック、モンペリエとソルボンヌで講義を行ったL. ドリアックが採り上げられ、音楽学会の制度的設立への貢献や、アカデミックな世界への音楽著述の積極的な紹介など、musicologieの運動への彼らの関わりが評価されるとともに、その音楽論がmusicographieとmusicologieとの折衷的な性格のものであることが指摘される。

実験的な心理学としてはフランス実験心理学の父A. ビネによる実験心理学が紹介され、唯物論的心身一元論に基づく19世紀的生理心理学による音楽実験は、「音楽を聴く心理的プロセスに伴う身体の変化を詳細に観察する事によって、音楽的感情反応に固有の性質を明らかにする」という目的を達することはできなかったものの、音楽の身体への「直接的な」生理作用を実証的に裏付け、その種の作用の問題と「音楽的感情」などの美学的な問題との画定を明確にすることによって、その後の音楽心理学を方向付けたことが主張される。病理心理学に関しても、「失音楽症」という新しい病の発見とその研究が、「音楽言語」を巡る議論に新たな刺激を与え、伝統的な話し言葉モデルに基づく表現伝達のツールとしての音楽言語論から「内的言語」モデルに基づく思考ツールとしての音楽言語論への橋渡しになったことが指摘され、これらの研究が、その分野すべてを横断しながら興味深い美学的論考を行ったコンバリゥの音楽著述に集約されている様子がつぶさに論じられて、同時代にはほとんど正しく理解されることのなかった彼の「音楽的思惟」論が心理学的背景を考慮しながら再解釈されている。

第4章「演奏解釈の「実証的」理論」では、音楽実践の現場と密接に関連した「音楽理論」が取りあげられ、特殊な実践の領域においても、musicologieの思潮、すなわち音楽を学問的に扱うという新たな主張が新しい音楽の捉え方を生み出しつつあったということが、M.リュシィらのリズムや音律に関する理論的著述の紹介や、ギリシャ古典文献学の最新の成果としてR.ヴェストファールのリズム論を紹介しながら近代器楽曲の手稿譜を解読しリズム付ける作業を音楽古文書学的作業にたとえたコンバリゥの仕事の再評価によって導き出される。また、ロマン主義的であったと解されている当時の演奏習慣が、実は実証的精神の産物でもあった可能性が示唆され、またそれがピアノ演奏の視覚化を目指したいくつかの器具の誕生と関連して論じられる。そこに実証主義時代の視覚優位の思想が非視覚芸術の領域にまで浸透しつつあった極端な状況を認めることができるという。

結論部ではこれまで検討してきた事例に基づき、「音楽学的」な言説における「実証的」なもの、そして「フランス的」なものの実態が改めて考察されている。「音楽の学問」の社会的及び学術的信頼を得るために、「実証的であること」の基準は、まずは既存のディシプリンから借用され、それは一般的に言われる歴史学における実証主義と哲学における実証主義にほぼ重なるものであった。これらの刺激の下に生まれた実証的な音楽思想は、フランス音楽文化の様々な要因と絡み合って、意外にもユマニスト的なものになっていった。そこで関心の中心になるのは常に具体的な「我々、人間」と音楽との関係であり、人間社会と音楽との関係性を重視する音楽史記述や、音楽を聴く人間、奏する人間それぞれの精神の働きを探求する心理学的美学の発展などに現れた特色はすでに「フランス的」なもの、言い換えればMusikwissenschaftやmusicologyの仏語訳ではないmusicologieの特色であると言える。本論文は最終的に以上のような結論的考察にいたっている。

審査に当たっては、本論文がフランス音楽学の対極にある特徴と見なし、差別化の対象としている、ことにドイツ語圏での音楽学のいくつかの要素、例えば学問としての自律性、一般史からの音楽史としての自立性などの意味づけが議論され、フランス音楽学の独自性を強調するあまり、仮想敵の特徴を過大に評価しすぎているのではないかという問いがなされたほか、同時代のフランス・ナショナリズム的な動向が、もう少し加味・検討されていてもよいのではないかという疑問も呈されたが、論文提出者からの明快な回答が行われ、むしろ有意義な議論が行われる展開となった。また、19世紀から20世紀初頭にかけての膨大な資料を扱っているため、いくつか資料面でのレファレンスが不備になった箇所があることも指摘されたが、論文自体の本質的な議論に抵触するものではないという判断がなされ、学術的成果としてはきわめて高い水準であることに関しては、審査員全員の一致した了解が得られた。

以上を踏まえて、本審査委員会は本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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