学位論文要旨



No 127558
著者(漢字) 鶴井,純
著者(英字)
著者(カナ) ツルイ,ジュン
標題(和) 参加型アクションリサーチによるカンボジア天水SRI農法の有効性評価 : 天水SRI農法の技術的特性と意義
標題(洋)
報告番号 127558
報告番号 甲27558
学位授与日 2011.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(国際協力学)
学位記番号 博創域第738号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 国際協力学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山路,永司
 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 中山,幹康
 東京大学 教授 堀田,昌英
 東京大学 准教授 鴨下,顕彦
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

緑の革命は世界の食糧供給に大きく貢献したが、その効果は世界の水田面積の3割を占める天水田には及ばなかった(Chambersら1989)。天水田の生産性は未だ低く、農家は貧困にあえいでいる。カンボジアでは、近年になって天水田にSRI(System of Rice Intensification)農法が普及し始めている。SRI農法が天水稲作を改善できる可能性が示唆されていると言えるが、これまでのSRI農法研究はほとんどが灌漑水田を対象にしていた。天水SRI農法の実態は明らかでなく、有効性も十分議論されていない。

本研究では、「カンボジア天水田におけるSRI農法の有効性を農家の視点で評価するとともに、天水SRI農法の技術的特性と意義を明らかにする」ことを研究目的とした。具体的には、以下5研究課題について考察を加え、そこから研究目的に対する結論を導いた。

1)農家のSRI農法受容度と導入プロセス

2)農家がSRI農法を導入する理由

3)SRI農法導入の具体的な効用

4)カンボジア天水SRI農法の技術的特性

5)住民主体の開発におけるSRI農法普及の意義

2.対象地区と手法

本研究の対象地区は、カンボジアで最も一般的な農業分類である「台地での天水稲作」が営まれるコンポンスプー州プレイニート・コミューンである。研究手法には、参加型アクションリサーチ(Walter, 2009)を採用した。リサーチに参加する試験協力農家は、同コミューンでSRI農法に関心が強い6名である。6名の天水田の一部に、比較試験圃SRI農法区(SRI区)と慣行農法区(慣行区)を設置し、両農法の比較栽培試験を行った。試験圃外の状況も追跡した。比較栽培試験は、2008年から2010年まで3年間実施したが、各年の研究テーマと活動計画は、前年結果を踏まえて決定した。比較栽培試験の実施に際しては、研究者からの農業投入物供与によるバイアスを回避し、農家の主体性を尊重した。

3.参加型アクションリサーチとその検証結果

3.1アクションリサーチ開始前の状況

カンボジアNGOのCEDACは、12の要素からなるSRI農法を推奨しているが、種籾を混種しない等いくつかの要素は、SRI農法導入前の慣行農法でも実践されていた。慣行農法のSRI要素実践率(12のSRI要素が実践されている割合)は、15%であった。

3.2アクションリサーチSRI農法受容度確認試験(2008年に実施した1年目試験)

2008年の1年目試験では、初めてSRI農法を導入する試験協力農家が小規模の比較試験圃で、どのSRI要素を実践するかを確認した。その主な結果を以下に示す。

SRI要素実践率:(SRI区)53%、(慣行区)従来どおりの15%と推測

高実践率の要素:(SRI区)正条植え、1株あたり苗数削減、有機肥料施用

低実践率の要素:(SRI区)盛土苗代で薄播き播種、浅水管理

平均収量:(SRI区)2.7 ton/ha、(慣行区)2.3 ton/ha

主な長所と短所:(長所)労働力の節減、種籾の節減、増収、(短所)雑草の増加

3.3アクションリサーチSRI農法実践率向上試験(2009年に実施した2年目試験)

