学位論文要旨



No 127551
著者(漢字) 石井,大輔
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,ダイスケ
標題(和) トリコサイトケラチン超分子複合体構造の制御系構築
標題(洋)
報告番号 127551
報告番号 甲27551
学位授与日 2011.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第731号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 津本,浩平
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 山本,一夫
 東京大学 准教授 和田,猛
 東京大学 准教授 富田,野乃
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

ケラチン蛋白質が構成する線維状複合体である中間径線維 (Intermediate Filament, 以下IF) は生体の種々組織たとえば皮膚や爪や毛髪さらに神経線維や細胞骨格の形成に寄与する蛋白質群である。【1】その中で毛髪IFを構成するケラチンは、分子論的特徴として、酸型と塩基型との2種類に大別され、その両者がcoiled-coil ダイマーを形成し、このダイマーを基本単位としてテトラマー、8-mer、16-mer、32-merを形成し、32-merを単位構造体としてlateralな線維状巨視的分子を形成し、結果として毛髪の芯材として機能する(図1)。【2】また発現上の特徴として毛胞近傍から発現するものや毛髪の伸長過程で発現するものなど複数種のIFが確認されている。【3】 IFが形成する線維構造をin vitroで再構成させる研究はSterinertらを中心に1970年代から着手されており、サイトケラチンやトリコサイトケラチンだけでなく、ビメンチンなど種々IF線維の再構成の実績が報告されている。【1,4】

IF構造の階層性について簡単に図説する(図1)。IFは、前段でも述べた通り酸型ケラチンと塩基型ケラチンの2種類の蛋白質が形成するヘテロダイマーを最小限のビルディングブロックとしており、この酸型・塩基型ヘテロダイマーはcoiled-coil 相互作用によって形成されることがわかっている。つづいてダイマー2つが、保存領域1Bドメインあるいは2Bドメインを用いて逆並行型に相互作用してテトラマーを形成する。この、1Bあるいは2Bの数字と、逆平行を意味するアンチパラレルの頭文字Aとを取って、これら相互作用はA11相互作用あるいはA22相互作用と定義されている。つづいてテトラマー2つがやはり逆平行に会合して8-merを形成する。この場合は一方のテトラマーの保存領域1Bドメインともう一方のテトラマーの保存領域2Bドメインとが相互作用するのでA12相互作用と定義されている。同様の相互作用で32量体まで形成され、その後、形成された32量体どうしが、長手方向に相互作用することでIFの伸長が実現する。この場合は一方の32量体のN末端ともう一方の32量体のC末端とが相互作用するのでACN相互作用と定義されている。以上のように、構造の階層性については明らかになっているものの、これらすべての相互作用の親和性等の物理化学的パラメタについては報告がないことに加え、作用機序は未解明であった。そこで、本研究は毛髪IFを対象とし、超分子複合体の構造形成について作用機序を熱力学的に記述し、IFの超分子複合体の構造形成を制御できる系の構築を目指した。

【実験と結果】

本研究ではIF線維再構成系の対象として、ヒト酸型IF K35(旧称hHa5)及びヒト塩基型IF K85(旧称hHb5)、の2種を用いた。IFそれぞれをコードする遺伝子は化学合成によって得た。pETベクターを用いた発現系を、それぞれについて定法に従って構築した。K35及びK85について、十分な発現量が確保できたことを確認した。大腸菌を宿主としたIFの大量発現を行い、収量よく獲得した。精製に際しては、回収菌体の超音波破砕物を4%TritonX-100によって洗浄に供したのちに超純水洗浄に供した。これらの試料について、K35はゲルろ過にて、K85は陰イオン交換クロマトグラフィーにてそれぞれ精製した。1次元SDS-PAGEによって純度95%以上の精製物を獲得したことを確認した。

