学位論文要旨



No 127583
著者(漢字) 西沢,史仁
著者(英字)
著者(カナ) ニシザワ,フミヒト
標題(和) チベット仏教論理学の形成と展開 : 認識手段論の歴史的変遷を中心として
標題(洋)
報告番号 127583
報告番号 甲27583
学位授与日 2011.10.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第837号
研究科 人文社会系
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 斉藤,明
 東京大学 教授 丸井,浩
 東京大学 教授 下田,正弘
 大谷大学 教授 福田,洋一
 筑波大学 教授 吉水,千鶴子
内容要旨 要旨を表示する

チベットにおける仏教論理学の形成と展開という本稿の主題は,大きく三部に分けて叙述される.第一部は,「チベット仏教論理学史概観」である.ここでは,インドに起源する仏教論理学の伝承が如何にチベットに導入され,展開されていったのかという主題が,主に,各種の史書,聴聞録,伝記,目録等の歴史的資料に基づき解説される.この第一部は,四章から構成されている.第一章「仏教における論理学の歴史的展開 ―討論の技術から仏教の基礎学へ .」では,まず導入部において,インドからチベットにおける論理学の歴史的展開に五つの大きな段階を設定した.その際,指標として導入したのが,仏教教学全体における論理学(*pramanavidya)の位置付けと,論理学の諸主題における認識手段の設定( *pramanavyavastha)の位置付けである.伝統的な五学処( pancavidyasthana)の枠組みにおいては,論理学,より厳密には,因明( hetuvidya)は,文法学や薬医学等と同様に,外学として位置付けられてきたのであり,端的には仏教教義(内学)とは見做されていなかった.それは,元来,討論( vada)において,自派ないし他派が各々の主張を論証するために立てた証因( hetu)の妥当性を検証する学問( vidya)であり,仏教教義とは無関係であった.しかるに,インドにおける仏教論理学の大成者であるダルマキールティ( Dharmakarti, ca. 600-660)が,論理学を解脱道に結び付けたことを契機として,論理学は徐々に仏教教義として受容されるようになり,最終的には,チベットのゲルク派において,その他の全ての仏教教学の基礎学の地位にまで高められることになる.それと平行して,論理学の諸主題の中でも,<認識手段( pramana)>という概念が,独立した主題としての地位を徐々に高め,最終的には,一切の論理学概念がそれに依拠するような基礎概念として確立された.以上の論理学の歴史的変遷を念頭において,チベットにおける論理学の形成と展開を分析した.

続く第二章「チベット仏教論理学史研究序説」においては,チベット人学者による論理学の学系に関する諸解釈を紹介してから,その諸問題を検討し,特に宗派と学系を区別することに留意して,チベット仏教論理学史研究の枠組みを設定した.この第一章と第二章は,この第一部の中では,チベット仏教論理学史研究の方法論を扱った理論的な部門に相当する.

