学位論文要旨



No 127522
著者(漢字) 長谷川,優子
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,ユウコ
標題(和) X染色体不活性化におけるXist RNA制御機構の解析
標題(洋)
報告番号 127522
報告番号 甲27522
学位授与日 2011.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7608号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,勉
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 准教授 泊,幸秀
 産業技術総合研究所 研究チーム長 廣瀬,哲郎
 理化学研究所 准主任研究員 中川,真一
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

セントラルドグマという概念において、RNAはDNAとタンパク質との間をつなぐ仲介役であると認識されてきたが、近年のトランスクリプトーム解析の発展により、哺乳類においてはタンパク質をコードしないnon-coding RNA (ncRNA)が従来の想像を上回って大量に存在していることが明らかになった。なかでも200塩基以上のncRNAを長鎖ncRNAと呼ぶ。長鎖ncRNAの機能として、周辺遺伝子の転写抑制を引き起こす例が知られており、ncRNAとエピジェネティクスとの関連性が示唆されている。しかし、長鎖ncRNAがどのような仕組みを伴ってその機能を発揮するのかに関しては不明な点が多い。本研究は哺乳類雌におけるX染色体不活性化を解析対象に据え、長鎖ncRNAの一種であるXist (X inactive-specific transcripts) RNA制御機構の解明を目指した。

【研究の背景】

哺乳類の雌はX染色体を雄の二倍持っており、X染色体関連遺伝子量の補正を行うために片側のX染色体を不活性化する。この現象において重要な役割を担うのがXist RNAである。Xist RNAは不活性化される側のX染色体からのみ発現し、X染色体全体を覆うような特徴的な局在を示す (Figure 1A)。Xist RNAはX染色体不活性化の必須因子であり、ヒストン修飾因子であるPRC2 (polycomb repressive complex 2)がXist RNA依存的に標的であるX染色体へとリクルートされることから、これら転写抑制を担う因子を集積させる足場として機能しているのではないかと考えられている (Figure 1B)。しかしながら、Xist RNAの機能を支える分子機構については不明な点が多く、特にその特徴的な局在に関してはどのように制御されるのか長年の謎であった。そこで本研究ではXist RNAの局在制御を担うタンパク質因子の探索を行い、長鎖ncRNA機能制御機構の解明を試みた。

【結果と考察】

1.RNA結合タンパク質hnRNP UはXist RNAの局在制御に必要である

細胞内で局在化するRNAの制御にはRNA結合タンパク質が関与している例が数多く知られる。そこで、Xist RNAの局在制御もRNA結合タンパク質によってなされているという仮説のもとに、mini siRNAライブラリを用いた制御因子の探索を行った。その結果、劇的な変化を生じた因子としてhnRNP U (Heterogeneous nuclear ribonucleoprotein U)を見出した。hnRNP UをノックダウンするとXist RNAは正しい局在を示さず、核内全体に散らばっている様子が観察された (Figure 2)。hnRNP Uは、核内に豊富に存在するRNA結合タンパク質であるhnRNP群に属するが、hnRNP U以外のhnRNP因子のノックダウンはXist RNAの局在に影響を示さなかった。したがって、この機能はhnRNP Uに特異的であることが示唆された。

2.hnRNP UはX染色体不活性化の必須因子である

次に、hnRNP UノックダウンによるXist RNA局在化の阻害に付随してX染色体不活性化に影響が出るか検討した。X染色体の不活性化には細胞が分化するにしたがって起こる「確立」と、分化した細胞で見られる「維持」という二つの局面が存在する。まず、ES細胞を用いて不活性化X染色体の確立に対するhnRNP Uの必要性を調べた。不活性化が進行するとH3K27me3が不活性化X染色体に集積するが、hnRNP Uノックダウン細胞ではこれが阻害されていた (Figure 3A)。またこの細胞で、X関連遺伝子の一次転写産物の検出を指標にして不活性化X染色体の転写状態を調べたところ、どちらのX染色体からも一次転写産物が検出された (Figure 3C)。このことから、転写抑制という視点からも不活性化X染色体の確立が正常に成されていないことが分かった。一方、不活性化X染色体の維持に対する影響の評価は、分化した細胞であるMEF (mouse primary fibroblast)を用いて行った。先の結果と異なり、MEFにおいてはhnRNP Uノックダウンによる不活性化X染色体の転写抑制解除は起こらなかった。以上の結果より、hnRNP Uは不活性化X染色体の確立においてのみ機能を担っていることが分かった。Xist RNAもhnRNP Uと同様にX染色体不活性化の確立にのみ関与していることが知られており、これら二つの因子の関連性が強く示唆された。