相互作用の熱力学的解析に等温熱滴定(Isothermal Titration Calorimetry; 以下ITC)を用いた。本手法の概要は、2種の分子の間で生じる反応熱を、一方をもう一方に滴下して両者を出会わせることで測定する、というものである(図2)。IF会合体形成の各段階の熱力学パラメタを獲得するために以下の点に着目した。一点目は、IF会合体形成は溶媒条件を制御することでその会合体形成を途中で止めることができるということ(表1)、二点目は、等温熱滴定法により会合反応の開始から終了までの全熱量測定が可能であるということ、そして三点目は、2状態平衡を扱うために解析式を書き下せる、という点である。本研究では、酸型ケラチンK35を滴定シリンジに、塩基型ケラチンK85を測定セルにそれぞれロードし、K35が滴下されるごとに両者の間に発生する熱量を記録することで相互作用エンタルピーを直接測定した。測定画面には滴下ごとの熱の出入りがスパイクで表示され、上向きのスパイクの場合は吸熱、下向きのスパイクの場合は発熱が生じていることを意味する。スパイクの積分値をもとにしたカーブフィッティングより結合定数を算出し、直接測定したエンタルピーとこの結合定数とを用いてその他の物理化学パラメタを算出した。測定結果を図3に示す。

モノマーからダイマーへ、ダイマーからテトラマーへ、テトラマーから32-merへ、そして伸長、の4つの状態についてそれぞれの反応熱を測定した。それぞれの相互作用について、反応エンタルピーを獲得し、カーブフィッティングより結合定数を算出したのちに、これらエントロピーならびに自由エネルギーの値を算出した。結果の定量値を図4に示す。テトラマー形成のみ発熱反応であり、残りのダイマー形成や32-mer形成そして伸長はすべて吸熱反応であることが明らかとなった。また熱量の変化量としては、ダイマー形成およびテトラマー形成の場合が、それ以降の会合体形成と比較して一桁大きい値となっていた。結合定数も、ダイマー形成およびテトラマー形成の方が32-mer形成よりも圧倒的に大きな値を示していた。

【考察】

IF会合体形成の定量評価が可能となる基本実験系を構築することができた。本研究における解析結果から以下の二つの考察が可能である。(1)テトラマー形成時のエネルギー値の大きさと、テトラマー形成はA11+A22相互作用で固有になされることより、A11+A22相互作用が高次会合体を形成するための重要なビルディングブロックとなっていると考える。換言すると、A11+A22相互作用を安定化させることが系全体のボトルネックであると考える。(2)つづいてそれ以降の高次構造形成の部分に着目すると、エネルギー値が比較的小さいことより、32-mer形成やそれ以降の伸長反応は、テトラマー形成と比較して微妙な安定性のバランスで成立しているものと考える。換言すると、これら相互作用は外的因子によって容易に不安定化する可能性があるが、一方で回復の望みも十分にある。しかしながらテトラマー形成すなわちA11+A22相互作用の部分をひとたび不安定化してしまうと、その修復は大変に困難なものであると考察する。これら熱挙動から要請される各相互作用の分子機序について、以下に考察する。

i) coiled-coil 相互作用: ケラチン分子周辺の水分子の脱水和に由来するエントロ ピー利得が寄与しているものと考察する(図5)。

ii) A11、A22相互作用: ダイマー分子表面の荷電残基間のイオン性相互作用に由来するエンタルピー利得が大きく寄与しており、結果として大きな発熱を検出したものと考察する(図6)。

iii) A12相互作用: テトラマー~16mer分子近傍の水分子の脱水和と、末端領域の分子

運動性の向上に由来するエントロピー利得が寄与しているものと考察する。末端領域の運動性向上は、このあとの伸長過程において重要な役割を果たす(図7)。

iv) ACN相互作用: まず、ACN相互作用は部分的にA11、A22相互作用も関与している

(図8緑色部分)。それにもかかわらず全体として吸熱すなわちエント ロピー利得型である根拠は近傍水分子の脱水和とiii)で示した末端領域の運動性向上との二点が大きく寄与して結果として全体でエントロピー利得となっているものと考察する(図8)。

【業績】

【学会発表】

Gordon Research Conference on Intermediate Filaments, poster presentation, June 2010.

Annual Meeting of the Japanese Biochemical Society, poster presentation, September 2010.

Hair Science Symposium organized by the German Wool Institute, oral presentation, to be held on September 2011.

Annual Meeting of the Society of Polymer Science, Japan, poster presentation, to be held on September 2011.

