学位論文要旨



No 127493
著者(漢字) 戸上,真人
著者(英字)
著者(カナ) トガミ,マサヒト
標題(和) 系と信号源分布の時変性を考慮した統計的推定理論
標題(洋) Statistical Estimation Theory Considering Time-Varying Nature of Systems and Source-Probability Distributions
報告番号 127493
報告番号 甲27493
学位授与日 2011.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7579号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀,浩一
 東京大学 教授 中須賀,真一
 東京大学 教授 相澤,清晴
 東京大学 准教授 矢入,健久
 東京大学 准教授 赤石,美奈
内容要旨 要旨を表示する

システムの内部状態を人手を掛けずに把握したいというニーズに応えるために,人工衛星,機械設備,民生機器など様々な機器で多種多様な観測用のセンサが配備される状況が整いつつある。このようなセンサが配備された機器で,センサで得られた観測信号から所望信号を自動的に抽出するシステムが求められている。所望信号とは,観測信号の背後に隠れた潜在因子の時間波形のようなものであったり,レーダーなどで推定する信号源の到来方向など様々である。センサの信号と所望信号とが一体一に対応しているような場合,センサを配備するだけで所望信号が取得できることになるが,そのようなケースは稀であり,通常はセンサの観測信号は様々な雑音が混入した信号となり,センサを配備しただけでは必ずしも所望信号が取得できるとは限らない。加法性の背景雑音は典型的な雑音成分であるが,ここで,``雑音''と呼んでいるものは,必ずしも背景雑音のようなものだけではなく,仮定した装置の物理モデルと実際のモデルとの誤差など,事前に発生を正確に予測することが困難な因子である。また,所望信号が一つとは限らない。所望信号が複数存在し,一つのセンサ信号が複数の所望信号の影響を受けている場合も多々ある。この場合,着目している所望信号以外の信号は一種の雑音信号とふるまうことになる。

雑音にまみれた観測信号から所望信号を抽出するために,これまで統計的に妥当な解を算出するための統計的信号処理技術が検討されてきている。特に,自動制御分野において,航空宇宙工学と統計的信号処理技術との関わり合いは深く1940年代のウィナーフィルタ,1960年代のカルマンフィルタなど信号処理の基本技術は航空宇宙工学においても重要な基盤技術となっている。航空宇宙業界では,所望信号の予測・推定精度だけでなく,予測・推定を如何に少ない計算機資源で実行するかも重要な要素となっており,信号処理技術の低リソース化も,航空宇宙分野では他分野に先んじて行われている。

このように,統計的信号処理技術はアプリケーションのニーズに応じて発展してきたが理論体系自身は個々のアプリケーションによらず,確率・統計的に一貫性のある枠組みでとらえようとする試みがこれまでなされてきており,現在,航空宇宙分野に限らず,音響分野・画像分野・通信分野など様々な分野で同様のフレームワークに基づく信号処理が活用されてきている。したがって,信号処理技術を分野横断的な技術と捉え,共通する課題及び共通する技術を見出すことは航空宇宙分野だけでなく工学全般の発展に大きく寄与する活動と考えられる。

機械学習分野では,事前に得られた学習データから,パラメータをオフラインで学習し実行時にそのパラメータを固定のものとして使用するような枠組みが一般的である。

これに対して,信号処理分野では動的に対象信号の特性が変化することを仮定するため,パラメータを事前に推定することは困難である。また,観測信号が全て手に入ってから処理を始めるオフライン処理ではなく,データを得るごとに処理を行うオンライン処理が求められる。したがってパラメータについてもデータ得るたび毎に更新していくオンライン処理が望まれている。動的に変化するシステムをオンラインで推定するために,これまで最小二乗法に基づく適応フィルタが長らく主流の技術として使われてきた。適応フィルタは対象の特性がゆっくりと変化することを想定しており,定常に近い信号源に適した信号処理法である。一方,非定常性が強い信号源に対して,追従速度をあげようと過去の情報の忘却係数を大きくすると,最悪の場合フィルタが発散するという致命的な問題が起こる。これはパラメータ推定のための観測信号が足りないことが主因である。適応フィルタは,適用対象を極力問わない汎用的な信号処理技術として発展してきており,対象に関する事前知識を極力使わない構成となっている。一方,機械学習分野では学習データが不足しパラメータが十分学習できない問題に対して対象とする信号源や系の事前知識を用いて不足を補完するアプローチが用いられてきた。このような機械学習的アプローチは,これまでダイナミックに変化するパラメータを推定するオンライン信号処理技術に十分取り込まれてきたとは言い難い。

