学位論文要旨



No 127606
著者(漢字) 横山,健
著者(英字)
著者(カナ) ヨコヤマ,タケシ
標題(和) 摂食・休眠行動に関連したマウス嗅球顆粒細胞の生死決定時間枠の存在
標題(洋) A time window for granule cell fate decision in the mouse olfactory bulb linked with feeding and postprandial rest/sleep behaviors
報告番号 127606
報告番号 甲27606
学位授与日 2011.11.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3775号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 准教授 小西,清貴
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
 東京大学 特任准教授 河崎,洋志
内容要旨 要旨を表示する

嗅覚系の1次中枢である嗅球では、抑制性神経細胞である顆粒細胞(以下GC)が成体においても側脳室周囲(SVZ)で生まれ、回路に組み込まれていく。これら新生GCの生死は、嗅上皮からの末梢嗅覚入力に依存して決定されており、生後1ヶ月の間に約半数は嗅球神経回路に組み込まれるが、残りの半数は細胞死によって除去されていく。しかし、新生GCの回路への組み込みや除去が、動物のどのような行動や時間枠に対応して起きるのかは不明であった。私は本研究において、特に嗅覚系の機能と関係が深い摂食行動に注目し、新生GCの細胞死が、動物の覚醒時の嗅覚経験に依存して、食後の睡眠・休憩時に起きることを明らかにした。

私はまず、摂食行動を一定の時間帯に起こさせるため、餌を毎日決められた時間にのみ与えた(11:00-15:00)。この摂食制限を始めてから10日後に、食餌開始前と2時間後に固定し、嗅球全体での活性化caspase-3陽性細胞数を計測すると、食餌直前(11:00)に比べて、食餌開始から2時間後(13:00)では、細胞死の数は約2.4倍に増加していた。一方で、摂食時間以外では細胞死の顕著な増加は見られなかった。摂食時間帯を11:00-15:00ではなく、21:00-1:00にした場合でも、食餌開始2時間後に細胞死の数が有意に増加した(図1)。新生GCをBrdUで標識して、食後に起こる細胞死のどの程度の割合が新生GCかを調べると、生まれてから14-28日の生死決定の臨界期に対応する新生GCの細胞死が、GC全体の細胞死の約半数の割合を占めていた。一方、顆粒細胞層を移動中の生後7-13日の新生GCの細胞死は食餌開始後2時間でも増えていなかった(図2)。

食餌開始後2時間の間に、マウスの行動は熱心な摂食行動から、徐々に毛づくろいや休憩・睡眠へと移っていく。そこで、食後2時間での新生GCの細胞死の増加には、餌を食べることと食餌後の休憩・睡眠のどちらが重要であるかを調べた。摂食時間に何も餌を与えない、あるいは餌の匂いだけ与えた場合でもGCの細胞死は増加しなかった。また、餌は食べさせるが食後の休憩・睡眠を阻害すると、GCの細胞死は増加しなかった(図3)。

さらに、大脳皮質のEEG記録と首筋からEMG記録を行い、摂食開始2時間後のGCの細胞死の数と睡眠の長さとの相関を見ると、Non-REM睡眠時間の長さと、GCの細胞死の数の間に強い正の相関があった(図4)。これらの結果は、餌を食べることと食後の休憩や睡眠が、GCの細胞死を引き起こす重要な要因であることを示唆する。

次に、末梢嗅覚入力が、食後休憩・睡眠時の新生GCの細胞死増加に与える影響を調べた。片側の鼻腔を焼灼により閉塞し図1と同じ時間で動物を固定し、食餌前と食餌開始後2時間でGCの細胞死を観察すると、鼻腔閉塞をした側の嗅球では、摂食開始後2時間で細胞死の数が激増した(食餌前に比べて約7倍)。また、食餌時間以外では、鼻腔閉塞をした側の嗅球でもGCの細胞死は増加しなかった。BrdU投与実験から、鼻腔閉塞した側の嗅球で食後2時間に細胞死を起こすGCの約半数は生後14-20日の新生GCであることが示された。これらの結果から、食後休憩・睡眠時に起きる嗅球新生GCの細胞死は、嗅上皮からの嗅覚入力に大きく影響をうけることが示された(図5)。

最後に、食後休憩・睡眠時に起きるGCの細胞死の増加が、長期の摂食制限の方法に依らずに起きることを示した。9日間自由摂食で飼っていたマウスで、実験日当日4時間程度絶食させ、その後餌を与えて睡眠を確認してから固定すると、GCの細胞死が食餌前に比べて有意に増加した。そして、この細胞死の増加は食後の休憩・睡眠を阻害することで観察されなくなった(図6)。一方、絶食を全くさせずに自由摂食下で飼っていたマウスを観察し食後の休憩・睡眠を確認してから固定すると、餌は食べたが寝なかった群に比べてGCの細胞死の数が増えていた(図7)。これらの結果は、餌を食べた後にGCの細胞死が増える現象は、長期摂食制限下だけでなく自由摂食下でも起きることを示す。

