学位論文要旨



No 127545
著者(漢字) 小野塚,博子
著者(英字)
著者(カナ) オノヅカ,ヒロコ
標題(和) 腫瘍微小環境による細胞毒性抗がん剤への耐性誘導メカニズムの解析と新しい治療法の開発
標題(洋)
報告番号 127545
報告番号 甲27545
学位授与日 2011.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第725号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 江角,浩安
 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 教授 山本,一夫
 東京大学 准教授 松本,直樹
 東京大学 准教授 小嶋,徹也
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

腫瘍組織は、がん細胞の異常な細胞増殖と様々な細胞の浸潤、不完全な血管形成により不均一な組織であることが知られている。正常組織では、秩序だった血管構築によって効率よく組織が血液で潅流される。一方、腫瘍組織では、がん細胞の異常な増殖によって既存の組織が破壊され、階層性のない脆弱な血管網が構築される (Nat Med.,9:685-93,2003)。このため、腫瘍組織への血液の潅流量が減少し、酸素の供給が不十分となる。酸素電極を用いた計測からは、腫瘍組織の酸素濃度は正常組織に比べて極端に低いことが示された (J Natl Cancer Inst., 93:266-76, 2001)。がん細胞は、このような環境に適応するため様々な変化を獲得する。Hypoxia-inducible factor 1α (HIF-1α) は低酸素環境で安定化され、細胞応答を引き起こす下流因子の転写を促進するため、腫瘍の形成や悪性化の経路と関連する。一方、がん細胞は周辺組織の酸素濃度に関わらず、解糖系を介してエネルギーを産生する (Science, 123:309-14, 1956)。がん細胞本来の高いグルコース消費性に加え、HIF-1α は解糖系に関わる酵素の発現を増加し、がん細胞のグルコース消費を促進する。そのため、腫瘍組織の低酸素環境では、不十分な血液潅流による供給不足に加え、がん細胞によってグルコースが大量に消費されて枯渇する。胃がんと大腸がん組織の代謝産物の解析を行なった研究から、腫瘍組織は正常組織に比べてグルコース濃度が大幅に減少していることを明らかにした (Cancer Res.,11:4918-25, 2009 )。すなわち、腫瘍内部の微小環境は、低酸素かつグルコース欠乏という特徴を持つ。

分子標的治療薬とともに、細胞毒性を主作用とした抗がん剤が広く使用されている。腫瘍組織の不均一性が、これらの抗がん剤の作用に対し、どのように影響するかは十分に理解されていない。不十分な血流は、腫瘍組織への抗がん剤の輸送を妨げる。さらに、低酸素環境はABCトランスポーターの発現を促進し、抗がん剤耐性を誘導する。低酸素環境での抗がん剤耐性機序は検討されているが、詳細は未だ明らかになっていない。

本研究では、腫瘍微小環境を低酸素だけでなくグルコース欠乏をともなった条件であると捉え、(1)腫瘍微小環境を模倣した条件が、抗がん剤に対する感受性に影響するか否かと、(2)もし影響するならば、その耐性機序を明らかにすること、そして(3)腫瘍微小環境の特徴を利用し標的とした新規抗がん剤を開発すること、を目的とした。

【結果・考察】

1.腫瘍微小環境を模倣した条件での、がん細胞の抗がん剤感受性の解析

膵臓がん細胞株 PANC-1 を、通常条件(21% O2, 1 g/L グルコース)、グルコース欠乏条件 (21% O2, 0 g/L グルコース)、低酸素条件 (1% O2, 1 g/L グルコース)、低酸素グルコース欠乏条件 (1% O2, 0 g/L グルコース) で培養した。抗がん剤を72時間処置して細胞の抗がん剤に対する感受性を細胞生存率で評価した。ゲムシタビンの 50% 阻害濃度 (IC50) は、通常条件では 300 nM なのに対し、他の条件では IC50>300 μM となり、感受性は 1000 分の 1 以下となった(Fig.1)。

2.低酸素グルコース欠乏条件での抗がん剤耐性機序の解析

(1) 細胞周期の解析とゲムシタビンの取り込み量測定

細胞にとりグルコースが枯渇した場合、特にペントースリン酸経路を介した核酸の de novo 合成など増殖にとり必須のものが欠乏することになる。ゲムシタビンは、S 期で DNA に取り込まれて作用を発揮するため、細胞周期が停止した細胞では感受性が低下する。PANC-1を通常条件と低酸素グルコース欠乏条件で培養し、新生された DNA を EdU で、DNA総量を 7-aminoactinomycinD でラベルして細胞周期を解析した。低酸素グルコース欠乏条件において、細胞周期はS 期で遅延するものの、回転していた (Fig.2A)。トリチウムラベルしたゲムシタビンをもちいて細胞内と DNA 内への取り込み量を測定すると、低酸素グルコース欠乏条件においても十分な取り込みが起こっていた(Fig.2B)。

