学位論文要旨



No 127614
著者(漢字) 佐藤,雅浩
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,マサヒロ
標題(和) 精神疾患言説の歴史社会学
標題(洋)
報告番号 127614
報告番号 甲27614
学位授与日 2011.12.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第846号
研究科 人文社会系
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 赤川,学
 東京大学 教授 松本,三和夫
 東京大学 教授 佐藤,健二
 東京大学 名誉教授 上野,千鶴子
 慶應義塾大学 教授 鈴木,晃仁
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、近現代日本(19世紀後半から20世紀後半)の精神疾患に関するマスメディア報道を主たる分析対象として、精神疾患に関する大衆的な言説の構成と変容過程、およびその動因を社会学的に考察するものである。本研究の目的は、(1)上記言説の変容過程を通時的に記述し、近代日本における大衆的な精神疾患言説の構成過程を分析すること、(2)各時代の精神疾患言説が依拠していた人間の精神や身体、あるいはそれを取り巻く社会環境に対する認識の体系を明らかにすること、(3)精神疾患に関する言説が、専門家間での議論を超えて広く一般社会に広まる要因を比較歴史社会学の視点から分析すること、以上三点にある。これらの作業を通じて、本論文では精神医学的な知識が社会に流通し、また当該の知識を用いて自己を主体化する人々が現れるという近代的な現象について、その社会学的要因を解明することを目指した。

1章ではまず、1節で本研究の意義と問題意識について論じ、この論文が精神疾患言説の大衆化という社会史的出来事の記述を志向するだけではなく、現代における精神疾患の流行(「うつ病」の増加など)に対しても社会学的分析の方途を提供するものであることを示した。次に2節では、本研究に関連する先行研究の意義と限界について検討し、既存研究においては精神疾患の流行を説明する社会学的研究が稀少であること、また数少ない類似研究においても歴史的な比較の視点から各事例の特性を分析する志向性が薄いことなどを指摘した。その上で3節では、本研究が大衆的な精神疾患言説の歴史を分析することで、近代という時代が理想としてきた人間観や社会観、あるいはその前提としての集合的な心性について明らかにする試みであることを論じた。これらの検討を踏まえ、4節では本研究が依拠する構築主義的な医療社会学の概要について紹介し、5節ではI. ハッキングの議論を参考にしながら、精神疾患言説の流行という現象に対する本稿の分析視角を明らかにした。また6節では分析対象資料について検討し、本稿が『讀賣新聞』および『朝日新聞』という新聞資料を対象として分析を行う根拠、および資料選択の基準について論じた。最後に7節以降では、本稿の分析方法について議論し、本稿が依拠する言説の歴史社会学(赤川学)や比較歴史社会学(T. スコッチポル)の方法と、注目する分析指標や分析対象時期の区分方法について議論した。

これらの考察を踏まえ、続く2~5章では、上記方法に基づいた資料の分析を行った。

まず2章では、明治初頭から1890年代にかけての19世紀後半を対象とし、当時の新聞メディアにおける精神疾患言説のありようを考察した(第I期)。この時期は、20世紀に生じる医学的な精神疾患言説の大衆化を準備した期間として位置づけられるが、明治10年代までは記者や知識人が断片的に疾患の知識を伝えていたに過ぎず、20世紀のように医師がマスメディアを通じて医学的知識を伝達するという現象は観察できない。当時の新聞で伝えられた記事の多くは、身近な社会経済的出来事(貧困や病苦、異性間の人間関係等)によって「発狂」したとされる人物が起こした事件の報道であり、そこでは近世以前から継続する伝統的な「狂気」に関する言説が構成されていたと言える。このことは、当時の西洋医が精神疾患を扱う専門家としての確固たる社会的地位を獲得していなかったことや、彼らの活動を支える学術的・制度的基盤が脆弱であったことと関連している。しかしこうした基盤が整い始める明治20年頃を転機として、新聞紙上でも精神疾患に対する医学的解説や精神病学に関する情報が伝えられるようになる。また明治24年に起きた大津事件を一つの契機として、精神疾患に関する定義や症候論が新聞報道の中にも現れ、遺伝や厭世といった20世紀につながる病因論も報じられていくようになる。こうした過程を経て、19世紀末には精神疾患に対する医学的知識とその担い手(西洋医)の存在が、徐々に一般社会にも周知されていくことになった。