3.hnRNP UはRNA結合ドメインを介してXist RNAと相互作用する

hnRNP UによるXist RNA制御機構の詳細を明らかにするため、ドメイン解析を行なうことにした。hnRNP Uのドメイン構造をFigure 4Aに示す。DNA結合ドメインはSAFまたはSAPドメインと呼ばれ、染色体上のMAR (matrix attachment region) に結合することが知られている。一方、RGGドメインはRNA結合ドメインであることが分かっている。SPRYは機能未知なドメインである。このことから、RNA結合ドメインがXist RNAとの相互作用を仲介しているのではないかと考え、これを検討した。FLAGタグを付加した全長および各ドメイン欠損型のhnRNP UをNeuro2Aに発現させ (Figure 4B)、CLIP (Cross-Linking and Immuno-Precipitation)法を用いて、Xist RNAが共沈してくるか調べた。まず全長のhnRNP UはXist RNAと相互作用していることが明らかになった (Figure 4C)。さらに、DNA結合ドメイン欠損型hnRNP UとXist RNAは相互作用を示したのに対し、RNA結合ドメイン欠損型hnRNP UはXist RNAとの相互作用を示さなかったため、予想通りRNA結合ドメインがXist RNAとの相互作用を担っていることが示された (Figure 4C)。またXist RNA側のhnRNP Uとの相互作用領域は、先行研究によって明らかにされていたXist RNA自身の局在化に必要である「局在化シグナル」を含む領域である可能性も示唆された。

II. hnRNP UはDNA, RNA結合ドメインを介してXist RNAの局在制御を行う

次に、hnRNP UとXist RNAの相互作用と局在制御との関連を検討するため、前述のドメイン欠損型hnRNP Uを用いた相補実験を行った。まずNeuro2AにsiRNA耐性変異を導入した各ドメイン欠損型hnRNP Uを発現させ、その後siRNAを用いて内在のhnRNP Uのノックダウンを行い、Xist RNAの局在を観察した。その結果、内在のhnRNP Uノックダウンに伴うXist RNAの局在変化を相補することが出来たのは全長のhnRNP Uと、DNA, RNA結合ドメイン両者を保持するコンストラクトのみであった (Figure 5A, B)。したがって、Xist RNA局在制御にはhnRNP UのRNA結合ドメインだけでは十分でなく、DNA結合ドメインも必要であることが分かった。また、SPRYドメインはXist RNAの局在制御には関与しないことも判明した。

4. hnRNP Uはその他の長鎖ncRNA制御にも関与する

上記の結果を踏まえ、hnRNP UによるXist RNA制御機構のモデルを考えた (Figure 6)。近年、Xist RNAに類似した性質や機能を持つ長鎖ncRNAが数例報告されていることから、hnRNP Uがこれらの長鎖ncRNA制御にも関与している可能性を考え、代表例として知られるkcnq1ot1に着目することにした。kcnq1ot1は父親由来の染色体からのみ発現して転写部位近傍に留まり、周辺遺伝子の発現抑制を担う。まず、hnRNP Uとkcnq1ot1の相互作用を確認した (Figure 7A)。次にkcnq1ot1の局在を観察したところ、コントロールでは報告通り転写部位近傍に留まっている様子が確認されたが、hnRNP Uノックダウン細胞ではこれが拡散するように変化していた (Figure 7B)。さらに未分化ES細胞を用いてkcnq1ot1による転写制御を受けている遺伝子の発現量を調べたところ、hnRNP Uノックダウンによって本来抑制されるべき父方由来の染色体からの発現が上昇することが分かった (Figure 7C)。以上から、hnRNP UはXist RNAのみならず、その他の長鎖ncRNAであるkcnq1ot1の局在制御にも関わっていることが示唆された。

【結語】

本研究はX染色体不活性化の必須因子であるXist RNAの局在制御にhnRNP Uが重要な役割を担っていることを明らかにした。さらに、hnRNP Uがその他の長鎖ncRNAの局在化にも関与していることを示した。この結果は長鎖ncRNAを介したエピジェネティックな遺伝子発現制御を支える共通の分子機構を暗示するものである。特定の遺伝子の発現抑制にRNAが必要とされる理由は、長鎖ncRNAに依存した遺伝子発現抑制機構と非依存的な抑制機構との差異がまだ十分に理解されていないためにきちんとした答えが出ていないのが現状ではあるが、hnRNP Uがこの疑問に対する答えを見つけるための鍵因子となるかもしれない。

