学位論文要旨



No 127496
著者(漢字) 勝井,秀一
著者(英字)
著者(カナ) カツイ,シュウイチ
標題(和) 二波長光照射走査トンネル顕微鏡によるInAs細線の光吸収特性の局所的評価
標題(洋)
報告番号 127496
報告番号 甲27496
学位授与日 2011.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7582号
研究科 工学系研究科
専攻 電気系工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 高橋,琢二
 東京大学 教授 大津,元一
 東京大学 教授 田中,雅明
 東京大学 教授 福谷,克之
 東京大学 准教授 岩本,敏
 東京大学 准教授 八井,崇
 東京大学 准教授 加藤,雄一郎
内容要旨 要旨を表示する

量子ドットや量子細線のような半導体ナノ構造の局所的な特性評価は,ナノ構造を高性能デバイスへ応用するにあたり大変重要となる.走査トンネル顕微鏡(STM)や原子間力顕微鏡(AFM)に代表される走査プローブ顕微鏡(SPM)は,原子スケールの高空間分解能を有するため,局所的評価に関して重要な役割を果たす.例えば,光照射下においてSTMや導電性カンチレバーを用いたAFMで半導体ナノ構造材料を観測すると,ナノ構造の電気的特性と光学的特性の情報を得られる.この観測では,光吸収により誘発される光誘起電流(PIC)信号を検出しているが,半導体ナノ構造材料の特性の正確な評価のためには,このPIC信号の起源を正確に理解し,信号の解釈を困難にする起源を必要に応じて抑制しなければならない.本研究では,内蔵電界が内在する基板上に成長したナノ構造を評価する際に検出されるPIC信号の起源を考慮し,信号の解釈を困難にする下地の基板の内蔵電界の影響を抑制する方法を新たに提案し,その方法を用いて実際にナノ構造の光吸収特性の評価を行う.

本測定では,内蔵電界を有するGaAs上にInAs細線を成長させた構造を試料として用いた.n型GaAs微傾斜基板上にアンドープGaAsのバッファ層を成長させると,その表面はマルチステップ形状を構成する,InAs細線は,各ステップ端に沿って配列している.InAs細線での光吸収を選択的に誘発するために,GaAsのバンドギャップ未満のフォトンエネルギーのon-off変調した光(変調光)を照射してPIC信号を検出したところ,光吸収が生じていないGaAs上でも信号が検出された.この結果を踏まえてPIC信号の起源を考えると,変調光を用いた場合に検出されるPIC信号を構成する成分として,(i)フォトキャリアのトンネル,(ii)容量性電流,(iii)表面光起電力の3つが挙げられる.GaAs上ので検出されたPIC信号は成分(ii),(iii)の影響によるものであり,更にInAs細線上のPlc信号にも下地のGaAsの影響が含まれることを考慮すると,InAs細線の光吸収特性を正確に評価するためには成分(ii),(iii)を取り除かなくてはならない.そこで我々は,二波長光照射STMを提案した.この方法では,変調光に加えて連続光を合わせてナノ構造材料表面に照射している.連続光の吸収により下地のGaAsのバンド構造をフラットにすることで,成分(ii),(iii)の起源となる内蔵電界を抑制することができ,変調光の変調周波数に同期したPIC信号からそれらの成分を取り除くことができる.実際にPIC信号の位相を解析したところ,二波長光照射STM観測により検出されるPIC信号では成分(i)が支配的であることが確認でき,そのPIC信号のマッピング像ではGaAs上のPIC信号が消え,InAs細線上のPIC信号が強調された.

次に,二波長光照射STMを用いてInAs細線の光吸収特性の局所的評価を行った,ナノ細線構造での量子閉じ込め効果や形状異方性に基づく特徴的な特性を調べるため,PIC信号の照射光フォトンエネルギー依存性,及び偏光依存性を観測した.偏光依存性に関しては,細線横方向の閉じ込め効果の有無で生じるPIC信号の違いを観測することを期待して平均幅25nmと50nmの細線(平均高さはいずれも10nm)に対し,細線垂直方向/平行方向偏光状態の変調光を照射してPlC信号を観測した.その結果,25nm幅の細線では垂直方向偏光状態の光の場合のみPIC信号が観測されず,明瞭な偏光依存性を示したのに対し,50nm幅の細線ではPIC信号の偏光依存性が確認されなかった,このような細線幅の違いによるPIC信号の偏光依存性の差異から,充分に細い細線において生じる量子閉じ込め効果が細線垂直方向偏光除隊の光吸収を抑制して,PIC信号の明瞭な偏光依存性を生じさせることを確認した.

また,平均幅50nmの細線におけるPIC信号のフォトンエネルギー依存性を観測し,InAs細線の特性を詳しく調べた.1.20eVから1.55eVのフォトンエネルギー領域でのPIC信号スペクトルを取ったところ,室温下でのGaAsのバンドギャップ(1.42eV)以上の領域において,GaAs上のPIC信号スペクトルは,バルク半導体の吸収スペクトルとよい一致を示した.このことは,二波長光照射STM観測により検出されるPIC信号から半導体材料の吸収スペクトルを議論できることを意味している.1.42eV未満のフォトンエネルギー領域でのInAs上のPIC信号スペクトルはステップ状の変化を示しており,この細線幅では偏光依存性が現れなかったことも合わせて考慮すると,このInAs細線が量子井戸として働いているものと推測できる.更に,この細線を10nm幅のInAs量子井戸として考えると,PIC信号スペクトルの測定結果から今回の観測されなかった離散準位などの本InAs細線試料の特性を解析できる.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,「二波長光照射走査トンネル顕微鏡によるInAs細線の光吸収特性の局所的評価」と題し,光照射下で走査トンネル顕微鏡(STM)を動作させることにより実現される光吸収特性の新しい評価手法の開拓と,その手法によるInAs細線構造の局所的評価を行った結果について述べたものであり,全7章から成っている.

