学位論文要旨



No 127514
著者(漢字) 川道,赳英
著者(英字)
著者(カナ) カワミチ,タケヒデ
標題(和) 単結晶空間における反応の制御と直接観察
標題(洋)
報告番号 127514
報告番号 甲27514
学位授与日 2011.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7600号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 教授 水野,哲孝
 東京大学 准教授 小倉,賢
 東京大学 講師 佐藤,宗太
 中央大学 准教授 山下,誠
内容要旨 要旨を表示する

一般的に精密に分子が整列した結晶相では、内部の分子の動きは制限されており、溶液中のような大きな構造変化を伴う様々な反応を行うことは困難であった。そのような結晶相反応の制限を打ち破る手法として、ホスト化合物の流動的な空孔を分子フラスコとして利用した結晶相反応が挙げられる。しかし、これまでの多くの分子性ホスト化合物を用いた研究では、包接錯体を作成した後、結晶化を行う必要があり、結晶相で反応を行うメリットを最大限に生かすことができなかった。そこで本研究では、高い結晶性と柔軟で流動的な細孔空間を持つネットワーク錯体に着目し、反応の場として用いることを検討した。

本論文は以下の7章から構成されている。

第1章では、本研究の背景、目的および概要を論じた。

第2章では、トリフェニレン分子が電荷移動相互作用によってネットワーク錯体骨格の一部として振る舞うことに着目し、官能基で修飾したトリフェニレン誘導体を用いて錯体を合成することで、ネットワーク錯体の構造を変えることなく、反応基質となる様々な官能基の導入に成功した。トリフェニレン誘導体は錯体を分解しない限り、抽出されることはなく、基質は細孔内に固定されていた。また、ヒドロキシ基を持つネットワーク錯体に着目し、官能基と細孔内のゲスト間の相互作用を確かめた。親水性のアルコール分子であるイソプロピルアルコールをゲスト分子として選択したところ、ヒドロキシ基を持つ錯体は選択的にイソプロピルアルコールを取り込むことがわかった。イソプロピルアルコールはヒドロキシ基と水素結合を形成しており、ネットワーク錯体に導入された官能基が、細孔内のゲスト分子と相互作用できることがわかった。

第3章では、ネットワーク錯体に導入・固定化した官能基を反応基質として、ゲスト分子との間で反応を起こすことを目指した。アミノ基を導入したネットワーク錯体に対し、アルデヒドを反応させることで、イミンの形成を検討したところ、細孔内でアミンがイミンへと変化した。また反応により結晶性は全く損なわれず、生成物のX線構造解析による直接観察に成功した。

第4章では、細孔内に導入されたアミノ基へ、種々の酸無水物およびイソシアナートの溶液を加えることで、アミドおよび尿素誘導体への反応を行った。ネットワーク錯体は結晶状態にも関わらず、非可逆なこれらの反応に関しても、定量的に反応が進行することがわかった。また様々な基質を検討したところ、ネットワーク錯体の細孔空間中では、これまで結晶中では不可能と思われてきた、溶液中と同様の大きな構造変化を伴う様々な反応を、擬溶液的に行うことができることがわかった。

第5章では、2種類の異性体を与える反応をネットワーク錯体内で起こすことで、生成物の異性体選択性が溶液中の反応と比較して、どのように変化するかを検討した。ネットワーク錯体の細孔内にアジド基を導入し、そのアジド基に対して、アルキンを反応させた。この反応は単結晶相で進行し、反応後の結晶構造から、確かに単結晶相でHuisgen反応により、トリアゾールを生成していることがわかった。また種々のフェニルアセチレン誘導体を反応させた場合でも、多くの反応が単結晶相で定量的に進行し、さらに興味深いことに、通常の溶液反応と異なる、1,4-二置換トリアゾールの選択性の向上が見られた。特にフェニルアセチレンのp位に置換基を持つアルキンを用いた場合、置換基のサイズが大きくなるほど、1,4-付加体選択性が高まり、4-エチニルアニソールを用いた場合では、1,4-二置換トリアゾールが87%の選択率で得られた。これらの結果から、生成物の異性体選択性は、細孔内での立体障害に大きく影響されており、ネットワーク錯体の細孔という配位空間中で、反応分子同士の立体配置が極めて厳密に制御された状態で反応が起こるためと考えられる。

第6章では、ネットワーク錯体の結晶相での反応を応用し、放射光施設を利用して、in situで結晶構造解析を行うシステムにより、アミンとアルデヒドの反応における短寿命な中間体であるヘミアミナールの結晶構造を捉えることに成功した。細孔内にアミノ基を持つ錯体に対し、アセトアルデヒドの酢酸エチル溶液を、215 Kで15分間反応を行ったところ、通常は結晶化困難である、短寿命中間体ヘミアミナールの結晶構造を得ることに成功した。また、測定後の結晶を270 Kに昇温し、30分間反応させることで、脱水したイミンまでを同様にX線構造解析することに成功した。

