学位論文要旨



No 127602
著者(漢字) 武生,昌士
著者(英字)
著者(カナ) タケオ,マサシ
標題(和) 特許法における先使用を巡る法思想に関する一考察 : 英米特許法の検討を中心に
標題(洋)
報告番号 127602
報告番号 甲27602
学位授与日 2011.11.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第261号
研究科 法学政治学研究科
専攻 民刑事法
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 淺香,吉幹
 東京大学 教授 大渕,哲也
 東京大学 教授 森田,宏樹
 東京大学 教授 石川,健治
 東京大学 教授 水町,勇一郎
内容要旨 要旨を表示する

Aがある技術を開発し、特許出願を試みたところ、Aの特許出願よりも前から、BがAとは独立に実質的に同一の発明をし、特許出願をすることなく、当該発明の実施に係る製品を国内において製造販売していたことが判明した。

Aは有効に特許権を取得できるか。できるとした場合、Bは製造や販売をAへの特許付与後も継続することはできるか。

上記設問に対する我が国の現行特許法に基づく解答は、以下のようになろう。(1)Bが製造販売した製品について、この製品を分析すれば、当業者は当該発明の技術的内容を容易に知ることができるという事実関係にあった場合(このような目的で製品を分析することをリバース・エンジニアリングという)、Aの発明は特許法29条1項において要求される発明の新規性を充たしておらず、したがって特許は付与されない。Aに特許が与えられない以上、Bが製造・販売を従前通り続けることには何の支障もない。

これに対して、(2)B製品をリバース・エンジニアリングしても発明の内容を知ることができないという類の技術であった場合、Aの出願の時点では、B発明ならびにそれと実質的に同一のA発明の内容は未だ新規性を喪失してはいなかったと評価される。したがって、他の要件を充たすならば、Aには特許が付与される。

上記のような我が国の現行法の解答は、歴史的・比較法的に見た場合、決して唯一の解答ではない。すなわち、古典的イギリス法の解答、また現行アメリカ法の解答は、上記とは全く異なるものである。

本稿の目的は、上記二つの異なる解答のあり方について、何がそうした異なる解答のあり方をもたらしているのかを探ることにある。そして、その作業を通して三つの異なる解答のあり方を比較することにより、翻って我が国の解答、すなわち我が国の制度について、その趣旨ないし特質を明らかにすることを目的とする。

古典的イギリス法は先使用権の規定を持たなかったが、他方で、秘密裏の先使用をも特許の取消事由とするという、我が国の特許法学にとってはあまり馴染みのない制度を有していた。これは、1624年に可決されたいわゆる専売条例以来、いかなる者に対しても、他の事業者が以前になしたことのあることを行うのを禁止する権利を、与えることはできないとする、一貫した法政策が採用されてきたことによる(Bristol-Myers Company (Johnson's) Application貴族院判決)。先使用者の営業の自由を重視するこの考え方は、right to work principleなどと呼ばれている。

専売条例に基づくもう一つの重要な考え方は、特許権の存続期間の観点に基づく。すなわち、発明が既に使用されており、発明についての事実上の独占から商業的利益が得られている場合に、それにもかかわらず特許権が付与され得るとするならば、それは例外的に許されている特許権による独占の期間を事実上延長する結果となり、妥当でないとする考え方である。

以上のような考え方に基づく従来の法政策は、しかし、新規性概念に関するヨーロッパにおけるハーモナイズの要請により、転換を迫られることとなった。すなわち、発明の情報それ自体が公衆に利用可能となっている場合にのみ、新規性が失われ、特許を付与することができないとする絶対的新規性概念を採用するためには、秘密裏の使用を特許取消事由とすることは、もはやできなくなったのである。

しかしながら、このような場合に先使用者の行為を特許権に基づいて禁止することができるとするのはやはり妥当でないと考えられたため、特許は与えられるが、先使用者の行為を禁止する効力は持たないとする形での解決が図られた。これがイギリス現行法64条の先使用権である。これはright to work principleが姿を変えたものであり、先使用者の既存の商業活動を保護することを目的としている。既存の産業における自由競争を阻害することなく新しい産業を奨励するというのが特許制度の政策目的なのであり、先使用を通じて形成された取引関係等を特許権によって阻害できるとするのはこの目的に反する、と考えられているのである。