本論文では,このような機械学習的アプローチを参考に,ダイナミックに変化する信号源や系をオンライン処理で推定することが可能な信号処理方式を提案する。特に,非定常に変化する信号源は,ガウス分布と比べて尖った分布形状(スーパーガウス分布)に依存するため,スパースに近づくという性質がある。このような信号源がスパースであるという事前知識を積極的に用いたオンライン信号処理技術について,議論を進める。まず,これまでオフラインの信号処理技術において検討が進められている二種類のスパース性の信号処理への導入法について述べるとともに,それぞれの長所と短所について述べる。更にそれらをオンラインの信号処理に導入するための改良法を示す。

1つ目のスパース性の導入法は,近年Duongらが提案している時変ガウスモデルである。時変ガウスモデルでは,パラメータ群を時間毎に激しく変化する時変パラメータと時間方向に緩やかにしか変化しない時不変パラメータに分け,時間毎に推定するべきパラメータの数を削減することで,信号源がダイナミックに変化する場合でも少数の観測データからパラメータ追従可能となる。しかし,Duongらの時変ガウスモデルは,全ての観測データが手に入った後で実行可能なオフライン処理が前提となっていた。また,十分な性能を得るために多大なEM繰り返し回数が必要となるという問題があった。

Duongらの方法をオンライン処理で実行可能なように拡張し,さらにEM繰り返し回数を削減するために,本論文では,Incremental EMアルゴリズムによりサンプルバイサンプル実行型の時変ガウスモデルベースの信号処理方式を提案する。更に閉形式の近似解を初期値として用いる方式を提案する。提案するオンライン時変ガウスモデルにより,実時間で良い分離解が得られることを確認した。

また,時変ガウスモデルは,事前の情報を一切利用しないブラインド構成の信号処理方式となっているが,実際には,一部の事前情報が手に入る場合が多い。例えば音響エコーキャンセラ問題では,スピーカから出力される音が一種の音源となるが,この場合この音源の原信号は予め既知である。このような一部の潜在因子が既知のセミブラインド条件で活用可能な時変ガウスモデルを提案する。提案する時変ガウスモデルは,事前情報に関連するバイアス成分の推定とそれ以外の残差成分の推定の二段構成となっているが,確率的な観点からはこれら二つを別々に最適化することは望ましくなく,繰り返し算法により逐次最適化することが望ましいことが分かった。時変ガウスモデルにおけるバイアス成分推定はいわゆる「線形フィルタ」に相当し、残差推定は「非線形フィルタ」に対応すると考えられる。つまり,これは、従来より頻繁に用いられている線形フィルタと非線形フィルタのカスケード接続が確率的には正しいことをも意味しており,従来法と比べてより自然な形で線形フィルタと非線形フィルタを接続できているといえる。さらに,バネーダッシュポット問題のように,潜在因子が時間遷移する中で,突発的な外力が加わり状態が変化するような,LDS (Linear-Dynamic System)問題に適用可能な時変ガウスモデルを提案する。提案法は,カルマンフィルタの状態潜在雑音項の分散を時変ガウスモデルでモデリングしていることに相当する。提案法をバネーダッシュポット問題で評価した結果,潜在雑音項を定常ガウスとモデリングする場合と比べて高精度に物体の位置及び速度を推定可能であることが分かった。

時変ガウスモデルは一見信号源についてのモデルは行っていないように見えるが,実際には時変のスカラー項推定時に用いるガウス分布の制約によりスパースな時変スカラー項が推定される。ただし,従来より提案されているlpノルム項を用いたスパース手法と比べると,観測信号が潜在変数の和で表されることを保証する(lpノルム法は保証しない)ため,歪が小さい点が特徴的である。一方lpはpを無限小に設定した場合に,非0の値を取る因子の数を極端に制限することができるため,圧縮用途では多様されるが,時変ガウスモデルではそのような調整ができず,値が小さい因子でも極端な0詰めはしない。したがって,圧縮用途や主要成分のみを推定したい方向推定のような問題ではlpノルムベースの手法が望まれ,因子の歪みが小さいことが望まれる問題(例えば音源分離問題)では時変ガウスモデルが望まれるといえる。本論文の後半では,lpノルムベースのスパース性に基づく音源方向推定法を提案する。提案法は,pが無限小の極限では,0以外の因子が0か1つしか無いことを仮定することと等価になることに着目し,時間―周波数毎に一つの音源しかないと仮定することで,処理量が非常に小さく組み込み用途に適した音源方向推定法となっている。スパース性に基づく信号処理技術をビデオ会議システムの音響システムにおける突発性雑音除去技術に適用し有効性を確認するとともに,実際のビデオ会議システムに技術を搭載し実用化した。その構成についてもあわせて示す。

