学位論文要旨



No 127607
著者(漢字) 坂田,宏樹
著者(英字)
著者(カナ) サカタ,ヒロキ
標題(和) 東京大学医学部附属病院における成人間生体肝移植の術後合併症と費用の解析
標題(洋)
報告番号 127607
報告番号 甲27607
学位授与日 2011.11.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3776号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒川,峰夫
 東京大学 教授 橋本,英樹
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
 東京大学 准教授 石川,晃
 東京大学 講師 和田,郁雄
内容要旨 要旨を表示する

<序文> わが国をはじめとする先進諸国各国において医療費の増加は深刻な問題となっており、医療の経済評価はますます重要な問題となりつつある。生体肝移植(LDLT: Living donor liver transplantation)は末期肝疾患に対する治療法の一つとして確立されているが、その経済的な側面に関してはいまだ充分な検討がなされているとは言い難い。対して、脳死肝移植の経済面に関する検討は欧米諸国を中心に多岐にわたってなされており、術後合併症は費用を増加させる重要な要因であることが報告されている。しかし、個々の術後合併症についての議論は行われるものの、国際的にコンセンサスが得られた評価基準が存在しないため、合併症が費用に及ぼす影響に関する包括的な議論は未だなされていない。2004年にDindoらにより提示されたClavien's grading system(以下、Clavienグレード)は、必要とした治療法の侵襲度を基準として術後合併症をその重症度に応じて評価する、簡便かつ客観的で、再現性に優れた手法である。生体肝移植ドナーでの術後合併症の評価基準としては国際的なコンセンサスが得られつつあるが、肝移植レシピエントでも同様に有益な基準となりうると考えられる。

以上のような背景を踏まえ、本研究は本邦における成人間生体肝移植レシピエントの初回入院時の術後合併症をClavienグレードに基づいて包括的に評価し、術後合併症の重症度が費用に及ぼす影響について検討することを目的として行われた。さらに、重篤な合併症を来たす症例についての予測因子を同定し、その費用構造の分析を行った。

<方法> 2004年1月から2006年2月までに、東京大学医学部附属病院において施行された100例の成人間生体肝移植のレシピエントおよびドナーを対象とし、それぞれの臨床データおよび費用データを後ろ向きに検討した。レシピエントの術前因子として、性別、年齢、BMI (body mass index)、MELDスコア、および原因となった肝疾患の種類、移植前の入院期間、術前血漿交換の有無、術中因子として出血量、手術時間、そしてドナー因子としては、性別、年齢、BMI、レシピエントとの血縁関係のほか、術中出血量や手術時間、提供された肝グラフトの種類が記録された。そして、入院期間中のレシピエント、ドナーの術後合併症をClavienグレードに準拠して包括的に評価した。同一症例に複数の合併症が存在した場合は、より重篤で高いグレードの合併症をその症例のグレードとした。Clavienグレードの定義は、グレード0、合併症なし;グレードI、通常の術後経過からは逸脱するが特定の薬物治療までの軽微な合併症;グレードII、抗生剤を含む薬物療法を要する合併症;グレードIII、外科的・内視鏡・放射線などの侵襲的処置を要する合併症;グレードIV、臓器不全を伴い集中治療を要する重篤な合併症、グレードV、致死的合併症、とした。

費用データは公式の診療報酬請求書(いわゆるレセプト)から集積され、レシピエント費用は初回入院から移植後初回退院日までの期間に要した費用、ドナー費用は、術前のドナー評価に要した費用、グラフト採取手術の入院費用、そして退院後3ヶ月間の外来費用と3相の費用データとした。費用データはすべて日本円(JPN/Y)で集計された後に、2004年度の為替レートに基づいて、1ドル=108.2円で米ドル(US $)に変換した。

Clavien III以下の軽症~中等症(潜在的には重症)の合併症であった症例をA群、Clavien IV以上の実際に重症ないし致命的であった症例をB群として分割し比較検討した。重篤な合併症となる(B群)予測因子を多変量解析を用いて解析し、さらにA群とB群のカテゴリー別費用を比較して両者の費用構造の違いを検討した。

<結果> レシピエントとドナーのClavienグレードは、それぞれ0;4%、75%、I;9%、15%、II;27%、4%、III;42%、6%、IV;10%、0%、V;8%、0%であった。レシピエントでは合併症を認めない症例は4%のみであり、グレードII以下の比較的軽微な合併症であった症例は40%と半数以下であった。グレードIV以上の重篤な合併症は18%であった。対してドナーでは、75%の症例では合併症を認めなかった。グレードIV以上の重篤な合併症は無く、94%と大半の症例がグレードII以下の比較的軽微な合併症であった。

レシピエントの費用の総額は、平均値 $109,746±75,921(中央値 $82,017, 範囲 $51,189 - $438,295)であり、広範囲かつ右に歪んだ分布形態を示した。レシピエント費用はClavienグレードが上がるほど有意に高額となっており、グレードIIIまでの比較的緩やかな増加に対して、グレードIV以降では急激に増加していた。ドナーの費用は平均値 $15,342±1,840 (中央値 $15,011, 範囲 $12,354 - 23,251) であり、ドナーでもClavienグレードが上がるほど費用が高額となる傾向が見られた。

