学位論文要旨



No 127589
著者(漢字) 渡井,いずみ
著者(英字)
著者(カナ) ワタイ,イズミ
標題(和) 共働き夫婦におけるワーク・ファミリー・コンフリクトとメンタルヘルス : 低学年児童の両親に焦点を当てて
標題(洋)
報告番号 127589
報告番号 甲27589
学位授与日 2011.10.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3773号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 島津,明人
 東京大学 教授 橋本,英樹
 東京大学 准教授 吉内,一浩
 東京大学 准教授 上別府,圭子
 東京大学 准教授 松山,裕
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

男女共同参画の推進と深刻な少子化を背景に、ワーク・ライフ・バランス(WLB)社会の実現が早急に求められている。欧米ではWLBの指標の一つとしてワーク・ファミリー・コンフリクト(WFC)の概念を用いて健康への影響が検討され、WFC が抑鬱などメンタルヘルス疾患のリスク要因となることが検証されてきた。しかし、わが国ではWFCと健康との関連検討は少なく、特に非正規雇用者として再就労した妻とその夫からなる共働き夫婦におけるストレスやWFCの実態は明らかではない。

一方、職業上の努力と期待される報酬のバランスに注目した職業ストレスモデル「努力―報酬不均衡モデル」は、外在的努力、外在的報酬、オーバーコミットメント(OC)で構成され、努力/報酬比(ERI比)とOCはメンタルヘルスの悪化に影響するとされている。この職業ストレスがWFCを介してメンタルヘルスを悪化させることを示唆する海外の知見がある。また、夫婦における職業ストレス、WFC、メンタルヘルス間には、ストレス要因がパートナーに心理的影響を与えるクロスオーバー効果の存在が報告されているが、努力―報酬不均衡モデルに基づく職業ストレスとWFC、メンタルヘルス間の関連を用いた検討はない。

そこで本研究では、低学年児童を育てている共働き夫婦を対象として、(1)妻と夫それぞれにおける努力―報酬不均衡モデルに基づく職業ストレスとWFC、抑うつの実態を明らかにし、妻の雇用形態別による差があるかを検討すること、(2)職業ストレス、WFC、抑うつとの関連モデルを構築し、そのモデル評価を行うこと。また、妻の雇用形態別に検討すること、(3)検証した関連モデルに夫婦間クロスオーバー効果が存在するかどうかを検証すること、を目的とした。

【研究方法】

学童保育を利用する保護者20名を対象とした予備調査を経て、2007年4~6月に質問紙調査を実施した。学童保育の利用料やアクセス、入所倍率による選択バイアスを避けるため、学童保育の設置や運営に関して一定の基準を満たした首都圏の市町村を選定し、研究協力が得られた3自治体における学童保育を対象施設とした。68カ所の学童保育に在籍する3,425名の児童を通じて、両親に無記名自記式の調査票を配付し、郵送で回収した。調査項目は、基本属性、職業属性、家族状況、日本語版ワーク・ファミリー・コンフリクト尺度(WFCS)、努力報酬不均衡モデルによる職業ストレス尺度(ERI-OC)、抑鬱尺度(CES-D)とした。WFCSは、仕事から家庭への葛藤(WIF)と家庭から仕事への葛藤(FIW)の2つの下位尺度で検討した。

解析は、まず妻と夫の基本属性、職業属性、主要変数の比較検討を行い、次に夫婦双方の主要変数間の相関係数を算出した。続いて妻と夫別に個人内における仮説モデルについて、共分散構造分析手法によるパス解析にて検証した。さらに、妻と夫それぞれの関連モデルに4つの連携パスを設定したクロスオーバーモデル評価とクロスオーバーパスの有意性を検討した。

次に妻の雇用形態を正規雇用と非正規雇用の2群に層化し、妻と夫における属性と主要変数の比較分析を行った。妻と夫別に2群を対象とした多母集団同時比較分析を行い、妻の雇用形態による差を検討した。その後、正規雇用の妻と非正規雇用の妻、妻が正規雇用の夫と妻が非正規雇用の夫において、仮説モデルの評価検討を行った。最後に正規雇用者同士の夫婦および妻が非正規雇用で夫が正規雇用の夫婦別に、クロスオーバーモデル評価とクロスオーバーパスの有意性を検討した。

【結果】

回収した1216名、751世帯の調査票のうち、労働時間が週20時間以上で主要変数に欠損のない夫婦ペアデータを選択し、サンプル数が少ない非正規雇用の夫を除外して正規雇用カップル145組、妻が非正規雇用カップル139組の284組568名を最終的な解析対象とした。

