学位論文要旨



No 127472
著者(漢字) 後藤,智香子
著者(英字)
著者(カナ) ゴトウ,チカコ
標題(和) 住民主体による私有空間の公共的利用に関する研究 : 支援制度を通じた住宅・庭先・緑地の公開を事例として
標題(洋)
報告番号 127472
報告番号 甲27472
学位授与日 2011.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7558号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 教授 大方,潤一郎
 東京大学 准教授 窪田,亜矢
 東京大学 准教授 大月,敏雄
 東京大学 准教授 小泉,秀樹
内容要旨 要旨を表示する

近代的所有概念のもとで、生活空間は「公的空間」と「私的空間」に二分された。ここでは、空間の費用負担者と利用者が一致することが基本であり、私有空間は個人が自由に使用、収益、処分できる空間である。成熟時代に入った現代においては、過度な生活空間の二極分化は、本当の意味で住み良い住環境につながっていないのではないか。これが本研究を貫く大きな問題意識である。この課題を克服するためには、行政単独による公有空間のみを対象とした公共事業では限界がある。その一方で、近年全国各地で住民主体によるまちづくりが展開されており、行政と住民が協調して取り組む事例も増えている。また、近年は人口減少と高齢化を背景として空き空間の増加や、成熟社会の中で社会貢献意識の高まりから自ら所有する空間を自発的に公開したいという人の増加も見られる。

このような背景のもと、住民主体により、私有空間を地域の住民が有効に利用できるようにしている取組みがある。また近年、こうした取組みに対して、行政が制度を通じて支援している場合がある。こうした支援制度は、私有空間の公共的利用の取組みやその芽生えをフォロー、促進し、生活空間の過度な公私二極分化を超え、住環境を維持向上させる有力な仕組みとなる可能性を秘めている。

以上を背景として、本研究は、住環境の向上をめざした、支援制度を通じた住民主体による私有空間の公共的利用の取組みを対象に、その実態を分析し、成果と課題を明らかにすることを目的とする。そして、その課題を克服するための改善点を提示する。以上から、本取組みによる既成の住宅市街地の住環境の維持向上への可能性を論ずる。

第1章では、上述の研究背景や目的、用語定義を行った後、私有空間の公共的利用を実現するための本研究のアプローチをした。一般的に、公的空間は所有=行政、整備・運営=行政、利用=不特定多数である。また、私的空間は、所有=個人・家族、整備・運営=個人・家族、利用=個人・家族、である。これに対して、本研究は、所有は個人・家族のままで、それを公開し、住民が整備・運営を担うという中間項を設定し、これを通じて公共的な利用を可能にするというアプローチである。そして既往研究をもとに、研究の着眼点として、(1)私有空間を公開するという所有者の発意をいかに誘発するか、(2)私有空間を公共的に利用できる空間としていかに転換するか、(3)私有空間の公共的利用をいかに持続させるか、という3点を設けた。また私有空間を、建築空間(内部空間中心)、建築空間(外部空間中心)、非建ぺい空間に分類した。

第2章では、まず、第1章で設定した私有空間の3分類に対して、住民主体による私有空間の公共的利用に関する取組みとして、どのような事例があるのかを既往研究をもとに整理した。建築空間(内部空間中心)の公共的利用については、経済的自律性が働きにくい地域に生じている空き家・空き店舗を対象に住民が公共的利用を行う場合と、経済的自律性が未だ働いている地域において住民が自発的に建築空間(内部空間中心)を公開し公共的利用を行う場合という、大きく2つに分類した。建築空間(外部空間中心)の公共的利用については、地区単位での取組み、個別敷地単位での取組みと大きく2つに分類した。非建ぺい空間の公共的利用については、市民農園、契約緑地制度、空き地・低未利用地の利用と分類した。これを踏まえて、3分類の既往研究成果と課題を明らかにし、建築空間(内部空間中心)の公共的利用としてはコミュニティ施設づくり、建築空間(外部空間中心)の公共的利用としては街並みづくり、非建ぺい空間の公共的利用としてはオープンスペースづくりとして、分類毎に各着眼点に基づいて分析の視点を設定した。また、研究対象とする事例の抽出を行った。

