学位論文要旨



No 127622
著者(漢字) 湯川,拓
著者(英字)
著者(カナ) ユカワ,タク
標題(和) 民主化過程における地域規範の流動化 : ASEANにおける主権尊重規範と加盟国の民主化
標題(洋)
報告番号 127622
報告番号 甲27622
学位授与日 2011.12.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1113号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山影,進
 東京大学 教授 石田,淳
 東京大学 教授 遠藤,貢
 東京大学 教授 田中,明彦
 東京大学 教授 古城,佳子
内容要旨 要旨を表示する

本稿は代表的な地域機構でありかつ近年規範をめぐるダイナミズムが顕著である東南アジア諸国連合(Association of Southeast Asian Nations: ASEAN)における規範変動のメカニズムを理解しようとするものである。 ASEANでは、内政不干渉原則をはじめとする主権尊重規範がASEAN加盟国の国際関係を律する規範として絶対視されていたのが、1990年代以降それに代替する形で民主主義や人権という国内統治を問う規範を掲げようとする国が現れる。その結果として何を「地域の規範」とするかで加盟国間の激しい論争が行われ、ASEANの規範を定義する役割を担うASEAN憲章は両者の間で折衷的な性格を帯びるに至った。このような規範の動態を理解するための枠組みを提示し、資料に基づいた実証を行うことが本稿の作業になる。

本稿第一章では規範変動を理解する枠組みを提示したが、その際に注目したのが、「民主化過程における地域規範の流動化」という視点である。本稿ではASEANにおいて内政不干渉原則などの主権尊重規範が加盟国間のルールとして強調されまたかなりの程度順守されてきた背景には、国家建設の必要性に迫られた各国政府の「少数のエリート間の相互主義」が存在すると考えた。すなわち、ASEANにおける主権尊重規範とは、不安定な国内政治という問題に直面する統治者群が経済発展をはじめとする国家形成を円滑に進めるべく、一種の相互主義として約束しあったものであった。それと同時に、これは当時のASEAN諸国は権威主義体制の国家のみから成っており外交は政府のごく一部のエリートのみで為されていたことによって可能になったものであった。したがって、ASEANおよびその主権尊重規範はあくまで統治エリートに資するために存在するのであり、「少数のエリート間の相互主義」としての性格が非常に強かった。ASEANの規範や機構そのものも、あくまで加盟国の権威主義的な統治者のために存在したのである。

だからこそ加盟国の民主化はASEANの在り方を大きく変えることになる。具体的には、加盟国の民主化は二つの経路で主権尊重規範を動揺させ、国内統治を問う規範との間でASEANの地域規範を流動化させる。一つは、国内の対外政策決定の複雑化である。加盟国が民主化していくにしたがって、議会を始めとするそれまでは対外政策に関与してこなかった新たなアクターが対外政策決定に関与するようになる。すなわち、ASEANに参加するエリートへの国内からのインプットである。もう一つは、市民社会組織によるASEAN自体への働きかけである。これは民主化によって市民社会組織の活動が活発化し、それらが直接的にASEANという地域機構に働きかける、という経路である。

このいずれの経路にせよ、加盟国の民主化により上記の相互主義が崩れていくことになり、その結果として規範変動が生じると考えた。すなわち、加盟国が権威主義体制のみから成っていた状況では少数のエリート間での利益の収斂が容易でありASEANという地域機構に期待するものにもずれは存在しなかった。しかし加盟国の民主化とともにASEANに民主主義や人権といった国内統治を問う規範を求める国が現れるという意味で、ASEANに求める機能が民主化を進めた国とそうではない国で食い違うようになり、それが規範をめぐる論争や「ASEAN憲章」に見られるような掲げられる規範の変容を招いたのだと考えた。

したがって、ASEANにおける主権尊重規範の変動を考察する際にはあくまで加盟国の民主化に注目しなければならないというのが本稿の主張である。もちろんそれは冷戦による世界大の規範変動の重要性を否定するものではないが、加盟国間の立ち位置の違いや、冷戦の終焉とはかなりの程度ずれがあるという規範変動のタイミングを考察する際には、民主化という国内要因が欠かせないと考える。

実証の作業として、まず第二章ではASEANにおける主権尊重規範の起源および定着の時期を扱った。内政不干渉や主権平等・領土保全、といった主権尊重規範は国連憲章にもある一般的な規範である。しかしASEANの場合にはそれは単に国際関係を制御するという目的ではなく、上で述べた「少数のエリート間の相互主義」という特殊ASEAN的な事情が存在することを、ASEAN設立から1976年の初のASEAN首脳会議にかけての当事者の規範についての認識を資料から分析することで明らかにした。当時のASEANを構成する外交エリートは国内秩序と地域秩序を互いにリンクさせて考えるという思考法を有しており、ASEANの主権尊重規範もその中でとらえられていたことを実証的に示したのである。