ただし、既存の商業活動が保護対象であるといっても、当該活動が特許出願時における先使用行為に厳密に限定されるとするならば、一般に市場の動向に随時対応することが要求される発明の実施にかかる商業活動の保護としては不十分な、実体のないものとなりかねない。そこで、ある程度発明の実施形式を変更することが許されるということは、判例・学説上ほぼ認められているといえる(以上、第2章)。

続く第3章ではアメリカ法研究を行った。本要旨の冒頭に示した設問に対する、35 USC §102(b) に基づく解答は、以下のようなものになる。

(1)B製品によって発明の内容が公衆に利用可能となっていた場合、Bの行為によって出願時における発明の新規性が失われている、ないしは、出願時を基準とする失権効が生じ、Aへの特許付与は認められないこととなる。

(1) ただし、そのような効果が生ずるのは、当該行為がAの出願を遡ること1年を超える前の時点に存在したのでなければならない。この場合には、Aによる出願の遅れは不合理に長いものと評価され、他方、それだけの期間を経て発明は公衆に帰属した〔public domain〕ものとみなされる。結果、Aへの特許付与は認められず、当然Bは製造販売を継続できる。

(2) 他方、Bによる製造販売が、Aによる出願よりも前の1年以内になされたものにすぎない場合、Aによる出願の遅れは合理的な範囲内であり、未だ発明は公有に帰していないと判断され、Aへの特許付与が認められる。しかるに、Bを救済する先使用権のようなものは、制定法上も判例法上も認められていないようであり、AはBによる継続実施に対し差止請求や損害賠償請求が可能なようである。

(2)B製品からは発明の内容が公衆に利用可能となっていなかった場合、出願時における特許障害事由は生じていないこととなる。したがって、(1)(2)と同様、Aには特許が付与され、他方Bの救済は特に図られていない、ということになる。

この解答をもたらしている法思想を探るべく、第3章では、35 USC §102(b) の沿革研究を行った。

発明時を基準とする発明の新規性とは異なり、35 USC §102(b) は出願時を基準として、発明者が出願を不当に遅らせた場合に、これを非難する法定障害事由(失権事由)である。特許法は、発明者に対して、出願を通じて発明を早期に公開することを促すものであるが、他方であまりに出願を急がせすぎるのも妥当でなく、また出願前に発明を他者に開示することを全く許さないというのも行き過ぎであると考えられた。このような配慮に基づく判例法ならびに制定法の変遷の中で、いわゆる恩典期間条項と共に、既得権条項が登場した。

既得権条項は、結論を言えば、我が国の先使用権(特許法79条)に対応するものというよりは、特許製品そのものに着目した規定であり、特許出願の時から日本国内にある物についての規定(69条2項2号)、あるいは特許権者により拡布された特許製品の流通に対する特許権の効力一般の問題(消尽)にこそ、より親和性を有するものである。特許製品の生産がこの権利によって許されるわけではない。ただし、方法の発明の使用に関してMcClurg v. Kingslandの判断がやや曖昧さを残している。

そのように保護対象が限定的ではあるものの、1870年改正以前の段階においては、既得権条項によって、特許出願前に譲渡等された製品の使用について、一方でこれを特許無効事由とせず、他方で製品の継続使用をも認めるという先使用権類似の解決が、特許権者(発明者)の同意等によらない製品についても図られていたのだと、連邦最高裁により解釈された──ただし1870年改正以後に──という点は、このような問題状況について米国においてもこうした解決が可能であるということを示す点で、一定の注目に値する。

1870年改正により、既得権条項の保護を受ける要件として発明者の同意等が明文で規定されたため、既得権条項は特許製品の流通に対する特許権の効力一般の問題へと解消されるに至り、最終的に不要なものとして条文から姿を消すこととなったが、Walkerは、発明者の同意等のない独立発明者に由来する実施品に関しても、合衆国憲法第5修正による保護を理由に継続使用が認められるとの議論を展開した。翻ってこの議論は、発明の実施品を製造し続ける権利、発明の実施である事業それ自体は、憲法上保護される財産(権)ではないとの評価を含意していることとなるのではないかと思われる。これは、発明の使用について一般的な自由を観念する古典的イギリス法、またこれを先使用権の限りにおいて肯定するイギリスや我が国の現行法の立場とは、大きく異なるものと言える。