第3~5章は事例分析である。

第3章では、財団法人世田谷トラストまちづくり「地域共生のいえづくり支援事業」制度を通じた住宅公開によるコミュニティ施設づくりを取り上げた。これは、所有者発意により住宅を公開し、地域の資源とニーズに対応した非営利の住民活動を受け止める場としての「地域共生のいえ」づくりを支援する制度である。当制度は具体的には、専門家派遣による技術的支援が中心で、これを通じて所有者と利用者をマッチング、空間整備、運営支援を行っている。また当制度は、コミュニティ施設としての具体的な機能を定めていないため、規定の枠にとらわれずに、所有者の意思や地域ニーズを反映出来ることも特徴である。住宅公開を通じたコミュニティ施設づくりは、空間のプライベート性の高さから、特定集団の利用になりやすく、特に公的支援による取組みの場合は、いかに住民の共感・共有を広げていくかが重要である。そこで本章では、(1)所有者が私有空間の公開をしようと思った発意の背景、発意の内容と想定していた利用者、発意に伴う課題は何か、(2)どのような公共的な利用があるか、特に特定集団に限定されていない利用か、その利用はどのような空間整備、運営によって実現しているか、(3)所有者の公開の負担をいかに軽減するか、住民の整備・運営の持続性、地域との連携、所有者と整備・運営者の持続性、という視点で分析し、当制度の成果と課題を明らかにしている。

第4章では、戸田市「三軒協定」制度を通じた庭先公開による街並みづくりを取り上げた。「三軒協定」制度は、隣近所3軒以上で街並みに資する協定を締結した場合に、その取組みに対して補助金等により支援するというものである。個別敷地を超えて、各私有空間に対して隣近所の私有空間の所有者としての住民の意向が反映され、街並みの調和が期待できる。また、合意形成単位としては最小単位であること、助成金があり、庭先の植栽から取組み可能な仕組みとなっていることから、所有者の発意を誘発しやすいと考えられる。庭先公開による街並みづくりは、いかに個人の趣味、都合を超えて、近隣住民を意識するかが重要である。そこで本章では、(1)所有者発意の内容、特に近隣のことを考えた発意になっているか、発意のインセンティブの工夫は何か、(2)近隣と調和した街並みか、そのためにどのような話し合いがもたれているか、(3)近隣との調和の持続性、近隣から地区への展開、という視点で分析し、当制度の成果と課題を明らかにしている。

第5章では、都市緑地法「市民緑地」制度を通じた緑地公開によるオープンスペースづくりを取り上げた。これは、契約緑地の一種であり、私有の緑地保全と同時に、住民に公園的機能を有する緑地を提供するということを目的としている。自治体の条例に基づく「市民の森」よりも、所有者の発意の誘発や、公開の持続性を担保する相続税優遇の点で一歩進んだ制度である。こうして公開されたオープンスペースは、不特定多数の人が利用可能だが、住民に地域資源として認識されていなかったり利用者が少なかったりすること多いため、多元的な利用により地域資源としての価値を住民に認知させることが重要である。そこで本章では、(1)所有者の発意の内容、発意のインセンティブ、特に資金的支援や維持管理負担軽減の効果、発意に伴う課題は何か、(2)どのような多元的な利用があるか、その利用はどのような空間整備、運営によって実現しているか、(3)所有者の公開の負担をいかに軽減するか、住民の整備・運営の持続性、所有者と整備・運営者の関係の持続性、という視点で分析し、当制度の成果と課題を明らかにしている。

結章では、まず3事例の成果と課題についてまとめ、課題については改善点を提示している。次に3事例の取組みの成果と課題に通底することを踏まえ、各着眼点について私有空間の公共的利用の取組み、またその支援のあり方として重要な点を述べている。(1)私有空間を公開するという所有者の発意については、所有者の中には潜在的に個人的利益のみならず、公共的利益への貢献を志向している部分もあり、そうした部分に対して働きかけることが重要である。また、個人的利益につながることであっても、公共的利益と合致する部分があり、そうした部分へ働きかけることも重要である。一方で公開にあたっては、いくつかの障害があり、それを克服するための支援が必要である。(2)私有空間を公共的に利用できる空間として転換するためには、住民が地域のニーズや課題に合わせて空間を整備・運営することが重要である。そして個人のつながりや相互行為のなかで少しずつ思い、関心、問題意識を共有していくということが重要である。このような住民の共感・共有を生むための取組みとそれを意識した支援が重要となる。(3)このように小さな思いの共感・共有のなかから生み出された「小さな公共性」は、時間の流れや地域の新たなニーズに対応するなかで漸進的に広がっていく、動態的なものである。生み出された「小さな公共性」を、公共的利用へとつなげて住環境の維持向上を図るためには、持続性が重要であるが、住民の善意や自助努力のみに頼っていては持続しない。それを支える仕組みが必要である。

