学位論文要旨



No 127511
著者(漢字) クレベルグ フローレンス イザベル
著者(英字) KLEBERG Florence Isabelle
著者(カナ) クレベルグ フローレンス イザベル
標題(和) 二種類の再認―思い出す/わかる―を区別する脳のダイナミクス
標題(洋) EEG correlates of human recognition memory : to Know and to Remember
報告番号 127511
報告番号 甲27511
学位授与日 2011.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7597号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,一雄
 東京大学 教授 吉村,忍
 東京大学 教授 多賀,厳太郎
 東京大学 准教授 菅野,太郎
 理化学研究所 チームリーダー 山口,陽子
内容要旨 要旨を表示する

ヒトの記憶がいかに形成され、想起されるかを解明することは、現在の脳神経科学にとって大きな課題である。本研究は、ヒトがどのように記憶を形成、想起するかの脳内メカニズムに関する研究である。

ヒトが過去の記憶を想起する際には、単に過去に経験したことが「わかる」(familiarity)場合と、その記憶がどのような文脈で経験されたかまでを「思い出す」(recollection)場合とがあることが知られている。従来研究から、familiarityとrecollectionとは共通部分を有しつつも脳内の異なる部位が担っていることが示唆されているが、なぜこれらの機能が独立に存在するのかは明らかではない。そこで、記憶における脳神経活動のダイナミクスを脳波(EEG)計測によって直接とらえ、ヒトの記憶の動的な脳内メカニズムを解明することが本研究の目的である。

つぎに、本研究で実施した実験の方法と、実験で得られたEEGデータの解析手法について説明する。本研究では、11人の被験者を対象に、ランダムに呈示される抽象的な視覚刺激を用いた再認実験を行った。各被験者は、1回の練習ブロックと16回の実験ブロックを体験し、各ブロックは10回の再認試行で構成される。各試行では、まず符号化段階として12個の視覚刺激をカレイダスコープで連続的に呈示し、その直後に妨害タスクとしての暗算タスクが課される。続いて、再認段階では2つの映像が呈示され、被験者はそのうちから見覚えのある方を選択し、さらに「わからない」、「わかる」、「思い出す」の3通りに分類してもらう。この間、60チャンネルの電極で頭皮のEEGを測定する。電流源密度推定として球面スプライン・ラプラシアン法を用い、周波数成分の分析としてバンドパスフィルターとヒルベルト変換を用いて信号処理し、さらに電極対の同期の度合いを評価するために、各電極対の位相固定を評価する指標としてPLV(Phase-Locking Value)を計算した。既知感条件と回想条件の比較は、ノンパラメトリック両側並べ替え検定を用いて行った。

実験の結果、「わかる」、「思い出す」回答では正答率がチャンスレベルを大きく超え、不明回答ではチャンスレベルであった。ANOVAの結果、被験者と記憶タイプに主効果が認められた。「わかる」回答に対して「思い出す」回答を比較したところ、符号化段階において後頭部、頭頂部、前頭部でのθ領域(3?7Hz)の活動に増加が見られた。また、刺激呈示後において後頭部、頭頂部、前頭部でのα領域(8?12Hz)の活動に増加が見られた。眼球運動からの混信を考慮し、より高周波領域(13?45Hz)では後頭部と頭頂部の信号のみを比較したところ、β領域(13?17Hz)において刺激前段階の後頭部の活動に明らかな差異が観測された。これらの「わかる」回答と「思い出す」回答とで差異が認められる領域のピーク周波数でPLV解析を行ったところ、刺激前段階で後頭部チャンネル対の7Hzと16Hzの信号に最も顕著な位PLVの差異が観測された。また、後頭部と右前頭部チャンネルとの間で、「わかる」回答に比べて「思い出す」回答でのPLVの顕著な増加が見られた。

以上のように、特定の神経回路網の活動が回想される記憶の符号化を担っていることが示された。実際に刺激が呈示される以前の段階から、θ領域やβ領域の活動の増加が記憶の文脈やエピソード的な情報の符号化を準備していると考えられる。さらに、刺激呈示段階ではα領域の活動がこれを引継ぎ、またこれらの活動は頭部の広い範囲に及ぶことが判明した。これにより、「わかる」と「思い出す」の差異は、すでに刺激呈示前の準備段階の神経回路網活動によって区別される。