(2) 細胞周期チェックポイントの解析

DNA 内に取り込まれたゲムシタビンは、複製フォークを停止してチェックポイントキナーゼ (Chk)を活性化し、細胞周期停止と細胞死を誘導する。細胞周期が停止されると、その間に細胞は DNA 修復経路によって損傷を除去し、細胞死を回避する。ゲムシタビンは通常条件と低酸素グルコース欠乏条件の両方で等しく H2AX、Chk1、Chk2 のリン酸化を誘導し、細胞周期を S 期で停止した。細胞周期関連因子の阻害剤の中で、Chk1 阻害剤 (UCN-01、Go6976、Chk1 siRNA) は、通常条件において細胞のゲムシタビンに対する感受性を増強することを見出した。

(3) 細胞生存因子の解析

ストレス条件において、細胞は生存因子を活性化して細胞死を回避する。PANC-1では、低酸素条件で HIF-1α、HIF-2α が、低酸素とグルコース欠乏条件で Akt が活性化した。HIF-1α siRNA と HIF-2α siRNA をもちいて HIF 経路を阻害した細胞において、低酸素条件での耐性は解除されなかった。Akt の上流因子である PI3K 阻害剤 (LY294002) をゲムシタビンと併用すると、通常条件において細胞のゲムシタビンに対する感受性をわずかに増強したものの、低酸素グルコース欠乏条件での耐性を解除しなかった。

(4) 2つのキナーゼ阻害剤の併用による耐性解除

低酸素グルコース欠乏条件での耐性を解除するため、阻害剤を併用することを試み、Chk1 阻害剤と細胞生存因子の阻害剤を併用した。UCN-01 とHIFs siRNA をゲムシタビンと併用した場合、HIFs siRNA はUCN-01 による感受性増強作用に影響せず、低酸素条件での耐性も解除しなかった。UCN-01 と LY294002 をゲムシタビンと併用すると、通常条件で細胞のゲムシタビンに対する感受性を大きく増強し、低酸素グルコース欠乏条件での耐性を一部解除した (Fig.3A)。他の Chk1 阻害剤 (Go6976、Chk1 siRNA) と LY294002 をゲムシタビンと併用しても、耐性を解除しなかった (Fig.3B,C)。低酸素グルコース欠乏条件での耐性には、UCN-01 のChk1 以外の標的と、PI3K-Akt 系の関与が明らかになった。

3. 他のがん細胞株での耐性機序の解析

DLD-1 細胞は、膵臓がん細胞株や他の大腸がん細胞株と比べて Akt 発現量が低く、PI3K-Akt 経路への依存の低い細胞であると考えられた。大腸がん細胞株 DLD-1 細胞のゲムシタビンに対する感受性変化を指標として、PANC-1 細胞で見出した耐性機序が他の細胞株でも成り立つかを検討した。DLD-1 細胞は、通常条件でのゲムシタビンに対する感受性が低く、低酸素グルコース欠乏条件では感受性をほとんど示さなくなった。この細胞で、UCN-01 とゲムシタビンを併用すると、通常条件と低酸素グルコース欠乏条件の両方で感受性を強く増強した。UCN-01 と LY294002 をゲムシタビンと併用すると、UCN-01 単独の時よりもさらに感受性を増強した。大腸がん細胞株、DLD-1 由来のマウス皮下腫瘍モデルを用い、週一回、三週間試薬を腹腔内投与した。ゲムシタビン 10 mg/kg 投与群では、溶媒投与群と比較して有意な差はなかった。UCN-01 2.5 mg/kg と LY294002 25 mg/kg をゲムシタビンと併用した群では、有意な増殖抑制作用を示した (Fig.4)。

4. 腫瘍微小環境の特徴を利用し標的とした新規抗がん剤開発

当研究室で開発されたアッセイ手法をもちいて、静岡県ファルマバレーセンター所蔵の 3 万化合物のスクリーニングを行い、グルコース欠乏条件選択的に殺細胞作用を示す抗がん剤候補化合物 (PVZB1077) を見出した。PVZB1077 は、2 種類の細胞株 (PANC-1、Capan-1) でグルコース欠乏条件においてより効果的な作用を持つことを見出した。PVZB1077 は、PANC-1 細胞の Akt リン酸化をグルコース欠乏条件でのみ抑制することを見出した (Fig.5A)。膵臓がん細胞株 Capan-1 と大腸がん細胞株 HCT-116 由来のマウス皮下腫瘍モデルを用い、週4-5 回、250 と 500 μg/mouse で三週間、試薬を腹腔内投与した。PVZB1077 は 2 種の細胞株由来の皮下腫瘍において、それぞれ有意な増殖抑制効果を示した (Fig.5B)。

