学位論文要旨



No 127521
著者(漢字) 金子,弘昌
著者(英字)
著者(カナ) カネコ,ヒロマサ
標題(和) 長期運用が可能な高精度ソフトセンサー手法の開発およびプロセス管理への応用
標題(洋)
報告番号 127521
報告番号 甲27521
学位授与日 2011.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7607号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船津,公人
 東京大学 教授 山口,由岐夫
 東京大学 教授 平尾,雅彦
 東京大学 教授 大久保,達也
 京都大学 准教授 加納,学
内容要旨 要旨を表示する

産業プラントにおいては、測定困難なプロセス変数を推定する手法として、ソフトセンサーが広く用いられている。ソフトセンサーとは、オンラインで測定可能な変数と測定困難な変数の間で数値モデルを構築し、目的とした変数yの値を推定する方法である。図 1がソフトセンサーの概念図である。ソフトセンサーを用いることで、オンラインで精度良くyを推定できる。

様々な産業の分野で活躍するソフトセンサーであるが、課題や問題も多い。ソフトセンサーを運用する際の大きな問題の一つとして、モデルの劣化が挙げられる。これは、プラントの運転状態の変化や触媒性能の変化、機器や配管への汚れ付着によって予測精度が低下してしまうことである。このモデル劣化に対応するため、モデルをオンラインで再構築する試みがなされているが、再構築用のデータに混入した異常データはモデルに悪影響を及ぼすため、異常値検出と診断を正確に行わなければならない。さらに、反応を伴う複雑な系へソフトセンサーを適用することを望む声も多く、プロセス変数間の非線型性を考慮する必要がある。

また、たとえ高精度のソフトセンサーモデルが構築されたとしても、すべてのプラント状態において高い予測性能を示すとは限らない。モデルが十分な性能を発揮できる説明変数Xのデータ範囲であるモデルの適用範囲を、適切に設定する必要がある。さらに、プラントでは数多くのソフトセンサーを運用している場合もあり、その数に比例してソフトセンサーのメンテナンスにかかる時間や労力が大きくなってしまう。モデルを再構築する際のメンテナンス負荷の低減が望まれている。

本論文では、ソフトセンサーの実用化という観点から、上記の課題と問題を解決することで長期運用が可能な高精度ソフトセンサーモデルを構築することを目指した。

第2章では、新しいデータを用いて回帰モデルを更新することで、モデル劣化を低減することに着目した。そこでまず、モデル構築用データへの異常値混入問題の解決を目的として、独立成分分析(ICA)とサポートベクターマシン(SVM)を組み合わせた新たな異常値検出手法(ICA-SVM)を提案した。ICA-SVMモデルによって適切に異常値を検出し、正常時のみ回帰モデルを更新することで、異常値の影響を受けずにプラントの状態変化に対応する精度の高いソフトセンサーモデルを構築可能であるといえる。

続いて、プロセス変数間の非線型性による予測精度の低下問題を対象にしたソフトセンサー開発を行った。ポリマー重合プラントにおいては、製品切り替え(トランジション)の際、各種ポリマー物性をソフトセンサーにより推定することで、物性値が規格内に入ったことをより早く検出することが望まれている。しかし、ポリマー物性とプロセス変数間には強い非線型性が存在するため、予測性の高いモデル構築は困難とされている。そこで、ポリマー物性を推定する前にトランジション終了を判定するモデルを構築することを提案した。そして、トランジション終了と判定した後に、対象となる銘柄データのみで構築された回帰モデルを用いて物性値を推定する。これにより、トランジション終了を判定することと、その後の推定精度を保証してトランジション終了直後のポリマー物性を精度良く推定することが可能となる。

第2章において、モデル劣化問題に対してモデルを逐次再構築することで解決することを試みたが、異常値混入、長期間通常状態付近で構築されたモデルがその後のプロセス変動に対応できないこと、メンテナンス負荷の増加など問題も多いといえる。そこで、第3章ではモデルの再構築を行うことなくモデルの劣化問題を解決することを目的とした。まず、モデルの劣化要因を推定した後にそれを踏まえたyの予測を行うアプローチを提案した。今回はモデル劣化の要因の一つとして配管汚れ(ファウリング)に着目し、トルエンを溶媒とした冷却管周りへのステアリン酸のファウリング層形成を対象にして、汚れ係数を予測する統計モデルを構築した。これにより、実験条件のみから予測的なファウリング予測モデルが構築可能であることを確認した。次に、ある熱交換器を対象にしたソフトセンサー開発を行い、ファウリングに関する物理モデルと統計手法を駆使することで、予測精度の高いモデルを構築可能であることを示した。