図8は、嗅球のGC生死選別機構は覚醒摂食時と食後睡眠時の2段階で行われると考える私の仮説の模式図である。新生GCの生死決定は、覚醒時の末梢嗅覚入力による細胞・シナプス単位での選別目印と、睡眠中の嗅皮質からの生死振り分けシグナルの協調により行われる可能性を示している(参考:Manabe et al., J. Neurosci., 2011)。

図1 摂食開始2時間後での嗅球穎粒細胞(GC)の細胞死の増加

(D)餌か自由に与えられている条件下では、GCの細胞死の平均値は一日を通して差かなかった(A)しかし、餌を毎日決められた時間にのみ与え摂食行動を揃えると、餌を食べ始めてから2時問後(13:00)ではGCの細胞死は摂食開始前Cll:00〕に比へ約2倍に増えていた(B,C,E)餌を与える時間を昼間から夜に移しても、細胞死の数は餌を与える画前に比べて食べた後2時間後ては有意に増えていた(F)

図2 摂食後2時間で死んでいくGCの半数以上は噺生GCであった

(A,B)様々なageの新生GCをBrdUて標識すると、生死決定の臨界期(誕生後14-28日)にあるGCか最も多く死んていたしかし、よりageの進んたGCや〔28-34日)、新生児の時に生まれた既存のGCも割合は少ないか摂食後2時閻て死ぬ数か増えていた(図C,D,P4,5).

図3 餌を食べることと食後の休憩や睡眠がGCの細胞死には重要である

(A、B)餌時間に餌を与えなかったリ、餌の匂いたけ与えても、2時間後に細胞死の増加は観察されなかった.(C)この摂食制限の方法下ては、マウスは餌を食へ始めて1時間はほとんと餌たけ食べているか、その後の1時間は休憩や毛つくろい、睡眠の割合か増えてくる.(D,E)食後の休憩や毛づくろいを阻署すると、自由にさせた場合に比べて細胞死はほとんど増えなくなる睡眠阻害後の回復で、細胞死は再び増加する.

図4 食後の睡眠の長さが長いほど(特にNREM)、細胞死も多くなる

(A)食後の睡眠を,大脳皮質(EEG)の脳波と首の筋電図(EMG)から評価した(B)行動中のマウスからEEGとEMGを記録し、4つの覚醒状態に分けることか出来た(C-E)食後の睡眠時間か長いほど細胞死の増加も多くなリ、特にNon-REM睡眠の長さと細胞死の数の増加には正の相関かあった(REMに関しては観察数か少ないため、現時点ては結論は出せない).このことと、図3の結果から、食後の睡眠か摂食後のGCの細胞死の増加には重要な要因てあることか示ざれた.

図5 嗅覚入力遮断が食後睡眠・休憩時に起きるGC細胞死に与える影響

(A)摂食制限が始まる前に片側の鼻腔を焼灼により閉塞した(10日間).〔B-D)末梢からの嗅覚入力がない嗅球では、いつも細胞死が増えるわけではなく、食餌時間に限定して細胞死の増加が観察ざれた。さらに、その増加の程度は、轟腔閉塞しない嗅球での増加に比べてさ'らに4倍程度増加していた。(F、G)鼻腔閉塞した嗅球においても、摂食後の睡眠・休憩を阻害すると細胞死の増加は全てではないが部分的に阻害された。

図6 短期の摂食制限でも、餌を食べて休憩した後は細胞死が増える

(A,B)摂食制限を10日間行わず、通常のad lib feedingで飼っているマウスで、実験日当日の活動期に4時間だけ急に餌を抜き、その後餌を与え、寝るのを待ってから固定すると、摂食前に比べてGc細胞死が増えていた.(C-D)さらにこの急性で餌を抜いた実験でも、摂食後の休憩・睡眠を阻害すると、細胞死の増加は観察ざれなかった。(E-F)鼻腔閉塞した嗅球でも、摂食後に細胞死は増加しこの増加は食後の休憩・睡眠の阻害で抑制ざれた。

図7 通常のad lib feeding条件下でも、餌を食べた後の休憩・睡眠時にはGCの緬胞死が増えた。

(A,B)ad lib feedingのマウスにおいても、餌を食べて寝た後を見計らって固定すると、餌を食べても寝なかった・休憩を阻害した群に比べて細胞死は増加していた。このことは、摂食後の休憩・睡眠後にGCの細胞死が起きるのは、摂食制限という特別な条件下ではなくても起きうることを示している。図で破線で繋がれた個体のデータは、同日の同時刻に一緒に固定されたぺア。