第1章は「序論」であり,本研究の背景を解説している.半導体デバイスの高性能化を支えているデバイスサイズの微細化に伴って,そのような微細構造の性能を局所的に評価し,更なる高性能化に向けたフィードバックを行うための手法として走査プローブ顕微鏡が重要な役割を果たすことを述べている.その中で,特に,光照射STMが半導体ナノ構造の光学的特性を評価するための手法として発展してきたことについて言及するとともに,これまでの手法で生じる問題を解決するために新たな手法が必要であることを述べている.また,本論文の構成を述べている.

第2章は「光照射走査トンネル顕微鏡」と題し,一般的なSTMの動作原理について述べた後,光照射STMの原理を述べている.光照射STMでは,光照射下でのスペクトル観測やパルス光を用いての時間分解測定などの研究がおこなわれているが,本研究で用いているような照射光強度を時間的に変調してその変調周波数に同期する光誘起電流(PIC)信号を検出し,さらにそれをマッピングする手法は,ナノ構造の光吸収特性をその空間分布を含めて理解するために適した手法であることに言及した上で,内蔵電界が生じている半導体構造に対して変調光を照射する際には,PIC信号には(i)生成されたフォトキャリアのトンネル電流,(ii)容量性電流,(iii)表面光起電力,の三種類の成分が寄与していることを述べている.

第3章は「二波長光照射STM」と題し,本論文での被測定試料として用いたInAs細線構造について述べた後,変調光を照射した際に内蔵電界が存在することによって生じる問題を指摘し,それを解決するために新たに提案した二波長光照射STMの原理を説明した上で,この手法により得られるPIC信号の結果について示している.内蔵電界が生じているGaAs上に成長したInAs細線試料における局所的な光吸収特性を明らかにすることが本論文の主たる目的であるが,そのような試料に変調光を照射した場合,上記の成分(ii),(iii)は主に下地のGaAs中において発生する成分であるため,観測されるPIC信号からInAs細線の光吸収特性を直接評価することは困難であることを指摘している.その上で,内蔵電界を抑制することに着目して提案した方法が本測定手法であり,具体的には,重畳した連続照射光によって生じるフォトキャリアにより内蔵電界を打ち消し,その状態を保ったまま変調光を照射することによって,観測されるPIC信号から内蔵電界の影響を取り除くことが可能となることを述べている.さらに,二波長光照射STM観測において得られるSTM電流の時間波形,および,PIC信号の強度とその位相を,連続光を照射しない条件下にて得られた結果と比較することで,本手法で得られるPIC信号は,下地の影響を受けずに,InAs細線の光吸収によって生成された電子が直接寄与したトンネル電流をその主たる成分としていることを明らかにして,本手法の有効性を示している.

第4章は「PIC信号の直線偏光依存性」と題し,InAs細線構造における光吸収特性の異方性を,変調照射光の直線偏光方向に対するPIC信号の依存性を通じて議論している.InAs細線においては,強い形状異方性と量子閉じ込め効果に起因する光吸収特性の異方性が発現することが期待されるが,実際,平均幅50 nmと25 nmのInAs細線に対するPIC信号の照射光直線偏光依存性を観測した結果,50 nm幅の細線では依存性がほとんど観測されなかった一方で,25 nm幅の細線では偏光方向が細線に平行な場合にのみ明瞭なPIC信号が観測されるといった異方性が観測されたことから,後者の細線においては,横方向閉じ込め効果により光吸収特性に異方性が現れていることを明らかにした.

第5章は「PIC信号のフォトンエネルギー依存性」と題し,PIC信号の照射光フォトンエネルギ依存性から光吸収スペクトルを議論できることを指摘した上で,平均幅50 nmの細線におけるPIC信号スペクトルを観測した結果について述べている.得られたスペクトルには量子井戸構造に特有のステップ構造が現れており,前章で述べた直線偏光依存性の測定結果と併せて考えると,50 nm幅のInAs細線は,横方向閉じ込め効果が弱く,高さ方向のみに閉じ込め効果が働く量子井戸として振る舞うことを明らかにしている.

第6章は「結論」であり,本論文全体の研究成果をまとめて要約するとともに意義を述べている.

第7章は「今後の展開」であり,25 nm幅のInAs細線に対するPIC信号のフォトンエネルギー依存性を観測することの意義や,PIC信号の面内分布観察を通じてフォトキャリアの試料内拡散を議論できる可能性があることなどを述べている.

以上これを要するに,本論文は,内蔵電界の影響を排除しながら半導体ナノ構造の光吸収特性を評価できる二波長光照射STMを提案するとともに,実際に同手法を利用してInAs細線における光吸収特性の直線偏光依存性やフォトンエネルギー依存性を局所的に評価することによって,同構造固有の振る舞いを明らかにしたものであり,電子工学上,寄与するところが少なくない.

よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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