妻は夫よりも平均年齢が低く、教育年数、勤続年数、就労時間が短く、専門技術職や公的機関で働く割合が高かった。また、妻の約半数は非正規雇用者であった。主要変数の比較では、妻は夫よりもERI比とWIFが低く、FIWと抑うつ度は高く、OCに有意差はなかった。主要変数間には、妻と夫ともにERI比、OC、WIF、FIWが高いほど抑うつ度が高いという単相関が見られた。夫婦間では、夫のERI比と妻のOC、双方のERI比、双方のOC、夫のOCと妻の抑うつ、双方のFIW、夫の抑うつと妻のOC、双方の抑うつの間に正の単相関が認められた。

妻全般において仮説モデルは十分に高い適合度が認められた。しかし、夫全般では水準を満たす適合度が得られず、WIFから抑うつへのパスを除外した修正モデルが支持された。夫婦それぞれの関連モデルに妻のERI比から夫のFIW、夫のERI比から妻のFIW、妻のFIWと夫のFIW間、妻の抑うつと夫の抑うつ間の4つのクロスオーバーパスを設定したクロスオーバーモデルは適合水準を満たしており、妻のFIWと夫のFIW間、妻の抑うつと夫の抑うつ間の2つのパスが有意であった。

妻の雇用形態別の検討では、正規雇用の妻は非正規雇用の妻よりも年齢が高く、教育年数、勤続年数、就労時間が長く、専門技術職や公的機関で働く割合が高かった。妻が正規雇用の夫にも同様の傾向が認められた。また、正規雇用の妻は非正規雇用の妻よりもERI比、OC、WIF、FIWが有意に高く、妻が正規雇用の夫は妻が非正規雇用の夫よりもWIFが低かった。しかし、抑うつ度は妻、夫ともに有意差はなかった。主要変数間には、どちらの夫婦にもERI比、OC、WIF、FIWが高いほど抑うつ度が高いという単相関、抑うつ間に正の単相関が認められた。

正規雇用の妻と非正規雇用の妻の2群を対象とした多母集団比較分析では、雇用形態にかかわらず仮説モデルは支持された。妻が正規雇用の夫と妻が非正規雇用の夫を2群とした分析では、ERI比から抑うつへのパスを除いた修正モデルが一定の制約のもとに支持された。妻の雇用形態別のモデル検討では、妻はいずれも適合度を示し仮説モデルは支持された。しかし、夫では妻が正規雇用の場合にのみ修正モデルが支持された。夫婦間クロスオーバーモデルの検討では、正規雇用者同士の夫婦では妻のERI比から夫のFIWへのパスを除く3つのパスが支持されたが、妻が非正規雇用の夫婦では想定したクロスオーバーパスはいずれも認められなかった。

【考察】

本研究の解析対象者は一定以上の労働時間がある者に限定したが、先行研究の保育園児を養育する共働き夫婦と比べて、妻は非正規雇用者の割合が高く約半数を占めていた。また、子どもが2人以上の家庭、未就学児のいる家庭も多いことから、一定以上の「仕事役割」と「家庭役割」を持ち低学年児童を育てている共働き夫婦の実態を概ね捉えることが出来たと考えられる。

妻が正規雇用の夫婦は妻が非正規雇用の夫婦と比較して、夫婦ともに学歴が高く専門技術職が多く、公的機関で働く割合が高かった。平均勤続年数から正規雇用の妻は主に就労継続型、非正規雇用の妻は就業中断―再就職型が多く、正規雇用者同士の夫婦は高収入を得るハイパーカップルが多い可能性が示唆された。本研究におけるERI得点、OC得点は、妻・夫ともに公表されている代表値と概ね合致しており、本研究のサンプルは一般的な労働者と同程度の職業ストレスを持つと考えられる。正規雇用の妻は、非正規雇用の妻よりも職業ストレスとWFCが高値であったが抑うつ度には差がなく、職業ストレスやWFCから抑うつへの影響を抑制する何らかの資源を持つと考えられた。

本研究で想定した仮説モデルは妻全般に支持されたが、変数間のパス係数の強さは雇用形態によって異なる特徴を示した。この結果はメンタルヘルス悪化の予防策として正規雇用の妻には仕事上の評価を与えること、非正規雇用の妻には仕事へののめり込みを防ぐ配慮が必要であることを示唆している。