2009年の2年目試験では、小規模の比較試験圃においてより多くのSRI要素を実践してもらうことを目標に、SRI農法実践率向上試験を行った。主な結果を以下に示す。

SRI要素実践率:(SRI区)76%、(慣行区)38%、(試験圃外)26%

高実践率の要素:(SRI区)正条植え、1株あたり苗数削減、盛土苗代で薄播き播種、苗取り後早急に移植

低実践率の要素:(SRI区)浅水管理

平均収量:(SRI区)3.8 ton/ha、(慣行区)3.1 ton/ha

主な長所と短所:(長所)種籾の節減、労働力の節減、増収、(短所)正条植えの実施

3.4アクションリサーチSRI農法効率改善試験(2010年に実施した3年目試験)

2010年の3年目試験では、比較試験圃外でもできるだけSRI要素を実践することを目指し、SRI農法効率改善試験を行った。主な結果を以下に示す。

SRI要素実践率:(SRI区)72%、(慣行区)52%、(試験圃外)45%

高実践率の要素:(SRI区)1株あたり苗数削減、正条植え、盛土苗代で薄播き播種(試験圃外)有機肥料施用、良い種籾を選定、1株あたり苗数削減

低実践率の要素:(SRI区)浅水管理、除草、(試験圃外)正条植え、除草、浅水管理

平均収量:(SRI区)5.8 ton/ha、(慣行区)4.5 ton/ha

投入量節減:種籾量が40%に、化学肥料施用量が34%に減少

主な長所と短所:(長所)増収、種籾の節減、労働力の節減、(短所)正条植えの実施

3.5参加型アクションリサーチ結果の一般性検証

対象者が限定された本アクションリサーチの結果が、どの程度の一般性を有しているのかを確認するために、他農家のSRI農法導入状況を調査した。試験協力農家と同じ村に住む他農家を対象にアンケート調査を行い、試験協力農家を含む96農家の回答し、50前後の有効回答を得た。結果として、他農家が導入しているSRI要素は、試験協力農家との類似性が高く、本研究の参加型アクションリサーチには、一定の一般性があることがわかった。

4.研究課題に対する考察

4.1農家のSRI農法受容度と導入プロセス

本研究では、試験協力農家が自由意思で栽培を行う比較試験圃外の3年目試験において、農家のSRI農法受容度を示すSRI要素実践率が45%になった。SRI農法導入初年度の15%から30%の増加である。研究者の指導にもとづいて栽培が行われる比較試験圃SRI農法区では、農家はより多くのSRI要素を実践したが、それでも実践率は70%強にとどまった。農家のSRI要素実践率は、通常では45%、上限でも70%程度と思われる。

12のSRI要素の間には、一定の関係性(あるSRI要素の実施が他の要素の実施の誘因となっている関係性)があることもわかった。具体的には、「1株あたり苗数削減」と「可能な限り有機肥料を施用する」がSRI農法導入のエントリーポイントとなっており、それが契機となって、「苗を早急に移植する」、「盛土苗代に薄播き播種する」、「若齢苗を移植する」等が次々に導入された。「正条植え」のように、現地の自然・社会環境に馴染まないため、導入されなかったSRI要素もあった。対象地区における稲作技術の歴史背景を分析した結果、2つのエントリーポイントを契機とした栽培技術変化のうち、少なくとも「1株あたり苗数削減」を契機とする一連の変化は、SRI農法導入によってもたらされた変化であることがわかった。このSRI農法導入プロセスを考慮すると、カンボジア天水田では、一度に全SRI要素を導入するのではなく、「1株あたり苗数節減」を契機とする一連のプロセスにしたがって、逐次SRI要素を導入していくことが効果的だと思われる。

4.2農家がSRI農法を導入する理由

試験協力農家の意見によれば、SRI農法導入の主な便益は、1株あたり苗数削減による種籾量の節減(コメの自家消費を増やせる)、労力と労働者雇用費を節減できる、収量が増えるである。実際、農家の自由意思で栽培される比較試験圃外での農家の行動を見ると、1株あたり苗数削減が、最も広く受け入れられた。この農家の行動は、不確実性が存在する下での人間の行動理論であるプロスペクト理論でよく説明ができる。