ただ、上記のアプローチにおいては、モデル劣化の要因を予測するモデルを作成するための新たなデータが必要になること、すべてのモデル劣化要因を推定できるわけではないことなどが問題点として挙げられる。そこで、モデル劣化の影響を受けないソフトセンサーモデル構築のため、プロセス変数のドリフトがモデルへ与える影響を低減することを目的として、時間差分を用いたモデル構築を行った。各プロセス変数の時間差分の間でモデルを作成することにより、モデルを再構築することなく、一定に経時変化すると仮定できるものに対応可能であると考えられる。つまり、プロセス変数のドリフトや時間的に一定に起こるプラント変化に影響を受けないモデルが構築可能となる。

第3章において時間差分モデルを提案したが、このモデルはプロセス変数間の非線型性に対応できないことが確認されている。そこで第4章では、その非線型性とプロセス変数の時間的に一定の変化を同時に考慮するため、あらかじめプロセス変数の非線型関係を抽出した後に、時間差分モデルを構築する手法を提案した。物理モデルによって得られる変数や非線型モデリング手法によって計算される変数がプロセス変数間の非線型関係を適切に考慮できれば、その後時間的に一定に起こるプラント変化に影響を受けない時間差分モデルを構築でき、モデル劣化とメンテナンス負荷の低減を同時に達成できる。

第5章では、プロセスの動特性を考慮に入れたプロセス変数選択手法の開発を行った。ソフトセンサーで扱うプロセスデータにおいては、Xの変数間に強い共線性があり、yに影響度の大きい変数の組を選択することが望まれている。また、プロセス変数はある時間遅れを伴ってyに影響を与えている場合があり、その時間遅れの設定によってはモデルの精度が変化する。そこで本章では、スペクトル解析の分野における波長領域選択手法の一つであるGAWLS法を応用し、動特性の考慮と変数選択を同時に行う手法(GAVDS法)を提案した。すべての変数に対してある時間遅れまでを含めたデータ形式に対してGAVDS法を用いることで、yにとって重要なプロセス変数とその時間遅れを同時に探索し、変数を領域単位で選択することが可能となる。今後、操作変数とyの因果関係を踏まえたモデル構築や解釈が達成されれば、より効率的にyを目的の値に制御することに貢献できると考えられる。

第2章において異常値検出モデルの開発を行ったが、実際のプラントにおける測定データは、正常と異常の2値問題ではなく、正常状態から異常状態へ、そして異常状態から正常状態へ連続的に変化すると考えられる。そこで第6章では、ソフトセンサーモデルの適用範囲と予測誤差の関係を定量的に求めることを提案した。モデル構築用データに近いデータを予測する際は予測誤差を小さく、モデル構築用データから離れたデータを予測する際は予測誤差を大きく見積もることで、プラントの変動とyの分析計故障を分離して考えることができる。これにより、予測値の信頼性を考慮に入れた上でのソフトセンサーを利用した制御が可能となり、プロセス管理能力の向上が達成される。

第3章において提案した時間差分モデルを用いることで、モデル劣化の影響を受けることなく予測できることを確認したが、モデルを逐次更新した場合より予測精度は低いことも指摘された。また、第6章においてモデルの適用範囲と予測誤差の関係を定量的にモデル化可能であることを示した。ただ、この予測誤差推定モデルも一つのモデルであるため、モデル劣化の影響を受けると考えられる。そこで第7章では、時間差分モデルの予測精度の向上と、その予測誤差の推定を試みた。様々な差分間隔のXから予測されたyの予測値をすべて考慮し、最終的な予測値とその予測精度を推定することを提案した。

なお各章で提案したソフトセンサー手法については、蒸留塔やポリマー重合プラントにおいて実際に測定されたデータを用いたケーススタディを行い、それぞれ有用性を確認した。ただ、提案するソフトセンサー手法は他のプロセスにも応用できると考えられる。本手法を用いてプラント管理を行うことで、安全で安定したプラント運転が可能になると期待される。

さらなる予測精度の向上のため、逐次更新するモデルと時間差分モデルを用いた際に、プラントの状態によってそれぞれの予測精度が変化したことに着目している。他にもプロセスの特性変化に適応的に順応するモデルとして、Just-In-Time型のモデルなどが考案されていることから、今後はこれらのモデルの特徴を把握し、プラントの状態を監視しながら自動的に最適なモデルを適用することで、全体の予測精度の向上を達成できると考えられる。

様々な分野で応用されているソフトセンサーであるが、予測精度の向上や信頼性の確立によってソフトセンサーの有用性が向上することで、ソフトセンシング技術を適用する範囲もさらに拡大すると考えられる。各分野でソフトセンシング技術の研究と活用が実施されることで、共通する問題点に関する議論が活発化され、新しい課題の解決が促進されることを望む。