本研究では男性に関して新たな知見が得られた。想定した仮説モデルは、男性ではWIFから抑うつへのパスが否定され、それを排除した修正モデルが支持された。WIFから抑うつへは有意な正の単相関があるが、努力―報酬不均衡モデルによるストレスを加えた本モデルでは関連性が消失していた。このことから男性のメンタルヘルスにはWIFの高さは影響せず、仕事上の評価が重要であると解釈できる。また、妻が非正規雇用の夫には職業ストレスがWFCを介して抑うつに影響するという関連構造そのものが成立せず、WLBによるメンタルヘルスへの影響は小さいと考えられた。また、妻が正規雇用の夫ではERI比から抑うつへの影響が認められず、妻が同等に働くことが男性の稼ぎ手としてのプレッシャーを軽減させ、メンタルヘルスの悪化を予防している可能性も示唆された。

また、正規雇用者同士の夫婦、すなわち「協働型の共働き夫婦」にはクロスオーバー効果が認められ、FIWや抑うつの同調性や夫の職業ストレスが妻のFIWに与える影響を考慮した支援の必要性が示唆された。

【結論】

本研究は低学年児童を養育する共働き夫婦に着目して、努力―報酬不均衡モデルによる職業ストレス、WFC、抑うつの関連について検討した。その結果、(1)正規雇用の妻は高い職業ストレスやWFCを保有していたが、抑うつの程度に差はなかった。(2)職業ストレスが直接的、またWFCを介して間接的に抑うつに影響するとした関連モデルは、妻全般に支持された。しかし、夫では妻が正規雇用の場合に限定してWIFから抑うつへの影響を除外した修正モデルが支持された。(3)共働き夫婦におけるクロスオーバー効果は、正規雇用者同士の夫婦に限定して認められた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、首都圏在住の低学年児童を養育する共働き夫婦を対象に、努力-報酬不均衡モデルによる職業ストレス、ワーク・ファミリー・コンフリクト、抑うつの実態を明らかにし、その関連モデルを考案してモデル評価と夫婦間クロスオーバー効果を検証することを目的としている。3つの自治体における学童保育に子どもを預けており、ともに就労時間の長い共働き夫婦を対象に横断的質問紙調査を実施し、共分散構造分析の手法を用いて解析した結果、以下の結果を得ている。

1.職業ストレス、ワーク・ファミリー・コンフリクトは性別と雇用形態によって異なる特徴がみとめられた。正規雇用の妻は非正規雇用の妻よりも高い職業ストレス、高いワーク・ファミリー・コンフリクトを示したが、抑うつの程度に差はみとめられなかった。妻が非正規雇用の夫は、妻が正規雇用の夫よりも仕事から家庭へのコンフリクトが高かったが、職業ストレスと抑うつの程度に差はなかった。

2.考案した関連モデル、すなわち努力-報酬不均衡による職業ストレスとオーバーコミットメントは直接的に抑うつに影響し、さらにワーク・ファミリー・コンフリクトを介して間接的にも抑うつに影響するという関連モデルは、妻においては雇用形態にかかわらず支持されたが、夫においては支持されないことが明らかとなった。また、仕事から家庭へのコンフリクトから抑うつへの関連パスを除外した修正モデルは、妻が正規雇用の夫に限定して支持された。妻が非正規雇用の夫については、この関連モデルそのものが成立しないことが示唆された。

3.夫婦それぞれの関連モデル間に4つのクロスオーバーパスを想定したクロスオーバーモデルを検討した結果、ともに正規雇用者同士の夫婦では、夫婦それぞれの家庭から仕事へのコンフリクト間と抑うつ間に有意な関連パス、湯初および夫の職業ストレスが高いと妻の家庭から仕事へのコンフリクトが高くなるという、有意なクロスオーバーパスがみとめられた。しかし、妻が非正規雇用の夫婦では、想定したクロスオーバーパスはいずれも有意性がみとめられず、妻の雇用形態によって、夫婦間のクロスオーバー効果に違いがあることが示唆された。

以上、本論文では、いまだ明確にされることのなかった低学年児童を養育する共働き夫婦に着目し、努力-報酬不均衡モデルによる職業ストレス、ワーク・ファミリー・コンフリクトと抑うつの関連を明らかにした点、さらに、妻の雇用形態に着眼して雇用形態別に関連モデルと夫婦間クロスオーバー効果を検討した点に独創性が認められる。かつ本論文では、夫婦それぞれの職業ストレスやワーク・ファミリー・コンフリクトがメンタルヘルスに影響するメカニズムには、特に正規雇用者同士の夫婦の場合、配偶者のストレス、ワーク・ファミリー・コンフリクトの影響を考慮する必要があるとの示唆を得ている。よって、本論文は、ますます増加する共働き夫婦のメンタルヘルスを良好に保つための支援を考案する上で重要な貢献を果たすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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