農家の意見、農家の行動、理論に基づく研究者の推測という三つの視点から分析した結果、試験協力農家がSRI農法を導入した理由は、天水SRI農法が、省資源・省力的な農法だったからだと考えられる。カンボジア天水農家が、とりわけ省資源・省力化を重視する理由は二つある。一つは、節減した労働力を、野菜栽培や農外活動といった稲作以外の活動に投入できることであり、もう一つは、旱魃等により、投入した資源や労力が無駄になるという経営リスクを軽減できることである。

4.3SRI農法導入による具体的な効用

SRI農法導入の成果として、試験協力農家は、種籾量を40%に、化学肥料施用量を34%にまで削減した。苗数を削減したことにより、苗取りや苗の輸送にかかる労力と労働者雇用費が削減された。除草に関しては労力増加が報告されたが、これは定期的な除草を意識したためであり、雑草が増えたという理由ではなかった。収量については、試験協力農家が、比較試験圃慣行農法区にも一部のSRI要素を自主的に導入したため、単純な比較はできなかったが、慣行農法区よりSRI農法区の方が高かった。

4.4カンボジア天水SRI農法の技術的特性

カンボジア天水SRI農法の技術的特性は、SRI農法を導入しても雑草があまり増えないことである。灌漑SRI農法では浅水管理による雑草の増加が問題になるが、天水SRI農法では浅水管理が行われないので雑草が増えず、手押し除草機導入とその利用に不可欠な正条植えの必要性も低い。正条植えは、SRI農法普及の阻害要因ですらある。カンボジア天水SRI農法では、除草や正条植え等の労働集約的なSRI要素が、ほとんど実践されないので、結果として省力的な農法になっている。SRI農法発祥地であるマダガスカルの灌漑SRI農法は労働集約的とされているが(Horieら2005)、カンボジア天水SRI農法は異なる。

4.5住民主体の開発におけるSRI農法普及の意義

本研究では、一部農家が、稲の生態について学んだことをSRI農法の長所としてあげ、稲の生育を良く観察するようになった農家もいた。SRI農法導入の効果が、経済的便益だけにとどまらず、稲作に対する農家の意識変化にまで及んでいることが確認された。

5.結論

本研究では、農家がSRI農法の有効性を認識し、自由意思で栽培する比較試験圃外にも一部のSRI要素を導入した。カンボジア国コンポンスプー州の天水稲作農家を対象にして行った本研究の範囲内において、以下のことが言えると考えられる。

1)天水SRI農法は有効な農法である

2)SRI農法はパッケージ技術ではない

3)天水SRI農法導入には苗と化学肥料の節減から始まるプロセスがある

4)天水SRI農法が受容されたのは省資源・省力的農法だからである

5)農家の意識は省資源・省力化から増収へと経年的に変化する

6)天水SRI農法は省力的で雑草が増加しないという特性がある

7)SRI農法導入が住民主体の開発を促進している可能性がある

Chambers R, Pacey A, Thrupp L. A. (eds.) 1989. Farmer first, famer innovation and agricultural research. London (UK): Intermediate technology publications.Horie T, Shiraiwa T, Homma K, Katsura K, Maeda S, Yoshida H. 2005. Can yields of lowland rice resume the increases that they should in the 1980s?. Plant production science 8(3) (2005), 259-274.Walter M. 2009. Social Research Methods, Second Edition, Student Resources Retrieved 7 December 2010 from http://www.oup.com.au/__data/assets/pdf_file/0004/198283/Chapter_21.pdf.
審査要旨 要旨を表示する

1.論文の概要

緑の革命は世界の食料増産に貢献したが、その効果は、世界の水田面積の3割を占める天水田には及ばず、天水田の生産性は未だ低いままである。天水田が殆どを占めるカンボジアでは、一部でSRI(System of Rice Intensification)農法が普及し始めており、SRI農法が天水稲作を改善できる可能性が示唆されていた。しかし、天水SRI農法の実態は明らかでなく、その有効性も十分議論されていなかった。

そこで、本研究では、「カンボジア天水田におけるSRI農法の有効性を、農家の視点で評価するとともに、天水SRI農法の特性と意義を明らかにする。」ことを研究目的として実施しており、5章で構成されている。