図 1 ソフトセンサーの概念図

審査要旨 要旨を表示する

「長期運用が可能な高精度ソフトセンサー手法の開発およびプロセス管理への応用」と題された本論文は、ソフトセンサーの実用化へ向けた問題点および課題点を対象として各種ソフトセンサー手法の開発を目的とした研究であり、全8章より構成されている。

第1章は序論であり研究背景と研究目的を述べている。本論文ではソフトセンサーモデルの劣化を防ぎメンテナンス負荷を軽減すること、それに関連したモデルの単純化のための変数選択を行うこと、プロセス管理の観点から適切にソフトセンサーモデルの適用範囲を設定すること、それにより新しいデータに対するモデルの予測精度を正確に推定すること、そして異常値検出と診断を精度良く行うことを目的として設定している。ソフトセンサーが対象とする多くの系においてプロセス変数間に非線型関係が存在するため、そのような非線型性に対応可能なソフトセンサー手法の開発も目指すとしている。

第2章ではモデル劣化を低減するためモデルを更新することに着目し、モデル更新用データに異常値が混入することを防ぐため、そして複数の通常状態間におけるプロセス変数間の非線型関係に対応するため、ソフトセンサーの適用範囲を考慮したソフトセンサー開発を行っている。ケーススタディを通して、適切に回帰モデルの更新と選択をしながら高い予測性能を持つモデルが構築可能であることを確認している。

第3章ではソフトセンサーの長期運用および実用化の観点からメンテナンスの問題も取り上げ、モデルを再構築せずにモデル劣化を防ぐことを試みている。モデルの劣化要因を推定した後に予測を行うことと、モデル劣化の影響を受けないソフトセンサーモデルを構築することの二つのアプローチについて述べている。そして各プロセス変数について、ある時間の値とそれよりある単位時間だけ前の値との間で計算される時間差分を導入し、プロセス変数の時間差分の間で構築する時間差分モデルを提案している。この手法による実データを使用した解析を通して、長期間モデルを再構築せずに、モデルを更新した場合とほぼ同程度の予測性を持つモデルが得られたことを確認している。

第4章では第3章で開発された時間差分モデルのプロセス変数間に非線型性が内在する場合への応用について述べている。そして、物理モデルおよび非線型回帰分析手法によってあらかじめ非線型性を抽出した後に、時間差分モデルを構築することを提案している。ポリマー重合プラントにおける実測データを用いて、従来手法に対する提案手法の優位性を確認している。

第5章ではモデルをメンテナンスする際の負荷の軽減と理解のし易いモデル構築のため、プロセスの動特性を考慮した上でプロセス変数を選択する手法を開発している。ケーススタディを通して、提案手法を用いることで動特性を踏まえて変数選択できることと解釈の容易なモデル構築が可能であることを確認している。実際には提案手法の各パラメータを変化させ、回帰係数等の出力値を確認することで、プラントの特性およびプロセスの知識を考慮に入れた最適化が可能になる。

第6章では予測データからソフトセンサーモデルへの距離と予測精度との関係を定量的に求めることについて述べている。事前にモデルとの距離と予測誤差の標準偏差との関係をモデル化することで、そのモデルに新しいデータのモデル構築用データとの距離を入力し、そのデータの予測誤差の標準偏差を計算することが可能となる。実際のプラント運転データを用いた解析により、新しいデータが測定された時のプラントの状態がモデル構築用データと異なる状態のときに誤アラームを防止可能であることと、実際の異常を精度良く検出できることを確認している。

第7章では第3章の時間差分モデルの精度向上と、第6章の予測誤差推定モデルにおけるモデル劣化問題の解決のため、プロセス変数の時間差分に基づくアンサンブル予測と予測精度の推定について述べている。複数の時間差分間隔で計算された予測値の加重平均が最終的な予測値であり、それらの標準偏差が予測誤差の指標である。蒸留塔を対象としたケーススタディを通して、プロセス変動直前および直後において他のモデルより良好な予測ができることと、提案する指標により、従来と比較して新しいデータの予測誤差を正確に推定できることを確認している。

第8章は結論と研究展望である。本研究を通して得られた成果をまとめており、今後の課題と展望について述べている。

本論文で開発されたソフトセンサー手法は、ケーススタディとして用いた蒸留塔およびポリマー重合プラントのみでなく、他のプロセスにも応用できると考えられる。研究成果によりソフトセンサーが実用的に利用できるようになり製品品質を即時に管理可能になることで、従来の容易に計測可能な変数のみによるプロセス管理を大きく革新できるといえ、プロセスシステム工学および化学システム工学への貢献は極めて大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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