この結果は、ネットワーク錯体の結晶を、その細孔内部に基質を分子レベルで精密に取り込み、溶液ライクに反応を行える、言わば「結晶性の分子フラスコ」とみなすことで、単結晶X線構造解析により、反応の進行を直接観察し、反応物(アミン)、中間体(ヘミアミナール)、生成物(イミン)といった反応の各ステップをスナップショット的に捉えることができたことを示した。

第7章では、本研究の総括と今後の展望を論じた。

以上、本論文では、ネットワーク錯体の細孔内が液体状態に近い流動的な空間であることを示し、その細孔内で様々な反応を行った。今後はその特殊な空間特性を生かした研究への応用が期待される。本研究の知見を、さらに不安定な化合物の分析や、微量成分の単離等に応用し、化学反応のさらなる展開へつながると期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

一般的に精密に分子が整列した結晶相では、内部の分子の動きは制限されており、溶液中のような大きな構造変化を伴う様々な反応を行うことは困難であった。しかし、結晶中に分子が溶液中と同様に動ける空孔を導入することで、結晶中においても擬溶液的な反応が進行することが知られている。そこで本研究では、高い結晶性と柔軟で流動的な細孔空間を持つネットワーク錯体に着目し、反応の場として用いることを検討した。

第1章では、本研究の背景、目的および概要を論じた。

第2章では、官能基で修飾したトリフェニレン誘導体を用いて錯体を合成することで、トリフェニレンと配位子の間に働く、電荷移動相互作用を利用し、構造を一定に保ったまま、ネットワーク錯体の細孔内に、反応基質となる様々な官能基の導入に成功した。また、ゲスト交換実験により、ヒドロキシ基を持つ錯体は選択的にイソプロピルアルコールを取り込むことがわかった。イソプロピルアルコールはヒドロキシ基と水素結合を形成しており、ネットワーク錯体に導入された官能基が、細孔内のゲスト分子と相互作用できることがわかった。

第3章では、ネットワーク錯体に導入・固定化した官能基を反応基質として、ゲスト分子との間で反応を起こすことを目指した。アミノ基を導入したネットワーク錯体に対し、アルデヒドを反応させることで、イミンの形成を検討したところ、細孔内でアミンがイミンへと変化した。また反応により結晶性は全く損なわれず、生成物のX線構造解析による直接観察に成功した。

第4章では、細孔内に導入されたアミノ基へ、種々の酸無水物およびイソシアナートの溶液を加えることで、アミドおよび尿素誘導体への反応を行った。また様々な基質を検討したところ、ネットワーク錯体の細孔空間中では、これまで結晶中では不可能と思われてきた、溶液中と同様の大きな構造変化を伴う様々な反応を、擬溶液的に行うことができることがわかった。

第5章では、ネットワーク錯体の細孔内にアジド基を導入し、そのアジド基に対して、アルキンを反応させた。この反応は単結晶相で進行し、反応後の結晶構造から、確かに単結晶相でHuisgen反応により、トリアゾールを生成していることがわかった。また種々のフェニルアセチレン誘導体を反応させた場合、生成する2種類の異性体のうち、1,4-二置換トリアゾールの選択性の向上が見られた。特にフェニルアセチレンのp位に置換基を持つアルキンを用いた場合、置換基のサイズが大きくなるほど、1,4-付加体選択性が高まり、4-エチニルアニソールを用いた場合では、1,4-二置換トリアゾールが87%の選択率で得られた。これらは、ネットワーク錯体の細孔空間内における、基質の立体配置が、選択性に大きく影響していることがわかった。

第6章では、ネットワーク錯体の結晶相での反応を応用し、放射光施設を利用して、in situで結晶構造解析を行うシステムにより、アミンとアルデヒドの反応における短寿命な中間体であるヘミアミナールの結晶構造を捉えることに成功した。細孔内にアミノ基を持つ錯体に対し、アセトアルデヒドの酢酸エチル溶液を、215 Kで15分間反応を行ったところ、通常は結晶化困難である、短寿命中間体ヘミアミナールの結晶構造を得ることに成功した。また、測定後の結晶を270 Kに昇温し、30分間反応させることで、脱水したイミンまでを同様にX線構造解析することに成功した。

この結果は、ネットワーク錯体の結晶を、その細孔内部に基質を分子レベルで精密に取り込み、溶液ライクに反応を行える、言わば「結晶性の分子フラスコ」とみなすことで、単結晶X線構造解析により、反応の進行を直接観察し、反応物(アミン)、中間体(ヘミアミナール)、生成物(イミン)といった反応の各ステップをスナップショット的に捉えることができたことを示した。

第7章では、本研究の総括と今後の展望を論じた。

以上、本論文では、ネットワーク錯体の細孔内が液体状態に近い流動的な空間であることを示し、その細孔内で様々な反応を行った。今後はその特殊な空間特性を生かした研究への応用が期待される。本研究の知見を、さらに不安定な化合物の分析や、微量成分の単離等に応用し、化学反応のさらなる展開へつながると期待できる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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