図8 摂食睡眠後に嗅球において行われるGC生死振リ分け選別方法の作業仮説

(左上)嗅球のGCは、EPLにおいて投射ニューロンのmitral/tufted cellとのreciproCalsynapsesだけではなく、特にproximal dendrite部において嗅皮質から多くのグルタミン酸性興奮入力を受けている。(左下)動物が覚醒中、餌を探したり食べ物の匂いを嗅ぐと、嗅上皮からodorant mapに従ってある糸球体が活性化し、それにぶら下がっているGCもまた活性化される。この末梢からの入力は、GCの生存を亢進させるような分子カスケードを活性化し、それと並行してシナプス部においてその後の記憶の固定化の目印・基質となる即"tag"をつける.(右、上下)マウスが食後踵眠・休憩に入ると嗅皮質から同期した強い入力が嗅球に入ってくる。この時、覚醒時にtagがついていたかどうかで、その後生き残リ回路に組み込まれるか除去されるかが決定される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、成体でも新生神経細胞が組み込まれていく嗅球において、新しく組み込まれていく新生顆粒細胞(GC)の生死選別の振り分けが、1日の中のどのような時間枠で起きるのか、またどのような動物の行動と対応して起きるのかを明らかにするために行われた。そして、動物の詳細な行動観察と、摂食制限および短時間絶食の系を用いた一連の実験から、以下の結果を得た。

1. 自由摂食の条件では、嗅球における新生GCの細胞死の平均値は、1日の中のどの時間帯でも差はなかった。しかし、餌を毎日決められた時間にのみ与え、個体間の摂食行動を揃えた後では、食餌前に比べ食餌開始2時間後では嗅球全体で細胞死を起こす新生GCの数が約2倍に増加していた。一方で、摂食時間以外では細胞死の顕著な増加は見られなかった。この結果から、嗅球の新生GCの細胞死は、食餌時間に増加することが示された。

2. 次に、新生GCの細胞死の増加と、食後の休憩・睡眠に何らかの関わりがあるかを調べた。食後の休憩・睡眠を阻害すると、GCの細胞死は増加しなくなった。さらに、大脳皮質のEEG記録と首筋からEMG記録を行い、摂食開始2時間後のGCの細胞死の数と睡眠の長さとの相関を見ると、睡眠時間の長さと、GCの細胞死の数の間に強い正の相関があった。この結果は食後の休眠が新生GCの細胞死を引き起こす重要な要因であることを示唆する。

3. 嗅覚入力を遮断し、末梢嗅覚入力が、食後休眠時の新生GCの生死選別に与える影響を調べると、嗅覚入力を遮断した側の嗅球では、食後休眠時の新生GCの細胞死の数が、嗅覚入力を遮断しなかった対照群の嗅球よりも激増した。一方、食餌時間以外では、嗅覚入力の遮断を行った側の嗅球でもGCの細胞死は増加しなかった。嗅覚入力の遮断を、食餌前に急性的に解除すると、GCの細胞死は、嗅覚入力を遮断しなかった嗅球での細胞死の増加と同程度になっていた。これらの結果から、食後休眠時に起こる新生GCの細胞死は、特に食餌時間中の嗅上皮からの嗅覚入力により大きな抑制を受けている可能性が示された。

4. 上記で観察された現象が、長期の摂食制限に依らず通常の飼育条件でも起きることを、短時間の絶食と、自由摂食条件の実験で示した。短時間の絶食では、長期の摂食制限を行わず、実験日に約4時間だけ絶食させ、その後餌を与えて睡眠を確認してから固定した。すると、GCの細胞死が食餌前に比べて有意に増加し、また、この細胞死の増加は食後の休眠を阻害することで観察されなくなった。一方、絶食を全くさせずに、自由摂食で飼っていた個体を、食後の睡眠を確認してから固定すると、餌は食べたが寝なかった群に比べてGCの細胞死の数が有意に増えていた。

5.最後に、新生GCの細胞死の増加が、食後休眠時だけではなく、嗅覚経験後の休眠時にも起きる可能性があることを示した。摂食制限を行った個体で、餌時間に餌を全く与えないと、動物は長時間探索行動を示していたが、その時の覚醒時間が長い個体ほど、その後の睡眠時のGCの細胞死の増加が多くなっていた(本箇所と関連して、審査会後に修正が行われ、食後睡眠時にはGCの細胞死が増える一方、食餌時間以外の睡眠時には細胞死が増えない理由を、覚醒時の食餌や嗅覚経験自体が、ホルモンや神経調節性因子等を介して、GCを含む嗅球だけでなく、睡眠中の嗅皮質の活動、特に嗅球への遠心性トップダウン入力も修飾する働きがある可能性を、プレリミナリーなデータを含めて議論に追加された)。

本研究は、嗅球の新生GCの生死選別が、(1)動物の行動と対応して、(2)非常に短い時間で起きうることを示した始めての結果であり、神経新生の分野だけではなく、覚醒時の経験とその後の睡眠により神経回路の再編成が行われるという現代神経科学の大きな仮説と密接に関わっており、その点においても分野を超えて非常に重要である結果であると思われる。

この結果はまた、嗅球や海馬において、常に新しい神経細胞が回路に組み込まれていくことの生物学的意義を考える上でも非常に示唆に富む結果であると考えられる。本研究は、今後、具体的なGCの生死決定機構等、大きく発展していくことが予想される。以上の理由により本研究は学位の授与に値するものと考えられる。

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