また、第二章の後半では1976年の首脳会議から90年代前半までの時期を扱った。この時期は規範の変動や規範についての論争がほとんどないばかりか、主権尊重規範の存在自体があまり強調されない時期であった。これは上で述べたように加盟国の国家形成が一定程度進展し、また加盟国間の信頼醸成もとりあえずは紛争の勃発を想定しなくてよいほどに進んだからである。この時期の地域機構としてのASEANの機能は、80年代はカンボジア紛争への対応、80年代末から90年代前半は経済協力の本格化へと進んでおり、加盟国間で改めて主権尊重規範を確認しあう必要性は薄かった。

第三章では1990年代後半の規範論争(「柔軟関与」論争)を分析した。従来は97年のアジア通貨危機の前でASEANが何の機能も果たさなかったことがASEANの規範を大きく転換させたという論が主流であった。それに対してこの章では「どの国がどのイシューで何を主張しているのか?」という言説を丹念に見ていくことで実際には規範論争の構図は「民主化をいち早く進めたタイ・フィリピン対それ以外」というものであり、そこで問題になっているのは通貨危機ではなく国内の人権および民主化の状況に問題を抱えるミャンマーに関与しようとして生じた問題であることを明らかにした。

続く第四章では「柔軟関与」論争後の規範の変容を分析した。1990年代後半にタイとフィリピンが主張した「柔軟関与」案はその時には完全に退けられてしまったが、人権や民主主義は2003年以降のASEANにおける規範策定の試みの中で徐々に規範として浸透してくる。この時期には2003年の「第二ASEAN協和宣言」、2004年の「ヴィエンチャン行動計画」、2008年発効の「ASEAN憲章」など、ASEANの規範を規定する重要な文書が次々と作られたがそこでは主権尊重規範と共に人権や民主主義といった国内統治を問う規範も盛り込まれ始めたのである。そして本章でもASEANという場での議論がどのような構図でありどの国が何を主張していたかという点と、各国の国内でどのような動きがあったのかを調べた。その結果、2000年代の規範論争においても民主化を遂げた国とそうではない国、という構図が見られた。この時期にはインドネシアが民主化を進展させたことが大きな特徴であるが、そこでは議会をはじめとする国内からの要望と従来の国際関係の双方のバランスを取ろうとする政府の姿勢が見られた。民主化を進めた国では議会による批准や議員間の国境を越えた連帯、国内世論への配慮などがそれまでには無いほどに対外政策決定過程において重要になり、それがASEANにおける規範論争へと結びついているのである。

以上述べたのは、民主化を遂げた国では政府に対して国内からの要請があり、あるいは政府の側が国民に自政権が民主主義を奉じていることをアピールしようとしてASEANにおいて新たな規範を盛り込もうとする、という動きである。すなわち、上で民主化による変化として述べたところの第一の経路にあたる。しかし加盟国の民主化はそれとは異なるもう一つの経路で規範変動に寄与している。それが第五章で扱った、市民社会のASEANへの関わりの活性化である。民主化によって国内の市民社会組織はその数を大幅に増やし、また活動の自由も増した。そしてそれは地域規模での市民社会組織の連帯へとつながっていき、それらはASEANという地域機構に積極的に働きかけた。そのような試み自体、エリート間の折衝のみで成り立っていた従来のASEANでは到底考えられないものであり、ASEANと市民社会組織の対話も徐々に制度化され始めていること自体が重要な規範の変化である。また憲章草案にもなかった地域人権機構が最終的に憲章に盛り込まれたのは、市民社会からの長年にわたる働きかけなしには考えることができなかったことを示すことで、市民社会組織からの働きかけが実際的な意味を持つものであったことを示した。「少数のエリート間の相互主義」として主権尊重規範が支えられる状況は変容しつつあるのである。

このようにして本稿は、第一章で提示する分析枠組みに従った形で、加盟国の民主化は「少数のエリート間の相互主義」を壊すことにより、ASEANの規範が主権尊重規範と国内統治を問う規範の間で流動化させてきたという過程を実証的に示すものである。

そして本稿では、以上のような変化は「流動化」という視点に加えて、「地域秩序の動揺」として理解できると考える。この場合の秩序の動揺とは地域機構における基本的な原則において加盟国間の一致が見られない状況である。すなわち、基本的な目標とそれを達成するための原則や規範が国家間で共有される状況を「国際秩序がある」と見なせば、権威主義国家のみからなっていた状態のASEANは安定的な地域秩序が存在していたと判断することができる。加盟国は相互主義として互いに主権尊重規範を絶対視することで国際関係を安定的なものにしてきたからである。それに対し加盟国が民主化するにつれて、一体ASEANという地域機構を何のための機構にするのか、そこにおける規範をどのようなものにするのか、という根本的なところから不一致が生じてくるようになった。このような対立は民主化以前のASEANでは見られなかったものである。したがってASEANにおいては権威主義国家のみのときに存在していた地域秩序が加盟国の民主化と共に動揺し始めたという形で概念的に理解することができる。これは単に民主主義国家が作る国際関係を調和的なものとして想定してきた国際関係理論に修正を迫るものであると言える。

審査要旨 要旨を表示する

湯川拓から提出された博士学位請求論文は「民主化過程における地域規範の流動化:ASEANにおける主権尊重規範と加盟国の民主化」と題するもので、A4用紙で188+vページからなり、序章と終章に挟まれた5章からなる全7章構成である。冷戦後における民主化の世界的潮流の中で、東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟国でも民主化が観察されたが、本論文は、民主化がASEANの体現する地域規範にどのような影響を及ぼしたのかを分析することにより、国内政治規範と国際規範(特に地域規範)との関連を明らかにしようとしたものである。

まず序章で、1990年代に多用された"ASEAN Way"(ASEANの流儀)をASEANの地域規範が確立されたものとする先行研究を批判し、民主化の流れの中で規範が動揺したことによる一過性の現象であると指摘すると同時に、途上国からなる地域組織の多くで、冷戦後に加盟国が民主主義体制をとることを地域規範化したのに対して、ASEANでは論争的テーマになったことに注目する。そして上記のような問題意識を明らかにした上で、第1章では、加盟国の政治体制(民主主義か権威主義か)が地域規範の選好に影響を及ぼすという仮説を提示し、同時代の政府指導者たちによるASEANの規範についての議論を分析対象とする方法を提示する。

第2章では、1967年に発足したASEANについて、1980年代までに、主権尊重・内政不干渉という伝統的国際規範が、地域的な文脈の中で地域規範として強調されるようになった過程を明らかにする。この章は、本論の背景・前提となる部分である。第3章では、1990年代に民主化の進行とミャンマーのASEAN加盟問題・ミャンマーに対する働きかけをめぐるASEAN内論争を取り上げ、民主化したフィリピンとタイが、確立した地域規範の変更を迫るものの、少数派として結局規範変動が起こらなかった過程を分析する。第4章は、インドネシアの民主化を受けて、2000年代に入り、規範改革派と規範墨守派との力関係が変化したことを受けて、ASEANの規範に徐々に民主主義が取り込まれていく過程を分析する。第5章では、民主化とともに活発になった市民社会の地域規範形成への影響を取り上げ、一定程度の成果があったことを明らかにする。

終章では、ほぼASEANの全史を覆うような時系列的実証分析を踏まえ、少数エリートの相互主義(取引)から、一部加盟国の民主化の結果、国内政治が国際関係に入り込むようになり、地域規範が動揺するようになったことを再確認し、ASEAN研究はもちろん国際関係論全般への含意を提示する。

以上のような内容を持つ本論文は、次の3点で高く評価できる。まず、国際規範に対する関心が国際関係論の中で高まったことに刺激された世界中のASEAN研究が"ASEAN Way"の多用をASEANの規範が確立したという見方に収斂したのに対し、本論文は実証的にその誤りを指摘し、主権尊重・内政不干渉というASEANの規範の定着が1970年代であることを示し、1990年代に多用された"ASEAN Way"という言葉自体は地域規範改革の動きに抵抗する概念として用いられたこと、2000年代にはほとんど使われなくなったことを明らかにした。第2に、ASEANの機能が多面化する中で、2000年代における地域規範の変化を、加盟各国の対外政策から見た対ミャンマー政策、地域共同体形成、ASEAN憲章策定という点から多面的に捉えたことである。政治・安全保障の分野で伝統的規範が生き残り、機能協力・経済統合では事実上大した論争もないうちに規範が変わっていることを示した。第3に、国家建設途上のASEAN加盟国は、いずれも政治的安定と経済開発をめざす権威主義体制をとったことで、一方では主権尊重・内政不干渉を認め合いつつ、他方では地域の平和・紛争の平和的解決を規範化したことを示して、民主主義の平和とは異なる平和の論理があることを示した。これらは、国際関係論、とくにASEAN研究に対する大きな学問的貢献である。

本論文は、ASEANを題材に、国内政治体制の在り方を地域機構の規範形成に結びつける理論を展開するという挑戦的な課題に取り組んだことで、弱点が残ってないわけではない。まず、加盟国の体制(権威主義国か民主主義国)が地域規範(主権尊重・内政不干渉か国内統治の規範化)に影響を及ぼすところに、脆弱性・国家形成未完成を媒介させるだけで十分かどうかが審査委員の間で疑問として出された。また、民主化した国内政治の作用素として、議会と市民社会のみに注目するのは不十分で、政党や議会・政府間関係も含まれるのではないか、ASEANの詳細な分析記述と一般化をめざした理論記述のための少数の概念との間の関連づけにさらなる工夫が必要ではないかとの指摘もなされた。

本論文を総合的に評価すれば、提示された理論にはまだ改良の余地があるものの、ASEANを題材にして、国内政治体制と地域規範とを明示的に関連づけた上で、実証面でもこれまでの通説を批判し、新しい知見をもたらしたことは学界に対する高い貢献であると結論づけた。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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