次に、3章では20世紀初頭の20年間、すなわち1900年代から1910年代にかけての時代を扱った(第II期)。この時期には、精神疾患に関する大衆的な医学言説が本格的に構成され、近代日本において初めて精神疾患の「流行」と呼びうる現象が生起した。その背景には、20世紀初頭に起きたいくつかの制度的、精神医学史的な変革を前にして、マスメディアにおいて精神疾患に関する知識を伝達し始める医師たちの活動があった。彼らの活動とマスメディアの思惑が一致した1900年代半ば、近代日本において初の精神医学的な「流行病」の地位を獲得したのが「神経衰弱」である。この疾患に関する大衆言説は、同時代のさまざまな社会文化的変動と間言説的な関係を築きつつ、1900年代後半からは日本社会における重大な社会問題として注目を集めていくことになった。また神経衰弱とほぼ同時期には、主として女性の突発的な逸脱行動を説明する際に「ヒステリー」という概念が用いられるようになり、この疾患に対する医学者による解説も1910年代からは新聞紙面にたびたび現れるようになった。本章では、これら「神経衰弱」と「ヒステリー」に関する大衆的な医学言説を比較しつつ、これらの言説が20世紀初頭の日本で広く社会に広まった諸要因とその過程について考察した。

続く4章では、大正後半から昭和初期にかけての1920~30年代を対象に、第II期に構成された言説が変動しつつ新たな精神疾患言説が構成される過程を分析した(第III期)。この時期には、上述の「神経衰弱」や「ヒステリー」に関する大衆言説が定着する一方で、「外傷性神経症」という一般には余り知られていない疾患に対する医学研究が進展していった。「神経衰弱」や「ヒステリー」と比較した場合、「外傷性神経症」という診断名は戦前・戦後のマスメディアにおいて言説化される機会がきわめて少なく、精神疾患言説の大衆化という現象に照らして言えば、これはネガティヴ(非生起)の事例と言える。しかしこの疾患に対する医学研究が日本で行われていなかったわけではなく、1920年代を中心として、多くの医学者たちがこの疾患に対する学術研究を行っていた。本章では、この疾患に対する医学研究の進展とその非大衆化要因について考察を行い、精神疾患に関する大衆言説の構成を抑止する要因について考察した。

分析篇の最後となる5章では、戦後1950年代から1970年代前半(第IV期)と、1970年代後半以降(第V期)の二つの時期を扱い、戦後日本における大衆的な精神疾患言の構成過程を分析した。このうち前者の第IV期は、戦前の「神経衰弱」や「ヒステリー」に代わって「ノイローゼ」という新しい診断名が北米から日本へと紹介され、広く精神疾患の代名詞として社会へと広まっていく時期にあたる。そこでは戦前の言説との連続性を保ちながらも、戦後の政治社会的な変動を言説資源として活用しながら、ノイローゼに関する新たな大衆言説が構成されていった。またノイローゼという言葉が流行語となった1950年代半ば以降には、この病に罹ったと自称する多くの読者からの投書(読者投稿)が新聞紙上に出現し、マスメディアを通じた大衆言説とその受容者の密接な相互構成過程が観察されるようになる。しかしこうしたノイローゼに関する言説は、1970年代後半以降(第V期)になると、そのまとまりを欠いて徐々に解体していくことになる。そこではノイローゼに代わって多様な精神医学的診断名が社会に流通するとともに、身体症状の裏側に精神的問題の存在を仮定する心身相関言説(心身症等)が構成され、日常的な心身の不調に対しても精神医学的な解釈が施されていくことになる。またこの時期には、世界的な反精神医学運動からの影響を受け、精神疾患と逸脱行為の関連を前提とする大衆言説の比重が低減していった。かくして精神疾患を一部「異常者」の問題として語る言説は徐々にその社会的な信憑性を失い、精神疾患言説は万人が留意すべきメンタルヘルス問題として再編成されることになった。本章では、以上のような「ノイローゼ」に関する言説の構成と解体過程に焦点をあてながら、戦後日本における精神疾患言説の構成過程について分析し、最終的に現代の精神疾患言説の特性について考察した。

以上の分析を踏まえ、最後の6章では近代日本における大衆的な精神疾患言説の様態と、それらが維持構成されてきたメカニズムについて考察した。まず1節では各時代の大衆言説を通時的に整理した後、2節ではそれぞれの言説に見出される各時代の精神観と社会観を考察し、3節では各期の記事を成立させていた言説空間の様態について分析した。また4節では、各時代に大衆的な精神疾患言説を存立させてきた普遍的な構造について考察し、(a)各期の医学言説は同時代の社会経済的な変動と間言説的な関係を構築することで疾患の社会問題化を推進してきたこと、(b)疾患の解釈においては対立する複数の医学者の見解が示され、そのことが現象の医療対象化を継続させる効果を生んできたこと、(c)マスメディアと医学の協調と対立構造の中で、精神疾患に対する大衆的な関心が喚起され続けたこと、(d)読者=患者が言説の定着と再生産に寄与していたこと、以上四点の事実を明らかにした。またこの事実から、医学とマスメディア、そして言説受容者の三者が協働して各期の言説を存立させていた構造をモデル化しつつ示した(図1)。続く5節では、各章の分析で取り上げた「神経衰弱」「ヒステリー」「外傷性神経症」「ノイローゼ」という四つの疾患の流行現象を諸指標に沿って比較し、大衆的な精神疾患言説が構成される社会学的な諸要因について考察した。1章で示した比較歴史社会学の方法に沿って各事例を比較考察した結果、(1)医学界の中枢にいる医学者集団が疾患の研究に参与していること、(2)精神医療体制の何らかの変動が存在していること、(3)疾患の病因が明確ではないこと、(4)政治的抑制因子が存在しないこと、以上四点の要因が疾患の流行を引き起こす共通の要因である可能性を示した(表2)。これらの考察を踏まえ、6節では本研究の意義と限界について論じ、現代の事象に本稿の視角を適用する際の留意事項について議論した。