他方、英米に共通する視点として、発明を商業的に利用し長年にわたって事実上の独占による利益を享受してきた者に、さらに特許による独占の機会を認めることは、特許法によって限定されている保護期間を事実上延ばしてしまうことになり不当であるという考え方が、伝統的に採られてきた。我が国にはあまり馴染みのない視点であるが、ここでは、発明の情報それ自体の開示を促進することの利益と、独占期間の実質的延長の弊害とが、秤に掛けられているのである。

本稿では、発明の先使用という概念に着目して、その特許法における意義を考察したが、随所で問題となっていたように、これと発明の「開示」とをどのように関連付け、評価していくかというのが、極めて重要な課題である。本稿で行った検討を入り口として、続けて「開示」の意義に研究を進めていきたい。

審査要旨 要旨を表示する

特許法は新規な発明に保護を与えるものであるから(特許法29条)、ある発明について権利を得ようと特許出願がなされたところ、その出願よりも前に既に実質的に同一の技術が国内において既に実施されていた場合、特許は付与されず、また仮に付与されてしまったとしても無効とされるのが原則である。

しかしながら、発明や発明が用いられた特許製品の性質如何によっては、出願前に同一発明が実施されているにもかかわらず、発明の新規性が失われないという場合が生じ得る。この場合について、我が国特許法はドイツ法を参照しつつ、先使用権(79条)という規定を設け、一方で出願人に対する特許付与を認めつつ、他方で先使用者に無償の法定通常実施権を与えることによって、従前からの実施を継続することを認めるという規律を採用している。これによって、一方で特許出願を通じて産業の発達に寄与した者を保護しつつ、他方では、特許出願こそしていないものの、発明の実施を通じて産業に一定の貢献を果たした者にも、一定の配慮を示しているのである。

この、特許権を付与しつつ他方で先使用権を認めるという形の規律は、今日、大半の国々で採用されているものであるが、歴史的・比較法的に見た場合、決して唯一の解決ではない。すなわち、古典的イギリス法の解決、また2011年改正前のアメリカ法の解決は、上記とは全く異なり、特許権の付与自体を認めないか(古典的イギリス法)、特許権を付与しつつ先使用権を認めない(改正前アメリカ法)という、我が国やドイツの規律とは全く異なるものとなっている。また、英米はこのように一見すると正反対の結論を採っているものの、そこで議論されている内容の中には、英米に共通する英米特許法独特のものと呼べる側面があり(独占権の期間の実質的延長に関する議論)、にもかかわらず両者の結論が分かれる部分が生じていることが、大変興味深い。

この研究の目的は、我が国とは異なる、古典的イギリス法及び改正前アメリカ法における規律のあり方を丹念に描き出し、そうした異なる規律をもたらしている要素は果たして何であるのかを探ることにある。そして、その作業を通じて、翻って我が国の(特許権プラス先使用権という)制度について、その趣旨ないし特質に関する議論に、新たな視点の可能性を加えることを狙いとしている。この論文自体は、そのような比較を行うための基本的な視座を獲得することを目的として、英米特許法の規律の生成過程を丹念に検討していくという作業を試みたものである。

本論文では、課題を設定する「第1章 序論」に続いて、第2章では、本論の第1としてイギリス法について検討する。

古典的イギリス法は先使用権の規定を持たなかったが、他方で、秘密裏の先使用をも特許の取消事由とするという、我が国の特許法学にとってはあまり馴染みのない制度を有していた。これは、1624年に可決されたいわゆる専売条例以来、いかなる者に対しても、他の事業者が以前になしたことのあることを行うのを禁止する権利を、与えることはできないとする、一貫した法政策が採用されてきたことによる(Bristol-Myers Company (Johnson's) Application貴族院判決)。先使用者の営業の自由を重視するこの考え方は、right to work principleと呼ばれている。

