学位論文要旨



No 127620
著者(漢字) ギィアーイー,レイラー
著者(英字) GHIAEE,LEYLA
著者(カナ) ギィアーイー,レイラー
標題(和) ペルシャ語児の使役構文の習得 : 使用依拠アプローチの観点から
標題(洋) The Acquisition of Persian Causative Constructions : A Usage-based Approach
報告番号 127620
報告番号 甲27620
学位授与日 2011.12.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1111号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 大堀,壽夫
 東京大学 教授 坂原,茂
 東京大学 教授 近藤,安月子
 東京外国語大学 准教授 佐々木,あや乃
 東京大学 准教授 坪井,栄治郎
内容要旨 要旨を表示する

1. 問題提起、本研究の背景と目的

幼児は、その母語を問わず、ある段階で使役の概念とそれを表す言語的手段を習得する。使役動詞の意味を理解するためには、使役イベントを分解し、ある特定の部分(行為)のみの類似性の有無に注目し、物体の類似性を無視しなければいけないので、物体を表す名詞的概念に比べて習得プロセスが複雑であることが予測される。したがって、母語とする言語に関係なく、「使役」の概念を理解するのは、幼児にとっては非常に困難であると言える。それにもかかわらず、就学前の幼児は、「使役」の概念を言語によって描写できるようになる。

日本語児をはじめ、使役動詞の習得に関する研究が数多く存在する一方、ペルシャ語児の動詞の習得の研究自体は殆どない状態に近く、研究の余地が多く残されている。

こうした問題を踏まえつつ、本論文では、ペルシャ語児は、言語習得が進む初期の段階で「使役」の概念を描写するときは、どのような描写方法を利用するのかについて論じ、次に幼児がある程度「使役動詞」を獲得した上で、「使役」の様態を描写するときは、どのような誤用を犯してしまうのか、そしてそのような誤用はなぜ起きるのかを考察する。幼児は、各グループの使役動詞の抽象化の低いスキーマを形成した後、本来ならば大人の言語とは全く違う動詞が発話される場合でも、自分特有の抽象度の低いスキーマを過剰一般化し、大人の言語にもない新規な動詞を発話してしまう。本研究では、ペルシャ語児の年齢ごとの使役動詞の誤用パターンについて論じ、使役動詞の獲得を使用依拠アプローチから考察していく。

ペルシャ語の使役動詞の4つの種類の中、一番発話頻度が高い使役動詞は、助動詞使役動詞である。これは定着度が高いゆえに、一番最初に出現する使役動詞も、一番早く誤用が無くなる使役動詞のグループもこの種の使役動詞だと予想される。本論においては、ペルシャ語児の横断的発話データ及び縦断的発話データを観察し、子供が最初に習得する使役のタイプは言語全体の中で定着の度合いの高い助動詞使役なのかどうかを考察していく。

更に、論文の第5章においては、7歳までのペルシャ語児の使役動詞の誤用を除去する二つの仮説、つまりPinker (1989) の意味的な動詞のクラス仮説(Semantic Verb Class Hypothesis)とBraine & Brooks (1995)やBrooks et al. (1999) が提案した定着仮説(Entrenchment Hypothesis)を考察していき、ペルシャ語児の発話データに関して、誤用を除去する適切な仮説であるかどうかを明らかにする。

本論文の最終的な目的は、幼児がその母語を問わず、「使役」の概念を獲得し、言語化していくためには、普遍文法が必要かどうかを明白にすることである。もちろん、使役の概念を獲得するためには、周りの人間(養育者)のインプットが非常に大きな役割を果たしているが、それは全てであるかと言えば、必ずしもそうではない。幼児が「使役」の概念を把握し、表現するためには、認知能力の発達が必要である。幼児は非常に早い段階から自分自身の行動に興味を示し、自分がある物体にどんな変化をさせることが出来るのかを興味深く観察する。次の段階においては、幼児は周りの人間の行動などに注目をするようになる。このような根本的な情報に基づき、幼児は周りの人間の動作を最初に非言語的にカテゴリー化していき、次に周りの大人はそのような動作をどのような動詞によって描写しているかに注目するようになる。つまり、本論文では、生成文法で言われている普遍文法の助けなしで、幼児は身体による知覚と認知能力の発達によって使役の概念を理解し、またそれを言葉によって描写できるようになるかどうかを考察していきたい。本稿の目的は大きく分けて、次の5点にある。

(1) I. ペルシャ語児の使役動詞の獲得で見られる発達段階を考察すること。

II.「使役」の概念が使役動詞によって発話される前の段階における描写方法の重要性を明らかにすること。

III.ペルシャ語の3つの種類の使役動詞のグループでどのグループが最初に発話されるようになり、またどのグループの誤用が最初に無くなるのかを明らかにすること。

IV. 幼児が使役の概念を描写するときは、使役の「様態」を重視するのかそれとも使役の「物体=道具」を重視するのかを考察すること。

V. 「使役」概念の獲得の手がかりになる意味素性の把握、及び使役動詞の誤用を無くす主な制約を明白にすること。

2. 結果

具体的には、本論においては、CHILDESのペルシャ語児5人及び実験対象98人のペルシャ語児(2;0.12~6;11.19) の29個の使役動詞の発話を考察し、ペルシャ語児は、使役行為を言葉によって描写するに当たっては、以下のような発達段階を経過することが分かった。