Figure 1

(A) 長鎖ncRNAであるXist RNAはX染色体に局在化する

(B) Xist RNAをX染色体へ局在化させる機構は明らかになっていない

Figure 2

hnRNP UノックダウンはXist RNAの局在化を妨げる

Figure 3

(A)(B) hnRNP UノックダウンはH3K27me3

(不活性化X染色体マーカー)の蓄積を妨げる

(C) hnRNP UノックダウンによりX関連遺伝子が

両方のX染色体から発現する

Figure 4

(A)(B) 各ドメイン欠損型nRNP U

(C) CLIP法によるhnRNP hUとXist RNAの相互作用の確認

hnRNP UはRNA結合ドメインを介してXist RNAの局在化シグナル付近に結合している

Figure 5

各ドメイン欠損型hnRNP Uによる相補実験。

各コンストラクトを発現している細胞を矢印で示した。

数字はXist RNAが正しく局在化している細胞の割合を示す

Figure 6

hnRNP UによるXist RNA制御のモデル

Figure 7

(A) CLIP法によるhnRNP Uとkcnq1ot1との相互作用の確認

(B) hnRNP Uノックダウンはkcnq1ot1の局在に影響を及ぼす

(C) hnRNP Uノックダウンによりkcnq1ot1による発現抑制を

受ける遺伝子 (Cdkn1c, Slc22a18, Phlda2)の発現が上昇する

審査要旨 要旨を表示する

本研究は哺乳類雌において見られるエピジェネティックな遺伝子発現制御であるX染色体不活性化の必須因子Xist RNAの局在制御機構の解明を行い、RNA結合タンパク質であるhnRNP Uを局在制御因子として同定したとともに、長鎖non-codingRNA (ncRNA)が関与するエピジェネティックな遺伝子発現制御機構の共通性を示唆するものである。近年、トランスクリプトーム解析により大量のncRNAの存在が明らかにされたが、それらの担う機能については未解明な部分が多く、精力的な解析が進められている段階にある。本研究の解析対象となったXist RNAは機能が既知の数少ない長鎖ncRNAのひとつである。この長鎖ncRNAの最大の特徴として、mRNA様の特徴を持つにも関わらず、細胞質へと輸送されることなく核内に留まり、X染色体に局在化する点が挙げられる。提出者は、この局在化を支える分子機構の解明を目的として研究を行った。

まず第一章では、局在制御因子の探索を行っている。提出者はXist RNA局在化制御にRNA結合タンパク質が関与しているのではないかと考え、siRNAにより176種類のRNA結合タンパク質を発現抑制した際に、Xist RNAの局在に影響を及ぼす因子を探索した。その結果として核内に豊富に存在するhnRNP群に属するhnRNP Uを局在制御因子として見出した。その他のhnRNP群に関してはXist RNA局在制御に関与しないことも明らかにしており、hnRNP UがXist RNA局在制御を担う特異的な因子であることを主張している。

第二章では、Xist RNA局在の異常がX染色体不活性化に及ぼす影響についての検討を行っている。分化誘導によりin vitroでX染色体不活性化を再現できる系であるES細胞を用いて、hnRNP Uの減少がX染色体不活性化を阻害するか検証した。結果として、不活性化X染色体マーカーであるH3K27me3の蓄積阻害と、転写抑制の阻害が観察されたことから、Xist RNAの局在化ならびにhnRNP UがX染色体不活性化に必須であることを結論づけている。

第三章では、hnRNP UによるXist RNA局在制御機構の詳細を明らかにするべく、hnRNP Uのドメイン解析を行っている。hnRNP UにはDNA結合ドメイン、RNA結合ドメイン、機能未知であるSPRYドメインが存在する。提出者は各ドメイン欠損型のhnRNP Uを作製し、どのドメインがXist RNA局在制御に必要であるかを調べた。その結果として、DNA結合ドメインとRNA結合ドメインの両方がXist RNA局在制御に必要であることを見出した。また、同様の各ドメイン欠損型hnRNP Uを用いて免疫沈降実験を行い、RNA結合ドメインがXist RNAとの相互作用に必要であることも見出した。さらにXist RNAのhnRNP U結合サイトの候補領域も示しており、この領域が既知のXist RNA局在制御領域の付近であったため、hnRNP U結合サイトがXist RNA局在制御領域の実体であることを主張している。また、hnRNP Uと類似したRNA結合ドメインを持つ他のタンパク質がGカルテット構造を認識することから、Xist RNA局在制御とGカルテット構造の関連を推察し、実際に関連性を示唆する結果を得ている。

第四章では、Xist RNA様の機能・性質を持つ長鎖ncRNAであるAirnやkcnq1ot1がXist RNAと同じくhnRNP Uによる制御を受けるか検討を行っている。結果として、これらのXist RNA様の長鎖ncRNAがhnRNP Uによる局在制御を受けることを見出した。また、これら長鎖ncRNAの担う機能である周辺遺伝子の転写抑制(ゲノムインプリンティング)に対する影響も検討し、hnRNP Uノックダウンにより転写抑制が阻害されることを示唆する結果を得た。一方で、長鎖ncRNAによる転写抑制を受けない側の染色体については、逆に転写が減少する影響を観察しており、長鎖ncRNAによる片側染色体の転写抑制だけでなく、もう一方の染色体の活性化状態を保つ機構にもhnRNP Uが関与している可能性を論じている。

最終的な考察としては、提出者が見出したhnRNP Uが長鎖ncRNA制御因子である理由について、各ドメインの特徴や相互作用因子の存在から論じている。また、長鎖ncRNAによるエピジェネティックな遺伝子発現制御機構を支える分子機構の共通性や、進化の過程で生物がいつそれを獲得したのかについて考察している。

以上の研究成果は、論文提出者が主体となって行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク