学位論文要旨



No 127617
著者(漢字) 大橋,陽平
著者(英字)
著者(カナ) オオハシ,ヨウヘイ
標題(和) 2シストロン性レンチウイルスベクターを用いたラット及びサルにおける神経回路の遺伝学的経シナプス追跡法の開発
標題(洋) Genetic transsynaptic tracing of neural pathways using 2A-based bicistronic lentiviral vectors in rats and monkeys
報告番号 127617
報告番号 甲27617
学位授与日 2011.12.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3778号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡部,繁男
 東京大学 教授 斎藤,泉
 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 狩野,方伸
 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
内容要旨 要旨を表示する

複雑な神経細胞間の結合様式の解明を目指した研究は、古くから神経解剖学分野の中心の一つとされてきた。90年代以降、遺伝子工学技術の爆発的な進歩により、特定の神経回路を対象とした様々な遺伝学的介入が可能となってきている(Luo et al., 2008)。一方で、小麦胚芽レクチン(Wheat germ agglutinin; WGA)蛋白は、経シナプス性神経回路トレーサーとして、これまでに多くの研究で使用されてきており、効率良くシナプスを越えて神経細胞間を運搬されることが示されている(Fabian and Coulter, 1985)。これを発生工学的手法と組み合わせることで、特定の神経回路の選択的可視化が可能となっている(Yoshihara et al., 1999)。例えば、特定のタイプの神経細胞のみにおいて働く遺伝子プロモーターの制御下でWGAトランスジーンを発現させることで、それら神経細胞群及びそれらと投射関係にある神経細胞群を選択的にWGAでラベルすることができる。しかしながら、発生工学的手法を適用できる動物種は限られており、認知機能の研究対象として用いられてきたマカクサル等(Miyashita, 2004)には適用できない。そこで、本研究においては、WGAトランスジーンのin vivoへの遺伝子導入のツールとして、レンチウイルスベクターの使用を検討した。レンチウイルスベクターは、神経細胞のような非分裂細胞に対しても感染が可能であり、少なくとも9kbまでの長いインサートを搭載でき、標的細胞のゲノムに目的の配列が組み込まれることで目的遺伝子等の長期発現が可能であるという神経科学研究に適した特性を有している(Bjorklund et al., 2000)。また、そのエンベロープを水疱性口内炎ウイルスG糖蛋白(vesicular stomatitis virus G protein; VSV-G)に置換(pseudotyping)することで、大きな炎症反応または免疫応答を引き起こすことなく、神経細胞指向性の遺伝子導入が可能である(Trono, 2000; Duale et al., 2005)。さらに本研究においては、WGAトランスジーン搭載レンチウイルスベクターの開発にあたり、ピコルナウイルス由来の2A配列(De Felipe et al., 2006)を用いて、WGAとGFPの共発現が可能なシステムを構築した。これにより対象となる神経回路を、シナプスを越えて神経細胞間を「動く」WGAと、感染神経細胞内に「静止する」GFPで、切り分けることを試みた。

本研究において開発したWGA/GFP共発現レンチウイルスベクターシステムの配列模式図を示す(図1)。このトランスファーベクター及びパッケージングプラスミドをHEK293T細胞にリン酸カルシウム法を用いてトランスフェクションすることで、ウイルス含有上清を得、さらに超遠心濃縮・精製を経て、高力価レンチウイルスベクター(GFP titer: >1.0 x 109 transducing units (TU)/ml)を得た。続いて、このレンチウイルスベクターにより、AcGFP1とWGAの共発現が可能であることを実証するため、HEK293T細胞に感染多重度(multiplicity of infection: MOI)10にて感染させ、ウェスタンブロット法及び免疫細胞化学染色にて各蛋白質の発現を解析した。ウェスタンブロットでは、AcGFP1(27kDa)、WGA(18kDa)共に発現が確認できた。本レンチウイルスベクターでは、AcGFP1とWGAは単一のopen reading frame (ORF)内に位置し、1本のmRNAとして転写され、翻訳の際に2A配列の自己プロセシングを受け、1:1の比率で別々の蛋白質として合成される。今回のウェスタンブロットでは、AcGFP1とWGAの融合蛋白(推定分子量45kDa)は観察されなかったことから、P2A配列を介したペプチド切断の効率が非常に高いことが示された。一方で、免疫細胞化学染色においても、AcGFP1とWGAの発現は確認できた。確認した全てのHEK293T細胞において(310/310 cells)、AcGFP1とWGAの共発現が認められた。また、同一の細胞内において、AcGFP1は核と細胞質に一様に分布しているのに対し、WGAは細胞質に凝集塊を形成していることから、AcGFP1とWGAが別々の蛋白質として存在していることが示唆された。これらの結果から、本レンチウイルスベクターが、WGA/GFP共発現レンチウイルスベクターとして、in vitroで機能しうることが明らかとなった。