(2) I.描写的ジェスチャー+injuri kardan 'do like this'及び新規な擬態語+kardan 'do'

II.(使役構文の道具/形容詞/語彙的使役動詞の過去分詞形)+kardan 'do'

III. 使役動詞の代わりに自動詞そのままの発話

IV. 適切な語彙的使役動詞や助動詞使役動詞の生産的な発話

V. 形態的使役動詞の代わりに語彙的使役動詞や助動詞使役動詞の発話

VI. 場面に適した形態的使役動詞の発話

本研究を通じて分かったもう一つの事実は、次のとおりである。幼児は他者の行為や物体の自己移動や使役移動を注意深く観察し、行為のdynamicity(動性)、punctuality(瞬時性) 、telicity (限界性)(DPT属性)という3つの素性に初期段階から敏感であり、前言語的段階においては、他者の行為や物体の自己移動や使役移動をカテゴリー化していき、Vendlerの4種類の語彙アスペクトに相当するカテゴリーを形成する。しかしながら、一つの語彙アスペクトに属する動詞の間では、区別を想定しないため、誤用が犯されてしまう。本稿においては、幼児は、新動詞の意味をDPT属性により理解できると主張した。更に、このモデルのことを、「DPT属性による新動詞の獲得」と呼ぶことにした。ペルシャ語児は、使役動詞の概念をDPT属性に基づいて、獲得していくが、「到達 = 状態変化」動詞という語彙アスペクトに属する3つの使役動詞のグループの獲得時期にずれがある。ペルシャ語児は、初期段階においては、「到達=状態変化」動詞を描写する時は、自ら表現したい動詞が表す行為を描写的ジェスチャーでやって見せ、同時にintori kardやinjuri kardなどと発話する。描写的ジェスチャーとは、身体の動きと指示対象との間の類似性に基づいて表現をするジェスチャーであり、指示対象が動作または空間的な出来事や状態の場合に用いられる表現手法である。描写的ジェスチャーとをすることにとって、身体の動きと指示対象、この場合は動作との間の類似性が非常に密着な関係にあるから、ペルシャ語児も描写的ジェスチャーを利用することによって、自分の意図を簡単に聞き手に伝えることが出来る。kardan'do'という軽動詞も非常に早い時期から獲得されるため、「描写的ジェスチャー+ injuri kardan」というストラテジーは、ペルシャ語児にとって、自分の発話意図を聞き手に伝える非常に単純な方法だと考えられる。従って、2歳8ヶ月以下のペルシャ語児は、様々な使役動詞を描写する時は、非常に幅広くこのような発話をしてしまう。一方、日本語児において「描写的ジェスチャー」の役割を担うモノは、「擬態語」であるため、まだ様々な動詞を不自由なく使えるようになっていない幼児は、非常に幅広く、「擬態語+する」を使ってしまう。勿論、日本語児も、自ら表現したい動詞が表す行為を描写的ジェスチャーでやって見せ、同時に「こうする」や「こうして」などと発話するが、その割合は、ペルシャ語児と比べ物にならない。同様に、ペルシャ語には、擬態語の数がそもそも指の数に収まるような数であるが、3歳以下の幼児は、自分の発話意図を聞き手に伝えるためには、大人の言語にも存在しない「新奇な擬態語」を形成し、それにkardanを結合することによって、話し相手に自分の意図を伝えようとするが、その割合は、日本語児と比べ物にならない。従って、新規動詞を獲得するに当たって、ペルシャ語児は、非常に幅広く「描写的ジェスチャー」を利用する一方、日本語児は、「擬態語」を利用することが言える。

ジェスチャーや擬態語は語彙獲得が増大する前段階でも見られることから、幼児が観察する事象のDPT属性を把握する補助あるいは一種のbootstrappingになっているのではないかと考えられる。今井と針生(2007)の音象徴ブートストラッピング仮説は、ペルシャ語児の場合でも当てはまると言える。ペルシャ語児と日本語児のジェスチャーや擬態語のDPT属性の把握における補助の役割は、両方の言語でも見られているが、その割合は異なる。日本語児の場合は、事象のDPT属性を把握する大きな役割を担うのは、擬態語である一方、ペルシャ語児の場合は、その役割を担うものは、描写的ジェスチャーであると考えられる。

軽動詞の獲得年齢も指示代名詞の獲得年齢も日本語児の場合でもペルシャ語児の場合でも大体同じ時期に行われ、「描写的ジェスチャー+指示代名詞」+「軽動詞」という組み合わせがあるならば、理論上、「描写的ジェスチャー+軽動詞」のみの発話も十分考えられる。しかしながら、実際ペルシャ語児あるいは日本語児の発話データを考察することによってこのような発話例が見当たらない。このような発話が見当たらない理由について今後考えていきたい。