チベット仏教論理学の歴史的展開に関しては,時期的には,教法前伝期と教法後伝期の二つに大別した上で,五つ発展段階を設定した.学系としては,サンプ系,サキャ系,ゲルク系の三つの系統を設定し,その三系統の論理学の学系を基軸として,チベットにおける仏教論理学の形成と展開を解説した.その具体的内容は,第三章「前伝期における論理学の伝承」と第四章「後伝期における論理学の伝承」の二章において叙述される.チベットにおける論理学研究の本格的導入は後伝期初頭からであるので,主となるのは後者の第四章である.この章は,論理学の伝承を主要主題として,大きく,サンプ教学史/サキャ教学史/ゲルク教学史の三つに分けられる.この三つの学系は,相互に密接に関わり合いながら展開していくことになるので,その相互関係の分析に特に注意を払った.その三系統の教学史の全体像をここで紹介することは紙面の関係上不可能であるが,その分析の成果の一つとして,例えば,十三世紀頃,サンプ寺のニェルシク・ジャンペルドルジェ( gNyal zhig 'jam dpal rdo rje, ca. 1150-1220)の<九子( gNyal zhig gi bu dgu)>と称される九人の直弟子達を中心として,サンプ系の講学院( bshad grwa)が中央チベット各地に宗派の別を問わずに多数創設されたが,その講学院創設運動を契機として,それまで基本的にサンプ寺内部において伝承されてきたサンプ教学が,広くチベット全土に広まり,それがサキャ派とゲルク派の教学形成に決定的な影響を与えたこと等が明らかとなった.の本格的導入は後伝期初頭からであるので,主となるのは後者の第四章である.この章は,論理学の伝承を主要主題として,大きく,サンプ教学史/サキャ教学史/ゲルク教学史の三つに分けられる.この三つの学系は,相互に密接に関わり合いながら展開していくことになるので,その相互関係の分析に特に注意を払った.その三系統の教学史の全体像をここで紹介することは紙面の関係上不可能であるが,その分析の成果の一つとして,例えば,十三世紀頃,サンプ寺のニェルシク・ジャンペルドルジェ( gNyal zhig 'jam dpal rdo rje, ca. 1150-1220)の<九子( gNyal zhig gi bu dgu)>と称される九人の直弟子達を中心として,サンプ系の講学院( bshad grwa)が中央チベット各地に宗派の別を問わずに多数創設されたが,その講学院創設運動を契機として,それまで基本的にサンプ寺内部において伝承されてきたサンプ教学が,広くチベット全土に広まり,それがサキャ派とゲルク派の教学形成に決定的な影響を与えたこと等が明らかとなった.

他方,本稿の第二部,「認識手段論の歴史的変遷 .チベットにおける展開を中心として .」は,第一部の内容を前提としつつ,チベットにおける仏教論理学の展開を,<認識手段論(pramanavyavastha)>を主題として解明することを目的としている.特に認識手段論を取り上げた理由は,それが,論理学( pramanavidya)の諸主題の中でも,最も根源的かつ重要な主題であるからであるが,それのみならず,前述したように,仏教論理学の歴史的展開を分析する一指標として本稿において導入したのが,まさに.この認識手段論に他ならないからである.第一部においては,チベットにおける論理学の歴史的展開を,各種の歴史資料を依用して,いわば,<外側>から概観した.そこでは,基本的に個々の論理学書の具体的内容に立ち入ることはなかった.これに対して,この第二部では,逆に,個々の論理学書の具体的内容に立ち入ることを通じて,チベットにおける論理学の歴史的展開を,いわば,<内側>から解明することに務めた.つまり,第一部において措定した論理学の三つの学系において,この認識手段論が,如何に歴史的に展開していったのかということを,各学系の論理学書を読解し,その解釈を比較対照することを通じて具体的に検証することが,この第二部の主題となる.さらに認識手段論から派生した重要な議論として,その対立項である非認識手段論をも主題として取り上げた.この主題は,従来,殆ど研究の俎上に挙げられてこなかったものであるが,本稿において,初めてその全体像に対して光が当てられた.さらに,チベットにおける認識手段論の歴史的変遷を考察する予備的議論として,インドにおける認識手段論の展開をも取り上げ,ディグナーガ,ダルマキールティ,デーヴェンーンドラブッディ,プラジュニャーカラグプタ,ダルモーッタラらの認識手段論を原典に基づき考察した.その中でも,その重要性から特にダルマキールティの認識手段の設定に関しては比較的詳しい分析を与えた.これはチベットにおける認識手段に関する種々の解釈の相異が,何れ程インド原典に即したものであるのか,何れ程発展的な議論,チベット独自の議論を含んでいるのかを検討するためには,原典に基づきダルマキールティらの見解と比較対照する必要性があるからである.その分析の成果の一つとして,ダルマキールティは,論理学の位置付けや認識手段の設定 .特に pramanabhEtaという語の解釈や存在論的枠組みの設定 .に関して,ディグナーガを前提としつつも,ディグナーガの解釈を批判的に検証し,根本的に異なる解釈を取っていること,晦渋なダルマキールティの見解 .特に, PV II. 1aと 5cの二脚の内容 .を如何に解釈するのかということが,後代のチベット人学者達の議論の基本的枠組みを設定したこと等が判明した.