審査要旨 要旨を表示する

ヒトの記憶がいかに形成され、想起されるかを解明することは、現在の脳神経科学にとって大きな課題である。本研究は、ヒトがどのように記憶を形成、想起するかの脳内メカニズムに関する研究である。

第1章は序論であり、導入として研究の背景と本論文で扱う課題を述べている。ヒトが過去の記憶を想起する際には、単に過去に経験したことが「わかる」(familiarity)場合と、その記憶がどのような文脈で経験されたかまでを「思い出す」(recollection)場合とがあることが知られている。従来研究から、familiarityとrecollectionとは共通部分を有しつつも脳内の異なる部位が担っていることが示唆されているが、なぜこれらの機能が独立に存在するのかは明らかではない。そこで、記憶における脳神経活動のダイナミクスを脳波(EEG)計測によって直接とらえ、ヒトの記憶の動的な脳内メカニズムを解明することが本研究の目的であるとしている。

第2章では本研究で実施した実験の方法と、実験で得られたEEGデータの解析手法について説明している。本研究では、11人の被験者を対象に、ランダムに呈示される抽象的な視覚刺激を用いた再認実験を行った。各被験者は、1回の練習ブロックと16回の実験ブロックを体験し、各ブロックは10回の再認試行で構成される。各試行では、まず符号化段階として12個の視覚刺激をカレイダスコープで連続的に呈示し、その直後に妨害タスクとしての暗算タスクが課される。続いて、再認段階では2つの映像が呈示され、被験者はそのうちから見覚えのある方を選択し、さらに「わからない」、「わかる」、「思い出す」の3通りに分類してもらう。この間、60チャンネルの電極で頭皮のEEGを測定する。電流源密度推定として球面スプライン・ラプラシアン法を用い、周波数成分の分析としてバンドパスフィルターとヒルベルト変換を用いて信号処理し、さらに電極対の同期の度合いを評価するために、各電極対の位相固定を評価する指標としてPLV(Phase-Locking Value)を計算した。既知感条件と回想条件の比較は、ノンパラメトリック両側並べ替え検定を用いて行った。

第3章では実験の結果を述べている。「わかる」、「思い出す」回答では正答率がチャンスレベルを大きく超え、不明回答ではチャンスレベルであった。ANOVAの結果、被験者と記憶タイプに主効果が認められた。「わかる」回答に対して「思い出す」回答を比較したところ、符号化段階において後頭部、頭頂部、前頭部でのθ領域(3-7Hz)の活動に増加が見られた。また、刺激呈示後において後頭部、頭頂部、前頭部でのα領域(8-12Hz)の活動に増加が見られた。眼球運動からの混信を考慮し、より高周波領域(13-45Hz)では後頭部と頭頂部の信号のみを比較したところ、β領域(13-17Hz)において刺激前段階の後頭部の活動に明らかな差異が観測された。これらの「わかる」回答と「思い出す」回答とで差異が認められる領域のピーク周波数でPLV解析を行ったところ、刺激前段階で後頭部チャンネル対の7Hzと16Hzの信号に最も顕著な位PLVの差異が観測された。また、後頭部と右前頭部チャンネルとの間で、「わかる」回答に比べて「思い出す」回答でのPLVの顕著な増加が見られた。

最後の第4章は考察にあてられている。以上のように、特定の神経回路網の活動が回想される記憶の符号化を担っていることが示された。実際に刺激が呈示される以前の段階から、θ領域やβ領域の活動の増加が記憶の文脈やエピソード的な情報の符号化を準備していると考えられる。さらに、刺激呈示段階ではα領域の活動がこれを引継ぎ、またこれらの活動は頭部の広い範囲に及ぶことが判明した。これにより、「わかる」と「思い出す」の差異は、すでに刺激呈示前の準備段階の神経回路網活動によって区別されると結論付けている。

以上の結果は、ヒトの記憶の脳内メカニズムを解明する上での重要な知見であると考えられ、学位請求論文の研究として十分な内容を有していると判断する。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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