審査要旨 要旨を表示する

ギィアーイー・レイラー氏の博士論文「ペルシャ語児の使役構文の習得-使用依拠アプローチの観点から-」の審査結果について以下に報告する。本論文は、ペルシャ語の言語習得という、先行研究のきわめて少ない分野に取り組んだ研究である。論文は全6章からなり、巻末には実験に使用した画像やビデオクリップの一部が再録されている。

第1章「問題提起及び研究の概要」は使役概念の幼児による獲得について述べ、問題提起をしたのち、ファールスィー(現代標準ペルシャ語)の予備的考察を踏まえた上で、ペルシャ語における使役構文の定義を述べている。先行研究における扱いを概観に続き、研究で使用する2種類のデータ(横断的発話データ、縦断的発話データ)が紹介されている。

第2章「CHILDES(MacWhinney2000)における5人の縦断的自然発話データの考察」では、言語習得データベースであるCHILDESにおける5人の縦断的発話データの考察を行い、どの使役動詞の種類が一番最初に発話され、どの使役動詞のグループの誤用数が一番高いのかについて論じられている。

第3章「ペルシャ語児98人(男児41、女児57人)の横断的発話データ」においては、著者自身が行った産出実験にもとづいて、ペルシャ語児98人の横断的発話データが分析・考察されている。この98人は年齢ごとに5つのグループに分類され、各年齢グループにおける3つの種類の使役動詞の誤用パターンの分析が行われている。

第4章「CHILDESのデータと横断的発話データから見える事実」においては、先行する2つの章で観察した産出データのパターンが検討され、誤用の原因について詳しく論じられている。今井と針生(2007)の音象徴ブートストラッピング仮説と、ペルシャ語児の初期段階の「使役」の概念の関連が論じられている。更に、大人の言語と比較して、ペルシャ語児の語彙的使役動詞、形態的使役動詞、助動詞使役動詞、それぞれの誤用パターンについて考察が行われている。

第5章「発達段階ごとのストラテジー及び『使役』概念のカテゴリー化」では、ペルシャ語児の発達段階ごとのストラテジーをもとに、一般的考察が述べられている。使役概念の獲得の考察とともに、その過程でどのような手がかりが利用され、どのように使役動詞の誤用が減少して無くなるのかについて論じられている。

第6章「結論」はまとめと展望にあてられている。

本論文の学術的意義については、以下の審査結果が得られた。

第一に、ペルシャ語における使役概念の言語化手段の習得について、包括的な姿を初めて描き出したことは高く評価することができる。語彙的手段、形態論的手段、助動詞的手段(様態語+軽動詞による複合形式)それぞれの明確な特徴づけを行ったうえで、習得順序のパタンおよび誤用例を示した研究は、先例のないものである。論理的な可能性としては、語彙的手段が文法上の操作を伴わないために、習得の最初期から用いられるという予測をなしうるが、実際には語彙素の結合操作を含む助動詞使役が最も早い段階から使用されることが明らかになった。これは、幼児には習得の初期から生産的なスキーマがアクセス可能であることを示唆する。同時に、そのスキーマは環境からのインプットによる学習の結果得られたものである。以後の発達段階およびエラーのパターンも、ゆるやかな発達のトラジェクトリを示しており、使用依拠モデルによる説明が妥当であるという主張がされている。この点は、言語習得研究における、生得的知識と学習の関与という課題について、一つの有力な見解を提示したものと評価される。本論文はまた、理論的側面だけでなく、研究データの蓄積という点からも、豊富な縦断的一次データをおさめているという点で価値の高いものである。

第二に、大人の話すペルシャ語には擬態語がきわめて少ないにもかかわらず、幼児の発話には、特に使役事象の手段・様態を表すさいに擬態語が多用されることが明らかにされた。この点は、近年重要性が再認識されている、言語習得における音象徴の役割について新たな支持を与えるものである。本研究における重要な創見の一つは、幼児は身体感覚をもとに擬態語を創造的に使用し、それを媒介として言語的な使役動作の概念を習得していくという点である。身体動作および音象徴を介して使役概念習得のブートストラッピングが起きるとするならば、そうした側面と、事象の輪郭を規定するDPT(dynamicity, punctuality, telicity)属性との関連性を指摘した本論文は大きな意味をもつ。本論文では、DPTカテゴリーの枠内で過剰一般化などの誤用がしばしば起きるが、このカテゴリーを越えた誤用は見られないことを明らかにしている。この事実は、ペルシャ語だけでなく、意味の面から見た言語習得の解明に新たな知見を加えるものである。

審査においては、幼児における結果の焦点化と、自他の誤用との境界の判断の難しさ、および「(標準)ペルシャ語」の範囲の規定についての注意点などが指摘されたが、これらは本論文の学術的価値をそこねるものではない。また、審査では、擬態語の使用についての日本語とのさらなる対照分析の必要性、本論文で考察されているDPT属性の位置づけ、といった論点をめぐって、有益な議論がかわされた。

以上、本論文は先行研究がきわめて限られた、ペルシャ語における幼児の使役構文習得研究という課題に挑み、多くの貴重な知見を提示した。学術的価値がきわめて高く、この分野における優れた研究成果として高く評価すべきものと判定する。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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