次に、本WGA/GFP共発現レンチウイルスベクターが、実際に動物個体の脳内において、神経回路追跡ツールとして機能することを確認するため、まずはラットの小脳出力経路を対象としたウイルス接種実験を行なった。10週令のWistar ratの小脳第6小葉に対し、8 μlの高力価(GFP titer: >1.0 x 109 TU/ml)ウイルス液を200 nl/minにて注入し、7日以上飼育した後、経心的灌流固定を行ない、摘出脳を免疫組織化学的解析の対象とした。摘出脳を蛍光実体顕微鏡で観察したところ、小脳第6小葉に沿って、強いGFPの蛍光が観察された(図2)。傍矢状断切片の観察では、小脳第5-6小葉のプルキンエ細胞層及び分子層で、GFPの強い蛍光が認められ、その領域のプルキンエ細胞から小脳核へと投射する軸索の可視化も可能であった(図2)。

一方で、抗WGA抗体を用いた免疫組織化学においても、同小葉においてWGAの強い染色性が認められ、さらにはそのプルキンエ細胞の投射先である小脳核の神経細胞の細胞体においても、WGAの強い染色性が認められた(図2)。これはプルキンエ細胞で産生されたWGAが、軸索に沿って順行性に輸送され、シナプスを越えて、投射先である小脳核神経細胞の細胞体へと取り込まれたと考えられる。

続いて、GFPとWGAの二重染色を行なったところ、レンチウイルスベクターを接種した小脳皮質において、GFPとWGAの共発現が認められた。一方でその投射先である小脳核神経細胞においては、その細胞体内でWGAの分布が認められるものの、GFPは同細胞体を囲む軸索においてのみ認められた(図3)。これにより、WGA/GFP共発現レンチウイルスベクターは、in vivoにおいても共発現可能であり、WGAによる経シナプス神経回路追跡、GFPによる感染神経細胞(一次ニューロン)とそこから投射を受けるニューロン(二次ニューロン)の区別が可能であることが示された。さらには、WGA/GFP共発現レンチウイルスベクターにより、小脳係蹄小葉第I脚-小脳核外側核-視床外側腹側核の経路を、三次神経核まで追跡可能であること、大脳皮質第一体性感覚野から、同側視床後外側腹側核・同側第二体性感覚野・対側第一体性感覚野への追跡が可能であることを実証した。

最後に、本システムが種を越えて、他の動物種でも適用可能であるかを検証するため、認知機能等の研究対象であるマカクサルでの神経回路追跡を試みた。ラットと同様小脳皮質へウイルスを接種したところ、14日後に小脳核神経細胞において経シナプス性のWGAの取り込みが認められた。これにより、本WGA/GFP共発現レンチウイルスベクターシステムは、発生工学的手法が適用できないマカクサル等においても使用可能であるといえる。

本研究においては、2シストロン性レンチウイルスベクターを用いてWGAとGFPを共発現させることで、種を越えて、任意の局所を起点とする神経回路の遺伝学的可視化を実現した。今後は、このシステムを用いて、マカクサル等、トランスジェニック動物の作出が困難とされる動物種において、脳高次機能の基本となる神経回路の構造が明らかにされることが期待される。

図1 本研究で用いられたHIV-1由来レンチウイルスベクターの配列模式図

レンチウイルスベクターのバックボーンは、St. Jude Children's Research Hospital(Dr. Arthur W. Nienhuis)から供与を受けた。3' long terminal repeat (3'LTR)のU3 regionを除去することにより、LTRのプロモーター活性を損なわせている(self-inactivating vector: SIN vector)(第三世代HIV-1ベクター)。マウス幹細胞ウイルス(murine stem cell virus: MSCV)プロモーターの下流に、AcGFP1トランスジーンとtruncated WGA トランスジーン(Yoshihara et al., 1999)をin-frameでピコルナウイルス由来2A配列を介して挿入している。

図2 WGA/GFP共発現レンチウイルスベクター接種後の小脳傍矢状断切片の免疫組織化学解析

(左) 小脳傍矢状断切片におけるAcGFP1の発現。第5-6小葉のプルキンエ細胞層及び分子層に沿って、強いAcGFP1の蛍光が観察できる。同領域のプルキンエ細胞から小脳核へAcGFP1陽性の軸索が観察できる。Inset:灌流固定後の蛍光実体顕微鏡写真。第6小葉に沿って、約5 mm幅のAcGFP1の強い蛍光帯が認められる。(右)小脳傍矢状断切片におけるWGAの分布。AcGFP1と同様に第5-6小葉に強い発現が認められ、また小脳核神経細胞の細胞体においてもWGAの強い染色性が認められた。小脳プルキンエ細胞で産生されたWGAが、シナプスを越えて、投射先である小脳核神経細胞の細胞体へ取り込まれたと考えられる。スケールバーはいずれも1 mm。