専売条例に基づくもう一つの重要な考え方は、特許権の存続期間の観点に基づく。すなわち、発明が既に使用されており、発明についての事実上の独占から商業的利益が得られている場合に、それにもかかわらず特許権が付与され得るとするならば、それは例外的に許されている特許権による独占の期間を事実上延長する結果となり、妥当でないとする考え方である。

以上のような考え方に基づく従来の法政策は、しかし、新規性概念に関するヨーロッパにおけるハーモナイズの要請により、転換を迫られることとなった。すなわち、発明の情報それ自体が公衆に利用可能となっている場合にのみ、新規性が失われ、特許を付与することができないとする絶対的新規性概念を採用することとなったため、秘密裏の使用を特許取消事由とすることは、もはやできなくなったのである。

しかしながら、このような場合に先使用者の行為を特許権に基づいて禁止することができるとするのはやはり妥当でないと考えられたため、特許は与えられるが、先使用者の行為を禁止する効力は持たないとする形での解決が図られた。これがイギリス現行法64条の先使用権である。これはright to work principleが姿を変えたものであり、先使用者の既存の商業活動を保護することを目的としている。既存の産業における自由競争を阻害することなく新しい産業を奨励するというのが特許制度の政策目的なのであり、先使用を通じて形成された取引関係等を特許権によって阻害できるとするのはこの目的に反する、と考えられているのである。

ただし、既存の商業活動が保護対象であるといっても、当該活動が特許出願時における先使用行為に厳密に限定されるとするならば、一般に市場の動向に随時対応することが要求される発明の実施にかかる商業活動の保護としては不十分な、実体のないものとなりかねない。そこで、ある程度発明の実施形式を変更することが許されるということは、判例・学説上ほぼ認められているといえる。

続く第3章では、本論の第2として、アメリカ法について、35 USC §102(b) の沿革研究を行う。

発明時を基準とする発明の新規性とは異なり、35 USC §102(b) は、出願時を基準として、発明者が出願を不当に遅らせた場合に、これを非難する法定障害事由(失権事由)である。特許法は、発明者に対して、出願を通じて発明を早期に公開することを促すものであるが、他方であまりに出願を急がせすぎるのも妥当でなく、また出願前に発明を他者に開示することを全く許さないというのも行き過ぎであると考えられた。このような配慮に基づく判例法ならびに制定法の変遷の中で、いわゆる恩典期間(グレース・ピリオド)条項と共に、既得権条項が登場した。

既得権条項は、我が国の先使用権(特許法79条)に対応するものというよりは、特許製品そのものに着目した規定であり、特許出願の時から日本国内にある物の規定(69条2項2号)、あるいは特許権者により拡布された特許製品の流通に対する特許権の効力一般の問題(消尽)にこそ、より親和性を有するものである。特許製品の生産がこの権利によって許されるわけではない。ただし、方法の発明の使用に関してMcClurg v. Kingsland連邦最高裁判所判決の判断がやや曖昧さを残している。

そのように保護対象が限定的ではあるものの、1870年改正以前の段階においては、既得権条項によって、特許出願前に譲渡等された製品の使用について、一方でこれを特許無効事由とせず、他方で製品の継続使用をも認めるという先使用権類似の解決が、特許権者(発明者)の同意等によらない製品についても図られていたのだと、連邦最高裁により解釈された──ただし1870年改正以後に──ことは、このような問題状況について米国においてもこうした解決が可能であるということを示す点で、一定の注目に値する。

1870年改正により、既得権条項の保護を受ける要件として発明者の同意等が明文で規定されたため、既得権条項は特許製品の流通に対する特許権の効力一般の問題へと解消されるに至り、最終的に不要なものとして条文から姿を消すこととなったが、A. H. Walkerは、発明者の同意等のない独立発明者に由来する実施品に関しても、合衆国憲法第5修正による保護を理由に継続使用が認められるとの議論を展開した。翻ってこの議論は、先使用者が発明の実施品を製造し続ける権利、発明の実施である事業それ自体は、憲法上保護される財産(権)ではないとの評価を含意していることとなるのではなかろうか。その上で、このような考え方は、先使用者による発明の使用について一般的な自由を観念し、これを脅かすこととなりかねない特許の付与は認めないとする古典的イギリス法、また、先使用者を先使用権の限りにおいて保護するイギリスや我が国の現行法の立場とは、大きく異なるものであると位置付けられる。