第1章は序論で、研究の背景、問題の所在、研究目的、研究の意義が述べられている。

第2章では、対象地区と研究手法が説明されている。対象地区は、カンボジアで最も一般的な農業形態である「天水稲作」が営まれるコンポンスプー州プレイニート・コミューンとしている。研究手法には、参加型アクションリサーチを採用し、SRI農法に関心が強い6名を選定、そして、6名の圃場に、比較試験圃SRI農法区(SRI区)と慣行農法区(慣行区)を設置し、両農法の比較栽培試験を行っている。また、比較試験圃外での栽培状況も追跡している。

第3章は研究の結果であり、カンボジアでのSRIのガイドラインとして設定されている12要素の実施採用率で評価している。その結果、慣行農法での要素採用率は0%ではなく既に15%であったこと、比較試験圃外でも3年目で45%になったこと、SRI農法区では70%強となったことを明らかとしている。また農家によるSRI農法の長所として、労働力の節減、種籾の節減、増収が、短所として雑草の増加、正条植えの実施が挙げられ、ガイドライン各要素の導入限界も示されている。

第4章は考察であり、導入プロセスを考察し、12のSRI要素の間に、一定の関係性(あるSRI要素の実施が他の要素の実施を誘因する関係性)があることを明らかにしている。具体的には、「1株あたり苗数削減」と「可能な限り有機肥料を施用する」がSRI農法導入のエントリーポイントとなっており、それが契機となって、「苗を早急に移植する」、「盛土苗代に薄播き播種する」、「若齢苗を移植する」等が次々に導入された、としている。一方、「正条植え」のように、現地の自然・社会環境に馴染まないため、導入されなかったSRI要素もあった。対象地区における稲作技術の歴史背景を分析した結果、これらの稲作栽培技術変化のうち、少なくとも「1株あたり苗数削減」を契機とする一連の変化は、SRI農法導入によってもたらされた変化であることを明らかにしている。このようなSRI農法導入プロセスを考慮すると、カンボジア天水田では、一度に全SRI要素を導入するのではなく、「1株あたり苗数節減」を契機とする一連のプロセスにしたがって、逐次SRI要素を導入していくことが効果的だと提言している。

第5章は結論で、本研究で明らかにしたこと、および、なお残る課題を整理している。

2.論文の審査の結果

本論文は、以下の5点で評価できる。

(1)農家のSRI農法の12要素の採用率とその変化を明らかにし、これらからSRI農法の導入プロセスを明らかにしたこと。

(2)農家がSRI農法を導入する理由として、期待できる便益(種籾量の節減および雇用労働費の節減)と経営リスク(干ばつによる移植苗の不使用)にもとづき、農家が判断し「1株あたり苗数削減」という要素を採用するという過程を説明したこと。

(3)SRI農法導入により、資源節約、労働力節約、収量の増大といった具体的な効用を示したこと。

(4)カンボジア天水SRI農法の技術的特性として、もともと灌漑が行われていなかったことから、SRI農法の採用によっても雑草が増えないことと、それから導かれる中耕除草機使用のための正条植えの不要性を明らかにしたこと。

(5)SRI農法導入の効用は、経済的便益だけにとどまらず、稲作に対する農家の意識変化にまで及んでいることを示したこと。

とくに第一の導入プロセスの発見については、各要素の採用率および増加率いずれからも説明が可能であり、また実際の作業順ではなく、農家が稲作の全体像を見た上で判断していることが意義深い。

一方、本論文では、本農法自体および農家の学びの姿勢の長期的な持続性については、3年間という期間の制約上、明らかにされていない。またカンボジアの代表的な地域で明らかにしたことではあるが、多様な国土の中での適用性についても、今後は研究が必要である。加えて、既に各国では広く行われているが、カンボジアの灌漑水田との比較も行われていない。これらの今後の課題は残るものの、上記5点において十分な成果を上げたと判断できる。

なお本論文の一部は、山路永司、Suk Sovannaraとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上より、審査員一同は、本論文に対し博士(国際協力学)の学位を授与できると認める。

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