図3 WGA/GFP共発現レンチウイルスベクター接種後の小脳傍矢状断切片の蛍光二重染色

(上段)小脳皮質におけるAcGFP1とWGAの共発現。スケールバーは100 μm。(下段)小脳核におけるAcGFP1とWGAの分布の乖離。WGAは神経細胞細胞体内に分布しているのに対し、AcGFP1はそれを囲む軸索内にのみ存在している。スケールバーは50 μm。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、マカクサル等のような発生工学的手法が適用できない動物種において、神経回路の遺伝学的追跡を行なうことを目的として、経シナプス性トレーサーである小麦胚芽レクチン(WGA)のトランスジーンを搭載したレンチウイルスベクターの開発及び適用を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. ピコルナウイルス由来2A配列を介したAcGFP1とWGAの共発現を目的とするレンチウイルスベクターを開発した。HEK293T細胞にこのウイルスベクターを感染多重度(multiplicity of infection: MOI)10にて感染させ、4日後、ウェスタンブロット法及び免疫細胞化学染色にて各蛋白質の発現を解析した。ウェスタンブロットでは、AcGFP1(27 kDa)、WGA(18 kDa)共に発現が確認でき、AcGFP1とWGAの融合蛋白(推定45 kDa)は確認できなかった。免疫細胞化学染色においては、同一細胞内でAcGFP1とWGAの発現が確認でき、またそれらの局在は異なっていた。以上より、本ベクターはin vitroにおいて、AcGFP1とWGAの共発現が可能であることが実証された。

2. 上記1. において開発したWGA/GFP共発現レンチウイルスベクターシステムが、動物個体の脳内において、神経回路追跡ツールとして機能することを確認するため、ラットの小脳第6小葉に接種した。接種後7日以上飼育し、組織学的検討を行なった結果、主に小脳第6小葉のプルキンエ細胞において、AcGFP1とWGAの共発現が見られ、その投射先である小脳核・前庭神経核の神経細胞においてはWGAの取り込みが認められた。これにより、本ベクターはin vivoにおいて、感染した神経細胞(一次ニューロン)でAcGFP1とWGAの共発現が可能であること、WGAはシナプスを越えて投射先の神経細胞(二次ニューロン)に運ばれること、AcGFP1は一次ニューロン内に留まることが示された。

3. 本ベクターを用いて二次ニューロン以降の可視化が可能であるかを検討するため、ラットの小脳左係蹄小葉第一脚(Crus I)にベクターを接種し、100日目に組織学的解析を行なった。WGAは、小脳左外側核内の二次ニューロンでの取り込みが認められ、さらにその投射先である右視床外側腹側核に分布が認められた。これにより三次神経核の可視化が可能であることが示された。

4. 本ベクターを用いて大脳皮質一次体性感覚野(SI)から始まる皮質視床路及び皮質間連絡の可視化を試みた。接種後28日目において、投射先である同側の視床、同側の二次体性感覚野、対側の一次体性感覚野においてWGAの取り込みが観察された。以上により、本ベクターは、皮質視床路及び皮質間連絡の可視化を目的として使用可能であることが実証された。

5. 上記1.-4. で使用されたMSCVプロモーターの代わりにCMVプロモーターを搭載したWGA/GFP共発現レンチウイルスベクターを開発した。これを用いて、上記4. で可視化した回路を同様に可視化することができた。以上より、本ベクターは、実験者が実験系に応じて任意のプロモーターを搭載できることが示唆された。

6. 最後に本WGA/GFP共発現レンチウイルスベクターがマカクサルに適用可能であるかを検討した。二頭のマカクサルにおいて、小脳第8小葉にベクターを接種し、14日後及び28日後に組織学的検討を行なった。二頭のサルにおいて、AcGFP1とWGAの小脳第8小葉での共発現が認められ、WGAのみシナプスを越えて、投射先である小脳核の神経細胞に取り込まれている様子が観察できた。これにより、本ベクターはラットだけではなくマカクサルにおいても適用が可能であることが示された。

以上、本論文はマカクサルのような発生工学的手法が適用できない動物種においても有効な神経回路トレーサーとして、WGA/GFP共発現レンチウイルスベクターを開発し、その有用性を実証した。本研究はこれまで未知に等しかったマカクサルの認知機能の基盤となる神経回路及び情報処理機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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