他方で、古典的イギリス法と共通する視点が、アメリカ法においてなお維持されている点も見逃すことができない。すなわち、とりわけ出願人自身が出願前に発明を実施していた場合に関して、発明を商業的に利用し長年にわたって事実上の独占による利益を享受してきた者に、さらに特許による独占の機会を認めることは、特許法によって限定されている保護期間を事実上延ばしてしまうことになり不当であるという考え方が、米国においても採用されてきたのである。この発想に立つと、先使用権者は、長年事実上の独占によって利益を享受しておきながら、先使用権によって特許権の傘の下に入り、独占(寡占)的利益をなお享受し続けることが可能となってしまうから、先使用権を認めることもまた、法が認めた独占の期間を事実上延長することになってしまい妥当でない、という結論となる。結果として、先使用権を認めないという点においては、古典的イギリス法と2011年改正前アメリカ法とは、同じ結論を採用していたのである。

「結語」で全体をまとめる。

以上に見たように、先使用権を持たない法制において重視されていたのは、法が認めた独占権の期間を事実上延長することになってしまい妥当でない、との視点である。我が国にはあまり馴染みのない考え方であるが、このような分析視角が具体的有用性を持つか否かを判断するためには、一方で、先使用者は存在するが、なお発明の新規性は失われていないと評価される場合に、特許の付与を肯定することによって、発明の情報それ自体の開示を促進するという利益があることと、他方で、先使用者によって発明が実施され、それを通じて発明の効用が既に人々に享受されているにもかかわらず、なお特許を付与することにより特許権による独占期間が実質的に延長されるという弊害があることとの利益考量について検討を行う必要がある。そのような観点から、「開示」の意義についての検討を含め、この議論をより詳細に検討し展開していくことが今後の課題となる。

以上が本論文の要旨である。 本論文には、次のような長所がある。

第一に、日独法的視点からは、従前あまり注目されず、そのため研究が乏しかった、先使用権と広い意味で関係し得る先使用の処理に関する、英米特許法の問題について、従来の研究には見られないユニークな視点から、研究を進めている。直ちに日本法への示唆が得られるといった類の研究ではないが、日独法的視点が唯一のものでは必ずしもないことを示し、それを相対化する視座を与えるという点では、学術的には、貴重な研究といえる。

第二に、英米法を日独法の思考枠組みに立ちつつ観察し分析するという比較法的な考察では避けられないことではあるが、日独法の問題意識からすると当然あってしかるべきと思われる議論が、判例でも学説でも必ずしも直接にはなされておらず、検討すべき材料を見出すことの困難に直面しながらも、関連する問題から検討の糸口を見つけ出すなど、丹念に資料を収集し、分析検討を行っている点は一定の評価に値する。

第三に、その結果、今後の研究の展開によって、特許権の本質論、営業秘密保護制度との関係などの知的財産法内部の問題のみならず、先使用者の事業を憲法上の財産権保障との関係でどう捉えるかなど、他の法分野における議論とも関連し得るなど、いくつかの可能性に至り得る研究の端緒を提供している。

他方で、本論文にも、短所はある。

第一に、叙述の仕方になお改善の余地がある。各部分部分の叙述に正確を期そうとするあまり、論文全体の議論の流れが読みとりにくくなっているところがある。

第二に、本論文の基本的スタンスとして、より実定法解釈論的な内容に特化するか、より基礎研究的な内容で徹底するか、の点で、やや中途半端な面がある。

ただし、これらの短所も、本論文の学術的価値を大きく損ねるものではなく、またいずれも、今後の研究において改善が期待できるものである。

以上から,本論文の著者が自立した研究者あるいはその他の高度の専門的な業務に従事するに必要な高度な研究能力およびその基礎となる豊かな学識を備えていることは明らかであり,本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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