図1:精神疾患言説が維持構成される普遍的構造

表2:精神疾患言説の構成に関与する要因の比較歴史社会学的分析

* 表内の記号は、各要因の存在(+)、不在(-)、混在(±)を表す。表内の着色部分が、各事例に共通すると考えられる要因である。

審査要旨 要旨を表示する

近現代日本の精神疾患をめぐる言説は、狐憑きから神経衰弱、ヒステリー、ノイローゼ、PTSDに至るまで、医学の領域にとどまらず、新聞や雑誌などのマスメディアでも広く語られた。しかしこれらの言説の発生と変容、その社会学的要因をトータルに探求した研究は希少であり、本論文はその間隙を埋めるとともに、歴史社会学としても重要な貢献をなしている。

第1章では、本論文の二つの目的--(1)精神疾患言説の大衆化とその変容過程、その実態と社会史的背景とを通時的に記述し、(2)精神疾患に関する言説が専門家をこえて広く社会一般に広まる理由を比較歴史社会学の視点から分析すること--が提示される。分析の対象は、1870年代から1980年代にかけて、『読売新聞』『朝日新聞』に掲載された、精神疾患に関連するすべての記事である(読売6139件,朝日5335件)。第2章では1870年代から90年代(I期)にかけて、「狂気」をめぐる新聞報道では、専門家としての医師はマスメディアに登場せず、貧困や病苦など身近な社会経済要因から「発狂」を説明する言説が支配的であった。これは狂気に関する近世的言説と地続きである。しかし1891(明治24)年の大津事件を契機に、精神疾患の定義や、遺伝などの病因論が報じられるようになると指摘する。

第3章では1900~1920年(II期)にかけて、精神病者監護法や日本神経学会の成立を背景に、神経衰弱とヒステリーが言説として本格的に「流行」する様態が記述される。神経衰弱は、日露戦争時に大量の報道があり、近代化や文明化などマクロな社会変動が病因として強調されるのが特徴である。さらに読者投稿欄で投稿者が回答者と相互作用することで「病める主体」となったのも、この頃である。第4章では1920~30年代(III期)にかけて、鉄道脊椎症などの外傷性神経症が専門家内での議論にとどまり、大衆化しなかった原因が探求される。特に、被保険者に対する給付抑制の政府の思惑、疾患名称を大衆化する医学者や象徴的事件の不在、器質論から心因論への学説転換などの要因が強調される。

第5章では、1950~70年代前半(IV期)にかけて流行した「ノイローゼ」概念のもとで、生育歴に起因する精神的葛藤と、職場や団地という身近な生活空間がともに疾患の危険因子とされ、心因論的説明と社会経済的説明が結びつく。また70年代後半以降(V期)、日常的な心身不調を疾患に結びつける心身相関言説が主流となり、新たなメンタルヘルス概念が全国民が留意すべき健康問題としての地位を獲得することに至ると論じる。

これらの分析を踏まえ第6章1~4節では、各時期の言説における精神・身体・社会に関する相互連関の構造を示す。第I期では、貧困や病苦など個別的な不幸による発病が強調された。第II期では、近代化や文明化などマクロな社会変動が刺激となり、脳神経が疲弊するという説明が普及した。第III期では逆に、発症の原因や責任を直接的に社会に求める説明は抑制され、個人の心理的葛藤が病因とされた。第IV期では、精神分析学的な心因論とともに、社会経済的変数も重視され、第II期と第III期の特徴が相互に結びつくという。この構造連関は説得的であり、精神疾患と社会の関係性の言説史としても示唆に富む。さらに6章5節では、スコッチポルの比較歴史社会学の手法により、疾患言説が大衆化する要因として、(1)医学界の中枢研究者の参与、(2)精神医療体制の変動、(3)病因の不明確さ、(4)政治的抑制因子の不在が必要十分条件だという結論に至る。

審査の過程では、その史料検討の周到さ、論理展開の緻密さについて、審査委員全員から高い評価が得られた。医学史の観点からはマイナーな精神疾患を扱っている点、臨床研究を扱っていない点など留意すべき点はあるが、精神疾患言説と社会の関係を問う歴史社会学としては模範的であり、今後、この分野の研究を牽引する重要な論文となること、必定である。

よって当審査会は、本論文が博士(社会学)の学位を授与するに値するという結論に達した。

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