最後に本取組みの可能性として、従来の住環境整備等の対象にはならなかった一般的な既成住宅市街地でも取組み可能であることを述べた。また、私有空間であっても個人のつながりの中で生み出された共有・共感から公共性を獲得していく可能性があること、その中で育まれる空間は単に行政の負担を軽減するという消極的な考えではなく、住環境において、より豊かでアメニティの高い空間づくりが行われる可能性がある。そうした共有・共感の輪の広がりを行政が支援することは、過度な生活空間の公私二極分化を超えて住環境を維持向上させる有力な仕組みとなる可能性を秘めていることを指摘した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は郊外既成住宅市街地において、住民主体により私有空間を有効に公益的もしくは共益的に利用できるようにしている自治体の近年の取り組みに着目し、こうした取り組みが郊外既成住宅市街地における住居や生活の場を取り巻く物的環境の質を維持向上させると共に、地域住民の社会的関係の構築など、非物的環境の質をも向上させることが可能であることを明示的に示すことを目的としている。そのために、3つの事例に関して詳細な実態調査にもとづいて、活動の成果と課題を明らかにすることをおこなっている。

論文は6つの章から成っている。

第1章は、研究の枠組みに関して、研究の目的を明らかにすると共に各種の既往研究を示し、住環境整備に関する事業の歴史を示している。また、研究の着眼点として、(1)私有空間を公開するという所有者の発意をいかに誘発するか、(2)私有空間を公共的に利用できる空間としていかに転換するか、(3)私有空間の公共的利用をいかに持続させるか、という3つの問いかけをおこない、以後の研究の枠組みとしている。

第2章は、本研究の中核となる事例をいかに抽出するかを論じた章である。まず、建築の内部空間、外部空間を対象とした事例、さらに非建ぺい地を対象とした事例とに分類して多様な事例を博捜し、その中でいかに論じる3事例を抽出する経過を明らかにしている。

第3章は、住宅の公開を通じたコミュニティ施設づくりの事例として、(財)世田谷トラストまちづくりによる「地域共生のいえづくり支援事業」をとりあげ、その制度設計の詳細を明らかにし、さらに運用実態に関して5つのケースタディによってその詳細を明らかにしている。

第4章は、庭先の公開を通じた街並みづくりの事例として、戸田市による「三軒協定制度」をとりあげ、第3章と同様に、制度設計の詳細、運用実態の分析を4つのケースタディによって精緻に明らかにしている。

第5章は、緑地の公開を通じたオープンスペースづくりの事例として、都市緑地法に定められる「市民緑地制度」を対象に、全国10カ所のケースタディを通じて、制度の実際を詳細に明らかにしている。

以上の事例研究をもとに、最終の結章では、3つの事例研究の総括をおこなった後、冒頭に述べた研究の3つの着眼点に即した結論を述べている。すなわち、(1)所有者の社会貢献意識へ働きかける契機づくりとその前に立ちはだかるいくつかの障害を明らかにし、その克服施策を論じている。(2)所有者と利用者の適切なマッチングの手法をあきらかにし、それによって私有空間の公共的利用への転換を可能とする方策を示している。さらに、空間整備の具体的な支援策と運営方法を明らかにしている。(3)私有空間の公共的利用の持続のためには、拘束の緩い管理運営手法の提案をおこなっている。

以上、本論文は、近年関心が高まっている「小さな公共」という理念に関して、その内実を初めて具体的実証的に明らかにし、その今後の進展に向けた建設的な提言をおこなっている点において、実務的に非常に有用であり、他に例を見ないおおきな社会貢献をおこなっていると言える。

よって本論文は博士(工学)の学位申請論文として合格と認められる。

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