多変量解析による重篤な合併症となる予測因子の解析では、術中出血量(5,615ml以上) (p=0.027)のみが有意差を持った因子として抽出された。

費用構造の比較では、両群ともに薬剤費が約26%と最も大きな割合を占めていたが、A群では0.3%に過ぎない血液浄化療法の費用がB群では22.3%と著明な増加していた。ドナー費用 (p= 0.103) 以外のすべてのカテゴリー、つまりベッド料、検査料、放射線診断料、手術料、薬剤費、輸血製剤費、血液浄化療法費(腎透析、血漿交換)はB群がA群に比べて有意に高額であったが、特に薬剤費、輸血製剤費、血液浄化療法費で、それぞれ $41,002 (191%) 、$34,295 (294%)、$49,345 (1,867%) の増加と、著明な差異が確認された。

<考察> 生体肝移植症例では、グレードIV以上の重篤な合併症を併発した場合には、その治療のため急激に多くの医療資源が消費されることが示唆された。我々の生体肝移植レシピエントの費用データも、強く右に歪んだ(右に長く尾を引く)分布形態であったが、この特徴的な分布はしばしば脳死肝移植や心大血管外科などの領域の費用においても指摘されている。おそらく、それらの症例群も我々と同様の合併症の特徴、つまりグレードIV・Vの割合が相対的に高いために、同様の費用の分布形態となっているものと推測される。

多変量解析では重篤な術後合併症を併発する予測因子として術中出血量(5615ml以上)のみが、有意差を持つ因子として抽出された。しかし、本研究が100例と少ない症例数での検討であることを考慮すると、p<0.10である他の3因子、つまり年齢(60歳以上)、MELDスコア(20以上)、術前血漿交換の施行も、重篤な合併症および随伴する高額費用の予測因子として十分に考慮すべき要素であると考えられる。

グレード0~IIIの症例とグレードIV~Vの症例では、後者で特に血液浄化療法、輸血製剤、薬剤費の費用が著しく高額であるという費用構造の違いが認められた。重篤な術後合併症によって術後肝不全・腎不全、さらには多臓器不全を来たし生命維持のために大量の薬剤・輸血製剤の投与や血漿交換療法・腎透析などの高額な医療資源を投入せざるを得なかったことが、費用を著明に上昇させる原因となったと考えられる。脳死ドナーが極端に少ないため、早期の術後肝不全に対しての再移植という選択枝が無く血漿交換療法を継続せざるを得ないという我が国特有の事情が反映されているが、今後本邦でも脳死グラフトの提供が増加すれば、これらの患者の生命予後の改善と共に医療費も削減される事が期待される。

今後、臓器移植と医療費、そしてその効果についての多角的検討を含む調査が、費用効率のよい治療プロトコールの決定や移植プログラムの改善、更に医療資源の適切な分配のためにも急務であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は本邦における成人間生体肝移植の初回入院時の術後合併症を包括的に評価し、術後合併症の重症度が費用に及ぼす影響を明らかにするため、レシピエントとドナーの臨床データと費用データを解析したものであり、下記の結果を得ている。

1, レシピエントおよびドナーの術後合併症をClavien grading systemに基づいて集計したところ、レシピエントでは合併症を認めない症例は4%のみであり、グレードII以下の比較的軽微な合併症であった症例は40%と半数以下であった。対して、ドナーでは75%の症例では合併症を認めず、グレードIV以上の重篤な合併症は無く、94%と大半の症例がグレードII以下の比較的軽微な合併症であることが示された。

2, レシピエントの費用総額は、平均値 $109,746、中央値 $82,017 ($51,189 - $438,295)と非常に広範囲かつ右に歪んだ分布であった。Clavienグレード別の総費用の解析では、グレードが上がるほど有意に高額となり、特にグレードIIIまでの比較的緩やかな増加に対して、グレードIV以降では急激に増加していた。ドナー費用は平均値 $15,342、中央値 $15,011 ($12,354 - $23,251) でありレシピエントに比べて正規分布に近く、レシピエントと同様にClavienグレードが上がるほど増加することが示された。

3, 多変量解析により、術中出血量(5,615ml以上)、年齢(60歳以上)、MELDスコア(20以上)、術前血漿交換の施行が、レシピエントの重篤~致命的な合併症ならびに随伴する高額費用の予測因子となりうることが示された。

4, グレードIII以下の軽症~中等症の合併症であった症例群とグレードIV以上の重篤な合併症であった症例群の費用構造の比較では、ドナー費用以外のすべての費用カテゴリーにおいて重篤な合併症群で有意に高額であったが、特に薬剤費、輸血製剤費、血液浄化療法費で、それぞれ $41,002 (191%) 、$34,295 (294%)、$49,345 (1,867%) の増加と、著明な差異が確認された。重篤な術後合併症によって術後肝不全・腎不全、さらには多臓器不全を来たし、生命維持のために大量の薬剤・輸血製剤の投与や血漿交換療法・腎透析などの高額な医療資源を投入せざるを得なかったことが、これらの費用を上昇させた可能性が示された。

以上、本論文は成人間生体肝移植において術後合併症の重症度がその費用の増加に強い影響を与えることを明らかにした。本研究は、未だ十分な検討がなされていない成人間生体肝移植の経済面について検討を行い、今後の生体肝移植に関連する医療費の増加を抑制するために重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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