【結論】

本研究では、腫瘍微小環境を模倣した条件でがん細胞を培養すると多剤耐性が誘導されること、この耐性には UCN-01 の Chk1 以外の標的因子と PI3K-Akt 系が関与することを明らかにした。また、腫瘍微小環境を利用し標的とした抗がん剤スクリーニング系により、新規抗がん剤開発が可能になることを証明した。

Fig.1 PANC-1の抗がん剤に対する感受性

Fig.2 低酸素グルコース欠乏条件での細胞の挙動(A) 細胞周期解析(B)(3H)ゲムシタビンの取り込み量(*,P<0.05)

Fig.3 Chk1 阻害剤とLY294002 のゲムシタビンとの併用効果(A) UCN-01 + LY294002、 (B) Go6976 + LY294002 (C) Chk1 siRNA+ LY294002

Fig.4 UCN-01とLY294002のin-vivoでのゲムシタビンとの併用効果(*,P<0.05)

Fig. 5 PVZB1077 の作用解析(A) PANC細胞におけるAktリン酸化に対する影響 (B) Capan-1皮下腫瘍モデルを用いた抗腫瘍試験(*,P<0.05)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなり、第一章は腫瘍微小環境を模倣した条件でのがん細胞の抗がん剤に対する感受性変化、第二章は腫瘍微小環境による細胞毒性抗がん剤への耐性誘導メカニズムの解析~膵臓がん細胞株を用いた検討~、第三章は腫瘍微小環境による細胞毒性抗がん剤への耐性誘導メカニズムの解析~大腸がん細胞株を用いた検討~、第四章は腫瘍微小環境の特徴を利用し標的とした新規抗がん剤の開発について述べられている。

この中で、固形がん組織は、がん細胞の無秩序な増殖と旺盛な活動により、血管網が常に改変を余儀なくされ機能不全に陥っているため、組織内は酸素不足とグルコースを中心にした栄養不足にさらさせているという特徴を持つと仮定され、一部は証明されている。・この環境中で、がん細胞に対し殺細胞作用を期待されている抗がん剤が期待通りの効果を持つか否かが検証された。その結果、低酸素低グルコース環境では色々な作用機序を持つ抗がん剤が、100から1000分の一の効果しか現さないことが示された。何故この様に大きく細胞毒性が減弱するのかを、細胞回転、薬剤の取り込み、抗がん剤によるDNA損傷に対する反応、損傷修復反応、細胞死の誘導など多岐にわたる検討が行われた。多くの検討は、ヒトの膵がん細胞株とゲムシタビンと呼ばれる核酸アナログ製剤をモデルとして行われたが、複数の細胞腫、複数の抗がん剤を用いた検討も行われている。その結果、抗がん剤の細胞への取り込み、DNAの損傷は影響を受けていないことが明らかにされた。細胞はDNAの損傷がありこれを認識すると、損傷を修復する反応が起こる。低酸素低グルコース環境でも、損傷の認識は正常に起こっていたがそれ以降の反応Rad51以下の反応が低下していること、更に通常であれば起こる、更に損傷修復過程をChk1阻害剤で止めると顕著に増加するカスパーゼ8,9,3の活性化が強く抑制されていることが明らかにされた。このことから、低酸素低グルコース条件での抗がん剤耐性誘導は、細胞死のプログラムが抑制されていることによることが示され、単に一つの抗がん剤における特殊な反応ではなく、がん細胞の微小環境への適応反応として起こることであることが明らかにされた。しかし本論文では、要となる分子は同定されたとはいえなかった。

本論文題4章では、低酸素低グルコースにより誘導される抗がん剤耐性を根本的に解決する方策として、低酸素低グルコースでこそ細胞毒性を発揮する化合物の探索が行われた。正常組織は、生理的反応により低酸素低グルコースが永続することはないように守られているが、がん組織はそうではなく低酸素低グルコースで選択的に細胞毒性を示すものがあればがんに対する特異性があるのではないかと言う仮説に基づくものである。構造既知の化合物ライブラリーからスクリーニングをし、幸い1化合物にそのような作用を認め、その類縁化合物に到達した。この化合物は抗がん効果は未知であり新規性があった。更に、動物腫瘍を用いた初歩的な検討では抗腫瘍性を認めた。

本論文の前半部分の一部は、土原一哉、江角浩安との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

従って、博士〈生命科学〉の学位を授与できると認める。

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