【論文発表】

Ishii, D. et.al J. Mol. Biol. 2011.

【1】Parry, D. A. D. et. al Exp. Cell Res. 313, 2204-2216 (2007).【2】Parry, D. A. D. et. al Q. Rev. Biophys. 32, 99-187 (1999).【3】Moll, R. et.al Histochem Cell Biol. 129, 705-733 (2008).【4】Wang, H. et.al J. Cell Biol.151, 1459-1468 (2000).

(図1) IF構造の階層性。

(表1) IF会合状態の溶媒依存性と対応する解析式。

(図2) ITCの概要。

(図3) K35のK85への等温熱滴定プロファイル。左上: 8 M尿素溶媒下 (グレー) と6 M尿素溶媒下 (ピンク)。中央: 4 M尿素溶媒下 (グレー) と2 M尿素溶媒下 (ピンク)。右: 2 M尿素溶媒下 (グレー) と0 M尿素溶媒下 (ピンク)。左下: K35, K85 モル比 1:1 混合物へのNaCl滴定プロファイル。

(図4) 各定量結果をもとに作成したケラチン相互作用のエネルギーダイアグラム。青色の矢印がエントロピー利得を、オレンジ色の矢印がエンタルピー利得を、それぞれ示す。

(図5) 熱挙動から要請されるA11 相互作用分子機序。

(図6) 熱挙動から要請されるA11+A22 相互作用分子機序。

(図7) 熱挙動から要請されるA12 相互作用分子機序。

(図8) 熱挙動から要請されるACN 相互作用分子機序。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、毛髪に由来するケラチンであるトリコサイトケラチンの超分子高次構造形成制御を目的として、トリコサイトケラチン間の相互作用強度を in vitro で解析し、また解析結果を既知の学術知見と複合化させることでその相互作用機序を定量的に議論できるプラットフォームを構築することを目指した。

本論文は全4章から成り、第1章は本論文の序論である。

第2章では、大腸菌発現系を用いてトリコサイトケラチンK35およびK85それぞれを組換え蛋白質として調製し、実験試料に資する純度向上を検討している。これらケラチンはシステインを5%以上含有するために精製過程での望まない凝集や沈殿が懸念された。以上のような背景を踏まえ、嫌気環境を徹底した条件下で分子ふるい効果あるいは等電点を応用した精製を実施し、その結果として凝集や沈殿を生じさせることなく標的蛋白質が精製可能であることを示唆する結果を示している。

第3章では、第2章で調製した蛋白質試料を用いて、等温熱滴定法を用いた相互作用解析を実施し、かつ透過型電子顕微鏡を用いたケラチン線維複合体の観察を実施している。可溶化剤として尿素を種々濃度で配合した複数の溶媒を調製し、段階透析法を用いてそれら溶媒中にケラチンを溶解させて等温熱滴定を実施して相互作用エンタルピーを獲得し、結合定数を算出した。その結果、高次構造形成の各過程間で相互作用強度に顕著な差異が存在することが明らかとなり、かつ特徴的な相互作用様式を有する過程が存在する可能性を強く示唆した。また、電子顕微鏡を用いた線維状複合体の観察を通じて、線維状複合体形成すなわち線維伸長を促進する塩の添加濃度に応じて観察される線維の長さに明瞭な差異が存在し、それら観察結果と対応する条件での熱滴定結果とが整合よく議論された。以上をまとめると、トリコサイトケラチンの超分子線維形成はその中途の過程での特徴的な相互作用が結合定数の観点からは最も強固であり、以降の伸長に関わる過程は比較的自発的に実施されるものと示唆された。

以上の結果について、第4章で総括している。

以上、本研究では組換え蛋白質を用いた生化学的手法と嫌気環境の徹底という云わば有機化学的な発想を通じて、ケラチン蛋白質の線維形成過程における親和性や相互作用強度について多くの新規な知見を与えた。これらの成果は、蛋白質超分子構造体をデザインする上で重要となる蛋白質相互作用の制御戦略の構築へ貢献することが期待されるとともに、共有結合性の会合や凝集が強く懸念される蛋白質試料の安定的なハンドリング技術の開発にも貢献することが期待されることから、高く評価できる。

従って博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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