チベットにおける認識手段論の歴史的変遷を考察するに際しては,三系統二十八人の学者(サンプ系七人/サキャ系八人/ゲルク系十三人)の論理学書を分析対象として取り上げた.紙面の関係上,その全体像をここで紹介することはできないが,三系統の学者達が相互に如何に影響を及ぼし合いながら,自身の教学を形成していったのかという点を具体的にテキストに即しながら解明した.その成果は,「認識手段の定義に関する三系統の論理学者達の解釈の特徴 .認識手段論の歴史的変遷 .」(本稿第二部 , pp. 314-319)に簡潔にまとめたので参照されたい.そのごく一端を紹介するならば,三系統の論理学の学系のうち,サキャ系論理学の創始者であるサパンは,一方に於いて,カシュミールパンディタを通じてインド直伝の論理学の相承を受け継ぎつつも,サンプ系の論理学者ツルトゥンに師事することを通じて,サンプ系の論理学の相承をも受容し,それを批判的に検討することを通じて自身の学系を打ち立てたこと,サパン以降,サンプ系とサキャ系の両学者達は相互に論争を繰り返しながら,影響を及ぼし合ったこと,第三のゲルク系の論理学は,このサンプ系とサキャ系の二大学系を前提としつつも,新たな思想的展開を見せたこと等が具体的にテキストに即して確認された.

認識手段論からは,幾つかの重要な主題が派生したが,そのうち,本稿では,特に,(1)増益排除理論,( 2)<理解( rtogs pa)>の理論などを取り上げ分析した.そこでは,知が対象を理解するというこの単純な行為に対して,チベット人が如何に緻密な議論を蓄積していったのかという点が明らかとなった.

非認識手段の知の設定は,インドにおいては纏まった形で論じられることはなく,チベット人学者達により認識手段論との対比として大きく取り上げられた主題である.本稿では,非認識手段の知として,1.再決知( bcad shes),2.憶測( yid dpyod),3.顕現不確定知( snang la ma nges pa'i blo),4.疑念( the tshom),5.誤知( log shes).6.不理解( ma rtogs pa)の六つを取り上げた.このうち,最初の五つを非認識手段の知として立てることは,サンプ系の伝統的な解釈であるが,サキャ派のサパンはこの解釈を批判して,疑念,誤知,不理解の三つを独立した非認識手段の知として立てた.本稿では,これらの非認識手段の知の起源の問題から考察を始め,三系統の学者達が,これらの知を如何に定義,分類したのかということを,三系統の学系の相互関係に注意を払いつつ,詳細に分析した.さらに,その派生議論として,<直接知覚と対象確定作用>や<誤知の対象をめぐる諸問題>など種々の重要な論題をも併せて論じておいた.

第三部「テキスト,翻訳研究篇」では,第二部において扱った一連の論理学書の中から,特に重要な典籍を二つ取り上げて,そのテキスト校訂と翻訳研究が扱われる.具体的には、サンプ系の論理学者チャパの『論理学意闇払拭』(Tshad ma yid kyi mun sel)とサキャ系論理学の創始者であるサパンの『論理学正理宝蔵』(Tshad ma rigs gter)を取り上げ,第二部ではかなり限定した形でしか取り上げることが出来なかった彼等の認識手段論を,その派生議論を含めて広く紹介することを目的とした.このうち,特に,チャパの論理学書は,以前から稀覯書として記録され,その現存が疑われていた貴重な作品である.近年,デプン寺の十六羅漢堂に秘蔵されていたカダム派の古籍が多数,写本の影印版の形で復刻されたが,チャパのこの『論理学意闇払拭』もまた,その中に含まれている.この著作は全五章からなるが,今回は,とりあえず,第一章,第二章後半部,第三章の校訂テキストを,関連する諸文献から収集された平行テキストと共に提示,併せて,当該部の科段(=内容目次)と認識手段論を扱った第二章後半部の訳註を付加した.これは今後のチャパ研究のための文献学的な基礎的研究に当たる.