審査要旨 要旨を表示する

修士(工学) 戸上真人 提出の論文は「Statistical Estimation Theory Considering Time-Varying Nature of Systems and Source-Probability Distributions (系と信号源分布の時変性を考慮した統計的推定理論)」と題し、英文で書かれ、11章からなる。

人工衛星、機械設備、民生機器などにおいては、複数のセンサーが配置され、それらから多種多様な信号が得られている。それらの信号から信号源の状態を推定することは、重要な課題である。従来の統計的信号処理においては、信号源の統計的性質として定常分布であることを仮定し、また、観測信号と所望信号が時不変の関係で結ばれていることを仮定することが多かった。しかし、実際の問題では、所望信号の分布および観測信号と所望信号の関係の両方が時変であることが多く、時不変モデルでは十分な精度で推定することが困難であった。これに対して、本論文では、信号源分布と系の両方の時変性を考慮した統計的信号処理の手法を複数提案し、実問題への適用によりその有用性を実証している。

第1章は序論であり、本研究の背景、位置付け、および目的を述べている。

第2章では、統計的信号処理についてその理論的基盤を概観している。

第3章では、動的に変化するシステムを時変ガウスモデルに基づいてオンラインで推定する手法を提案している。時変ガウスモデルは、パラメータ群を時間軸上で激しく変化する時変パラメータと緩やかにしか変化しない時不変パラメータに分け、推定すべきパラメータの数を削減することにより、ダイナミックに変化する信号源の推定を可能とするモデルである。しかし、従来は、計算量の問題からオフラインでしかこのモデルを用いることができなかった。本論文においては、これをオンラインで用いるための新しい手法を提案している。提案手法では、少量の観測データからでもパラメータを高精度に追従可能であることを示している。

第4章では、複数信号源処理においてメカニカル雑音と称される種類の雑音を除去することに目的を特化した場合についての手法を与えている。

第5章では、一部の潜在因子が既知のセミブラインド条件での潜在因子推定問題について述べている。前章まででは、事前の情報を一切利用しないブラインド構成の信号処理方式を扱ったが、実際の問題では信号源に関する一部の事前情報が手に入る場合も多い。本章では、事前情報に関連するバイアス成分の推定とそれ以外の残差成分の推定を逐次最適化により行う手法を提案している。この提案手法は、線形フィルタと非線形フィルタをカスケード接続する従来の手法よりも理論的にも実用的にも優れている。

第6章では、潜在因子が時間遷移する中で突発的な外力が加わり遷移雑音の分散が変化するような、Linear Dynamic Systemに適用可能な時変ガウスモデルを提案している。このモデルはカルマンフィルタのひとつの拡張形とみなすことができ、その有用性を例題によって示している。

第7章では、信号源に関する事前情報として信号源のスパースネスを用いることのできる場合の推定問題を扱っている。本章においては、各時間および各周波数ごとに主要な信号源がほぼひとつであるという信号源のスパースネスが成立している場合に適用可能な高速で高性能の手法を提案している。

第8章から第10章においては、前章までに提案した複数の手法をそれらの特徴を生かして組み合せることにより実システムを構築し、提案手法の有用性を実証している。第8章においては、複数方向からの音声による指令を処理するロボットの実装例を与えている。第9章においては、音源方向推定システムへの応用例を示している。第10章においては、突発性雑音除去システムへの応用例を与えている。

第11章は結論であり、本研究の成果をまとめ、今後の課題を示している。

以上要するに、本論文は、系と信号源分布の時変性を考慮した統計的推定理論を提案しその有用性を実証したものであり、その成果は航空宇宙工学上寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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