他方,サパンの『論理学正理宝蔵』は,このチャパに代表されるサンプ系の論理学を批判的に検証して,カシュミールパンディタから伝受されたインド直伝の論理学解釈に依拠して著作されたものである.その第八章「定義の考察の章」の後半部に,認識手段論の纏まった設定が解説されているので,特にその部分を取り上げ,校訂テキストと訳註を付した.その際,関連資料,特に,サパンが前提としている,サンプ系論理学の師の一人であるツルトゥンの論理学書『論理学智慧灯明』(Tshad ma shes rab sgron ma)や,さらには,その師であるツァンナクパの『量決択註』( Tshad ma rnam nges kyi 'grel pa)等から,平行テキストを収集し,サパンが前提とする思想的背景を明らかにすることに務めた.

最後に,付録においては,チャパの著作一覧のほか,西沢 1999, 2000から特に本稿の主題に関連の強い諸資料を補遺として再録した.具体的には,タシルンポ寺とセラ寺ジェ学堂の教科書目録,諸論理学書の科段( content, sa bcad)と構成( structure),ツォンカパ造『論理学七部論書入門』(sDe 'dun la 'jug pa'i sgo don gnyer yid kyi mun sel)の校訂テキスト,ムゲサムテン( dMu dge bsam gtan)造『問答の宝庫の題目』(Dris lan gter gyi kha byang)の訳註からなる.

審査要旨 要旨を表示する

インドにおいて論理学研究はかなり古くにさかのぼる。医学書『チャラカ・サンヒター』等が展開する論理学説をふまえ、3~4世紀には論理学を組織的に大成したニヤーヤ学派が成立した。一方また、初期の大乗仏典に含まれる論理学説をもふまえ、5~6世紀にはディグナーガ(陳那)が仏教論理学を基礎づけた。さらにまたディグナーガ論理学をめぐる仏教内外の論争を念頭に置き、仏教論理学を確立したのが7世紀のダルマキールティ(法称)である。ダルマキールティの論理学の影響はその後のインド仏教、さらには10世紀後半以降の後伝期のチベット仏教においても顕著であった。

西沢氏の論文は、以上のようなインド仏教における仏教論理学の展開をふまえたうえで、それがチベットにおいていかに受容され、新たな発展を見ることになったのかに焦点をあてる。近年公開されたカダム派全書の中には、後伝期の比較的早い時期の貴重な写本が含まれており、とくにチャパ・チューキセンゲ(1109-1169)に代表されるサンプ学問寺系の諸論師による論理学書の発見は大きな注目を集め、本格的な研究が進められつつある。

本論文はこの新出資料を活用しながら、チベットの論理学史をゴク・ロデンシェーラプ(1059-1109)が確立したサンプ系、サキャ派系(13世紀以降)、およびゲルク派系(14世紀後半以降)の三つの代表的な系統に分類し、それらの特質を論じた上で、とくに認識手段(プラマーナ)論を中心に考察を進める。論文は第1部「チベット仏教論理学史概観」と第2部「認識手段論の歴史的展開」、および第3部「テキスト校訂、翻訳研究篇」から成る。第3部は新出のチャパ造『論理学意闇払拭』およびサパン造『論理学正理宝蔵』の該当箇所の校訂テキストおよび詳細な訳注研究で、これ自体、国内外を問わず初めての本格的な研究であり、きわめて貢献度の高い成果と評することができる。

全体で4章から成る第1部は、インド仏教論理学と対比して、チベット仏教論理学の特質と展開を考察する。とくに第4章の「後伝期における論理学の伝承」は、新出資料をもとにサンプ系およびサキャ派の教学史を論じるとともに、ゲルク派におけるセラ、デプン、ガンデンの三大寺における論理学説を中心とした教学史を詳説する。本論に当たる第2部は、第1章において「認識手段」の定義を詳論し、第2章ではチベット仏教論理学において新たに考察対象となった誤知や憶測等の5つに分類される「非認識手段による知」を、上記の3系統の枠組みのもとに比較考察し、新たな知見をもたらしている。

以上のように、チベット仏教論理学の特質と展開を、新出資料を駆使しながら広い視野から考察した本論文の成果はきわめて大きく、チベット仏教論理学研究における画期的な業績として高く評価することができる。一部にやや明快さを欠く論述はみられるが、本研究の画期的な意義を損なうものではない。

以上の理由により、審査委員会は、本論文を博士(文学)の学位を授与するに値する業績であると判断する。

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